十一人目
十四行の、十一行目。五月十一日は、上着をどうするか毎年迷う日である。
五年前の五月十一日。最後の同級生である。
桧垣という人だった。
十一行目である。五年前の五月十一日にフォローした十一人の、最後の一人だった。ここまでで四月が終わろうとしていた。一人ずつ、と彼は言った。実際、一人ずつだった。
二十歳で、県内の大学の二年生である。四月の終わりで、カフェの窓際は日が当たって暑い。この人は窓際に座っていた。暑いところをわざわざ選ぶ人ではないと思う。ただ、窓際が一番早く空く席だった。
彼に会うまでに、一週間かかった。断られたのではない。三度、日程が合わなかっただけである。四度目に会えたとき、この人は約束の時間の二十分前から、待ち合わせのカフェにいた。ノートパソコンを鞄から出して、電源を入れて、閉じずに置いてあった。話す準備をして待っていた人の座り方だった。
そして、会って三分で、彼はこう言った。
「僕、裏アカやってました」
「中学の?」
「はい。三年間です。三年生のときまで」
彼は、ノートパソコンを開いた。
「アーカイブ、あります」
私は、椅子を半分ずらして画面に寄った。
「三年分?」
「三年分です」
「消してないんですか」
「消してないです」
彼は、そのフォルダを開いた。年ごとに三つに分かれていた。
「消せなかったです。……消したら、無かったことになるんで」
私は、三年前の堤くんのことを思い出した。
高校の裏アカを、四代にわたって裏で仕切っていた生徒である。彼も、同じことを言っていた。
「消してくれる人がいないと、消えないんです」
「投稿、何件ありますか」
「四百八十一件です。……三年で四百八十一です」
「見せてもらえますか」
「いいですよ」
彼は、その画面をこちらに向けた。
「ただ」
彼は、画面を伏せかけて、やめた。
「乙川、出てこないです」
私たちは、それを確認した。四百八十一件を、私は上から順に読んだ。名前は伏せてある。伏せてあっても、繰り返し出てくる呼び名がいくつかあった。私には、その呼び名が誰なのかまではわからなかった。わからないまま、二百四十件読んだ。
四時間かかった。四時間、私は一度も席を立たなかった。彼も立たなかった。三分で切れるはずの人が、四時間座っていた。
四百八十一件を、全部読んだ。私が二百四十件、彼が二百四十一件である。分けるときに、私たちは二度数え直した。
三年分である。
誰が誰を好きだとか、誰が何をしたとか、誰が何を言ったとか、そういうものが四百八十一件あった。
半分は、他愛のないものだった。
四分の一は、読むのがつらいものだった。私は、その四分の一を読むのに、二回手を止めた。名前が伏せてあっても、書かれた人がどんな顔をしたかは想像がつく。四年前の中学生が、四年前の中学生について書いたものである。書いた本人が、いま隣でそれを開いている。開いたまま閉じないでいるのが、この人なりの落とし前なのだと思った。
残りの四分の一は、意味のわからないものだった。
そして、乙川の名前は、一度も出てこなかった。
「一回も?」
「一回もです。僕、確認しました。三年前に」
「え?」
「あいつが消えたときに、気になって全部読み返しました」
彼は、そのフォルダを閉じなかった。
「一件も無かったです」
「それは」
私は言いかけて、言葉を選んだ。
「いいことじゃないんですか。……晒されてないってことですよね」
桧垣さんは、少し黙った。
「いいことです。僕、晒される側も見てきたんで。……あれは、いいことです」
彼は、伏せかけた画面を、指で一度だけ起こした。
「でも」
彼は、その件数を指した。
「四百八十一件です。……三十六人のクラスで、三クラスで、百八人です」
彼は、二つの数を並べた。
「百八人のうち、百七人は、どこかに一回は出てるんです」
ドパガキは、そのあいだ、一言も喋っていなかった。
「一人だけ出てねえのか」
「一人だけです。三年間、一回もです」
彼は、指を三本折った。折る音がしそうなほど、ゆっくりだった。
「悪口も、噂も、褒めも。……一回も出てないです」
「いいことだ」
「はい」
「本当にいいことだ」
彼は繰り返した。繰り返してから、フォルダの一覧を上まで戻した。そして、こう言った。
「でも」
彼は、その件数をもう一度見た。
「四百八十一件の投稿に、一回も名前が出ない人間がいるってことだ」
桧垣さんは、下を向いた。膝の上で、指が二本だけ動いていた。
「そうです。僕、それに気づいたとき」
彼は、パソコンの縁を握った。
「自分が三年間やってたことが、何だったんだろうと思いました」
彼は、机の縁を一度だけ指で叩いた。
「四百八十一件書いて、一人、書かなかったんです。……書かれなかったほうが、たぶん、きついです」
私たちは、それで帰った。桧垣さんは、最後までフォルダを閉じなかった。十一人目である。
十一人のうち、覚えていたのが九人。覚えていなかったのが二人。押したことがあるのが、一人。
面白いと言ったことがあるのが、一人。
「残り三人だ」
「十二人目、十三人目、十四人目ね」
「そうだ」
「十二人目は」
「四年前の八月だ。……あ、いや」
彼は紙を見た。折り目のところを、指で開き直した。私も、横からその十四行を数えた。上から十一行に印がついていて、残り三行には何も無い。三行のうち二行には日付があって、一行だけ空欄である。空欄は、離れて見ると気づかない。私は三月からこの紙を何度も見ていて、その一行が空いていることに、二か月間気づいていなかった。
「七人目が四年前の八月だ。十二人目は三年前の一月だ」
「三年前の一月?」
「消える直前だ」
彼は、その一行を指した。
「消える直前に、一人増えてる」
私は、その意味を、駅までの道でやっと考えた。三年間、いいねゼロで投稿し続けた人間のところに、
消える直前に、一人だけ、新しいフォロワーが来ている。
十四行のうち、十一行が同じ月に並んでいて、残り三行だけが、ばらばらの時期にある。私は、その三行を指でなぞった。四年前の八月。三年前の一月。そして、日付の無い一行。
「誰かしら」
「知らね」
彼は、その紙を畳んだ。
「でも」
彼は、一度だけこちらを見た。
「三年前の一月に、あいつを見つけた奴がいる」




