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第33話「ギア・ノード」

リヴァリアの港湾区には、潮と油と蒸気の匂いが混ざっていた。


海から吹きつける湿った風。

鉄骨の足場を軋ませる音。

荷揚げ用クレーンの低い唸り。

遠くで鳴る蒸気笛。


その一角に、ギア・ノードの整備場があった。


古びた倉庫を改造した巨大な格納庫。

開け放たれた扉の向こうには、人型重機たちが並んでいる。


アーク・ギガントに比べればずっと小さい。

だが、それでも人間の背丈の三倍か四倍はある。


太い腕。

厚い脚部。

背中に背負った蒸気補助機関。

風防に覆われた搭乗席。

機獣外殻を加工した装甲板。

関節部には油が塗られ、ところどころに整備用の赤い印が入っている。


それは、旧文明の残骸を利用していながら、旧文明の機兵とはまるで違うものだった。


洗練とは程遠い。

美しさとも違う。

けれどそこには、人の手で組み上げられた確かな力があった。


「これが、『ギア・ノード』……」


ノアは思わず呟いた。

格納庫に佇む機体を見上げる。


王都の白き機兵とも違う。

統治機兵のような威圧感もない。

だが、巨大な鉄の身体からは、港で働く人々の生活の匂いがした。


荷を運ぶため。

堤防を直すため。

瓦礫をどかすため。

人が暮らすために作られた機械。


それが、ギア・ノードだった。


「すごいでしょ!」


ハルトが誇らしげに胸を張る。


「こいつら、港でいちばん働き者なんだ! 重い荷物も持てるし、壊れた桟橋も直せるし、でっかい岩だって動かせる!」

「戦うための機械じゃないんだね」


ノアが言うと、ハルトは大きく頷いた。


「うん! 本当は働くためのギア! でもギア・コンチェルトでは、闘技用に装甲とか腕とか変えて戦うんだ!」

「働くための機械で戦うんだ……」


ミリアが目を丸くする。


「なんか、すごくリヴァリアっぽいね」

「だろ!」


ハルトは嬉しそうに笑った。

その笑顔は昨日の病室で見せた必死な表情とは違い、年相応の明るさに満ちている。


ノアは少し安心した。

昨日、セーラの病室で見たハルトは、今にも泣きそうな顔で拳を握っていた。

だが今は、好きなものを前にした子どもの顔をしている。


もちろん、セーラを助けたいという気持ちは消えていない。

むしろ、そのために必死で明るく振る舞っているのだろう。


だからこそ、ノアはこの子を危険な操縦席に座らせるわけにはいかないと思った。


「で、にいちゃんが乗るのはこいつ!」


ハルトが指差した先に、一体のギア・ノードが立っていた。

他の機体に比べると、やや古い。


外装には傷が多く、塗装もところどころ剥げている。

右肩の装甲板には補修跡があり、背部の蒸気機関も新型ではなさそうだった。

だが、各部は丁寧に手入れされている。


古いが、動く。

そういう印象の機体だった。


「これ……借りられるの?」


ノアが尋ねる。


「うん! 整備場のおっちゃんが貸してくれるって! 大会用の予備ギアなんだ。名前は〈ギア・タイタン〉!」

「ギア・タイタン……」

「ちょっと古いけど、腕はいいぞ!」

「腕?」

「タイタンの腕! ほら、見て!」


ハルトが機体の右腕を指差す。


「この関節、古い型だけど馬鹿力がウリなんだ。新型みたいにすぐ反応しないけど、ちゃんと圧を溜めてから振ると、すっごい重い一撃が出る!」


ノアは目を瞬く。


「詳しいね」

「おれ、毎日ここ来てるからな!」


ハルトは得意げだった。


その横で、携帯導光端末の上に立つルナがギア・ノードを見上げる。


蒼白い光の瞳が、機体の各部を読み取るように細かく動いた。


『蒸気圧補助式人型重機。主動力は密閉式蒸気機関。関節駆動は歯車、滑車、油圧に近い補助機構の複合。機獣外殻由来の装甲材を複数箇所に確認』

「すごい!」


ハルトが目を輝かせる。


「ちょっと見ただけで分かるんだ!」

『構造解析による推定です』

「すげーな、ルナおねーさん!」

『おねーさん……』


ルナは小さく呟いた。

その呼び方にまだ慣れていないらしい。

ミリアがにやにやする。


「よかったね、ルナおねーさん」

『呼称としては不正確です。私は年齢概念を人間と同様には持ちません』

「でも、おねーさんっぽいよ?」


ハルトが真顔で言う。


「物知りだし、ちっちゃい子にもちゃんと教えてくれそうだし!」


ルナはわずかに沈黙した。


『その評価は、受領します』

「照れてる?」

『いえ、照れていません』


ノアは苦笑しながら、ギア・タイタンの足元へ向かった。


整備士たちが数人、機体の周りで準備を進めている。

そのうちの一人、腕の太い中年の男がノアを見ると、片手を上げた。


「お前さんが代わりに出るって旅人か」

「はい。ノアです」

「ハルトから聞いてる。セーラのためだってな」


男はノアをじろりと見た。


「いい心がけだ。だが、ギアは根性だけじゃ動かねえ。無理だと思ったら降りろ。いいな」

「分かりました」

「分かってねえ顔だな」


男はため息をついた。


「まあ、乗れば分かる」


ノアは操縦席へ案内された。


胸部前面の装甲が開き、中には狭い操縦区画がある。

装甲、といえば聞こえは良いが、要はただの金属板である。

そして、アーク・ギガントのように胸部装甲を閉じても完全な密閉状態とはならない、土木作業に適した形の操縦席だった。


中を見ると、アーク・ギガントの操縦席とはまったく違っていた。


アーク・ギガントの操縦席は、ノアを包み込むような構造だった。

光板が浮かび、声が響き、機兵と自分の感覚がどこかで重なる。

だが、ギア・ノードの操縦席は違う。


硬い座席。

目の前に並ぶ鉄製のレバー。

左右の操縦桿。

足元のペダル。

圧力計。

蒸気弁。

緊急停止用の赤い取っ手。


すべてが物理的だった。


「……すごい」


ノアは操縦席に座る。


座席は硬く、油と鉄の匂いがした。

足元のペダルは重い。

操縦桿を握ると、手のひらにざらついた金属の感触がある。


アーク・ギガントのように、考えれば動くわけではない。

自分が手足を使って、ひとつひとつ命令を伝えなければならない。


「にいちゃん、聞こえるかー?」


下からハルトの声が響く。


ノアが身を乗り出す。


「聞こえるよ!」

「まず右の大きいレバー! それが右腕! 左の大きいレバーが左腕!」

「うん」

「足元のペダルが歩くやつ! 右踏んだら右足! 左踏んだら左足! でも交互に踏まないと転ぶ!」

「交互に……」

「あと、真ん中の丸いのが腰! 腕を振る時は腰も回す! 腕だけ振るとギアがびっくりする!」

「ギアがびっくり……」


ルナが端末越しに補足する。


『おそらく、腕部運動のみでは重心が崩れるという意味です』

「そう、それ!」


ハルトが嬉しそうに指差す。


「ルナおねーさん、分かってる!」

『表現の変換を行いました』


ミリアが下から笑う。


「ノア、がんばれー!」

「うん」


ノアは深く息を吸う。


まずは立つ。

いや、もう立っている。


次は右腕を動かす。

ノアは右のレバーを慎重に引いた。

ギア・タイタンの右腕が、ぎこちなく上がる。


ギュィィィィン、ガコン。


「うわっ」


腕が思ったより遅れて動いた。


それだけではない。

レバーを戻しても、腕がすぐには止まらない。


重い。


ノアは思わず力を込めすぎた。

ギアの右腕が大きく振れ、横の鎖に当たって金属音を立てる。


「にいちゃん、引きすぎ!」


ハルトが叫ぶ。


「ギアはすぐには言うことを聞かないぞ! ちょっと早めに止めるんだ!」

「早めに……!」


次は足。


ノアは右ペダルを踏む。

ギア・タイタンの右脚が前に出た。

だが、左脚を動かすタイミングが遅れた。


機体が大きく傾く。


「わっ!?」


操縦席が揺れる。


「左! 左踏んで!」


ハルトが飛び跳ねながら叫ぶ。

ノアは慌てて左ペダルを踏んだ。

ギア・タイタンはどうにか踏みとどまったが、動きはひどくぎこちなかった。


下で見ていたミリアが、苦笑する。


「ノア、なんか……生まれたての鳥みたい」

「鳥っていうか、鉄の赤ちゃんだな!」


ハルトが元気よく言う。


「赤ちゃん……」


ノアは少し落ち込む。

ルナが冷静に言った。


『初回操作としては転倒していないため、良好です』

「それは励ましてるのかな……」

『客観的な評価です』

「ありがとう……」


ノアはもう一度息を整えた。


歩く。

腕を上げる。

腰を回す。

止まる。


簡単な動作を繰り返す。

だが、そのどれもが難しい。


アーク・ギガントに乗っている時、ノアはここまで一つ一つの動作を意識していなかった。


踏み込めば、アーク・ギガントは踏み込む。

腕を振ろうと思えば、アーク・ギガントは剛腕を振るう。

警告も補正も、アーク・ギガントが行ってくれていた。


だがギア・ノードには、それがない。

ノアの失敗は、そのまま機体の失敗になる。


右腕を引きすぎれば、姿勢が崩れる。

ペダルを踏み遅れれば、転びかける。

蒸気圧を見逃せば、動きが鈍る。


「……アークって、すごかったんだな」


ノアは小さく呟いた。

アークはいつも支えてくれていた。


ノアが迷った時も。

焦った時も。

無理な動きをした時も。


アーク・ギガントは黙って、あるいは冷静な声で、ノアを補正してくれていた。

ギア・タイタンの操縦席で、ノアは初めてその重さを知った。


「にいちゃん!」


ハルトの声が飛ぶ。


「考え込むなー! ギアは止まると重くなるぞ!」

「え?」

「動いてる時の方が動かしやすいんだ! ほら、右足、左足、腰、腕!」

「わ、わかった!」


ノアは慌てて操作に戻る。


ハルトは格納庫の床で、まるで自分もギアになったように身体を動かしていた。


「右! 左! 腰! 腕! そうそう! にいちゃん、今のちょっとよかった!」

「ほんと?」

「ちょっとだけな!」

「ちょっとだけか……」

「ちょっとは大事だぞ!」


ハルトは満面の笑みで言う。


その明るさに、ノアは少し救われた。

訓練はしばらく続いた。


歩行。

旋回。

腕の振り上げ。

防御姿勢。

模擬用の棒を持っての打撃練習。


ギア・タイタンは何度も躓き、転倒しかけた。

一度は膝をつき、整備士たちが慌てて駆け寄る場面もあった。

だが、ノアは少しずつ感覚を掴み始めていた。


「にいちゃん、反応はすげえ速い!」


ハルトが興奮気味に言う。


「言ったらすぐ動く! でも、ギアがついていけてない!」

「それ、褒めてる?」

「褒めてる! たぶん!」

「たぶん……」


ミリアが横から言う。


「ノア、ハルトの“たぶん”はだいたい褒めてるよ」

「そうなの?」

「うん! 先生の“たぶん”より信頼できる!」

「レピオス先生の評価が……」


その時、整備場の入り口から声がした。


「僕の話かな?」


振り向くと、レピオスが立っていた。


白衣の上に薄い外套を羽織り、片手には紙袋を持っている。

ハルトが駆け寄る。


「先生! 見に来たのか!?」

「無茶をする若者を事前に観察しておこうと思ってね。怪我の予測がしやすい」

「にいちゃん、意外と怪我しないぞ!」

「それはよかった」


レピオスはにこにこと言いながら、ギア・タイタンを見上げた。


「初めてにしては悪くない」


ノアは操縦席から身を乗り出す。


「本当ですか?」

「本当だよ。ギアに振り回されてはいるけど、投げ出されてはいない。初心者としては上出来だ」


レピオスは昨日と同じ調子で言った。


「ただし、勝てるかどうかは別問題」


その言葉に、空気が少しだけ締まる。

ハルトが拳を握る。


「にいちゃんなら勝てる!」

「勝ってほしい、だろう?」


レピオスは優しく訂正した。

ハルトは口をつぐむ。


レピオスはギア・タイタンを見上げたまま続ける。


「明日の出場者には、港湾組合の作業長もいる。闘技用ギアを十年以上扱っている連中もいる。ギア・ノードはね、反応速度だけでどうにかなる機械じゃない」


ノアは黙って聞いていた。


「蒸気圧の癖。関節の遊び。足場の沈み込み。相手の機体の重心。そういうものを読む経験がいる」


レピオスはノアを見る。


「君はたぶん、普通の人よりずっと機体を動かす勘がいい。でも、それでも一晩で経験までは埋まらない」

「……はい」


その言葉は厳しかった。

だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


レピオスの口調は軽いが、言っていることは正確だった。

ルナも静かに頷く。


『レピオス先生の指摘は妥当です。ノアの反応速度と空間把握能力は非常に高い水準にあります。しかし、ギア・ノード固有の操作経験は不足しています』


ハルトが不安そうにノアを見る。


「にいちゃん……」


ノアは操縦席の中で拳を握った。


「それでも、やるよ」


ハルトの顔が少し明るくなる。


「勝てるかは分からない。でも、セーラを助けるためにできることをする」


レピオスは目を細めた。


「いい答えだ」


そして紙袋をミリアへ投げた。

ミリアが慌てて受け取る。


「わっ、何これ?」

「差し入れ。港の揚げ菓子」

「え、いいんですか?」

「無茶をする前には糖分がいる。医者の助言だよ」


ハルトが目を輝かせる。


「おれも食べていい!?」

「一個だけ」

「やった!」


ミリアも笑う。


『先生、やっぱりいい人ですね』

「怪しいいい人、くらいにしておいてくれ」

「もしかして"怪しい"って言われるのちょっと気に入ってる……?」


少しだけ笑いが戻る。


ノアはその様子を操縦席から見下ろしながら、深く息を吐いた。

怖くないと言えば嘘になる。


ギア・ノードは思った以上に難しい。

明日の相手は経験者ばかり。

勝てる保証などどこにもない。


それでも、やるしかない。


セーラを救うため。

ハルトとシーニャの願いを無駄にしないため。


そして。


自分自身が、アーク・ギガントに頼るだけではなく、ちゃんと機体を動かせる人間になるために。


「ハルト」


ノアが呼ぶ。

ハルトは揚げ菓子を頬張りながら振り向いた。


「ん?」

「もう少し教えてくれる?」


ハルトは口いっぱいのまま、力強く頷く。


「もちろん!」


慌てて飲み込み、拳を掲げる。


「にいちゃん、まずは転ばない練習だ!」

「まだそこなのか」

「そこがいちばん大事!」


ハルトは真剣だった。


「転んだら負ける! 立ってたら、まだ勝てる!」


その言葉に、ノアは少しだけ目を見開いた。

立っていたら、まだ勝てる。


単純な言葉だった。

けれど、どこか胸に残った。


「……うん」


ノアは頷く。


「まずは、転ばないところからだね」


ギア・タイタンの蒸気機関が、低く唸る。


港の夕陽が、格納庫の中に差し込んでいた。


明日、円形闘技場で戦いが始まる。


それはアーク・ギガントによる戦いではない。

王統の力でも、旧文明の兵装でもない。


現代の人々が作った機械で。

ノア自身の手足で。

誰かを救うための戦いだった。



――第34話へ続く

※おことわり

本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。

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