十四人の内訳
三月十日、私は瀬々良木に戻った。
三月十日の駅前は、まだ手袋が要る。県外はもう要らない。同じ日の同じ時刻に、私は鞄から手袋を出す側と、入れっぱなしにする側を行ったり来たりしている。一年で、荷造りだけが上手くなった。
大学は春休みである。
私は、荷物を持って帰ってきた。一か月いるつもりだった。
彼の家の前で、彼は待っていた。日陰ではなく、日向に立っていた。
私は、それを少し変だと思った。三年見てきて、この人が日向に立っているのを、私は初めて見た。日陰にしゃがむ人である。夏も冬も、影のあるほうに寄る。その人が、三月の日向に立って、こちらを待っていた。しゃがんでもいない。立って、待っている。私はその姿を先に見て、それから何か重い話が来ると思った。
「これ」
彼は、一枚の紙を出した。
折り目が深かった。何度も開いた紙である。折り目のところが、白く割れていた。四つに折ってあって、縦の折り目のほうが先に傷んでいる。開くときに、そこから裂けそうになった。三年間、この人はこれを持ち歩いていたことになる。何も持たない人である。鞄を持たない日もある。その人が、三年間持っていた紙だった。
私は、それを開いた。折り目のところが割れていて、開くときに紙が一度引っかかった。中を見ても、私にはただの英数字の列にしか見えない。十四行ある。十四行が何を意味するのかは、この時点では読めなかった。
十四行、書いてあった。私は上から順に読んだ。英数字が並んでいるだけで、意味は一つも読み取れない。十四行のうち、どれが誰なのかも見えない。この紙を三年持っていた人には、たぶん十四人の顔が見えている。
英数字の羅列が十四個。アカウント名である。そして、その横に、日付が書いてあった。
一番古いのが、五年前。一番新しいのが、三年前の一月十九日。
「これ、何」
「乙川のアカウントのフォロワーだ。……十四人だ」
彼は、その紙の端を指で押さえた。
「消える前に、書き写した」
「書き写した?」
「消える前の日に、なんか変な感じがして。……その日、あいつの投稿が、いつもと違った」
「どう違ったの」
「いつもは二十一時なんだよ」
彼は、二つの時刻を言った。
「その日、十七時だった。……四時間早い」
「それで、書き写したの?」
「フォロワーだけ写した」
「なんで」
彼は、少し黙った。
「消えると思ったからだ」
彼は、その十四行を上から下までなぞった。
「で、消えたら、この十四人しか残らねえと思った」
私は、その紙を、しばらく見ていた。
十四行である。字が、彼のいつもの字より丁寧だった。英数字を写すのに、一文字ずつ確かめながら書いたのだと思う。ふつう、この人の字は速い。速いというより、途中でやめている。この十四行は、最後の一文字まで同じ大きさで書いてあった。
三年間、彼はこれを持っていた。そして、一度も誰にも見せていない。
「調べた?」
「調べてない」
彼は即答した。
「三年、調べてない」
「なんで」
彼は、答えなかった。私は、待った。日向に立ったまま、たぶん一分待った。
「怖かったんだよ」
「怖い?」
「うん」
彼は、その紙を持ち直した。
「調べたら」
彼は、間を置いた。
「十四人のうち十三人が、あいつのこと覚えてなかったら、どうすんの」
私は、何も言えなかった。
「三年、持ってた。……毎日見てた」
彼は、三つを順に数えた。
「猫の動画と、この紙と、四百三十件のリスト」
彼は、指を三本立てたままにした。
「それが三年だ」
「じゃあ、なんで今日出したの」
彼は、初めて私を見た。
「あんたが名前を出したからだ」
「え?」
「オレ、三年、名前を口に出してねえんだよ。……頭の中では言ってる。でも、口に出したことがない」
彼は、言い直した。
「一昨日、あんたが言った」
私は、電話で「乙川くん、ね」と言った。それだけである。
「で、言われたら」
「うん」
「それだけのことだったんだよ」
彼は、その紙を畳もうとして、やめた。
「三年、言えなかったのが、あんたが言ったら、それで終わった。……だから、出した」
私たちは、その日、十四行を分類した。三時間かかった。
一つめ、生死。
いまも動いているアカウントが、四つ。止まっているが残っているのが、六つ。消えているのが、四つ。
二つめ、地域。
投稿の内容から、地域を推定した。
市内が、六人。県内が、三人。県外が、二人。不明が、三人。
三つめ、年齢。
推定である。十代が、九人。二十代が、二人。不明が、三人。
四つめ、フォロー日。
これが、一番はっきりした。
十四人のうち、十一人が、五年前の五月にフォローしている。同じ月である。
「なんで」
「中学の同級生だ」
彼は、その十一行に丸を付けた。
「五年前の五月ってのは、あいつがアカウントを作った月だ。……クラスの奴が、十一人フォローした」
彼は、その丸をもう一度なぞった。
「で」
彼は、その十一行の右端に、もう一本線を引いた。
「そのあと三年間、誰も外してない」
「残り三人は?」
「四年前の八月に一人。三年前の一月に一人」
彼は、そこで止まった。
「あと一人が」
「一人が?」
「日付が入ってない」
「え?」
「オレ、写し忘れたのかもしれん。……でも、たぶん違う」
彼は、その一行を指した。
「あのとき、日付が出てなかった」
私は、その十四行目を見た。
英数字が、六文字だけである。他の十三個より、明らかに短い。
「これ、誰なの」
「わからん。……三年、わからん」
私たちは、その日、十四人を一人ずつ辿ることを決めた。一人につき、何日かかるかわからない。
彼は、その紙を胸の前で持ったまま言った。
「一人ずつな」
「一人ずつね」
「まとめてやると、たぶんオレが壊れる」
「そんなに?」
「わからん」
彼は、その紙をようやく畳んだ。
「でも、三年待ったんだから、あと二か月くらい、待てる」
私は、ノートの百二件目に、こう書いた。
『十四人。一人ずつ。』
そして、その下に、十四行を書き写した。
一行目から、順に。字が、途中から彼の字に似てきた。似せたつもりはない。英数字を一文字ずつ確かめながら書くと、誰の字でも同じ形になるのだと思う。書き終わって、私は自分の十四行と、彼の十四行を並べた。並べると、ほとんど同じに見えた。
私も、あの紙を、いま持っている。




