十三人目は自分だった
五月十日。
五月の彼の部屋は、窓が北向きで、昼でも少し寒い。電気も要る。要るのに、この人はつけない。私は入るたびに一度スイッチを探して、一度もつけないまま帰る。
十四行の、十三行目。
五年前の五月十一日。十一人が同時にフォローした日である。
そのアカウントは、消えていた。痕跡も、ほとんど無かった。北向きの部屋は、昼でも画面の光が一番明るい。一件だけ、五年前のコメントが残っていた。
内容は、こうである。
『www』
三文字である。
「中学の同級生ね」
「そうだろうな」
彼は、その一行を指した。
「五月十一日だ。十一人と同じ日だ」
私たちは、二日かけて調べた。何も出なかった。そして三日目に、私は、あることを試した。
一つめ、文字数。
十三行目は、六文字である。ランダムな英数字だった。
私は、それを、中学の卒業アルバムの名簿と照合しようとした。百八人の名前をローマ字にして、頭文字を六文字ぶん並べる。二時間やって、一つも合わなかった。合わないのか、合わせ方が違うのかも、私にはわからなかった。
できなかった。ランダムだからである。二時間やって、やめた。
二つめ、端末。
私は、彼のお母さんに、もう一度連絡した。
「中学のときのスマホ、残ってますか」
「あるわよ」
彼女は、少し笑った。
「あの子、機種変しても捨てないの」
三つめ、ログイン情報。
私たちは、それを起動した。
充電に、一時間かかった。その一時間、彼は充電器のランプを見ていた。
五年前の端末である。画面の右下に、細い傷が三本入っていた。裏側の角が、一か所だけ欠けている。落とした跡だと思う。この人の持ち物を、私はほとんど見たことがない。持ち物というものを、この人はあまり持たない。その数少ないものの一つが、五年間、引き出しの中で放電していた。
そして、アプリを開いた。
ログインしたままだった。
アカウント名は、六文字の英数字だった。十三行目と、一文字も違わなかった。
私は、二つを並べて、一文字ずつ確かめた。六文字である。六回とも、同じだった。三月に、私はこれと同じことを一度やっている。十四行目が彼のものではないかと思って、二つを並べたときである。あのときは一文字も重ならなかった。同じことを二度やって、二度目に全部重なった。重なった瞬間に、私は自分の手が冷たくなるのを感じた。
「あなたのよ」
彼は、画面を見ていた。そして、たぶん三十秒くらい、何も言わなかった。
「……覚えてねえ」
「作った覚えは」
「ない」
「本当に?」
「ない」
彼は、その画面を指で送った。
「五年前の五月だ。……中一だ。クラスで、みんなが作った時期だ。たぶん、その流れだ」
「投稿は」
彼は、確認した。
「三件。……三件だけだ」
彼は、その三つの日付を読み上げた。
「五月十一日、十二日、十四日。……そのあと、無い」
「三日でやめたのね」
「やめてる。……飽きたんだろ」
彼は、少し肩をすくめた。
「三分で切れるからな」
私は、次の欄を開いた。
いいねの履歴である。
「一件、ある」
彼が、こちらを見た。
「え?」
「一件だけ、いいねの記録があるわ」
私は、その行を指した。
「五年前の五月十一日、二十一時四分」
「誰に」
私は、それを開いた。
乙川だった。
私は、一つ思い出した。
三年半前の、一年生の宇野さんの事件である。毎晩いいねを押して、四十秒後に取り消していた子だった。
そのとき、彼はスマホの画面をこちらに向けて、こう言った。
「押すのは一秒だ。取り消すのに四十秒かかってる」
「あんた、毎晩四十秒だけ、見てるって伝えてんだよ」
「取り消してるわ」
「え」
「このいいね、取り消されてる」
私は、記録を見た。押した時刻、二十一時四分十二秒。取り消した時刻、二十一時四分二十三秒。
「十一秒」
彼は、動かなかった。
「十一秒よ」
私は、その二つの秒を紙に書いた。書いてから、その差を書いた。
「五年前の五月十一日。あなたは押して、十一秒後に取り消してる」
彼は、たぶん一分くらい、何も言わなかった。そして、こう言った。
「覚えてねえ」
「覚えてないの」
「覚えてない。……本当に、一個も覚えてない」
彼は、その画面から目を離さなかった。
「三年前から今日まで、七百六十本の動画を全部覚えてる」
彼は、スマホを一度伏せた。
「五年前のこれは、覚えてない」
私は、何を言えばいいのかわからなかった。そして、言ってしまった。
「三年半前、あなた、宇野さんに言ったわ」
「四十秒の子ね」
「……」
「『取り消したつもりでいるだけで、一時間出てる』って言ったわ」
私は、その数字を指した。
「あなたは、十一秒よ」
彼は、そこで初めて、私を見た。
「十一秒だ」
「一回だけね」
「一回だけだ」
「乙川くん、通知で見たかしら」
「見た」
彼は即答した。
「なんで断言できるの」
「二十一時四分だ」
彼は、その時刻を紙に書いた。
「あいつ、二十一時に投稿する。……投稿して四分後だ。画面、開いてる」
私たちは、その日、それ以上何も話さなかった。
五年前の端末は、彼が持って帰った。充電器ごと持って帰った。
私は、ノートの百十三件目に、こう書いた。
『十三人目は、土場我輝だった。』
『五年前の五月十一日、二十一時四分十二秒に押し、二十一時四分二十三秒に取り消している。』
『十一秒である。』
そして、その下に、こう書いた。
『三年間、彼は「一回も何もしていない」と言っていた。』
『一回だけ、していた。』
『そして、忘れていた。』
書いてから、私はその三行を見比べた。一回だけしていた、というのと、忘れていた、というのは、この人にとって同じ重さではない。三年間、この人は「一回も何もしていない」と言い続けてきた。嘘ではなかった。覚えていないことは、その人にとって起きていないのと同じである。起きていないことにされた十一秒が、五年前の端末の中に残っていた。




