91.それからの二人の日々は。
「ただいま」
「おかえりなさーい! 今ちょうどアップルパイが焼けたんだけど、少し食べる?」
「じゃあ、サクサクの部分だけ」
「はーい」
疲れた様子で家へ帰ってきた彼に、温かいお茶とパイの端っこの部分だけ切り分けてあげる。
味覚は依然として戻らない彼だけど、食感が良いものだったらだいぶ食べられるようになってきた。
自分の分のお茶とパイも用意して一緒のテーブルに着くと、早速今日の学校の様子を聞いた。
「生徒たちの様子はどうだった? "エッディ先生"」
「ん? いつもと同じだよ」
彼は眼鏡をクイっとあげて、ふうっと息をつく。
「小等部のガキなんて、毎日騒がしくて、授業よりも他の時間の方が数倍大変だ」
「毎日お疲れ様です……。あ~私も早く復職したい! 小等部の子供たちなんて、かわいいしかないんだもん」
「じゃあ、俺が産休代わってやるから、”ネモ先生"、今すぐ復職してこい。許す」
「許されても産めないでしょ!」
すると、私の返事を受け流すように彼はキョロキョロと周りを見渡し始めた。
「クロは?」
「たぶん、フェンを追いかけて庭を駆けまわってるんじゃない?」
「ほんと、平和ボケして今や完全な犬っころだな」
「かわいいから、よし」
こんな風に今日の出来事を話して、日が暮れる前の時間をゆっくり過ごす。
――これが私たちの”今”の日常だ。
◆
(どこ、ここ――)
逃げるようにして連れて来られた先は、軍のトップが使うであろう足を踏み入れたこともない厳かな部屋だった。
厳粛とも言える雰囲気に臆することもなく、ダリオさんはノックをして堂々と中へと入っていく。
「お待たせしました」
ダリオさんが呼びかけた人物。
そこに待ちかまえていたのは――
「……ジオ総隊長!?」
私が就任初日に挨拶をした、第一部隊のトップ、ジオ総隊長が執務机の椅子にゆったりと腰を掛けていた。
「やあ、よく来た、エンデ。それにネモフィラ・フィリアス隊員。君とは初日の挨拶以来だな」
「ご無沙汰しております……」
なぜこんな場所にダリオさんは私を連れてきたのだろうか。
しかも、見る限りジオ総隊長もダリオさんが来るのを待ちかまえていたようだ。
「彼女は俺に付いて来ることを選んでくれました。なので、あなたの"借り"は、コイツの分まで返してください」
("借り"?)
ダリオさんの言ってる意味がわからず、隣にいる彼の顔を見上げる。
「ああ、もちろんだとも。二人分の新たな戸籍はすでに手配済みだ。ただ……場所はお前が大嫌いなガラナの復興地になるが、それでもいいか?」
「構いません。二人でいられるなら、どこだって……」
そう言いながら、ダリオさんはさりげなく私の手を取る。
ジオ総隊長はそんな彼の様子を見て、やれやれ、といった顔を向けた。
「ほんと、良かったな。彼女がおまえを選んでくれて。じゃないと使い勝手のいいおまえのことだ。適当に罪をでっち上げられて、一生ここで飼い殺されていただろうに」
「はい……本当に良かったと思っています。やっと――自由に彼女に触れることができる」
「はは、戦時中のいつ死んでもいいなんて言ってたおまえとはえらい違いだ」
――戦時中、ということは、ダリオさんが第四学年のとき、遠征授業に行ってた頃からの知り合いだった……?
「あの、お二人は昔からの知り合いなんでしょうか?」
「ああ、遠征授業のときの指揮官が、ジオさんだったんだ」
「当時学生だったのに、彼には大変世話になった。私は彼に頭が上がらないんだよ」
苦笑しながらダリオさんを見るジオ総隊長の視線は温かい。
二人の間に、信頼関係があるのが見て取れた。
「あまり時間が無いから、フィリアス隊員も、詳しいことはエンデから聞いて欲しい。
これからおまえたち二人は、『ダリオ・エンデ』と『ネモフィラ・フィリアス』の名前を捨てることになる。表向きには……そうだな。エンデがフィリアス隊員の処分に失敗、炎に巻かれて骨すら残らず二人とも死亡。こんな筋書きでどうだ?」
ジオ総隊長の言葉に、ダリオさんは頷く。
「了解です。この後、それっぽい痕跡を残しておきます」
「ほどほどにしろよ? 逆に怪しまれる」
「わかってます」
どうやら、私たちはこの国で死亡扱いになるらしい。
そのことに驚くこともなく……逆に、気持ちは高揚していた。
(だって――)
「エンデ。これまで、振り回してしまって大変申し訳なかった……軍に代わって謝罪する。そして、君たちの新しい人生を心から祝福しよう」
「ありがとうございます――」
握り合った手に力が籠る。
(だって、これからは二人ずっと一緒なんだから)
そうして、私たちはこの日、死んだ。
死んで――
『エッディ・ブラック』と『ネモ・ブラック』として、二人して生まれ変わったのだ。
◆
「結局、"借り"って、なんだったんですか?」
寝台列車の中、二人して毛布にくるまりながら、目的地に着くまでの間これまでの経緯を聞いていく。
けれど、彼が淡々と話していくその内容は、私の想像を意図も簡単に上回るくらいに酷いものだった。
「――ジオさんの代わりに、俺が手を下した。その"借り"だ」
――"手を下す"、は文字通りの意味で。
驚きで目を見開く私に、彼はそのまま話を続けた。
「もう六年前か……。ガラナとの戦争の最前線で、北の部隊が壊滅した……その後だ。ジオさんに言われて、ガラナの捕虜が収集されている場所へ行ったんだ。そして……その建物ごと、破壊した」
彼は破壊、とだけ言ったけど、その裏で、間違いなく……
「これが、あの人への"貸し"。あの人では出来なかったことを、俺が肩代わりした。肩代わりと言いつつ、そこには確かに俺の意思もあった。アンドリューへの……弔いの意味を込めて」
「……」
「けれど、それ以降はおまえも知ってる通り、後悔と懺悔で眠れない日々が続いた」
当時――フラッシュバックすると言っていたのは、自爆に巻き込まれた味方の遺体を処分して回ったこと、それに加えて、無抵抗の捕虜を処分したことが原因だったようだ。
正直、かける言葉は見当たらない。
その代わりに、いまだに後悔を滲ませて語る彼の手をそっと握った。
「……この時点で、俺はすでに執行猶予つきの罪人になっていた。ただ、それまで最前線で貢献して来た分を免除されて『スカウト』は保留になっていたんだ。実際は表向きそう言われていただけだったんだけど」
(表向き……。そっか……学園に復学したとき、彼は既に軍に目を付けられていたんだ)
そのまま彼は先へと話を進めていく。
「ここからは"貸し"を返してもらう約束の話に繋がる。……入隊試験のときのことだ」
ごくりと、思わず息を呑んだ。
入隊試験以降、彼は忽然と姿を消した。
(ようやく……このとき彼に何が起こったのかわかるんだ)
はやる気持ちを抑えながら、静かに耳を傾ける。
「……聞かせてください」
促すように言うと、彼は視線を伏せたまま口を開いた。
「身体検査のとき――面接官たちに言われたんだ。
『イリス平原を潜伏先にしているガラナの残兵たちを根絶やしにする手伝いをして欲しい、それが試験内容だ』、と」
イリス平原、ガラナの残兵と聞いて、焼け野原になっていたあの空間を思い出す。
「普通に考えたら、疑うところだろう――そんなの軍がすることだ。試験を受けに来た学生がすることじゃないって。
でも、そのときに、残兵の一掃に成功したら、軍での入隊はもちろん、それなりの地位が確約できる――結局、あのときも俺の思考はまともじゃなかったんだろう。なんの疑問も抱かずに、彼らの言うことに従った。
従った結果……手に入ったのは、"終身刑"だ。――嵌められたと気付いたときには、取り返しのつかないことになっていた」
握り締めた手に、彼の力が籠る。
「本当に、試験だと思ってたんだ――まさか、施設の中に……ガラナの残兵だけじゃなく軍の隊員がいたなんて……」
彼は一度言葉を切り、呼吸を落ち着けてから続きを口にする。
「……それからは、知ってのとおり、誰にも連絡をとれなくなった。
早期卒業の準備をしてたことも裏目に出たんだろう――
早く社会に出て、罪を清算したかったから誰にも言わず準備を進めてたのに――
戸籍を抹消され、”第0部隊”という罪人集団の隊長の座に就いて。……気付けば、軍の従順な犬になってた」
彼の顔が苦しく歪む。
「任務をこなしたらこなした分、刑期が軽減される。そう信じて、彼らにとって都合よく正当化された罪をさらに重ねていった」
――会えなかった空白の五年に、彼はがむしゃらに任務をこなしていたんだろう。
全ては終身刑という途方もない罪を帳消しにするため――身体を壊し、心を壊すくらいに。
「ほとんど死んだように生きてる毎日だったけど……刑期が全て清算されたら、おまえに会いに行ける。
――それだけを希望にしてたんだ」
彼の声が止んだ。
ガタン、ゴトンと静かな列車の音が狭い居室にこだまする。
繋いでいた彼の手が離れようとしたので、そうはさせないと瞬時に握り留めた。
(――私だけじゃ、なかったんだ)
私が彼を探し続けてる間、彼もずっと、私に会いたいと思っていてくれていた。
不謹慎かもしれない。でも、彼のやりきれない過去を思うのと同時に、私は彼が自分に会いたいと思ってくれたことに、全身で喜びが込み上げていた。
「俺を嵌めた相手は……軍の上層部だって、後からわかったよ。事あるごとに、刑期を追加され、制御具漬けにされて――
見かねたジオさんが、俺に約束してくれたんだ。あの人が総隊長より上に上り詰めたときには、ここから解放してやるって。それが、あのときの"借り"のお返しだ、と。
今度、あの人は軍の幹部に昇進することが決まった。少し早いけど……おまえが処分対象になってることを聞いて……今すぐ借りを返して欲しいと頼みに行ったら、快く引き受けてくれた」
彼はそこまで話し終えると、私の方を窺うようにして視線を合わせてきた。
「――ここまで聞いて……俺についてきたこと、後悔してる?」
不安そうに揺れる炎のような瞳に、心がグッと締め付けられる。
(そんなこと、聞くまでもないのに……)
彼の肩にコトンと頭を預け、彼の不安を打ち消すようにわざと明るく振る舞った。
「まさか。寧ろ、へっぽこでどんくさい私を連れてきたこと、後悔してません?」
「絶対しない。クロに誓える」
「私だって、クロに誓えます!」
二人して手を握り締め合う。
それから、彼は「そうだ」と思い立ったかのように口を開いた。
「ネモに、俺の新しい家族を紹介してなかった」
「家族、ですか?」
「フェニックスの……フェンだ」
「!」
『――フェン』
彼がそっと呼び掛けると、小さな小鳥サイズの炎の鳥が目の前に現れた。
ぼんやりとした美しい炎の揺らめきに、思わず目を奪われてしまう。
〈あら坊や。やっと手に入れたの?〉
小鳥は炎をキラキラと燃やしながら、まるで母親のようにダリオさんに問いかけた。
「ああ。やっとだよ」
「初めまして、ネモ……です」
おずおずと彼女に挨拶をする。義母に初めて挨拶をするような感覚に、どこか緊張してしまう。
〈ふふ、知ってる。私も――やっと会えた〉
「やっと?」
〈ええ、やっと。私、相当昔から、あなたのこと知ってる〉
「え、そうなの?」
〈……また、ゆっくりお話しましょう。今は、二人きりにしてあげる〉
彼女はそう言うと、ボウっとロウソクが燃え尽きるようにして静かに姿を消した。
「なんだか、ダ……エッディさんのお母さんみたいですね」
「まあ、みたいなもんだな。クロとも仲良くしてくれたら嬉しい」
「うん……そうですね」
再度彼の肩に頭を預けると、彼の方も頭を寄せてきた。
触れた部分の体温がじんわりと伝わり心地良い。
(なんだか――ずっと、ふわふわしてる)
私は、全てを捨てたはずなのに。
普通、孤独や喪失感を感じてもいいのに、こうして新たな家族ができたことが、とんでもなく嬉しい。
彼の手をにぎにぎすると、同じくらいの力で返してくれる。
ただそれだけのことなのに、信じられないくらいに心が満たされていく。
きっと、これから先、大変なことも沢山出てくるだろう。
今から住む場所も探さなきゃだし、仕事だって見つけないといけない。何度も躓いて、挫けそうになるかもしれない。
それでも――
これから明るい未来が待ってる。
そしてこの予感は、間違いなく現実になるはずだ。
「これからも、末永く、よろしくお願いします」
もう、離さない。
離れてなんか、やんない。
ずっとずっと――二人はいつまでも一緒だ。
明日の夜で完結です。




