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第42話「帰る場所」

王都の発着区画に、銀色の鳥が翼を広げていた。


鳥――といっても、生き物ではない。


細く流線型の胴体。

左右へ大きく伸びる金属の翼。

羽根の一枚一枚に見える部分は、薄い装甲板と導光線で構成されており、淡い蒼白の光が脈打つように流れている。


鳥型機獣〈アヴィス・ライナー〉。


王都に残されていた短距離移送用の機獣。

かつては王族や高位技官の移動にも使われていたものらしい。


「……本当に鳥だ」


ミリアが目を輝かせて呟いた。


「あくまで鳥型の機獣だけどね」

「細かいことはいいの。翼があって飛ぶなら、だいたい鳥」

「その理屈だと、アーク・ギガントに翼がついたら鳥になるけど……」

「そしたらおっきい鳥だね」

「それで押し通すんだ……」


ノアが苦笑すると、ミリアは楽しそうに笑った。

その笑顔を見て、ノアは少しだけ胸が軽くなるのを感じた。


港町リヴァリアでの戦い以来、ミリアの表情にはどこか張りつめたものがあった。

怒っているようで、泣きそうで、でも無理に笑おうとしているような顔。


今の笑顔は、少なくとも少しだけ自然だった。

それがノアには、救いのように思えた。


〈アヴィス・ライナー〉の胴体には、二人が乗れる小さな搭乗鞍のようなものが取り付けられている。


鞍といっても馬具のようなものではなく、身体を固定するための細い金属枠と革張りの座席が組み合わさったものだった。


ルナの投影が、淡い光を揺らしながら説明する。


『飛行経路は設定済みです。目的地は西の旧牧草地に形成された移設後のアルナ村。所要時間は約一時間半です』

「一時間半……」


ミリアが翼を見上げる。


「ねえルナ、これ速いの?」

『現代の一般的な機械や馬車よりは遥かに高速です』


現代で飛行能力のある機械自体が稀ですが、とルナは続ける。


「……落ちない?」

『通常稼働中であれば、落下の可能性は極めて低いです』

「ゼロではないんだ……」

『そうですね。残念ながら全ての飛行行動において、落下可能性をゼロと断言することはできません』


ルナらしい言い方だったが、ミリアには少々の脅し文句になったようだ。

ミリアはおずおずとノアの方を見る。


「ノア」

「うん?」

「ちょっとだけ怖くなってきた」

「あんなに乗り気だったのに?」


ノアが笑うと、ミリアはむっとする。


「だって、飛ぶの初めてだもん」

「そりゃ僕もだよ」

「ノアはアークで飛んだことあるでしょ」

「跳躍することはあるけど、空を飛んだことはない……というかアークは飛べないよ」


ノアが苦笑しながら搭乗鞍に座る。


「あ! こら、置いてかないでよ!」


ミリアも後を追い、座席に座ると細い固定具が腰と肩を支えるように閉じた。


ミリアが少しだけ身を固くする。


「動いた」

『安全固定具です。落下の危険を防止します』

「これがあれば大丈夫そう」

『もちろん絶対ではないので、飛行中は無闇に立ち上がったりしないでください』

「またそうやって怖いことを言う!」


悲鳴じみた声を上げるミリアにノアが苦笑する。

ルナは少し微笑ましそうな様子で出発を告げた。


『〈アヴィス・ライナー〉、飛翔します』


〈アヴィス・ライナー〉の翼が大きく広がる。

羽根のような装甲板の隙間から、蒼白い粒子光がこぼれた。


次の瞬間、ふわりと身体が浮く感覚。


「わっ!」


ミリアが思わずノアの袖を掴んだ。


発着区画の床が遠ざかる。

白亜の王都が、足元に広がっていく。


崩れた塔。

修復の光。

遠くに横たわるアーク・ギガントの整備区画。

その全てが、少しずつ小さくなっていった。


風が頬を撫でる。


ミリアは最初こそ固まっていたが、すぐに目を見開いた。


「すごい……!」


眼下に、砂色の大地と白い遺構が流れていく。

王都を囲む荒野の向こうには、細い川筋や緑の帯が見えた。


「ノア、見て! 雲が近い!」

「うん」

「すごいすごい! 鳥っていつもこんな景色見てるのかな!」

「鳥に聞いてみないと分からないけど、たぶんね」


ミリアは目を輝かせた。


「いいなあ。空を飛べるって、すごい」


その言葉は、ただのはしゃぎ声ではなかった。


幼い頃から村の外の世界に憧れていた少女。

アルナ村で育ったミリアにとって、空から世界を見ることは、きっと想像したこともない体験だったのだろう。


ノアはその横顔を見た。


風に揺れる赤栗色の髪。

きらきらと輝く目。

大変なことが続いているのに、それでも新しいものに驚き、楽しむことを忘れない表情。


ミリアは強い。

ノアはそう思った。


戦う強さではない。

壊れたものを前にしても、まだ笑おうとする強さ。

怖くても、隣にいようとする強さ。


自分には、まだそれが足りないのかもしれない。


「ノア」

「え?」

「また考え込んでる」


ミリアがこちらを覗き込む。


「疲れてる?」

「少し。でも、平気」


そう言ってから、ノアは言葉を止めた。


平気。


最近、自分はその言葉を何度使っただろう。

そして、そのたびにどれだけ周りを心配させただろう。


ノアは小さく息を吐く。


「……少し平気、じゃないかも」


ミリアの目が少しだけ丸くなった。


「身体はまだ重いし、リヴァリアのことも考えてる。アークのことも、アウレリウスのことも、父上のことも」


ノアは眼下に流れる大地を見つめる。


「でも、今は少しだけ、楽になった気がする」


ミリアはしばらくノアを見ていた。

それから、ふっと笑う。


「そっか」

「うん」

「じゃあ、村に着いたらゆっくり休もうね」


ミリアの言葉に、ノアはゆっくりと頷いた。



〈アヴィス・ライナー〉が高度を下げ始めたころ、見慣れた山並みが見えてきた。


アルナ村の周辺に広がっていた丘陵地帯。

そして、その少し西にある旧牧草地。


かつて羊たちを放していた広い草地には、今や木組みの家々が並び始めていた。


完全な村とはまだ言えない。

屋根は新しく、壁も粗い。

仮設の小屋や天幕も多い。


それでも、そこには確かに人の営みがあった。


煙突からは細い煙が立ちのぼり、柵の中では羊が草を食んでいる。

子どもたちが水桶を運び、大人たちが木材を組み上げている。

畑らしき区画には、すでに耕された跡も見えた。


「みんな元気そう」


ミリアが少しだけ安堵したような声で言った。


〈アヴィス・ライナー〉が村の外れへ降り立つ。

着地した瞬間、ミリアは飛び降りるように地面へ降り立った。


「みんなー!」


その声に、作業をしていた村人たちが一斉に振り向いた。


一瞬の沈黙。


そして。


「おぉ、ミリアだ!」

「ミリアが帰ってきたぞ!」

「ノアもいるぞ!」


声が広がる。

子どもたちが駆け出し、大人たちも手を止めて集まってくる。


「ミリアねーちゃん!」

「本当に帰ってきた!」

「空から来たの!? 何あれ!」


ミリアは子どもたちに囲まれ、あっという間にもみくちゃにされた。


「ちょ、待って、そんないっぺんに来ないで!」

「あれなに!? 鳥!?」

「機械の鳥!?」

「触っていい!?」

「だめ! たぶんだめ!」


ノアも遅れて地面に降り立った。

その瞬間、村人たちの視線が集まる。


少しだけ身構える。


英雄。

災厄を呼んだ者。

王子。

旅人。


自分が彼らにどう見られているのか、ノアにはまだ分からなかった。

けれど、最初に飛んできた言葉は、そんな不安をあっさり吹き飛ばした。


「ノア! 飯食ったか!」

「え?」


予想していなかった言葉に、ノアは呆気に取られた。


「顔色が悪いぞ!」

「ちゃんと寝てるのか!」

「また無茶したんじゃないだろうな!」


次々と声が飛んでくる。


責める声ではなかった。

遠慮のない、心配の声だった。


ノアは言葉に詰まる。


そのとき、杖の音がした。


とん、とん、と地面を叩く音。

人垣が自然に割れる。


村長ガラムが、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


以前より少し痩せただろうか。

けれど、その目の力は変わらない。

むしろ、新しい村を率いる者として、以前よりもさらに強く見えた。


「戻ったか」


ガラムが低く呼ぶ。

ノアは背筋を伸ばした。


ガラムはノアをじろりと見る。

頭から足先まで。

包帯の跡や、疲労の残る顔色まで。


そして、鼻を鳴らした。


「ずいぶんと派手にやられたみたいだな」

「……はい」

「ま、生きて帰ったなら上出来だ」


そう言って、ガラムはノアの肩を軽く叩いた。


痛むほど強くはない。

けれど、確かに迎え入れる手だった。


「おかえり」


その一言に、ノアの胸が詰まった。


「……はい。ただいま戻りました」


ミリアが横から顔を出す。


「え? お爺ちゃん、私は?」


ガラムはじろりとミリアを見る。


「お前はどうせ帰ってくると思ってた」

「ひどい!」

「元気そうで何よりだ、バカ孫」

「悪口!」


村人たちから笑いが起きる。


その笑い声は、アルナ村のものだった。

場所は変わっても、家々が変わっても、そこにいる人々は変わっていなかった。


ノアはそのことに、深く安堵した。


新しいアルナ村は、まだ建設途中だった。


広場になる予定の場所には大きな焚き火台が置かれ、その周囲に丸太の椅子が並べられている。

家々は仮設のものが多いが、どれも丁寧に組まれていた。


焼けた旧村から運び出せた家具や道具も使われている。

見覚えのある鍋。

焦げ跡の残る木箱。

割れた取っ手を直した水桶。


失われたものは多い。

けれど、失われなかったものも確かにあった。


「ここ、すごいでしょ」


ミリアが少し誇らしげに言う。


「うん。思っていたよりずっと……村だ」

「でしょ!」


ミリアは笑った。


「きっとみんな、すごく頑張ったんだよ」


ミリアの顔は、誇らしげだった。

故郷の人たちの頑張りを、誰よりも立派だと思っている。

そんな顔だった。



村人たちは、二人のために簡単な食事を用意してくれた。


温かいスープ。

焼き直した黒パン。

干し肉。

野草を刻んだ簡単な和え物。


豪華ではない。

けれど、ノアにはどんな食事よりも温かく感じられた。


「食え食え」

「遠慮すんなよ」

「ノア、なんだか痩せたんじゃないか」

「ミリアもちゃんと食べてるのか?」

「……んむ?」


ミリアが声の方を振り向く。

その膨らんだ頬を見れば誰よりも「ちゃんと食べている」ことは明らかだった。


「まぁ、ミリアは別に心配ないか……」

「逆に食べ過ぎの方が心配かもな……」

「ごくん……あれ、なんか私バカにされてる?」


ノアが笑うと、周囲の大人たちも笑った。



ノアは食事のあと、ガラムと二人で村外れを歩くことになった。


ミリアは子どもたちに捕まり、旅の話をせがまれている。

少し離れた場所から、誇張された身振り手振りが見えた。


二人は並んで歩いた。


新しい村の端。

遠くには、かつてのアルナ村の方角が見える。

山の影に隠れて、焼け跡そのものは見えない。


しばらく歩いたあと、ガラムが口を開いた。


「で、どうなんだ」

「どう、とは」

「記憶だ」


ノアは足を止めた。


風が草を揺らしている。


「……少しだけ、戻りました」

「そうか」


ガラムは短く答えた。


「でも、全部じゃありません」


ノアは自分の手を見る。


「父のこと。王国のこと。機兵の反乱のこと。自分が何者だったのか。少しずつ思い出してはいます。でも、肝心なところはまだ分からないままです」

「肝心なところ?」

「なぜ、王国は滅びたのか。誰が機兵たちに命じたのか。どうして僕は眠っていたのか」


ノアは視線を上げた。


「そして、これから自分がどう生きるべきなのか」


ガラムは黙って聞いていた。

ノアは続ける。


「今の僕は、王子だった過去のことを思い出し始めています。でも、それで何かが分かったわけじゃない。むしろ知らなきゃいけないことが増えるばかりです」

「……そうか」


ガラムは杖の先で地面を軽く叩いた。


「難儀なこったな」

「はい」

「村で芋でも掘ってた頃の方が、よほど楽だったろう」


ノアは少しだけ笑った。


「たぶん。あの頃も、鶏に追いかけられてましたけど」

「そいつは今も変わらんだろうな」

「変わらないんですか」

「お前はどうも鶏に好かれん顔らしい」

「地味に傷つくんですが……」


ガラムは低く笑った。

少しだけ空気が緩む。


それから、老人は遠くを見た。


「ノア」

「はい」

「お前が何者だったとしても、ここで目覚めたお前を、俺たちは知ってる」


ノアは黙ってガラムを見る。


「畑仕事は下手。鍬の持ち方も怪しい。パンは焦がす。鶏には負ける」

「そこまで言いますか」

「だが、村を守った」


ガラムの声が静かになる。


「それだけは、誰が何と言おうと変わらん」


ノアの胸に、その言葉が深く沈んだ。


「……ありがとうございます」

「礼を言うにはまだ早い」

「え?」

「全部終わって、ちゃんと帰ってきてから言え」


それは、どこか以前にも聞いたような言葉だった。

ノアは小さく頷く。


「はい」


ガラムはしばらく黙っていた。

そして、ふとミリアの方へ視線を向ける。


子どもたちに囲まれたミリアは、手を大きく振りながら何かを説明している。

たぶん、実際の三倍くらい派手な話になっている。


「……あいつは」


ガラムがぽつりと言った。


「昔から、外ばっか見てた」


ノアはガラムを見る。

老人の目は優しかった。


「だから旅に出したこと自体は、後悔しちゃいない」

「……はい」

「だがな、できればあまり心配はさせないでやってくれ」


ノアは息を呑んだ。

港町リヴァリアでのことは、まだガラムに話してはいない。

それでも、ずっと面倒を見てきた祖父としては勘づくところがあったのだろう。


「ああ見えて、身内のこととなると少し心配性なところがあってな」

「……はい。この旅の間も、ミリアにはずいぶんと心配をかけました」

「そうか」


ガラムはそれ以上、問い詰めたり責めたりするようなことは言わなかった。

ただ、いつものように鼻を鳴らす。


「まあ、あいつもお前を散々振り回してるだろうからな。そこはお互い様だ」

「……そこはあんまり否定できないです」

「だろうな」


二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。

ガラムはノアに向き直り、静かに言った。


「ミリアを、よろしく頼む」


ノアも向き直り、それに答える。


「はい、必ず無事に帰します」



夕暮れが近づくころ、新しいアルナ村に柔らかな橙の光が差し込んだ。


作業を終えた村人たちが、焚き火の周りに集まり始める。

子どもたちはまだミリアの旅話を聞きたがっていたが、大人たちに促されて食事の手伝いへ向かった。


ノアは少し離れた場所で、その光景を見ていた。


ここには、戦いの音がない。

警告音も、金属の悲鳴も、敵性反応を告げる光板もない。


あるのは、木を割る音。

鍋をかき混ぜる音。

羊の鳴き声。

人々の笑い声。


それは、ノアが目覚めてから最初に守ろうとしたものだった。

そして今も、守りたいと思うものでもある。


「ノア」


振り返ると、ミリアが立っていた。


珍しく少しくたびれた顔をしている。

子どもたちに散々話をせがまれたのだろう。


「大丈夫?」


ノアが苦笑しながら尋ねると、ミリアは肩をすくめた。


「子どもたち、元気すぎる……」

「ミリアが押し負けるところ初めて見た」

「若さには勝てない」

「ミリアもだいぶ若いはずなんだけど……」


二人は並んで村を見た。

しばらく、言葉はなかった。


夕陽が、ミリアの赤栗色の髪を赤く染めている。

ノアは、その横顔にどこか迷いのようなものを見た。


「ミリア?」

「……ううん」


ミリアは首を振った。


「なんでもない」


ミリアはそれ以上言わなかった。


夜が近づいていく。

新しいアルナ村に、温かな灯がともり始める。


それは、帰る場所の光だった。


けれど、その光の中で、ミリアの胸にはまだ消えない不安があった。


ノアがまた戦えば。

旅を続ければ。

いつか本当に、帰ってこられなくなるのではないか。


その言葉を、今夜のミリアはまだ飲み込んだ。

ただ隣に立ち、ノアと同じ灯を見つめる。


二人の間に、穏やかで、少しだけ重い沈黙が落ちていた。



――第43話へつづく

※おことわり

本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。

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