7.先輩と魔法のレッスン。
「着いたぞ」
連れられてきた先は、どこか見覚えのある場所だった。
高等部と中等部を隔てる森の中――そこだけ木々が途切れた、わずかに開けた空間。
「ここって……」
――初めて先輩と会い、彼の美しい魔法を目にした場所だ。
ここへ来たのは、中等部のあのとき以来だ。
あの後、何度か訪れようとしたのに、どうしてもたどり着けなかった。
まるで、魔法にでもかけられたかのように。
「この場所って、何か特別なんですか?」
長年の疑問をぶつけると、先輩は呆れたように言った。
「広い」
あまりにも、そっけない答えだった。
じゃあ、どうして私はこれまでここに来られなかったんだろう……。
まったく解せないけど、ただ単に私が方向音痴なだけ、ということなのかもしれない。
先輩は大きな木の麓まで行くと、「ここらへんに荷物置いとけ」と場所を示した。
律儀にも荷物置き場を指定してくれるあたり……うん。
ちなみに先輩は手ぶらだ。
言われたとおりに鞄を置き、次の指示を待つ。
すると彼は腕を組みながら、「それで」と口を開いた。
「“うまくいかなかった課題”って?」
「あ、ええと……ちょっと待ってください」
先ほど足元に置いた鞄の中から、ビー玉を取り出して先輩に見せる。
「このビー玉に炎を定着させて、紅茶を飲むくらいの温度に調整するっていう課題なんですが、どうしても炎の定着がうまくいかなくて……」
エンデ先輩は火の魔法が得意だと噂で聞いていた。
そんな人からすれば、こんな初歩でつまずいている私の悩みなんて、理解できないかもしれない。
「ふーん? じゃあ、早速見せてみろよ」
「は、はい! ただいま!」
慌ててビー玉を地面に置き、その場にしゃがみ込んで呪文の詠唱を始める。
最初は教科書を見ながら唱えていた呪文も、やり直しを重ねたおかげで、すっかり暗記していた。
――けれど。
詠唱の声が、わずかに震える。
もしかしたら、魔法学科の実技試験のときよりも緊張しているかもしれない。
なにせ……エンデ先輩がじっとこちらを見ているのだ。
それだけで、じわりと汗が滲む。
失敗したくない。
怒られたくない――それ以上に、これ以上呆れられたくない。
そんな思いが、胸の中でせめぎ合っていた。
詠唱が終わる。
……ビー玉の色は透明のままで、ガクリと肩を落とした。
(やっぱり、うまくいかない……)
炎が定着すれば色が変わる特殊なビー玉だ。つまり、透明であるということは、呪文が失敗していることを意味していた。
念のためビー玉に触れるも、期待もむなしく冷たい感触のままだった。
「すみません……また、失敗です」
エンデ先輩のほうを恐る恐る見上げると、彼は顎に手を当て、何か考え込んでいた。
やがて眉間に皺を寄せ、おもむろに告げる。
「おまえ、怖がってるだろ?」
「へ?」
(はい、あなたのことはずっと怖いですが!)
……なんて、バカ正直に言いそうになったけれど、先輩の次の言葉で、自分が質問の意図を勘違いしていたことに気づく。
「炎の魔法はな、少しでも“怖い”って思ったらすぐ失敗する」
(あ、怖がってるって、炎のことか)
納得した私に、先輩はそのまま続けた。
「気合でガツンとやれ」
「き、気合い……」
なんていう根性論なんだろう。
でも図星を突かれてしまい、思わず息を呑む。
実際、魔法を習いたての頃に炎の魔法でやけどをして以来、炎属性の魔法が苦手になっていたから。
憧れのあの魔法は炎を使ったものだというのに。
それを苦手としているなんて、皮肉な話だ。
「ほら、固まってないでもう一回やってみろ」
「はいっ!」
先輩は鬼教官というわけでもないのに、まるで軍隊の中にいるような気分になる。
はぁっと息を吐いて気持ちを落ち着け、再びビー玉に向けて詠唱を始める。
(怖くない、怖くない。今日エンデ先輩に怒鳴られたときに比べたら、炎がどれだけ熱くても怖くないんだ!)
エンデ先輩の怖さと、やけどの怖さがまったく別物だということは、自分でもわかっている。
それでも、こう思い込まなければ、また魔法に失敗してしまうに違いない。
――どうにでもなれ!
やけくそ気味に、これまでになく強く魔力を込める。
すると、今までまったく色の変わらなかったビー玉が、ほんのりとピンクに色づいていくのが見えた。
これまで見たことが無かった反応に、思わず声が飛び出た。
「ぎゃー! 色が変わってますっっっ!!」
「馬鹿! まだ終わってねぇだろっ!」
興奮して両手を上げ、先輩に向かって叫ぶ私に、彼の怒号が飛んだ。
しゅん……
案の定というべきか……結局、炎の定着に失敗し、ビー玉は一瞬で元の無色透明に戻ってしまった。
同時に、私の気持ちもしゅんと沈む。
ちらりと見上げた先輩の表情には、明らかに呆れが滲んでいた。
「定着させて、温度調整までが課題なんだろ? 温度が上がったくらいで目を離すな!
今のは魔法が消えたからよかったものの、温度が上がり過ぎて爆発してた可能性だってあったんだからな」
「うっ……すみません……」
ただ色が変わっただけ。
温度が上がっただけ。
――でも、昨日までは、それすらできなかったのだ。
少しくらい、喜んだっていいじゃないか。
あからさまに不貞腐れた私に、先輩はチッと舌打ちをした。
ひっ、怖い。
先輩が無言で手を振り、私を払いのけるように促す。
私は逃げるようにして、その場を譲った。
「おまえ……そもそものイメージがなってねぇ。さっきは気合いだって言ったが、それは炎を出すまでだ。
そっから先は、炎で温度を上げるイメージ、炎をビー玉に閉じ込めるイメージ、そこから炎の大小を調整するイメージ――全部、一つひとつ丁寧に頭に思い浮かべながらやらねぇと、何回やっても失敗する」
「なるほど……?」
「見本見せてやるから、ちゃんと見とけ」
そう言うと先輩は、立ったまま地面に置かれたビー玉へと手をかざした。
私が魔法を試していたときとは違い、先輩とビー玉の間にはかなりの距離がある。
――けれど。
そんなことは関係ないと言わんばかりに、先輩がビー玉を見据えた瞬間、
それは一瞬で、揺らめく炎のようなオレンジ色へと変わった。
そして、わずかに手の向きを変えると――
ビー玉の色が、ほんの少しだけ淡く変化する。
(炎を出して、定着させて、温度を変化させる……)
頭の中で今の動きを反芻していると、先輩のそっけない声が降ってきた。
「ほら、終わりだ。触ってみろ」
「はいっ」
言われたとおり、ビー玉に手を伸ばし、指でツンと軽く触れる。
熱すぎることはなく、ほんのりとした温もりが伝わってきた。
おお、と息を漏らしながら、指でつまみ上げてまじまじと見つめる。
「温いです!」
「ほんのり温かいっていうイメージで温度を調整したからな」
イメージ。
魔法を使うとき、ある程度は意識していたつもりだったけれど、そこまで厳密に思い描いたことはなかった気がする。
いつも、必死に詠唱して、必死に動作を交えて、必死に――うまくいけと願って。
(あ、イメージしてないわ)
どうやら、先輩の指摘は百パーセント正しかったらしい。
「私、今ならできそうな気がします! ちょっと見ててもらえますか?」
「ん」
先輩は短く返事をすると、私が手に持っているビー玉へ指を向け、くるりと一回転させた。
すると一瞬でビー玉は元の無色透明に戻り、ひんやりとした感触が指先に返ってくる。
(いちいちすごいな、この人……)
無詠唱で、人ができないことを指先ひとつで簡単にやってのける。
やっぱり、憧れずにはいられない。
――彼を見返すためにも、ここはなんとしても成功させたい。
先輩に温度を戻してもらったビー玉を足元に置き、再びその場にしゃがみ込む。
それからビー玉に向けて手をかざし、炎がぼうっと立ち上るイメージを頭の中で思い描きながら、詠唱を始める。
(あ……色、付いてきた)
無色で地面の色を映していたのが、ピンクから赤へと変わっていく。
先輩のイメージした炎と自分の炎はどうやら種類が違うらしいが、今は余計なことは考えない。
ビー玉の中に炎を閉じ込めることを意識しながら、続けて別の呪文を詠唱する。
――定着はできた。
あとは、温度の調整だけだ。
今のビー玉はきっと、アツアツになっている。
だって私の中の炎といえば、やけどしたときの……あの痛みの熱さだから。
(下がれ~……ぬるくなるんだ……猫舌の私でも飲めるくらいの、ほんのり湯気が立つくらいの温度で……)
私の思いが通じたのか、ビー玉の色が真っ赤なものから、穏やかな色へと落ち着いていく。
色の変化が完全に止まり、確信した。
――これは成功した!
喜びかけた、そのとき。
「お、やるじゃねぇか」
「ふぁっ!?」
いつの間にか隣にしゃがみ込んでいた先輩が、肩越しに声をかけてきた。
息が触れるほど近い距離に、
ぷつんと集中が切れる。
あ――と思ったときには、もう遅かった。
あっという間に、ビー玉は無色透明へと戻ってしまう。
「……」
「……」
ああっ、と両手に顔を埋めた。
(せっかく……せっかく、いい感じだったのに……っっっ!!!)
悔しい。
どうして私は、あそこで集中を途切れさせてしまったんだ。
――いや、先輩に気を取られたからだけどもっ!!!
そして……怖くて、先輩のほうを見られない。
もちろん、近くにいてドキドキするからではない。
嵐の前触れのような、ぞくりとする感覚のせいだ。
しばらく黙り込んでいると、ぽん、と肩に手が置かれた。
突然のことに、身体がビクンと、ありえないくらい縦に跳ねる。
「――詰めが甘い」
「ひぃぃっ!!!」
地鳴りのような低い声に、思わず前につんのめり、そのまま地面に手をついてしまった。
膝をついてなんとか立とうとするも、どうやら恐怖心が限界を突破したらしい。
腰が抜けて、立ち上がれない。
四つん這いのままの私に、「おまえ何やってんだ?」と呆れた声が降ってくる。
「す、すみません……」
「がっかりしすぎだろ」
「いや、というか」
――あなたにビビりすぎて、腰が抜けたんですが。
口に出したら最後、火に油を注ぐことになるだろう。
私が黙ったままでいると、先輩が手を差し出してきた。
「ほら、手」
「うぇっ?」
有無を言わさず、ぐいっと強い力で腕を引かれ、視界が一気に高くなる。
立ち上がったものの足に力が入らず、すぐに崩れ落ちそうになるが、その前に先輩が私の身体を抱き留めるように支えた。
わずかとはいえ、身体が触れている。
その瞬間、心臓がどくどくと早鐘を打ち始める。
緊張、怯え、それから――先輩……異性との接触による鼓動。
すべてが混ざり合ったような感覚に、めまいを起こしそうになる。
「ひぃっ、ご、ごめんなさい」
「……あっぶねぇな。てか、なに? まさか腰が抜けたとか言わねえよな?」
身体を支えられたまま問いかけられ、顔がさっと青ざめる。
「その、まさかです」
これ以上ない失態に、思い切って開き直るしかなかった。
だって、言い訳なんてできない。今も支えてもらっていなければ、そのまま崩れ落ちてしまいそうなのだから。
先輩は「はー」と小さくため息をつくと、ゆっくりと私の身体を地面へ下ろし、二人してその場に座り込んだ。
「おまえさ、失敗したからってそこまでクヨクヨすんなよ。あと一息だろ?」
「え、ええ、ソウデスネ」
どうやら先輩は、私が魔法に失敗したショックで腰が抜けたと勘違いしているらしい。
まさか自分に恐怖して、なんて微塵も思っていないようだ。
(怖い……でも、口調のわりに優しい。ほんと何なんだ、この人……)
「キャン!」
と、そこへあたりを走り回っていたクロが戻ってきた。
「コイツがいたことすっかり忘れてたな……戻れって念じてしまっとけよ。じゃないと夜まで魔力もたねぇぞ」
「は、はい。あとでちゃんと戻します」
むしろ、二人きりになりたくなくて、出しっぱなしにしていたのだ。
ペットは鎹であり、恐怖へのワンクッションになる――いや、ちょっと違うか。
先輩は腕の時計に目をやると、すくっと立ち上がった。
「ほんとはおまえが立てるようになるまで付き添ってたほうがいいんだろうけど……そろそろ時間だ。
どうする? このままここでしばらく練習するか、それともおぶって一緒に魔法塔まで戻るか」
「このまま練習します! すみません、予定があったんですね!」
なんという二択だ。
間髪入れず、前者を選ばせてもらった。
「卒業研究のミーティングだ。悪いな。明日、また迎えに行くから、それまでにマスターしとけよ?」
「はい! 頑張ります!」
「ん、じゃあな」
先輩は軽く手を振り、クロをひと撫でして、来た道を戻っていった。
……ん?
明日また、迎えに行く、だと……?




