同じ空を撮っていた
「気持ち悪いんです」
一年D組の桐野くんは、はっきりそう言った。
「僕と、全く同じ写真を上げてるアカウントがあって」
「同じ?」
「同じです。空の写真。毎日、夕方の五時ごろに」
彼はスマホを二台分の画面に見せてくれた。左が彼の投稿。右が知らないアカウントの投稿。
雲の形は違った。でも、構図はほとんど同じだった。空だけ。地上のものが一切映っていない。空の写真というのは、ふつう、何かの端が入る。屋根か、電線か、木の先である。二枚とも、それが無い。無いというのは、無いように撮っているということである。二人とも、そこだけは同じだった。
「僕、二年前から毎日撮ってるんです。誰にも言ってないのに」
「そのアカウント、フォローしてる?」
「されてないです。いいねもされてないです。……ただ、同じことをしてるんです」
「二年前から?」
ドパガキは机に伏せたまま聞いた。
「はい」
「なんで空なんだ」
桐野くんは少し黙った。
「……なんとなくです」
「ふーん」
彼はそれ以上聞かなかった。
「両方のアカウント寄こせ。二年分」
「一つめ、画角」
彼は二つの写真を並べた。私には同じに見えた。
「見ろ。桐野のは、画面の下の端にほんの少しだけ屋根が入ってる。三ミリくらい」
「あ、ほんとだ」
「向こうのには入ってない。完全に空だけだ」
「だから?」
「撮ってる高さが違う。桐野のは二階の窓から。向こうは、もっと高い。五階か六階だ」
「二つめ、時刻」
彼は投稿時刻を並べた。
「両方、十七時前後。……で、両方とも、季節に合わせて時刻がずれてる」
「どういうこと」
「夏は十八時半、冬は十六時半。日没に合わせてるんだよ、両方とも。……偶然、同じ習慣を持ってる人間が二人いるってことだ」
「じゃあ、ただの偶然?」
「そう思うだろ」
彼は初めて顔を上げた。
「三つめ。雲」
彼は七百枚以上を、三倍速で流した。空だけが、画面の中で高速に入れ替わる。青、灰、橙、また青。十二分のあいだ、私はそれを横で見ていた。三倍速の空は、天気の変化ではなく、ただの色の点滅にしか見えない。彼は、その点滅を十二分見ていた。
十二分後、彼は再生を止めた。
「二年分で、雲の形が完全に一致してる日が三日ある」
「一致?」
「一致だ。同じ雲を、同じ日の同じ時刻に、別の高さから撮ってる。……つまりこの三日だけ、二人は同じ空の下にいた」
私は画面を見た。二枚の写真は、たしかに同じ雲だった。左のほうが少し低く、右のほうが少し広い。
「三日……」
「去年の八月十四日。今年の一月三日。今年の八月十四日」
私は数えた。
「盆と、正月」
「そう」
彼はスマホを置いた。
「で、決定打。……桐野」
「はい」
「あんたの親父さん、どこ住んでんの」
桐野くんは、しばらく答えなかった。
「……去年、離婚しました」
彼は、自分の靴の先を見ていた。
「父は、いま、たぶん県外です。どこかは知らないです」
「盆と正月に帰ってきてるだろ」
「え」
「三日だけ、あんたと同じ空を撮ってる。……同じ市内にいたってことだ」
桐野くんの顔から、表情が抜けた。
「でも、会ってないです」
「うん。会ってない」
ドパガキは淡々と言った。
「来て、会わずに帰ってる」
私は、そのアカウントの投稿を最初まで遡った。二年分である。指が疲れるまで送って、それでもまだ下があった。一日一件で、七百件以上ある。送っているあいだ、季節が二回まわって、また戻った。一番下に着いたとき、私は自分がずいぶん長い時間を指で辿ったのだと気づいた。
一番古い投稿は、二年前の四月だった。桐野くんが空を撮りはじめたのと、同じ月である。
「……真似してるってこと?」
「逆じゃねえの」
ドパガキが言った。
「え」
「桐野。あんた、なんで空撮ってんの」
桐野くんは、今度はちゃんと答えた。
「父が、撮ってたんで」
彼は下を向いた。
「小学校のとき。毎日じゃないけど、たまに。……ベランダで、空だけ撮って、それを見せてくるんですよ。何が面白いのか全然わかんなくて」
彼は少し笑った。
「二年前に、家出てって。……なんか、撮るようになりました」
ドパガキは、窓枠に腰かけた。彼はしばらく黙って、それから言った。
「同じもん見てても、隣にいるとは限らねえよ」
「……はい」
「でも、見てはいる」
彼は足をぶらぶらさせた。
「二年だぞ。七百枚以上だ。……あんたのほう、フォローされてないんだよな」
「はい」
「向こうは毎日見てる。フォローすると通知が飛ぶからな。……バレたくねえんだよ、たぶん」
桐野くんは、何も言わなかった。
「会いに行けとは言わねえ」
ドパガキは立ち上がった。
「オレ、そういうのわかんねえもん。……でもさ」
彼はスマホを桐野くんに返した。
「明日、屋根を入れて撮ってみろよ」
「……え」
「三ミリじゃなくて、もっと入れろ。家が映るくらい。……向こうが気づくかどうかは知らね」
十日後。そのアカウントの投稿が、変わった。
空の下端に、桐野くんの家の屋根と同じ形の、別の屋根が映るようになった。
「返事だと思う?」
私が聞くと、ドパガキは肩をすくめた。
「知らね」
「知らねって」
「オレは雲しか見てねえもん」
彼は自販機の前で立ち止まって、スマホを取り出した。
「うわ」
「今度は」
「猫が空を見てる」
「それはただの猫でしょう」
「猫が空を見てるのを、三千人が見てる」
「……そう」
彼は十六分動かなかった。私は上を見た。
その日は曇っていて、雲の形はよくわからなかった。一面が同じ色である。こういう空を、あの二人は撮るのだろうかと思った。撮るのだと思う。毎日撮る人は、たぶん、いい空の日だけ撮るのではない。
なお彼は、翌週にはこの事件のことを、きれいさっぱり忘れていた。




