九人目と十人目
九行目と十行目は、二日で終わった。
三月の後半で、日陰でも上着が要らなくなっていた。二日で二人というのは、この二か月で一番速い。速く終わるのは、話すことが少ないからである。少ないほうが楽だと思ってしまう自分を、私は二日目に一度叱った。
二人とも、中学の同級生である。二人とも、覚えていた。二人とも、何も押していなかった。
一人目、二人目、四人目と同じである。私は、それをノートに書いた。
もう驚かなくなっていた。驚かなくなっている自分に、少しだけ驚いた。九人目も十人目も、悪い人ではない。会えば普通に話してくれるし、質問にも丁寧に答える。ただ、三年間、誰も何もしなかった。何もしないというのは、誰か一人の落ち度ではない。落ち度でないものが十人ぶん積み上がると、こういう形になる。
私が驚いたのは、そのあとである。
三月二十日。私は、十四行の紙を、もう一度見た。十四行目の、日付が入っていない行である。
英数字が、六文字だけ。他の十三個より、明らかに短い。
そして、私は、あることに気づいた。六文字である。
私は、彼の高校時代のアカウント名を思い出した。六文字である。意味の無い英数字で、三年見ていても私には一度も読めなかった。読めないものを三年見ていると、形だけは覚える。形だけ覚えていたので、六文字だということは出てきた。
それも、六文字だった。
私は、彼に聞かなかった。
代わりに、調べた。三年間、彼の隣で見てきたやり方である。
一つめ、文字数。
十四行目は、六文字。彼のいまのアカウント名も、六文字。
だが、中身は違う。同じではない。私は、二つを並べて紙に書いた。一文字も重なっていなかった。六文字が六文字であることに意味があると思ったのは、私だけである。世の中には六文字のアカウント名がいくらでもある。それでも私は、二つを並べずにいられなかった。並べてから、自分が何を期待していたのかがわかった。
二つめ、登録。
私は、彼の高校時代のアカウントの登録日を調べた。これは、簡単に出た。四年前の三月である。
高校に入る直前だった。
三つめ、その前。
では、その前は。中学のとき、彼は何を使っていたのか。私は、三年間、それを考えたことがなかった。
彼は「三年間、猫の動画を見ている」と言った。三年前より前は、何をしていたのか。
四つめ、消えたアカウント。
私は、十四行目を検索した。出なかった。消えている。だが、痕跡が一件だけあった。
四年前の三月、中学の卒業式の日に、誰かがそのアカウントを引用していた。引用したのは、牧田さんだった。
引用の中身は、たった一行である。
『卒業おめでとう』
私は、それを見て、しばらく動かなかった。『卒業おめでとう』の七文字だけが、四年前の三月に残っている。引用元は消えている。消えた側に何が書いてあったのかは、もう誰にも見えない。見えるのは、それに返した七文字だけだった。
十四行目のアカウントは、卒業式の日に、クラスメイトに「卒業おめでとう」と言われている。
つまり、十四行目は、中学の同級生である。
そして、四年前の三月に消えている。高校に入る直前である。
私は、彼に電話をかけた。かける前に、三分考えた。
「十四行目」
「何」
「あなたの、中学のときのアカウントじゃないの」
長い沈黙があった。
「違う」
「違う?」
「違う」
彼は、電話の向こうで一度黙った。
「オレのは、この紙に載ってない」
「なんで」
彼は、初めてこう言った。
「オレ、フォローしてねえんだよ」
私は、手を止めた。書きかけの字が、途中で止まった。フォローしていない、という一言が、それまでの全部を組み直した。十四行はフォロワーの一覧である。一覧に載っていない人が、一人いた。載っていない人が、一番長く見ていた。私はその紙をもう一度開いて、十四行の下の余白を見た。何も書いていない余白だった。
「フォローしてない?」
「してない。……三年間、毎日見てた」
彼は、言い直した。
「でも、フォローはしてない」
「じゃあ、どうやって見てたの」
「毎日、開きに行ってた」
彼は、その手順を言った。
「アカウント名を打って、検索して、開いて、見て、閉じる。……毎日だ。三年間」
「フォローすればいいじゃない」
「フォローすると」
彼は、少し声を落とした。
「向こうのフォロワー欄に、オレの名前が出る」
私の息が、そこで詰まった。
「見てるのを、知られたくなかったの?」
彼は、答えなかった。十秒くらい、答えなかった。
「そうだ」
「なんで」
彼は、また黙った。そして、こう言った。
「知らね。……三年考えたけど、わからん」
私は、電話を切らなかった。そして、こう言った。
「土場くん」
私が、彼をそう呼んだのは、たぶん二度目である。
「なに」
「三年前の七月」
「うん」
「古市くんの件、覚えてる?」
「覚えてない」
「四十秒で消えた投稿の件よ」
「……あー」
彼は、少し間を置いた。
「なんとなく」
「あなた、あのとき、こう言ったの」
「なんて」
「『三十八人中、四人が、深夜一時四十七分に四十秒以内に見た』」
私は、ノートのそのページを開いていた。三年前の私の字である。
「『通知オンだよ』」
長い沈黙があった。
「言ったな」
「あなたは」
私は、そのページに指を置いた。
「通知、オンにしてた?」
彼は、答えなかった。私も、それ以上聞かなかった。答えは、私にはわかっていた。
彼がフォローすらしていなかったのだから、通知が来るはずがない。
三年間、彼は、通知が来ないアカウントを、毎日自分で開きに行っていた。
私は、ノートの百九件目に、こう書いた。
『九人目、十人目。覚えている。押していない。』
そして、別のページに、こう書いた。
『土場我輝は、乙川をフォローしていない。』
『三年間、毎日、自分で開いていた。』
『通知は、一度も来ていない。』
三行書いて、私はしばらくそのページを開いたままにしていた。三行とも、事件のことではない。三年間、私は事件を書くつもりでノートをつけてきた。事件ではないものが、いま一番多く書かれている。吉住くんが言った通りだった。これは、記録した人の記録である。




