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第40話「王都への帰還」

海は、まだ荒れていた。


岩礁へ打ちつける波が白く砕け、潮風が戦場の残響をさらっていく。


赤い導光線は消えていた。

岩礁の下で不気味に脈打っていた旧港湾設備も、今は沈黙している。


三機の統治機兵は、すでに動かない。

岩礁に残る赤い導光線も消え、海鳴りだけが戦場の跡を洗っている。


その中心に、赫き機兵が立っていた。


王統親衛機兵〈ソル・ヴィルトゥス〉。


黒を主体とした装甲。

全身を走る赫い導光。

金の紋様。

白銀の副装甲。


統治機兵の放っていた禍々しい紅とはまるで違う、軍神を宿す力強き赫。

その背後で、アーク・ギガントは片膝をついていた。


胸部装甲は深く裂け、左肩部は大きく損傷している。

右脚部の駆動系は悲鳴を上げ、背部推進機構も沈黙していた。


それでも、蒼い中枢光は消えていない。


操縦席の中で、ノアは荒い息を吐いていた。


身体が重い。

視界の端が滲む。

警告音が何重にも鳴っている。


だが、それ以上に、胸の奥が静かだった。


助かった。

そう思うべきだった。


リヴァリアは守られた。

港の人々は避難を終えた。

ミリアも、ルナも、セーラたちも無事のはずだ。


目的は、果たした。

それなのに。


ノアの手は、まだ固く握られたまま震えていた。


負けた。


いや、助かったのだから、負けたと言うべきではないのかもしれない。

けれど、自分は何もできなかった。


最後の一撃を前に、目を閉じた。

戻れないかもしれないと分かっていて、それでもいいと思いかけた。


いや。

思った。

街を守れたなら、それでいいと。


――生命反応継続、確認。


通信越しに、アーク・ギガントの声が響いた。


弱々しい。

それでも、いつも通りの静けさを保っている。


――操縦者負傷、軽度から中度。

――意識状態、不安定。


「……大丈夫」


ノアは反射的にそう答えた。


言った直後、自分でもその言葉が空っぽに聞こえた。

アーク・ギガントは少しだけ沈黙した。


――その返答は、現在の状態と一致しません。


「うん」


ノアは小さく息を吐いた。


「……そうだね」


その時、外部通信が開いた。

赫い機兵の胸部から、アウレリウスの声が聞こえる。


「アーク・ギガント、戦闘続行は不要だ。稼働限界が近い」


ノアは顔を上げる。


「アウレリウス……」


その名前を口にすると、まだ現実感がなかった。


王都の白い塔で、自分たちを追い詰めた機人。

父を殺したと告げた敵。

ヴァル・レガリアと共に、光の粒子となって消えたはずの存在。


その彼が、今は自分を守るように立っている。

ノアは何を言えばいいのか分からなかった。


問いただすべきことはある。

聞きたいこともある。


なぜ生きているのか。

なぜ助けに来たのか。

あの時の言葉は何だったのか。

父のことを、どこまで覚えているのか。


だが、今は言葉にならない。


アウレリウスもまた、余計なことは言わなかった。


「話すべきことは多い。だが今は、後退を優先するべきだ」

「……分かった」


ノアは頷いた。


その時、途切れていた通信にノイズが走った。

蒼白い光が光板の片隅に揺らぎ、ルナの声が届く。


『ノア、聞こえますか。ノア』

「ルナ……」

『通信回復を確認。生命反応を確認しました』


いつもの丁寧な声。

けれど、その奥に焦りが滲んでいた。


続いて、ミリアの声が飛び込んでくる。


『ノア!? ノア、聞こえる!?』

「うん、聞こえてる」


ノアは答えた。


「大丈夫。生きてる」


一瞬、通信の向こうが静かになった。

それから、ミリアの息を呑む音が聞こえた。


『……ばか』


小さな声だった。

怒っているようで、泣きそうで、震えていた。


『ほんとに……ばか』


ノアは何も言えなかった。

胸の奥が、また痛む。


「ごめん」


それだけが出た。

ミリアはすぐには返事をしなかった。


通信越しの沈黙が、波音よりも重く感じられた。

やがてルナが、努めて冷静な声で割って入る。


『アーク・ギガントの損傷値が危険域です。王都での修復を推奨します。ノアの身体状態も、精密検査が必要です』


アウレリウスが応じる。


「同感だ。この街に長く留まるべきではない」

『アウレリウス様』


ルナの声がわずかに揺れた。


『ソル・ヴィルトゥス、稼働状態に問題はないでしょうか』

「今は安定している。だが再構成直後だ。無理は利かん」

『承知しました』


そのやり取りを聞きながら、ノアはようやく実感した。

アウレリウスは、生きていたのだ。


そのことに安堵すべきなのか、戸惑うべきなのか、まだ分からない。

リヴァリアへ戻ると、港町は混乱と安堵の入り混じった空気に包まれていた。


港湾区画には瓦礫が散らばり、いくつかの倉庫が壊れている。

あれほど戦場を遠ざけようとしても尚、流れ弾を完全に防ぐことはできなかったのだ。

だが、街そのものは守られていた。


避難していた人々が、遠巻きにアーク・ギガントとソル・ヴィルトゥスを見上げている。


蒼き巨人は傷つき、片膝をついている。

その隣に、赫き親衛機兵が立つ。


その光景は、リヴァリアの人々にとって神話のように見えたかもしれない。

ノアがその様子をぼんやりと眺めていると、ゴルドが真っ先に駆けてきた。


「おいおいおいおい坊主! 無事か!? いや無事じゃねぇな!? 顔色が悪いぞ!」


ハルトもその後ろから飛び出してくる。


「にいちゃん!」


ミリアがそれを追い越す勢いで走ってきた。


「ノア!」


アーク・ギガントの胸部装甲が開く。

ノアは降りようとしたが、足に力が入らなかった。


身体がふらつく。


「っ……」


落ちる。

そう思った瞬間、アーク・ギガントの腕がノアの身体を支え、そっと地におろした。

それと同時に、ミリアが駆け寄ってきて、ノアの腕を掴む。


「無理しないで!」

「ごめん……」

「謝るの、あと」


強い声だった。

ノアは思わずミリアを見る。


ミリアの目は赤かった。


怒っている。

泣きそうでもある。

でも、一番強いのは、怖かったという感情だった。


あの瞬間、途切れかけた通信の向こうで、ミリアは聞いていた。


――ごめん、ミリア。


それは、助けを求める声ではなかった。

必ず戻ると約束する声でもなかった。


まるで、もう戻れないことを受け入れたような声だった。


だから怖かった。


ノアが傷ついたことよりも。

アークが壊れかけたことよりも。


ノア自身が、自分のいない未来を一瞬でも許してしまったことが、怖かった。

ノアは視線を落とした。


「……うん」


ミリアは何かを言おうとした。


でも、言葉が出なかったように唇を噛む。

ノアも、何を言えばいいのか分からなかった。


ごめん。


それだけでは足りない。

でも、何が足りないのか、自分でもまだ分からない。


その沈黙を破ったのは、レピオスだった。


「はいはい、感動の再会中に悪いけど、怪我人はこっち」


いつもの軽い声。

けれど、眼鏡の奥の目は真剣だった。


「ノア君、立てる?」

「はい」

「嘘だね。今の返事、医者には通じないよ」


レピオスは肩をすくめると、ゴルドへ視線を向けた。


「ゴルド、担いで」

「おう!」

「え、いや、僕は――」


言い終わる前に、ゴルドの太い腕がノアを軽々と抱え上げた。


「よし、診療所行きだ!」

「下ろしてください、自分で歩けます!」

「歩ける奴はそんな顔してねぇ!」


がっはっは!と笑いながら、ゴルドはノアを抱えたまま歩き出す。

ハルトが横を走る。


「にいちゃん、運ばれてる!」

「見ての通りだよ……」


少しだけ、周囲に笑いが戻った。

ミリアも一瞬だけ笑いそうになったが、すぐに表情を引き締めた。


携帯導光端末の上では、手のひらサイズのルナが静かにノアを見ている。

その表情には、安堵と、どこか申し訳なさが混じっていた。


診療所で応急処置を受けた後、ノアはベッドに座らされた。


大きな怪我はない。

だが、打撲と疲労、精神的負荷が大きいとレピオスは判断した。


「君、身体より先に心が無茶してるね」


レピオスは包帯を巻きながら、軽い口調で言った。


「若者にありがちだ。自分が倒れても目的を果たせばいい、みたいな顔をする」


ノアの指先がわずかに動く。

ミリアが反応した。

ルナも視線を伏せる。


ノアは何も言えなかった。

レピオスはそれ以上追及しなかった。


ただ、包帯の端を結びながら、ぽつりと言う。


「そういう顔は、周りの人間の心臓に悪い。医者としては非推奨だね」

「……はい」


ノアは小さく答えた。


診療所の外では、アーク・ギガントの損傷確認が行われていた。

ルナが端末越しに診断を進め、王都の中枢へ損傷データを送っている。


『胸部装甲大破。左肩部装甲損傷。右脚部駆動系に重大負荷。背部推進機構、出力低下。王都での修復が必要です』


アーク・ギガントがその言葉に静かに応じる。


――自己修復のみでは復旧不能。

――王都整備区画での修理を希望します。


『非常事態につき、王統代行権限を行使し浮航艇の使用を承認します。ただちに王都へ移送しましょう』


ソル・ヴィルトゥスは、少し離れた港湾区画で待機していた。

その胸部から降り立ったアウレリウスは、港町の人々から距離を置いて立っている。


白金の髪。

静かな紅い瞳。

以前と同じ顔。


けれど、纏う空気はまるで違っていた。


ミリアは診療所の窓から、その姿を見た。

唇をきゅっと結ぶ。


「……あの人」


ノアも窓の外を見る。


「うん」


ミリアの声は硬かった。


「助けてくれたのは、分かってる」

「うん」

「でもこの間は、ノアを殺そうとした」

「……うん」

「私も、アークも、みんなも、あの人に……」


そこまで言って、ミリアは言葉を止めた。

拳を握る。


怒りたい。

問い詰めたい。

どうして今さら味方になってくれるの、と言いたい。


でも、彼が来なければノアは死んでいた。

それも分かっている。


ミリアの中で、感情がぶつかっていた。

ノアも同じだった。


アウレリウスは敵だった。

それは事実だ。


でも彼は、おそらく何らかの上位存在の影響下にあった。


全能統治人格 〈ステラ・デルミナ〉。

王都中枢で聞いたその名をふと思い出す。


そして王都における決戦の最後に見せた彼の揺らぎ。

「王を……」という途切れた言葉。

そして今日、自分の命を救った赫い機兵。


どれが本当の彼なのか。

まだ分からない。


ルナが静かに口を開いた。


『アウレリウス様については、私から説明します』


ノアが顔を上げる。


「ルナは知っていたの?」

『はい。全てではありませんが、知っていました』


ミリアも驚いたように目を見開いた。

だが、責めるような気は起きなかった。


「……何か、考えがあったんだよね?」


王都の深層で出会った時から、ルナはずっとノアを守ろうとしていた。

自分のことも、何度も助けてくれた。

そのルナが説明しなかったのなら、理由があるはずだとミリアは思った。


『はい。ただ、不確定要素が大きく、確証が持てなかったのも事実です』


ルナの声は静かだった。

けれど、その小さな肩が、いつもよりわずかに硬く見えた。


ノアは静かに息を吐いた。


「ありがとう、ルナ」


ルナが顔を上げる。


『……私は、報告を遅らせました』

「でも、助けてくれた」


続けて、ミリアも頷いた。


「うん。ありがとう、ルナ」


ルナの蒼い瞳が、かすかに揺れた。


『……はい』


ミリアは携帯導光端末の上に立つ小さなルナを見つめる。


「あとで、またちゃんと話そう」

『はい、ミリア』


ルナは小さく頷いた。

ノアは窓の外へ視線を戻す。


ルナには、ありがとうと言えた。

けれど、アウレリウスにはまだ、何を言えばいいのか分からなかった。


ミリアも同じようだった。


「ミリア」


ノアが呼ぶ。


「……なに」

「ごめん」


ミリアは目を伏せた。


「今、それだけ言われても困る」

「……うん」

「でも、言わないよりは、いい」


ノアは小さく頷いた。


それ以上は、二人とも続けられなかった。


話さなければならないことがある。

聞かなければならないことがある。


けれど、今はまだ、言葉にすると壊れてしまいそうだった。


夕方。


リヴァリアの近郊に、王都から小型浮航艇が到着した。

ルナが王都防衛機兵団へ要請していた機体だった。


「なんだありゃ、船が地面を滑ってるぞ!」


ゴルドがあんぐりと口を開けている。


「旧文明の遺産かな。あれほど完全な状態で残ってるなんて、少しばかり心臓に悪いねぇ」


レピオスがさして気にしないかのように続ける。


「先生、もっと驚かないのかよ。あんなもんおれ見たことないぞ!」

「僕だってそうだよ。でも驚いたからってあれが見慣れた蒸気船に化けるわけでもないだろう」

「そりゃそうだけどさ!」


それに、とレピオスは続ける。


「ま、あまり深く知ろうとしない方が良い。広い世の中には、ああいう不思議な乗り物もあるくらいに思っておきなさい。あの蒼や赫の機兵たちもね」


レピオスの忠告は、軽い口調だがどこか真剣な色を帯びていた。

ハルトとゴルドは、黙って浮航艇へ向かう巨人たちを見ていた。


アーク・ギガントは自力歩行が困難なため、ソル・ヴィルトゥスに支えられながら乗り込む。

アーク・ギガントを固定した後、ソル・ヴィルトゥスも中へと進んでいく。


港町の人々が、街を守った巨人たちを見送っていた。

ゴルドは腕を組み、大きく頷く。


「坊主! 戻ってきたら、またギアに乗れ!」


ノアは苦笑した。


「また負けるかもしれません」

「がっはっは! 負けたくねぇなら、また乗ればいい!」


その言葉に、ノアの胸が小さく揺れた。


負けたくないなら。


また。


ハルトが両手を振る。


「にいちゃん! 今度はおれがもっと教えるからな!」

「うん。ありがとう、ハルト」


シーニャも、少し照れくさそうに頭を下げた。


「セーラお姉ちゃんが起きたら、ちゃんと伝える。おにいちゃんたちが助けてくれたって」


レピオスは診療所の扉にもたれ、軽く手を振った。


「戻ったら、ちゃんと休むこと。医者の言うことは聞きなさい」

「はい」

「いい返事だ。守れるかは別としてね」


ノアは返す言葉に詰まった。

ミリアが隣でぼそりと言う。


「そこは守って」

「……努力する」

「努力じゃなくて、守って」

「うん」


短いやり取り。

けれど、その声は少しだけ柔らかかった。


浮航艇がゆっくりと街を離れていく。

ノアは窓の外を見つめた。


夕陽に染まる海。

円形闘技場。

古い灯台。

そして、まだ探索できなかった第四避難施設への入口。


手がかりは得た。

でも、確かめることはできなかった。


アーク・ギガントは傷つき、自分も、何かを突きつけられた。


勝てなかった。

それでも、街は守れた。


その言葉がまた胸の奥で響く。

けれど今度は、それだけでは済まないことを、ノアは知っていた。


目的を果たせたから、それでいい。

本当にそうなのか。

自分が戻れなくてもいいなんて、思ってよかったのか。


答えはまだ出ない。

出せない。


隣ではミリアが黙って座っている。

怒っているようで、泣き疲れたようで、それでもノアのそばを離れなかった。


携帯導光端末の上では、ルナが静かに王都への航路を表示している。


アウレリウスは離れた席で、窓の外を見ていた。

その横顔は静かで、遠い。


誰も、すぐには話さなかった。

話すべきことは山ほどある。


ノアとミリアのこと。

アウレリウスのこと。

ルナが隠していたこと。

第四避難施設のこと。

そして、ノア自身の心のこと。


けれど今はまだ、言葉が足りない。


浮航艇は、砂海へ向かって飛ぶ。


その先に、目覚めたばかりの王都アステリアがある。


傷ついた蒼き巨人を修復するため。

ノア自身が、もう一度立ち上がるため。


そして、まだ言葉にならない想いを抱えたまま。


一行は、王都へと帰還する。



――第四章 了

※おことわり

本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。

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