84.もう、逃げないでください。
意識が薄っすらと覚醒していく。
今日は日差しが出てなかったはずなのに不思議と背中が温かい。
まだ頭はぼんやりしたままゆっくりと身体を起こし、ふぁっと大きな欠伸をする。
「!!!!?」
そのときに目に入ってきたものに驚き、座った姿勢のまま猛烈な勢いで後ずさった。
「そんなに驚かなくても……」
片手で口元を抑えながら、信じられないと目の前の人物をまじまじと見つめる。
眼鏡をしていなくてもはっきりとわかる。
彼女が――ネモが、じっとこっちを見ていた。
しばらくはあの夢の魔法は使ってなかったはずだが、無意識に発動していたのだろうか。
「ゅ、め……?」
「いいえ、現実です」
「ぅそ」
「嘘じゃないです」
彼女の手がすっと伸び、口元を抑えていた手を取られる。
「やっと……会えた」
噛み締めるかのように呟くと、彼女はそのまま俺の身体に勢いよく飛び込んできた。
二人して後ろに倒れ込み、彼女は俺を逃すまいとぎゅっと両手で服を掴みながら口を開いた。
「なんで、急に消えたりしたんですか……!」
「ぇ……?」
瞬時に頭の中で疑問が浮かぶ。
――消えた、とは、昨日第0部隊の面々がサポート部隊を置いて、先に帰ったことを指しているのだろうか。
そもそも所属部隊が違うだろうに、訳がわからない。
とりあえず、答えになってるかわからないが、理由を述べてみる。
「もぅ、にんむ、が……ぉわった、から、きょてん、かぇった、だけ」
相変わらず言葉がうまく出ない。
ゆっくりと、言いたいことを声に出したが、伝わっただろうか。
言い終えたところで、彼女はキョトンとした顔をこちらに向けた。
(……あれ、なんでそんな顔をするんだ。やっぱり俺の言ったことが聞き取れなかったのか……)
彼女は一度息を吸い込むと、一変して怒涛の勢いで怒りを顕にした。
「ちがーう!!! 先日のことじゃなくて!
私が聞いてるのは、五年前、なんであなたが急に姿を消したかったてことなの!
変なところで天然出さないでー!」
「な……」
五年前――ということは、彼女はもう、自分に気付いているのか?
尋ねようとするも、彼女の口は止まらない。
「しかも、何ですか、『エッディ』だなんて! 目の前で偽名を使っちゃうくらい私から逃げたかったの!?」
「ちがっ」
「それに、私のことこっそり見てるくらいなら、『入隊おめでとう』って一声かけに来てよー! 私、軍なんてぜんっぜん向いてないのわかってたのに、」
「ぅ……」
いつの間にか、彼女の澄んだ緑色の目には、今にも溢れ落ちそうな涙がはっきりと浮かんでいた。
「ダリオさんを探すために、めちゃくちゃ頑張って、ここまで来たんだから……」
「……」
もう誰にも呼ばれなくなってしまった名前を呼ばれ、今度こそ言葉に詰まった。
極稀にだが、調子がいいときは淀みなく喋れる日もあるにはあった。
でもそんな奇跡が今すぐに起きるわけもなく。
「……ねも」
彼女の名前すら、今ははっきりと発音できないのが、ひたすらにもどかしい。
「はい。ネモです。私です」
「ぇ、と……」
彼女は涙で濡れた顔を俺に押しつけて返事をする。
(ちゃんと話をしたいけど、色々と無理だ)
地面に肘をつけて、なんとか姿勢を保っていたが、背中を後ろに倒し、両腕で抱え込むようにして彼女を抱き締める。
びくんと反応した彼女の頭を、怖がらせないようゆっくりと撫でながら。
「ぁりがと」
聞き取ってくれなくてもいい。
「さがして、くれて」
今の自分が言える、精一杯の言葉を告げる。
「それから――ぉめでとぅ」
(ありがとう。俺のことを、諦めずにずっと探してくれて。それから、入隊おめでとう、よく頑張ったな)
言いたいことの半分も言えなかったけれど、彼女は涙で濡れたままの顔を上げ、再会してから初めての笑顔を見せた。
「ありがとうございます……ダリオさん」
嬉しさを噛み締めるような笑顔に、なんともいえない気持ちが込み上げてきて、自分もつられて涙が出そうになる。
でも、彼女にだけは情けないところを見せたくなくて、彼女の顔を胸に抱き寄せて必死で泣きっ面を隠した。
「泣いてる?」
結局、秒でバレてしまったが。
「……ぅるさぃ」
「ふふ、泣き虫、おそろいですね」
温かい涙は、止まることがない。
まだしばらく、顔は見せれそうもなかった。
◇
二人で抱き合ったままだったけど、ダリオさんはまだ勤務中だったことを思い出す。
名残り惜しいと思いつつ、身体を起こそうとし――できなくて彼の胸をトントンと緩く叩く。
「……ダリオさん、起きれません。一度離してください」
「……」
けれど、彼は私を腕の中に閉じ込めたまま離そうとしない。
「緑化活動中なんでしょ? このままだと、日が暮れちゃいますよ」
諭すように言ったあと、ダリオさんの顔を窺うと、彼は眉間に皺を寄せて、首をぶんぶんと振った。
「ぃぃ」
「いや、よくないでしょ」
なんとかして拘束から逃れようとするも、彼の力は思いのほか強く中々抜け出すことが出来ない。どれだけ痩せてしまっていようが、さすが第0部隊の隊長だ。……いや、こんなところで力を発揮しないで欲しい。
このままにしておくと、間違いなく本当に日が暮れる。
ふうっと溜息をついて、えいっと両手で彼の頬を挟みこんだ。
そして……奥の手を告げた。
「離してくれなければ、クロを呼びます」
「!?」
「ちなみに、彼はこの五年でダリオさんにすっかり愛想を尽かしています。何の下準備も無しに会ったら、確実にダリオさんは噛まれます。最近ますます歯が鋭くなってきたので、大怪我すること間違いなしです」
少し盛ったけれど、事実だ。
クロは気付けばシャノンさんと私を番にしたがっていた。
そこに長らく姿を見せなかったダリオさんが急に現れたりしたら、間違いなくファイトが始まるだろう。
「……」
ダリオさんは黙って腕の拘束を解き、苦い顔をしながら身体を起き上がらせた。その際、外していた眼鏡をかける。
「……眼鏡、かけるようになったんですね」
今まで眼鏡のイメージがなかったので、かけると印象がガラッと変わって見える。ゴリゴリの戦闘部隊の隊長というより、どこかの参謀か司令官のようだ。
「なぃと、ぼゃける、から……」
彼は相変わらず小さな声で、たどたどしく言った。
(この五年で、ダリオさんに何があったんだろう)
色々話を聞きたいけれど、長い文章を喋ることが難しそうなので聞くのを躊躇ってしまう。
ただ、この感じ。
なんだかとても……覚えがある。
(学園時代、罰則で大量の制御具をつけていたときと同じじゃない?)
演習室をグズグズに溶かし、生徒たちを危険に晒したことで、彼は一時大量の制御具を付けていた。
そのうち馴染んで普通に過ごしてたけど、付け始めの頃は、常に怠そうで蚊の鳴くような声でしか喋れなかった。
まるで、今の彼のように。
でも、あの頃は制御具を外せば元に戻っていた。
(今も、制御具を全部外せば喋れるようになるのかな――)
一度思い込んでしまったら、試さずにはいられない。
ダリオさんを見ると、緑化活動で使っていたシャベルを見つめ、「……ゃるか」と呟いて立ち上がろうとしていた。
慌ててその手を引いて、この場に留める。
「ぇ」
「少しだけ待って」
訝しげな顔をしながらも、何も言わず再度腰を降ろしてくれた彼の手を掴む。
(まずは指輪から)
「!?」
「あ、手を引っ込めないで。黙って見ていてください」
「ぃゃ、それ、まずぃ」
「いいの!」
彼からしたら外すのは良くないのかもしれないけど、私からしたらこんな制御具を四六時中付けるほうが害悪だ。
片手、それから反対の手の指輪を全て外すと、僅かに彼の周りの空気が揺れた。
「気分はどうですか?」
「? ぅん、かるぃ、けど」
……私からすると、先ほどと何も変っていない。
じゃあ、と次は腕輪に手をかける。
(明らかに付け過ぎでしょう、これ……)
細い腕にはじゃらじゃらと透明の腕輪が何重にも付いている。
「なに」
「これも外します」
「な……」
カチッと嵌めるタイプの腕輪は少し力を入れると簡単に外れていく。
最初は手で制していたダリオさんだけど、 次第にされるがままになった。
こっちも全てを外した途端、彼の周りからブワッと魔力が溢れでるのがわかった。
(さすが制御具。ちゃんと魔力を抑制してたんだなぁ)
「ピアスも」
「……」
人のピアスを外すことなんて初めてだ。
耳に触れると、ダリオさんの身体がビクッと跳ねた。
その様子に、苦笑しながら告げる。
「大丈夫、そんな不器用じゃないので」
誤って耳たぶをプチンなんて恐ろしいことはしない。
ゆっくりと、リング状になっているピアスを一つずつゆっくり外していく。
途端、肌がピリつくような気配が漏れ出てぎゅっと目を閉じた。
彼から大丈夫?という視線を向けられるが、気にしない。いざとなったら、クロを呼べばいいだけ。
ついに最後の制御具――首輪だ。
(首輪の制御具なんてあるんだなぁ)
けれど、これに手を伸ばそうとしたところ、今度は全力で拒まれてしまった。
「だめ」
「なんで。ここは軍の施設外なんだから、こんなの付けなくていいです!」
「ゃ、こっち、ほんと、まずぃ」
珍しく焦った様子のダリオさん。
(でも、一番大きな制御具だし、これを外したらちゃんと喋れるようになるはず)
首輪を両手で抑えてガードしているが、私はこのガードの崩し方を知っている。
「全然ちっともまずくない。 付けてる方が、よっぽどまずいです!」
言い終わるや否や、詰めよるようにして彼の脇の下にさっと両手を入れ、盛大にくすぐりにかかった。
「!!!」
「首の手を退けるまで続けます!」
ダリオさんは身を捩りながら耐えているけど、声にならない声を出して「止めてくれ」と何回も視線で訴えてくる。
けれどまだ首輪をガードしようとするので、私も手を止めない。
とうとう彼の我慢が限界に来たらしく、両手を上げて降参のポーズを取った。息は完全に上がっていて、めちゃくちゃ苦い顔をしている。
「ふふ、私の勝ち」
悪いことしたかな~なんて思いつつ、遠慮なく首輪に手をかけて留め具をカチリと外した。
外した途端、彼から溢れ出る魔力ではない何かを感じとる。
そして――それが何なのかを考える前に、唐突に、ガシッと腕を掴まれた。
「え?」
取られた腕と、彼を見比べると、レンズ越しの彼の瞳が私を射抜いた。
――さっきと違って、どこか熱を持ったような視線に、一瞬息が止まる。
「はずした、のは、そっち」
(あ、全部外してもカタコトのままだ――)
そのことにガッカリしてしまったけど、それよりも……
目の前の彼から不穏なものを感じ、それどころではない。
「ダ、ダリオ、さん――?」
掴まれた腕はそのままに、グッと彼の方へ引き寄せられる。
反対の手を頬に添えられ、気付けば――
唇が重なっていた。
(あ、あれ?)
一瞬、何が起こったのかが分からず、目を見開くのと同時に身体もカチンと動きを止める。
ただ、制御具を外しただけなのに。
どうしてこうなった。




