本家の在り処
「消えた動画を探す方法は、三つある」
ドパガキは、紙に三本の線を引いた。六月に入って、昼の生徒会室は暑い。
五月三十日である。私たちは、彼の家にいた。五月の終わりで、北向きの部屋でも昼は暑い。窓は開けていなかった。紙が飛ぶからだと思う。机の上は、三月と同じように紙で埋まっていた。三月の紙は、片付けられていなかった。同じ位置に、同じ順で置いてある。二か月ぶん増えたぶんだけ、床の面積が減っていた。この人の部屋は、三月からずっと、この一件のためだけの部屋になっている。
「一つめ、転載を遡る」
「三年やった。四百三十四件、全部見た。……一世代目が無い」
彼は、そのリストを閉じた。三年かけて閉じたリストである。四百三十四件を一件ずつ開いて、圧縮の世代を数えて、順番に並べた。並べても、上の端に何も無い。三年やって出たのは、そこに何も無いという一行だけだった。
「これは、終わってる」
「二つめ、アーカイブ」
「去年、県外の人に聞いた。二十八万本持ってる人だ。……無かった」
彼は、紙の端を指で押さえた。
「あの人も四年探してる」
「三つめ」
彼は、三本目の指を立てた。
「なんで一世代目が無いのかを、調べる」
「なんで無いの?」
「普通、四百件も転載されてたら、どっかに一本くらい浅いのが残る。……残ってないってことは」
彼は、一度言葉を切った。
「消されてる」
一つめ、削除理由。
彼は、四百三十四件のリストを開いた。
「このリスト、いま生きてるのは三百九十件だ。……四十四件が、この三年で消えてる」
彼は、その四十四件を抜き出した。
「で、消えた四十四件の削除理由が、残ってる」
彼は、それを見せた。四十四件とも、同じ一行が出ている。文面まで同じである。私は、その四十四行を上から順に読んだ。読んでも、誰が申し立てたのかはどこにも書いていない。書いてあるのは、消えたという事実だけだった。
『権利者からの申し立てにより削除されました』
「四十四件、全部これだ」
「権利者ね」
「権利者だ」
彼は、四十四件を世代順に並べ替えた。並べ替えたら、きれいに上から詰まった。一世代目が七件、二世代目が十九件、三世代目が十八件。四世代目より下は、一件も消えていない。並べる前は、四十四件がばらばらに散っているように見えた。並べたら、きれいに上へ寄った。手で選んだものは、こういうふうに寄る。
「で、消えた四十四件は、全部、世代が浅い」
私は、気づいた。消すというのは、手間のかかる作業である。一件ずつ申し立てて、書式を埋めて、返事を待つ。四十四件やるのに何日かかるのかは知らない。ただ、深いものを放っておいて浅いものだけ選んで消すというのは、四百三十四件を全部見た人にしかできない。三年間それをやった人が、もう一人ここにいる。
「浅いのだけ消してるってこと?」
「そうだ。……六世代目より深いのは、放置されてる」
彼は、その境目に線を引いた。
「一世代目から三世代目までが、全部消えてる」
「なんで浅いのだけ」
彼は、少し黙った。
「浅いのが本物に近いからだ」
彼は、その線の上と下を、順に指した。
「深いのは、汚くて、もう別物だ。……消したい奴は、本物に近いやつだけ消す」
二つめ、申立者。
「削除の申し立てには、申立者の情報が残る」
「見られるの?」
「見られる場合がある」
彼は、その規約のページを出した。
「消された側が、異議申し立てをすると、相手の情報が開示されることがある。……規約に書いてある」
「消された側って」
「botだ」
「え?」
「四百三十四件のうち、四十四件はbotが上げたやつだ。……で、botの飼い主は」
私は、思い出した。
「アーカイブの人ね」
「そうだ」
彼は、その連絡先を開いた。
「あの人、異議申し立てを一回だけやってる」
彼は、その人に連絡した。返事は、翌日来た。
「やりました。……二年前です」
彼は、ペンを置いた。
「一件だけ、どうしても消したくないのがあって。……異議を出したら、相手の情報が来ました」
「見せてもらえますか」
「いいですよ」
彼は、言い直した。
「でも」
電話の向こうで、紙をめくる音がした。
「日本語じゃないです」
三つめ、開示情報。
送られてきたのは、英語の書式だった。権利申立ての標準フォームである。そこに、申立者の氏名欄があった。
ローマ字だった。
OTOKAWA
私は、その七文字を、しばらく見ていた。OTOKAWA。大文字で七つ並んでいるだけである。読めるのに、日本語に直すまで一拍かかった。三か月、私はこの名前を紙の上で何度も書いている。書いてきた形とあまりに違うので、一度では読めなかった。
ローマ字で見ると、知らない名前に見えた。三か月、私はこの名前を日本語でしか書いていない。
「乙川ね」
「乙川だ」
「本人が消して回ってるってこと?」
「そうだ」
「なんで」
彼は、答えなかった。
「三年前に自分で消して」
「うん」
「転載も消して回って」
「うん」
「で、いまも探してる」
私は、去年の話を思い出した。
アーカイブの人のところに、三年間、月に一度、同じ問い合わせが来ている。三十六回。同じ一行である。
『まだ見つかりませんか』
「あの問い合わせ」
「乙川だ」
「消した本人が、探してるってこと?」
「そうだ」
「意味がわからないわ」
「わかるよ」
「え?」
彼は、机の上のスマホを見た。触らなかった。そして、こう言った。
「消したことがある奴は、たいてい探してる」
私は、四年前の板倉さんのことを思い出した。
一年前に消した動画を、毎月十四日だけ公開に戻していた人である。そして、三年前の永田さんのことも思い出した。
祖父の家の鍵を、落とし物にして置いていった人である。
「消したいのと、無くしたいのは、違うんだよ」
彼は、そのスマホを裏返した。
「消したいのは、いま見えてる状態を止めたいってことだ」
彼は、その手を離した。
「無くしたいわけじゃねえ」
私は、ノートの百十七件目に、こう書いた。
『一世代目が無いのは、乙川が消して回ったからである。』
『そして、乙川はいま、それを探している。』
『三年間、月に一度、三十六回。』
そして、その下に、こう書いた。
『消した本人が、一番探している。』
書いてから、私は机の上の紙の山を見た。三年間、この家の机で、四百三十四件のリストが毎日開かれていた。消した人と探した人が、四百メートル離れた同じ市内にいて、同じ一本を三年間追っている。片方は消しながら探し、片方は探しながら見つけられなかった。二人とも、相手がそうしているのを知らない。




