第46話「赫き師」
王都アステリアの外縁には、かつて訓練場として使われていた広い平地があった。
白い石畳はところどころ割れ、周囲を囲む柱も半数以上が崩れている。
だが、地面には今なお幾何学的な導光線が走り、中央には円形の戦闘区画が残されていた。
王統機兵や王国守護機兵たちの動作試験に使われていた場所だと、ルナは説明した。
今、その中央に二体の巨人が向かい合っている。
蒼き王統機兵〈アーク・ギガント〉。
修復を終え、飛行支援外装〈アーク・セレスター〉を背に接続したその姿は、以前よりも大きく見えた。
胸部と肩部には新たな白銀の装甲。
脚部には姿勢制御用の補助翼。
背には折り畳まれた蒼銀の翼。
右腕には、機装大剣〈セレスティアル・ブレード〉が装備されている。
対するは、赫き王統親衛機兵〈ソル・ヴィルトゥス〉。
黒を主体とした装甲。
全身を走る赫い導光。
金の紋様。
白銀の副装甲。
その立ち姿には無駄がなかった。
ただ立っているだけなのに、隙がない。
まるで一本の剣が人の形を取ったようだった。
操縦席の中で、ノアは深く息を吸った。
目の前にいるのは、かつて自分たちを追い詰めた相手だ。
王都で、自分を殺そうとした存在。
けれど今は、リヴァリアで自分を救い、アークを修復する時間を稼ぎ、そして自分の前に師として立っている。
まだ、すべてを受け入れられたわけではない。
だが、学ばなければならない。
ノアは操縦桿に手を置いた。
「アーク」
――はい、ノア。
「行ける?」
――アーク・セレスター接続、安定。
――セレスティアル・ブレード、出力制限下で使用可能。
――模擬戦闘設定を受諾。
アーク・ギガントの声は、いつも通り静かだった。
その静けさが、今は頼もしい。
訓練場の端では、ミリアとルナが見守っていた。
ルナの周囲には複数の光板が浮かび、二機の出力値や損傷予測、同調率が表示されている。
ミリアは腕を組み、真剣な顔でアーク・ギガントを見上げていた。
「ルナ、危なくなったら止めるんだよね」
『はい。模擬戦闘用の安全制限を設定しています。致命的損傷につながる攻撃は自動的に遮断します』
「でもアウレリウス、手加減しないって言ってた」
『手加減はしないでしょう。ただし、殺傷設定ではありません』
「それ、安心していいやつ?」
『おおむね』
「おおむね」
ミリアは不安そうに眉を寄せた。
その時、ソル・ヴィルトゥスの胸部からアウレリウスの声が響いた。
「王子」
「はい」
「最初に伝えておく」
ソル・ヴィルトゥスが、静かに長剣を構える。
赫い導光が刃に走った。
「勝とうとするな」
ノアは一瞬、言葉を失った。
「え?」
「今のお前が私に勝とうとすれば、また前と同じ失敗をする」
ノアの手に力が入る。
リヴァリアでの敗北。
焦り。
恐れ。
自分だけでどうにかしようとして、アークとの同調を乱した時間。
アウレリウスは続ける。
「敵を倒すことだけを目的にするな。守る対象を見失うな。生き残る経路を常に持て」
赫い機兵が一歩前に出る。
「戦いとは、死ぬ覚悟を見せる場ではない。生きて戻るために、必要な行動を選び続ける場だ」
ノアは息を呑んだ。
それは、昨日ミリアと交わした約束に近い言葉だった。
帰るために戦う。
アウレリウスの言い方は硬い。
感情を慰めるような響きもない。
けれど、その中身は確かに同じ場所を指していた。
「……分かりました」
「ならば、始めるぞ」
次の瞬間、ソル・ヴィルトゥスが消えた。
「速い!」
ノアが反応するより早く、赫い機体が眼前へ迫る。
アーク・ギガントが大剣を構えようとした瞬間、ソル・ヴィルトゥスの剣が刃の根元を叩いた。
衝撃。
セレスティアル・ブレードが大きく弾かれる。
「くっ!」
――右腕姿勢、崩れ。
――重心補正を推奨。
ノアは慌てて踏み直す。
だが、ソル・ヴィルトゥスはすでに懐へ入っていた。
肩。
膝。
腹部。
三点を連続で打たれ、アーク・ギガントが後退する。
致命傷にはならない。
だが、機体の姿勢が崩される。
「重い……!」
攻撃そのものの威力ではない。
すべての一撃が、こちらの姿勢を崩す位置に入ってくる。
アウレリウスの声が響く。
「新しい剣に振り回されている」
「っ……!」
「刃が大きければ強いわけではない。重さを知らぬ者が振るえば、ただの塊だ」
ソル・ヴィルトゥスが踏み込む。
ノアは大剣を横薙ぎに振った。
だが、赫い機体はその軌道を読んでいた。
半歩下がる。
刃を避ける。
踏み込む。
そして、アークの手首を剣の背で打つ。
――右腕部、衝撃。
――武装保持、低下。
「しまっ――」
セレスティアル・ブレードが手から離れかける。
ノアは必死に握り直した。
その瞬間、ソル・ヴィルトゥスの膝蹴りがアークの腹部に入る。
アーク・ギガントの巨体が大きくよろめいた。
訓練場の端で、ミリアが叫ぶ。
「ノア!」
ルナが光板を確認する。
『損傷は軽微。ですが、同調率が乱れています』
「乱れてるって……!」
ミリアが拳を握る。
操縦席で、ノアの呼吸が荒くなる。
強い。
分かっていた。
分かっていたはずなのに、想像以上だった。
ソル・ヴィルトゥスは、リヴァリアで統治機兵を三機相手に圧倒した機体だ。
その操縦者であるアウレリウスは、王国の親衛機人。
かつて王のそばで戦っていた存在。
今の自分が簡単に届く相手ではない。
それなのに。
勝ちたい。
認めさせたい。
もう負けたくない。
そんな焦りが、また胸の奥に湧き上がる。
――王統同調率、低下傾向。
アーク・ギガントの声が響いた。
ノアは歯を食いしばる。
まただ。
また、自分がアークの動きを鈍らせている。
「ノア!」
通信ではない。
外から響くミリアの声だった。
「勝とうとしすぎ!」
ノアの目が見開かれる。
ミリアが訓練場の端で叫んでいる。
「約束したでしょ! 帰るために戦うんでしょ!」
その声が、操縦席の中まで届いた。
帰るために。
ノアは息を止める。
勝つためではない。
倒すためだけではない。
生きて戻るために、必要なことを選ぶ。
ノアは目を閉じた。
リヴァリアの海。
途切れかけた通信。
ミリアの震えた声。
新アルナ村の灯。
小指を絡めた約束。
帰る。
その言葉を胸の中心に置く。
焦りが消えたわけではない。
怖さがなくなったわけでもない。
けれど、それに飲み込まれない。
ノアは目を開いた。
「アーク」
――はい、ノア。
「大剣の補助制御を半分切ってほしい」
――推奨外です。
――武装重量による負荷が増大します。
「うん。でも、自分で重さを覚えたい」
少しだけ沈黙。
――了解。
――セレスティアル・ブレード補助制御、部分解除。
腕に、重さが来た。
操縦席にいるノア自身の腕が重くなったような感覚。
大剣の質量。
重心。
振り始めの鈍さ。
止める時の反動。
今まで補助制御に包まれていた感覚が、急にはっきりと伝わってくる。
ノアはゆっくり息を吐いた。
「これが、剣の重さ……」
ソル・ヴィルトゥスが再び踏み込んでくる。
速い。
だが、今度は追おうとしなかった。
ノアは大剣を構えたまま、一歩だけ引いた。
赫い刃がアークの胸部を狙う。
ノアはそれを正面から受けず、刃の腹で流した。
火花が散る。
衝撃は重い。
だが、耐えられる。
ソル・ヴィルトゥスが続けて斬り返す。
ノアは剣で防がず、脚を使って半身をずらした。
肩装甲をかすめる。
だが直撃は避けた。
「ほう」
アウレリウスの声がわずかに変わった。
「ようやく避けることを思い出したか」
「最初から忘れていたわけじゃありません」
「ならば、続けろ」
ソル・ヴィルトゥスの攻撃が速くなる。
連撃。
突き。
斬り上げ。
脚払い。
ノアは全てを受け止めようとはしなかった。
避ける。
流す。
後退する。
間合いを作る。
その中で、アーク・セレスターの補助翼が反応する。
背部の翼がわずかに開き、姿勢を整える。
――空間姿勢補助、作動。
――回避機動、安定。
「これなら……!」
ノアは大剣を低く構えた。
ソル・ヴィルトゥスが一気に距離を詰める。
その瞬間、ノアは剣を振らなかった。
逆に、アーク・ギガントの左腕を前へ出す。
アイギス・シェルの防御装甲が展開する。
赫い剣が盾に触れる直前、ノアは機体を斜めに滑らせた。
剣撃を受けるのではなく、逸らす。
ソル・ヴィルトゥスの体勢が一瞬だけ流れる。
「今!」
ノアはセレスティアル・ブレードを振り上げる。
重い。
だが、その重さを使う。
腕だけで振らない。
脚で踏み込み、腰を回し、機体全体で刃を運ぶ。
大剣が唸る。
アウレリウスはそれを避けた。
だが、完全には避けきれない。
刃の先が、ソル・ヴィルトゥスの肩部副装甲をかすめた。
赫い光の粒が散る。
訓練場に、一瞬の静寂が落ちた。
ミリアが目を見開く。
「当たった……!」
ルナの光板にも、小さな表示が出る。
『ソル・ヴィルトゥス副装甲に接触判定。軽微損傷』
ノアは荒い息をついた。
「入った……」
だが、次の瞬間。
ソル・ヴィルトゥスの動きが変わった。
赫い機体が低く沈む。
ノアは反射的に盾を構える。
しかし、アウレリウスは正面から来なかった。
横。
背後。
上。
アーク・セレスターの補助翼が警告を出す。
――上方接近。
「上!?」
見上げた瞬間、ソル・ヴィルトゥスが空中から降ってきた。
赫い刃が、アークの大剣を押さえ込む。
同時に膝が肩へ入り、アーク・ギガントの巨体が地面へ叩きつけられた。
轟音。
訓練場の石畳が砕ける。
「ぐっ……!」
操縦席でノアの身体が大きく揺れた。
安全制限のおかげで衝撃は抑えられている。
それでも、息が詰まるほどの圧だった。
ソル・ヴィルトゥスの剣先が、アーク・ギガントの胸部中枢の前でぴたりと止まっている。
アウレリウスの声が響いた。
「終了だ」
ノアはしばらく動けなかった。
負けた。
また。
けれど、リヴァリアの時とは違った。
目を閉じなかった。
戻れなくてもいいとは思わなかった。
最後まで、次の手を探していた。
ノアは荒い息を吐きながら、操縦席で小さく笑った。
「……ありがとうございました」
ソル・ヴィルトゥスが剣を引く。
「礼を言うのは早い」
アウレリウスは淡々と言った。
「今の一撃で満足するな。十回やって一度当たる程度では、戦場では死ぬ」
「はい」
「だが」
その声に、ほんの少しだけ間があった。
「先ほどの回避と反撃は、及第点だ」
ノアは顔を上げた。
アウレリウスが褒めた。
たぶん、これは褒めたのだ。
訓練場の端で、ミリアが小さく拳を握る。
「今の、褒めたよね?」
ルナが静かに頷く。
『肯定的評価と判断できます』
「分かりにくい!」
アウレリウスは聞こえているはずだが、何も言わなかった。
アーク・ギガントがゆっくりと立ち上がる。
背の翼が畳まれ、蒼い光が静かに流れている。
ノアは操縦席の中で手を見つめた。
震えている。
怖かった。
悔しかった。
でも、前のような焦りではない。
もっと知りたい。
もっと扱えるようになりたい。
アークの重さも、翼の力も、大剣の軌道も。
そして、自分の心の揺れも。
全部、知ったうえで戦いたい。
「アウレリウス」
「なんだ」
「もう一度、お願いします」
ミリアが慌てる。
「ノア、休憩!」
「……少し休んでから」
「よし」
ミリアは満足げに頷いた。
アウレリウスは腕を組んだ。
「いいだろう。休息後、第二戦を行う」
「はい」
ルナが光板を操作する。
『第二戦前に、アーク・ギガントの関節負荷とノアの生体反応を確認します』
「お願いします」
ノアは素直に答えた。
その返事に、ミリアが少し驚いたようにする。
「ちゃんと休むって言った」
「約束したから」
ノアがそう言うと、ミリアは一瞬だけ言葉を失った。
それから、少し照れたように笑う。
「なら、よし」
*
休憩の間、ノアは訓練場の端に座っていた。
ミリアが水筒を差し出す。
「はい」
「ありがとう」
ノアは水を飲む。
冷たい水が喉を通り、体の熱を少しだけ下げてくれた。
ミリアは隣に座る。
「怖かった?」
ノアは少し考えて、頷いた。
「怖かった」
「そっか」
「でも、前とは違った」
「うん」
「怖いって分かってても、動けた気がする」
ミリアは膝を抱えながら、訓練場の中央に立つ二機を見た。
アーク・ギガントとソル・ヴィルトゥス。
蒼と赫。
王統機兵と親衛機兵。
かつて敵同士のように向かい合った二機が、今は訓練のために並んでいる。
不思議な光景だった。
「アウレリウスってさ」
ミリアがぽつりと言う。
「やっぱり、ちょっと怖い」
ノアはミリアを見る。
ミリアは正直に続けた。
「でも、ノアをちゃんと見てる気がする」
「うん」
「言い方はきついけど」
「うん」
「たぶん、嘘は言ってない」
ノアは静かに頷いた。
「僕も、そう思う」
アウレリウスの言葉は鋭い。
だが、そこに嘘はない。
責めるためでも、突き放すためでもない。
ただ、戦場で生き残るために必要なものだけを渡してくる。
赫き師。
そんな言葉が、ノアの頭に浮かんだ。
遠くでアウレリウスがこちらを見ている。
腕を組み、いつもの無表情のまま。
ノアは立ち上がった。
「行ってくる」
ミリアも立ち上がる。
「うん」
そして、少しだけ強い声で言った。
「帰ってきて」
模擬戦なのに。
訓練場の中なのに。
その言葉には、確かな重みがあった。
ノアは頷く。
「帰ってくる」
アーク・ギガントの胸部が開く。
ノアは操縦席へ戻った。
蒼い光が灯る。
――ノア、生体反応安定。
――王統同調率、回復傾向。
「アーク」
――はい。
「次は、もっと上手くやろう」
――了解。
訓練場の中央で、ソル・ヴィルトゥスが再び剣を構える。
アウレリウスの声が響いた。
「第二戦を始める」
「はい」
ノアは深く息を吸う。
勝つためだけではない。
倒すためだけではない。
生きて戻るために。
大切な場所へ帰るために。
そのために、戦い方を学ぶ。
蒼き巨人が大剣を構えた。
赫き師が、一歩前に出る。
王都の空に、二つの光が交差した。
――第47話へつづく
※おことわり
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