七人目
十四行の、七行目。
四年前の八月にフォロー。
十一人が同時にフォローした五年前の五月から、一年三か月遅い。つまり、中学の同級生ではない。
そのアカウントは、いまも動いていた。投稿は、園芸である。花の写真と、長い文章。
私は、その文体に覚えがあった。句点のあとで必ず改行して、二行空ける。三行読んで、それが見えた。二年前に一度読んだきりの文章である。二年経っても、改行の位置だけは覚えていた。
「あの人だ」
「誰」
「一年半前の」
私は、その文体をもう一度三行だけ読み返した。
「写経の人」
三年前の一月、中学一年生に一年間文章を丸写しされていた、あの人である。五十代の男性で、園芸店をやっている。
私たちは、その店に行った。五月の園芸店は、入口だけ外の風が入る。奥は湿っていて、少し暖かい。
土の匂いがした。店の奥に、あのノートが立ててあるのが見えた。二年前、この人が古賀くんの誤字を数えていたノートである。背表紙が、少し膨らんでいた。書き足したぶんである。
彼は、私たちを覚えていた。
「あのときの」
「はい」
「あの子、まだ写してますよ。……二年目です」
私は、鞄からあの紙を出した。折り目の白く割れた紙である。
「今日は、別の話です」
そして、十四行の七行目を見せた。彼は、それを見て、こう言った。
「乙川くんですね」
私は、初めて、名前を言われた。
こちらから言う前に、である。私は、ペンを落としそうになった。
「知ってるんですか」
「知ってます。……四年前に、うちに来たんで」
「店に?」
「はい。中学生でした。一人で来て、三十分くらい、鉢を見てました」
彼は、その棚のほうを指した。棚は三段あって、素焼きの鉢が並んでいる。値札が手書きで、どれも同じ字だった。中学生が一人で三十分立っていられる場所には見えない。見えないが、四年前にそういう中学生が一人いた。三十分立って、四十枚撮って帰った。
「で、帰り際に、『写真、撮っていいですか』って。……いいよって言ったら、四十枚くらい撮って帰りました」
「その日から、フォローされたんですか」
「そうです。……で、そのあと、月に一回くらい来てました」
彼は、指で一年ぶんを数えた。十二回である。月に一度、一年。私はその十二回を、頭の中で季節に直した。冬の鉢は見るものが少ない。少ないのに来ていたということが、私には少しわからなかった。
「一年くらいです」
「何を話しましたか」
彼は、少し考えた。
「あの子、質問しかしなかったです」
「質問?」
「『これ、何年ものですか』『どうやって育てるんですか』『枯れたらどうするんですか』」
彼は、その三つを順に指で数えた。三つとも、育て方の質問だった。枯れたらどうするか、という質問を、私はしばらく考えた。
「自分の話は、一回もしなかったです」
「三年前の一月」
ドパガキが、口を開いた。
「はい」
「そのころ、来てましたか」
彼は、少し黙った。
「来てないです。その一年くらい前から、来なくなってました。……なんでかは、わからないです」
「投稿は」
「投稿は、見てました」
「見てました?」
「はい。毎日」
私は、身を乗り出した。
「毎日見てたんですか」
「毎日です」
「押しました?」
彼は、少し下を向いた。手元の鉢を、意味もなく回した。
「押してないです」
「なんで」
彼は、しばらく答えなかった。鉢を、もう一度回した。
「押し方が、わからなかったんです」
「え?」
「僕、五十過ぎてから始めたんで。……見るのはできるんです。押すと、相手に通知が行くじゃないですか」
「行きます」
「それが、なんか、失礼な気がして」
彼は、手を止めた。
「中学生の子に、五十のおじさんが毎日押すのは、変かなと」
私は、通知という言葉のことを考えていた。押すと、相手に届く。それを失礼だと思った人が、ここに一人いる。三年間、私は押すか押さないかの話を何度も聞いてきた。押すなら毎日押せ、と言われたこともある。押すのが失礼になるという考え方は、初めて聞いた。初めて聞いて、すぐには否定できなかった。
「三年間、押さなかったんですか」
「押してないです」
「見てたのに」
「見てました」
彼は、その鉢をようやく置いた。
「毎日、いい写真だなと思ってました」
「言いましたか」
ドパガキが聞いた。彼は、首を振った。
「言ってないです。……店に来たときに言えばよかったんですよね」
彼は、その棚のほうをもう一度見た。
「一年、来てたんで。……十二回くらい会ってます」
彼は、鉢を膝に下ろした。
「一回も言ってないです」
彼は、こう付け足した。
「あの、」
「はい」
「あの子の写真、いいんですよ」
彼は、初めて顔を上げた。
「花の撮り方が、上手いんです。素人の撮り方じゃないんです。……光の入れ方がわかってるんです。毎日撮ってる人の写真です」
ドパガキが、初めて、この人の顔をまっすぐ見た。
「それ」
「はい」
「いま、初めて言いましたよね」
園芸店の主人は、少し黙った。
「そうですね」
「四年経ってます」
「四年経ってます」
彼は、その言葉を繰り返した。そして、こう言った。
「遅いですね」
私は、ノートの百七件目に、こう書いた。
『七人目。園芸店の主人。四年間、毎日見ていた。一度も押していない。一度も言っていない。』
そして、その下に、こう書いた。
『「あの子の写真、いいんですよ」』
書いてから、私は一年半前のことを思い出した。この人は、写された側だった。写されていることを一年間知っていて、何も言わなかった人である。言わないことが、この人の癖なのだと思った。




