三月一日
三月一日。
三月一日の校門の外は、風がまっすぐ抜ける。二年前、私は同じ場所で椅子を四十脚畳んでいた。畳む係は今年も誰かがやっているはずで、それが誰なのかを私は知らない。知らなくてよくなったことが、卒業したということだった。
私が高校を卒業して、ちょうど二年である。私は、瀬々良木に帰った。
母校の卒業式は、十時三十分に終わった。私は、校門の外にいた。
十時四十一分に、一人の女性が来た。私は校門の内側から、その人を見ていた。三十メートル離れると、顔はよく見えない。見えるのは、立ち止まる位置と、スマホを構える高さだけである。十三年、その二つだけが同じだった。
三十一歳である。去年、苅田先生が封筒を渡した人だった。
彼女は、去年と同じ場所に立った。私には、去年との違いが一メートルぶんも見えなかった。柱の何番目、というような目印は無い。無いのに、この人は同じところに立てる。十二年立てば、そうなるのだと思う。
校門から三十メートル。私は、その距離を目で測った。去年、彼が写真から出した数字である。実際に立たれてみると、思っていたより遠かった。
そして、スマホを構えた。
苅田先生が、校門から出てきた。去年と同じである。二人は、五分くらい話した。今年は、封筒はなかった。
「渡すもの、無いんですね」
私が言うと、先生は少し笑った。
「無いわ」
「じゃあ、何を話したんですか」
「今年の三年生の話」
彼女は、校門のほうを見た。
「あの子、私が今年何組の担任かを聞いてきたの」
「来年も来るのかしら」
「来るでしょうね。……十二年目よ」
校門の中では、写真を撮る子と、泣いている子と、もう帰る子がいた。二年前の私が見た光景と、同じだった。並んでいる場所まで、たぶん同じである。
三浦亮太が卒業した。吉住くんが、五冊目のノートを持って、見送っていた。相原景も卒業した。
彼は、卒業式に出た。三年前は、教室に二週間いなかった人である。
「出ました」
彼はそう言った。それだけだった。
土場我輝は、来なかった。私は電話をかけた。
「卒業式だけど」
「知ってる」
「来ないの?」
「行かねえよ。……オレ、去年卒業したんだぞ」
「そうね」
彼は、言い切った。
「去年で終わってる」
私は、その日の夜、寮に戻る前に、彼の家の近くを通った。彼は、いなかった。
代わりに、駅前の日陰にいた。三月の日陰である。相変わらず、寒そうだった。
「二年経ったわね」
「経ったな」
「二年で、何件やった?」
「知らね」
「三十二件よ」
私は、その二つを並べて言った。
「高校のときの三年間で六十八件。この二年で三十二件」
「ちょうど百だな」
「ちょうど百ね」
「なんで増えたんだ」
「わからない」
私は、一度足を止めた。
「依頼が来る場所が増えたのかもしれない」
私たちは、そのあと三十分くらい、何も話さなかった。
三月の日陰は寒い。私は二回、足の位置を変えた。彼は一度も動かなかった。日が傾いて、日陰の境目が少しずつこちらへ寄ってくる。三十分のうちに、その線が三十センチくらい動いた。動いても、この人は座る場所を変えない。寒いところに、寒いまま座っている。二年前も、三年前も、同じだった。
彼は画面を見ていた。私は横に立っていた。三年前から、同じことをしている。
二十二時になった。私は、寮に戻る電車の時間を確認した。そして、二十二時四十七分に、あのアカウントを開いた。
四年目である。窓の外。電柱が一本。三月の空。
投稿は、無かった。
私は、二十二時四十八分に、もう一度更新した。無かった。二十二時五十分。無かった。二十三時。無かった。
指が、四回、同じところを引き下ろしていた。更新するというのは、無いことを確かめる作業である。二年前、彼は同じことを毎日朝と夜にやっていて、それを「探しているのではなく確認しているだけだ」と言った。言われたときは、そういうものかと思った。自分の指が同じ動きをするまで、私はその意味を知らなかった。
「上がってない」
彼が、顔を上げた。
「何が」
「あのアカウント」
私は、その画面を彼に見せた。
「四年間、一日も欠かしてないのよ。……今日、上がってない」
彼は、スマホを取り出した。そして、確認した。
「上がってねえな」
「初めて?」
「初めてだ。……四年で、初めてだ」
私たちは、二十三時五十九分まで、そこにいた。三月一日は、そのまま終わった。投稿は、無かった。
三月二日も、無かった。三月三日も、無かった。
私は、三日とも、二十二時四十七分にアプリを開いた。開いて、更新して、閉じた。四年間、この人の投稿を私は一度も押していない。押していないのに、無いと落ち着かなかった。
三月四日、彼から電話が来た。
深夜三時である。私は起きていた。三日前から、二十二時四十七分に開く癖がついていて、その日はまだ閉じていなかった。
「あのさ」
「うん」
「フォロワー、見た」
「十三人よね」
「見ろ」
私は、開いた。
十二人になっていた。
私は、その十二を三回数えた。三年前は十四人だった。一年前に十三人になり、今日十二人になった。二年で二人である。減り方だけを見れば、ゆっくりだった。
「誰が減ったの」
彼は、答えるまでに、少し時間がかかった。
「調べた。……消えたアカウント、辿った」
彼は、間を置いた。
「三年前に、猫の動画を引用したやつと、同じ人だ」
「同じ人?」
「同じ人だ。……一月十四日に一回消えて、また作って、また消えてる」
彼は、その回数を数えた。
「三回目だ」
私は、初めてそれを聞いた。
「その人の名前、わかったの?」
彼は、しばらく黙っていた。深夜三時の沈黙である。そして、こう言った。
「わかった」
「教えて」
彼は、また黙った。
「言うぞ」
「うん」
「でも、その前に一個だけ言う」
彼は、もう一度間を置いた。
「オレ、まだ確かめてない」




