第35話「拍手と歓声」
円形闘技場から湧き出す歓声が、港町全体に震えていた。
港町リヴァリア名物、人型重機による闘技大会『ギア・コンチェルト』。
蒸気を吐く人型重機たちがぶつかり合うたび、観客席からわっと声が上がる。
鉄の足が砂地を踏み砕き、歯車が唸り、蒸気笛が甲高く鳴った。
その中央で、ノアの乗るギア・ノード〈ギア・タイタン〉は片膝をついていた。
「にいちゃん! 立てる! まだ立てるぞ!」
観客席の下、整備区画の柵にしがみついたハルトが叫んでいる。
『ノア。右足の圧力が低下しています。左に重心を逃がし、一度姿勢を安定させてください』
「わかった!」
ノアは荒い息を吐きながら、ルナの助言通りに左側のペダルを踏み込む。
機体が軋み、傾いていた体が平衡を取り戻す。
「くっ……!」
ギア・タイタンの右足が砂を噛む。
膝が震え、蒸気が噴き出す。
視界の向こう。
対戦相手のギア・ノード〈ゴルドラッシュ〉が、ゆっくりと構え直していた。
黒鉄色の重装機。
太い腕。
低く構えた重心。
胸部に描かれた金色の歯車紋。
その操縦者は、リヴァリアの名物男――ゴルド。
子どもたちから「ゴルドのおっちゃん」と呼ばれる、豪快な大男だった。
相手のギアから、彼の笑い声が拡声されて響く。
『がっはっは! いいぞ坊主! 初めてでここまで残るたぁ、大したもんだ!』
「まだ……終わってません!」
ノアは操縦桿を握り直す。
「おう、その意気だ! だがな、気合いだけじゃギアは動かねぇぞ!」
ゴルドのギアが一歩踏み込む。
遅く見えた。
だが違う。
その一歩は、重く、深い。
砂地に足裏を沈め、機体の重さを完全に乗せた踏み込み。
次の瞬間、黒鉄のギアが巨体に似合わぬ滑らかさで間合いを詰めた。
「来る……!」
「踏ん張ってみせな! 坊主!」
金属同士がぶつかる激しい摩擦音が響く。
ゴルドラッシュの剛腕がギア・タイタンの両肩を掴み、態勢を崩そうと押し込んでくる。
圧力計がぐるりと回転し、機体に過剰な負荷がかかっていることを伝える。
「押し合いじゃ勝てない、引き込まないと!」
『はい、左脚の圧力を下げ、姿勢を崩してください』
ルナの言葉が早いか、ノアは左足のペダルから力を抜く。
途端、ギア・タイタンの上半身ががくりと左後ろに下がり、行き場を失った腕の力を持て余したゴルドラッシュが姿勢を崩す。
「なに!?」
「このまま……右回り!」
右脚のペダルを全力で踏み込み、ゴルドラッシュの背後を取る。
「ここで……押し切る!!」
背中を向けたゴルドラッシュに両手を突き出し、場外へ押し出そうと力を込める。
だがゴルドは、ただ押されるだけで終わらせる気はなかった。
「いい体捌きだ。だがな、そういう動きが命取りなんだ!」
黒鉄のギアの背面排気弁が開き、白い蒸気が一気に噴き出した。
拡散した白煙はギア・タイタンの前面風防を覆い、湿った熱気が操縦席をかすめる。
一瞬、ノアの視界が白く潰れ、手が止まった。
次の瞬間、体を転じたゴルドラッシュが両腕を繰り出す。
「まずい……!」
ノアは咄嗟に防御する。
だが、衝撃は真正面から来なかった。
ゴルドの腕は、ノアの機体を叩き潰すのではなく、肘の内側を引っかけるように押した。
重心が崩れる。
「ギアってのはな、こうやって動かすんだ!」
ノアは踏ん張ろうとした。
だが、遅い。
足を動かそうとした瞬間、ゴルドの機体がさらに半歩踏み込み、肩で押し込んできた。
「……っ!」
世界が傾いた。
機体が倒れる。
轟音。
砂が跳ね、観客席が揺れた。
砂煙が晴れた時、ノアのギア・タイタンは背中から闘技場の場外へ倒れ込んでいた。
一瞬、闘技場が静まり返った。
そして。
爆発するような歓声が上がった。
「決まったああああ!!」
「勝者、ゴルド!」
「さすが『黒鉄のゴルド』、今年もやってくれたぜ!」
観客たちが叫ぶ。
旗が振られ、口笛が鳴る。
ノアは操縦席の中で、しばらく動けなかった。
——負けた。
決勝まで来た。
何度も転びかけながら、それでも勝ち抜いた。
ハルトが教えてくれた。
ミリアが応援してくれた。
ルナが冷静に助言してくれた。
それでも、負けた。
その事実を受け止めるのに、ノアはしばし呆然としていた。
『ノア、ご無事ですか』
ルナの声が響く。
ノアは息を吐き、ゆっくりと身体を起こした。
「……うん、大丈夫」
『申し訳ありません。状況判断が追いつきませんでした』
「ルナのせいじゃない。むしろ、ここまで助けてくれてありがとう」
声は、思ったより落ち着いていた。
ゴルドのギアが近づいてくる。
その大きな手が、倒れたノアの機体へ差し出された。
「立てるか、坊主」
「はい」
ノアは操縦桿を動かし、ゴルドの手を取った。
黒鉄のギアが、ノアの機体を引き起こす。
観客席から、再び拍手が起こった。
それは勝者だけに向けられたものではなかった。
倒れても立ち上がり、最後まで戦ったノアにも向けられていた。
「よくやったぞー!旅のにいちゃん!」
「初出場で決勝まで行ったんだ、胸張れ!」
「いい試合だったぞ!」
ミリアの声も聞こえた。
「ノアー! すごかったよー!」
ノアは操縦席の中で、少しだけ笑った。
すごかった。
本当に、そうだろうか。
いや、きっとそうなのだろう。
初めて乗ったギア・ノードで、決勝まで進めた。
それだけでも十分なことだ。
分かっている。
分かっているのに。
胸の奥に、小さな重さが残っていた。
それが何なのか、ノアにはまだ分からなかった。
試合後。
闘技場の整備区画では、ハルトが勢いよく駆け寄ってきた。
「にいちゃん!」
小さな身体で、ノアの腰に飛びつく。
「すげえよ! 負けたけど、すげえよ! 決勝まで行ったんだぞ!」
「ありがとう、ハルト」
ノアは笑って、ハルトの頭を撫でた。
ハルトは少しだけ悔しそうに唇を尖らせる。
「でも、勝ちたかったな……」
その言葉に、ノアの胸がかすかに揺れた。
「……うん」
小さく頷く。
けれど、その続きは出てこなかった。
勝ちたかった。
その言葉は、まだ自分のものとして受け止めきれなかった。
ミリアが駆け寄ってくる。
「ノア、怪我してない!?」
「少し揺れたけど、大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「ならよし!」
ミリアは大きく息を吐いた。
携帯導光端末の上では、手のひらサイズのルナが静かにノアを見上げている。
『身体損傷は軽微と判断します。ただ、精神的疲労は一定以上蓄積しています』
「精神的疲労……」
ミリアがノアを見る。
ノアは苦笑した。
「ちょっと疲れただけだよ」
「……本当?」
「うん」
嘘ではなかった。
ただ、全部ではなかった。
そこへ、重い足音が近づいてくる。
ゴルドだった。
操縦服の前を開け、額の汗を拭いながら、豪快に笑っている。
「がっはっは! 坊主、いい腕だったぞ!」
「ありがとうございます。でも、負けました」
「そりゃ負けたな!」
あまりにあっさり言われて、ノアは目を瞬かせた。
ゴルドは大きな手でノアの肩を叩く。
「だがな、負け方ってもんがある。おめぇは最後までギアを投げ出さなかった。そいつは立派だ」
「でも……ゴルドさんの機体には、全然届きませんでした」
「当たり前だ。こちとら何年ギアに乗ってると思ってんだ」
ゴルドは胸を張る。
「ギアってのはな、力任せじゃいけねぇ。相棒みてぇに扱わねぇとな。まあ、それが難しいんだが」
ノアはその言葉を、静かに聞いていた。
相棒。
そう聞いて、アークのことが自然と頭に浮かぶ。
試合前にも考えたことだった。
自分はアークを、ちゃんと相棒として扱えているだろうか。
守ってもらうだけではなく。
力を借りるだけではなく。
同じ場所に立って、共に戦えているのだろうか。
「にいちゃん?」
ハルトが顔を覗き込む。
ノアは小さく首を振った。
「なんでもないよ」
その時、整備区画の外から、シーニャが駆け込んできた。
目元を赤くし、息を切らしている。
「ハルト!」
「シーニャ!」
シーニャはノアの前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「ごめんなさい……! 私、最初、ミリアさんの端末を売ろうなんて……」
「いいよ」
ミリアがすぐに言う。
「セーラを助けたかったんでしょ?」
シーニャは唇を震わせる。
「でも……薬代、まだ……」
ハルトの表情も曇った。
ノアは言葉に詰まる。
決勝で勝てば、賞金で浄化薬を買えるはずだった。
でも、負けた。
目的は、まだ達していない。
胸の奥の重さが、少しだけ形を変える。
その時。
「……薬代? なんの話だ?」
ゴルドが尋ねた。
ノアたちが振り返り、ハルトが慌てて説明した。
「セーラ姉ちゃんが黒熱病なんだ! 月蜜果を採りに行って、禁足地に入っちゃって……浄化薬がないと助からないって、先生が……」
「…………つまり、それで坊主はこの大会に出たってのか?」
ゴルドの声が急に低くなる。
ノアは頷いた。
「元々はハルトが出ようとしていました。でも危険すぎる。だから僕が代わりに」
「………………」
ゴルドは肩を強張らせて震えている。
そのような理由でギア・ノードに乗ったことが、それほど許せなかったのだろうか。
ゴルドは俯いたまま無言になったと思うと、呻くように呟いた。
「う……」
「う?」
「うお……」
「うお?」
ミリアが顔を覗き込もうと近づく。
沈黙。
そして。
「うおおおおおおおおおおおおおおん!!!!」
「うひゃあっ!?」
大音量の男泣きが辺りに響き渡った。
至近距離で爆音を受けたミリアが、まるで音圧で吹き飛ばされたかのように飛び退る。
「なんて! なんて! いい話なんだああああ!!!!」
「び、びっくりした……」
整備区画にいた全員が唖然としていた。
ゴルドは滝のように涙を流しながら、ノアの両肩をがっしり掴む。
痛い。
「坊主! おめぇは……おめぇってやつは!」
「あ、あの……」
「お前もだハルト! そんな小せぇ身体でギアに乗ろうとしてたのか!!」
「う、うん……」
「バカ野郎!! 危ねぇだろうが!!」
「ご、ごめん……」
「だがその根性は嫌いじゃねぇ! ちくしょう! 俺ぁこういう話に弱ぇんだ!!」
ゴルドはぐしゃぐしゃに泣きながら、ハルトの頭を撫で回した。
「……よし、決めた!」
「え?」
ゴルドは胸元から賞金袋を取り出した。
そして、迷いなくノアたちの前へ差し出す。
「こいつはお前らにやる!」
ノアは目を見開いた。
「でもそれは、ゴルドさんが勝ち取った賞金です」
「だから、どう使おうと俺の勝手だろう!」
ゴルドは鼻をすすりながら笑った。
「『ギア・コンチェルト』はな、ただ強ぇ奴を決めるだけの祭りじゃねぇ。全力を尽くして戦った本当に強ぇ奴を、街のみんなで讃える祭りでもあるんだ」
その声は大きく、温かかった。
「お前たちは頑張った。しかも、他の誰かを助けるために体を張ってな」
ゴルドはまっすぐにノアとハルトを見つめた。
「誰かのために全力を尽くす。それが強さってもんだ」
一瞬、泣き止んだかのように真剣な顔になるゴルド。
次の瞬間、また泣き顔に戻る。
「だからそれはお前たちが手にするべきもんだ! うおおおおん!!」
もらい泣くかのように、ハルトの目からも涙がこぼれた。
「ゴルドのおっちゃん……!」
「泣くんじゃねぇ! 男のくせに!」
「おっちゃんだって泣いてるじゃん!」
「うるせぇ! こういうの弱いって言ってんだろ!」
ミリアも目元を押さえていた。
「よかったね、ハルト……シーニャ……」
「うん……うん……!」
シーニャは泣きながら頷く。
ノアは、手にした賞金袋を見つめた。
これで薬代は手に入った。
セーラは助かるかもしれない。
大会には負けたけれど、目的は果たせた。
多少強引でも戦いに身を投じた甲斐は、確かにあったのだ。
——だが。
胸の奥に沈んだほんの小さな重さは、それでも完全には消えなかった。
ノアはそれを、疲れのせいだと思うことにした。
慣れない機体に乗った。
緊張もした。
だから、ほんの少しだけ心が重いのだと。
そう思うことにした。
*
日が傾き始める頃、浄化石はレピオスの診療所へ運ばれた。
レピオスは届けられた浄化石を見て、いつものように軽く肩をすくめた。
「やれやれ。ずいぶんと騒がしい薬の配達だね」
だが、その声は優しかった。
「間に合いますか?」
ノアが尋ねる。
レピオスは眼鏡の奥で目を細める。
「間に合わせるのが医者の仕事だよ」
そして、診療所の扉が閉じられた。
ハルトとシーニャは扉の前で手を握り合っている。
ミリアは二人のそばに座り、励ますように笑っていた。
ノアは少し離れた場所で、夕暮れの港を見ていた。
海が赤く染まっている。
穏やかな赤。
王都で見た侵食の紅ではない。
ただ、夕陽を映した海の色だった。
「ノア」
ミリアが隣に来た。
「今日はありがと」
「僕は負けたよ」
「でも、がんばったでしょ」
「……うん」
「かっこよかったよ、すごく」
ミリアはそれ以上、何も言わなかった。
ノアも何も言わなかった。
胸の奥に残る小さな重さ、それはまだ消えていなかった。
それが何なのか。
ノアにはまだ、わからなかった。
――第36話へ続く
※おことわり
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