89.平和な日常と不穏な日常は考えようによっては紙一重です。
淡々と日々が過ぎていく。
訓練や任務をこなし、時に怪我をすることもあれば、挫けそうになって塞ぐこともある。そうかと思えば、休みの日に出掛けてリフレッシュし、また翌日からの日々を繰り返していく。
シャノンさんのプロポーズは、はっきりと断った。
ダリオさんに会ったことは伝えてはいない。
けれど、察しのいい彼はすぐにわかったようで、「うん、わかった」と寂しそうに納得してくれた。
それからも過ぎていくなんてことない日常。
それが、今の私の毎日。
「最近、フェニックス見ないな……」
夜、独身寮の窓辺に立ち、空を見上げてポツリと零す。
〈その代わりに、星がよく見える〉
情緒のある返しをするクロに、ふふっと微笑みが漏れた。
「そうだね。今日は月もないから、綺麗に輝いて見えるね」
――だからこそ、暗い夜空に灯る炎が見たくなってしまう。
でも、そのことを口にするのは止めておいた。
代わりにクロの頭を撫でてベッドへ向かう。
「そろそろ寝ようかな。今日ももちろん、一緒にお願いね」
〈無論だ〉
最近はすっかり一人で寝られなくなってしまっていた。
寂しい、というのもあるのだけど――
(ダリオさん以外に、寝首をかかれるわけにはいかない)
第0部隊の他の隊員に、消されたくなどない。
安全面を見越して、どれだけ魔力を消費しようが、クロと一緒に寝るのが日常になっていた。
「おやすみ、クロ」
〈おやすみ――ネモフィラ〉
最近は夢も見ない。
それくらいに、深い眠りに入っているのかもしれない。
◇
「わ、私、ここは天職かもしれません……」
「かもなぁ。俺、正直アンタがここまで残るとは思ってなかったよー、スピネル」
「ヒルデンさんに褒められるなんて、怖いですぅ」
相変わらずプルプル震えながらも、彼女の顔は喜色満面である。
数か月前に放り込まれた彼女は、みるみるうちに頭角を現していった。
「意外と度胸あるんだよなー、さすが大量殺人犯。 食事に毒盛ったんだっけ?」
「はい、もりっと盛らせてもらいましたぁ。そ、それから、しつこく息がある人達は、止めを刺して回りましたぁ……」
「うへーこっわ! 終身刑だったってのも頷けるわ」
「顔がイッちゃってるとこが尚更ヤバいよねぇ」
「ああ……恐ろしい……早く娘たちのためにお金を稼いで、まともな場所に帰りたい……」
詰所にて、和気あいあいとした雰囲気で彼女――スピネルの過去の罪に触れていく。
これが異常な光景と思わなくなったのは、いつの頃だったか。
「でも、隊長に比べたら、私なんて、まだまだですぅ……」
急に話がこちらに向き、身を固くする。
「確か、ガラナとの終戦時に、大量の捕虜を皆殺しにしたんですよね?」
「それから、終戦後にイリス平原にガラナの生き残りの潜伏兵が出たとき、施設にいた味方もろとも燃やし尽くしたとか……。
うう、痺れますぅ……」
うっとりした目を向けられて、途端に目の前が赤くなる。
(なんの事情も知らないくせに――)
だけど、ぐっと手を握り締め、その辺をガンッと蹴って感情を逃がした。
「おお、ほんっと隊長ってば成長したなぁ。前までだったら、スピネル、おまえ今の瞬間に炭にされてたぞ、きっと」
「ひぃぃっ、恐ろしいですぅ!」
ぶるぶると身を捩るスピネルだが、全然怖がっているようには見えない。
彼女にとっては、このキチガイの吹き溜まりは、本当にパラダイスであるに違いない。
「あ、そういえば隊長」
ヨランダさんがこちらを振り向いて言った。
「なんだ」
「スピネルがずっと手こずってる任務が一件あって、私も手伝ってみたんだけど……ちょぉっと厳しそうなの。
隊長、代わりにやってくんない?」
「ばっ……、おまえ、この件は黙っとけってあれほど言っただろ!」
珍しくノールさんが慌てた様子でヨランダさんを止めに入る。
黙っとけって……一体何だ?
「だって、全然うまくいかないんだもの! 隊長様がじきじきにやるしかないでしょ?」
ヨランダさんの言い方に眉を顰める。彼女が手こずる任務なんてよほどのものだ。
けれどそんな任務……スピネルに振った覚えはあったか?
考え込む自分を見て、ノールさんが観念したようにして言った。
「……俺が隊長には内緒だって、指示してた任務があんだよ。知ったらアンタ、絶対に握りつぶすだろうから……」
「内容は?」
問いかけに対し、ノールさんに代わってスピネルがぷるぷる震えつつ、困ったような顔で答えた。
「第一部隊、キリク班の『ネモフィラ・フィリアス』の処分ですぅ」
まさかの名に、思わず目を見開く。
「でも、彼女、ぜんっぜん隙がなくって……
わ、わたし、ヨランダさんに助けを借りたんですが……」
「隊長、あの前に北東支部でサポート班に混ざってた女の子覚えてる? あの子だよ、ずっとオジサマを探してたって子! あの後、サポート班全員に処分命令が出てたんだけど、あの子だけしぶとく生き残ってるんだよねぇ~」
「寝ているときはフェンリルがいて近付けなくて……。日中も常に防御結界張っててガチガチで、魔力が少なくなってくる夕方を狙ったんですが、防御の腕輪が頑丈で、跳ね返されちゃいましたぁ……。
毒を盛ろうにも、フェンリルの鼻が効くのでできなくてぇ……」
「……」
(――処分対象、だと?)
サポート班に命令が下っていたことすら、寝耳に水だった。
ノールさんを睨みつけると、彼はやってしまったと額に手を当てていた。
「俺は、オッサンから事情を聞いてたんだよ。彼女が探してたのって、アンタだったんだろ?
……それじゃあ隊長があまりにもかわいそうだから、秘密裏に片付けようとしてたんだよ……」
不要な気遣いに、余計に胸にどす黒いものが吹き荒れる。
「……いま、彼女は?」
けれど、怒鳴りそうになる声をなんとか押し殺して静かに尋ねた。
「しぶとく生き残ってるよ。ただ、上からはせっつかれてるけどな」
ダンッ!
「きゃっ!」
これ以上は耐え切れず、全力で机に拳を叩きつけた。
叩いた部分が煙を出して焦げているが、知ったことではない。
(限界だ――もう、いますぐにでも、"借り"を返してもらいにいかないと)
「あ、おい! どこ行くんだ!」
「――元凶に会いに行ってくる。戻りは、未定だ」
どうしようもない怒りで目の前が歪むが、彼女が無事だという事実だけで、気持ちを収めようと試みる。
魔力制御の制御具は全て付けているはずなのに、行き場を失った魔力が全身から漏れ出る。
(過去を――清算するときが来た)
フードを目深に被り、荒い足取りで詰め所を飛び出した。




