6.恐怖の先輩のお迎え。
◇
クロを抱きかかえて座学クラスの教室に戻ると、昼休み終了ぎりぎりの時間になっていた。
席に着くやいなや、クラスで一番仲のいい友人――キアラが、すぐに駆け寄ってくる。
魔法学科は、第四学年の長期遠征があったり、普段の課題が多かったりと、カリキュラムが過酷だと評判だ。
そのため、圧倒的に女子の数が少ない。
私たち第一学年に至っては、女子は私とキアラの二人だけだった。
「ネモ。遅かったじゃん、自主練にハマった?」
「ううん……自主練どころか、ちょっと色々あってさ」
チラリと腕に抱いてるクロを見て、キアラが眉根を上げた。
「それって、その腕の中の生き物と関係あったりする?」
キアラの視線は、完全に私の腕の中でおとなしくしている真っ黒な子犬に向いていた。
(だよね。そりゃツッコむよね……)
「ええと……」
説明しようとして、私ははたと気づく。
この子の種族名も、特性も――何ひとつ知らない。
咄嗟に口をついて出たのは、
「クロって名前の犬だよ」
――とりあえず、名前だけ答えてみた。
「いや、うん。犬っぽいのはわかるけどさ……明らかに従属契約してるじゃん?」
クロの首には、金属製の首輪のようなものが付いている。
それは契約の証で、色は契約主の瞳の色に変わる。
そしてクロの首輪は――私の瞳と同じ、深い緑色をしていた。
「バレたか。いやさ、なんかよくわからないまま、契約しちゃったみたいで」
「何その他人事みたいな言い方……。あとで契約届、ちゃんと出しなよ?」
「あー……うん。今日、授業終わりに提出するつもり」
契約届というのは、幻獣と主従契約を結んだ生徒が、学園に必ず提出しなければならない書類だ。
契約を結んだ場合は、速やかに届け出を出す決まりになっている。
とはいえ、入学時に一度説明を受けただけなので、何を書けばいいのかは正直よくわかっていない。
「あのね……さっき、エンデ先輩に会ったんだ」
キアラに先ほどの出来事を聞いてほしくて、クロのことはひとまず脇に置き、彼の話を切り出した。
「え、うっそ!?」
キアラが勢いよく前のめりになり、ぐっと顔を近づけてくる。
「エンデ先輩って、ネモがずーっと恋焦がれてきた先輩だよね!?
そっか、今日から戻ってきたんだ」
「いや、別に恋焦がれてたわけではないんだけど……」
「で? どうだった? ネモのこと覚えててくれた?」
「いや、まったく」
――まさか、「誰だてめえ」なんて言われて、メンチまで切られるとは思ってもみなかった。
「なんか、別人レベルで変わってた」
「どういうこと? 爽やかイケメンなお兄さんだったんだよね?」
「どっちかというと……やさぐれた兄貴って感じだった」
「何それ。ネモが思い出の彼を美化しすぎてただけじゃない?
現実見ちゃって、ガッカリしてるとか?」
そんなことはない。
あの森で会った彼は、確かに人当たりのよいお兄さんだったはずだ。
先ほど会った彼は――眼光が鋭すぎて、関わりたくない感じの兄貴に変貌していた。
「てか、さっきから何口にくわえてるのさ?」
あっ、いけない。もうすぐ授業が始まるのに忘れていた。
「飴だよ。さっきエンデ先輩からもらったやつ」
「ちゃっかり餌付けされてんじゃん」
これは決して餌付けではない。
私を泣かせてしまったお詫びに頂いたものだとは、とても言えない。
なぜなら、言ったが最後――キアラなら「何ネモを泣かせてんだ!」と突撃しかねない。
あのジャックナイフに直情型の彼女をぶつけるのは恐ろしすぎる。
「むしろ口止め料だよ……」
そう言ったところで先生が教室に入ってきて、私たちはお喋りを止めた。
◇
普段、私はこれ以上落ちこぼれないようにと、授業は真面目に聞くタイプだったりする。
でも今日に限っては、完全に集中力がかき乱されていた。
教科書のページは滑り、先生の声は耳から耳へ抜けていく。
理由はただ一つ――
『今日、授業終わりに迎えに行く』
確かに、エンデ先輩はそう言っていた。
はっきり言おう。恐怖でしかない。
何度シミュレーションしても、彼に怒られる未来しか思い浮かばない。
うまくいかず焦る私――
それを見てイライラした先輩が怒鳴る。
間違いなく、このパターンが待っている。
どうしたらこの恐ろしい未来を回避できるのか――
モヤモヤと考えているうちに、終業の鐘が鳴ってしまった。
(マズい。授業が終わった……)
さらに運が悪いことに、今日は担任からの話もなく、そのまますんなりと下校の時間を迎えてしまった。
恐怖の道へのカウントダウンが迫っている。
「帰らねぇの?」
「あ、うん……ちょっと待ち人がいて」
「なんだそれ。なあ、その犬、触らせてくれよ」
なかなか帰ろうとしない私を見て、クラスメイトたちがぞろぞろと集まってくる。
クロという契約獣が珍しいのか、気づけば周りは人だかりになっていた。
(ひー! なんでこんなときに限って、みんなすぐに帰らないの!?)
「これなんていう種族?」
「ごめん、わかんない」
「攻撃型? 防御型? それとも精神型?」
「うーん、それも知らないんだ」
「ネモ、おまえ知らな過ぎじゃね? 大丈夫なのか?」
「はは、たぶん大丈夫。かわいいし」
「だな」
次々と質問が飛んでくるが、この子のことを何も知らない私は、まともに答えられることが一つもない。
みんなもそんな私に呆れつつも、「かわいいからいいか」で納得したらしく、クロを思う存分撫で回していた。
――そんな、ほんのり和んだ空気の中で。
恐怖の化身が、やってきた。
「おい、ネモ! 先輩が呼んでるぞ!」
私と、そしてクロを囲んでいたクラスメイトたちが、一斉にドアの方を振り向く。
そこに立っていたのは、予想通りの人物。
「……おい。早く荷物まとめろ」
不機嫌さを隠そうともせず、腕を組んでこちらを睨むその姿に、
教室の空気が、一瞬で凍りついた。
「す、すみません。すぐに行きますっ」
ガタン、と大きな音を立てて立ち上がる。
すでに荷物はまとめていたので、クラスメイトの手からクロを抱き戻し、そのまま席を離れた。
第一学年――中等部に毛が生えた程度の私たちにとって、最終学年の生徒は、とてつもなく大人に見える存在だ。
それこそ、今の私は“先生に呼び出された生徒”のように見えているに違いない。
さっきまであんなに騒いでいたのに、教室は水を打ったように静まり返っている。
みんなが、息を呑んでこちらを見ていた。
静かな教室に、私の足音だけがやけに響く。
パタパタと駆けるその音が、妙に大きく感じられた。
たった数歩の距離なのに――
先輩のもとへたどり着くまでの時間が、ひどく長く感じる。
「……こっちだ。ついて来い」
促されるまま、廊下を歩く先輩の後ろをついていく。
思ったよりも歩く速度が遅く、危うくぶつかりそうになる。
「おまえ、なんでさっきから後ろ歩いてんだよ。隣、歩けばいいだろうが」
「え? あ、はい」
慌てて隣へと駆け寄り、並んで歩き出す。
――気のせいでなければ。
彼は、私の歩く速さに合わせてくれていた。
そのことに気づいた瞬間、思わずクロを抱く手に力がこもる。
「なあ、授業中もコイツ出しっぱなしにしてたのか?」
「へ?」
まさか雑談を振られるとは思わず、間の抜けた声が漏れた。
「え、はい。出しっぱなしというか……放置していたというか」
「はぁ……教師も教師だろ。何の授業だったんだ?」
「魔獣生態学です。ハイマー先生の」
「あー、ハイマー先生な。そりゃそのままにしても何も言わねぇか」
――なんだろう、この感じ。
私、普通に先輩と会話している。
「先生、クロがいることには触れないんですけど、視線だけはずっとこっちを見てて……
授業終わりに一撫でしてから帰ってました」
ハイマー先生は白髪のおじいちゃん先生で、見た目はわりと厳格だ。
無駄なことは話さない人だけど、不思議と怖い印象はない。
クロを撫でているときも無表情だったけれど――
ほんの少しだけ、口元が緩んでいるように見えた。
「はは、あの人らしい」
エンデ先輩の口から笑い声が漏れ、思わず耳を疑った。
(わ、笑った……!)
今日会ってからというもの、怒っているか不機嫌そうな顔しか見ていなかった。
だからこそ、彼の不意の笑顔にやられた。
つい、凝視してしまい――
(やば、見すぎた……!)
不躾だと思われて、また機嫌を損ねられたらどうしようと、
慌てて視線を逸らし、前を向いたまま別の話題を振る。
「あ、あの……今、どこに向かってるんですか?」
「あ? 校舎はずれの森だよ」
「も、森……?」
「放課後の演習室は混むからな。とっておきの練習場所に案内してやるよ。
――泣かせた詫びだ」
「……」
少しだけ、バツが悪そうに目を逸らす彼の横顔に――
心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
間違いない。
彼は……
めちゃくちゃ、いい人だ。




