百万の内訳
七月の終わり、丸尾さんから連絡が来た。
七月の終わりの乾物屋は、店の奥だけが涼しい。鰹節は湿気に弱いので、この店は夏でも除湿を切らない。四年前に一度そう聞いて、私はそれをノートの余白に書いている。事件と関係のないことばかり、私はよく覚えている。
乾物屋の主人である。七十六歳になっていた。
「山内さんの店、行列が減ってきました」
彼は、一度咳をした。私は、その咳を去年も聞いている。去年の秋、篠田くんの行列が三日で消えたときである。
「三週間で終わるって、去年言ってましたね」
「言った」
ドパガキは、その通話をスピーカーにした。
「今回は、五週間もちました。……で、聞きたいんですけど」
彼は、少し声を落とした。
「あの百二十万回って、なんだったんですか」
「数える」
ドパガキは、紙を一枚もらって、机に置いた。
「え?」
「百二十万を、一人ずつ数える」
「一つめ、再生」
「百二十万回だ。……で、これは再生された回数だ。人数じゃない」
「違うの?」
「違う。同じ人が三回見たら、三回だ」
彼は、その内訳を出した。同じ人が三回見たら三回と数える、という説明を、私はそのとき初めて聞いた。それまで私は、再生数を人数だと思っていた。三年間、私はノートに再生数を書き写してきて、一度もそこを疑っていない。疑わなかったのは、疑う言葉を持っていなかったからである。
「重複を引くと、九十一万人だ」
「二つめ、視聴時間」
「動画は四十秒ある。……で、最後まで見た人の割合が出る」
彼は数字を出した。
「七.四%」
「七%」
「九十一万の七.四%だ」
彼は計算した。指を折らずに、暗算で出した。
「六万七千人」
「三つめ、行動」
「そこから、何かをした人を数える」
彼は、四つを縦に並べた。書くたびに、数が一桁ずつ落ちた。私は、その落ち方を目で追った。一万四千、九千、三千二百、千百。四行で百分の一になる。落ちる理由は一行ずつ違うはずなのに、並べて見ると、同じ速さで落ちているようにしか見えなかった。
「いいねを押した人、一万四千人。コメントした人、九千人。保存した人、三千二百人」
彼はスマホを置いた。
「で、店の名前を検索した人」
彼は、その最後を書いた。
「千百人」
「四つめ、来た人」
「丸尾さん。山内さんの店、五週間で何人来ました?」
「数えてます。三千四百人です。……あ、いや、正確にはレジを通った人が三千四百です」
「じゃあ、三千四百人だ。……で、そのうち、二度目に来た人は」
丸尾さんは、少し黙った。
「山内さん、覚えてないんで。……でも、僕が見てました。隣なんで」
彼は、鰹節の袋を横にずらした。
「十一人です」
私は、その数字の並びを、紙に書いた。書き写すのに、五分かかった。
再生 1,200,000
実人数 910,000
最後まで見た 67,000
いいね 14,000
コメント 9,000
保存 3,200
検索 1,100
来店 3,400
二度来た 11
書いていて、上から下まで書き終わるころには、桁が四つ減っていた。百二十万から十一まで、九行である。一行下がるたびに、その行から落ちた人がいる。落ちた人は、何も悪いことをしていない。見て、次に行っただけである。私も毎日、何十行ぶんも落ちる側にいる。落ちる側にいることを、九行に並べられて初めて数として見た。
「来店が検索より多いのはなぜ?」
「地元の人だ」
彼は、その二つの行を線で結んだ。
「行列を見て入った人が、二千三百人いる。……動画を見てない人だ」
彼は、その線を消した。
「動画を見て来たのは、千百人だ」
「で、二度目が十一人」
「十一人だ」
「百二十万回のうち」
「百二十万分の十一だ」
彼は、その割り算をした。
「十万分の一だ」
丸尾さんは、その紙をしばらく見ていた。指で、一番下の行をなぞった。指が太くて、爪が短い。六十年、乾物の袋を折ってきた手である。その指が、十一という二文字の上を二度往復した。百二十万のほうは、一度もなぞらなかった。
「十一人ですか」
「十一人です」
ドパガキが、珍しく敬語を使った。
「少ないですね」
「少ないです」
彼は、顔を上げた。
「でも」
彼は、その紙をこちらに向けた。
「去年、うちの店は何人でした?」
丸尾さんは、少し考えた。
「去年ですか」
「あの子が仕掛けたやつです。三日で行列。……あのあと、二度来た人」
丸尾さんは、その場で指を折って答えた。
「九人です」
「九人と十一人だ」
「はい」
「去年のあんたの店の九人は、いまも来てますか」
丸尾さんは、少し黙った。
「来てます」
「九人とも?」
「七人です。……二人は、引っ越しました」
「七人か」
「七人です」
「じゃあ」
彼は、紙の余白に七と書いた。
「去年の百八十万回の答えは、七人です」
彼は、その七を丸で囲った。
「山内さんの百二十万回の答えは、たぶん、来年になれば出ます。……十一人のうち、何人が残るかです」
丸尾さんは、その紙を持って帰った。
「もらっていいですか」
「いいですよ」
「これ、店に貼ります」
「貼るんですか」
「貼ります」
彼は、その紙を胸のポケットに入れた。
「十一って書いてあるんで」
紙は、乾物屋のレジの横に貼られた。私は、翌年その前を通って、それがまだ貼ってあるのを見た。日に焼けて、上の桁のほうから読めなくなっていた。一番下の行だけが、まだはっきりしていた。
和菓子屋は、翌年の三月に閉まった。閉店の日、店の前に人が並んだ。
十四人だった。
十一人より、三人多かった。
「十四人か」
「多いの?」
「多くねえ」
彼は、歩幅を変えずに続けた。
「でも」
彼は、一度だけこちらを見た。
「あの人、その日も驚いてた」
「うわ」
「今度は」
「猫が百万回いってる」
「かわいいから?」
「かわいい。……で、最後まで見たの、六%だ」
「わかるの?」
「わかる。平均だ」
「じゃあ、六万人ね」
「六万人だ」
彼は、その数字を画面に出した。
「その六万人が、この猫の名前を知ってるかは、別だけどな」
彼は十二分動かなかった。私は、一番下の行だけを、そのあいだ思い出していた。十一人が誰なのかを、丸尾さんは顔で覚えている。山内さんは覚えていない。覚えていない人のところに、覚えている人が十一人通っていた。数として並べれば十万分の一である。並べ方が悪いのだと思うが、正しい並べ方を私はまだ知らない。




