48.二人の距離感を考え直したら、暴走し始めました。(1)
「おはよう、ネモー……ってどうしたの? 目の下、すごいクマできてない?」
「おはよーキアラ。昨日、ちょっと眠れなくて……」
目をこすりながら、ゆっくりと席へ着く。
今朝はカタリナにもクマが出来てると指摘されてしまい、夜一睡もできなかったことを伝えた。
「ごめん~私が余計なこと言って悩ませちゃったね」
なんて謝られてしまったけど、カタリナは何も悪くない。
彼女はただ、私が今まで深く考えてなかったことに気付かせてくれただけ。
――"正しい距離感"、とは。
結局、正解はわからないまま。
考えれば考えるほどお腹が気持ち悪くなってきて、朝は何も食べられなかった。
(昨日考えてたことは忘れる。授業に集中する。それから、今日の休み時間は全部寝る!)
朝から固く決意し、午前中は面白いくらいその通りに過ごすことができた。
――が、問題は、やはり私がツイてないということ。
あっという間に昼休みになり、キアラと食堂に向かう途中で運悪く五年生のグループに遭遇してしまった。
ゲルド先輩やラース先輩、他にも見かけたことのある先輩がいる中、もちろんエンデ先輩もいるわけで……
「おつかれさまでーす」
キアラが元気よく声を出し、私も彼女に倣って「おつかれさまです……」と小さく挨拶をする。
「あれ、ネモ元気ない? 顔色よくないね」
ラース先輩が目ざとく私の様子に気付き、顔を覗き込んできた。
「あ、いや……昨日寝れてなくて、それで……」
「は? おまえが?」
私の言い訳に鋭いツッコミを入れるのはもちろんエンデ先輩。
(ですよね……。私、いっつもぐーすか寝てるし、先輩に眠れないときの対処法を偉そうに教えてあげてたくせにって感じですよね……)
エンデ先輩もラース先輩に続いて私の側に来ようとするが、
距離感のことを思い出して先輩が近付いた分だけ、ずいっと後ずさった。
あまりにもあからさまな私の動きに、エンデ先輩が目を丸くしてこちらを見つめる。
「……どうした?」
「いえ、なんでもないです」
「なんか、めっちゃ魔力漏れてるけど……」
エンデ先輩はどこか不審そうな目を向けながら、私を上から下まで眺める。
ラース先輩も私を見て「ほんとだ、珍しい」と首を傾げた。
「お、おかまいなく……」
(ああ、私にかまわず、早く立ち去ってほしい。なんで今日に限って向こうからグイグイ来るの……)
キアラに早く行こうと声をかけようとしたところ、ゲルド先輩たちと話に花を咲かせていて、邪魔をしては悪いと口をつぐんだ。
「大丈夫か?」
エンデ先輩が心配そうな様子で問いかけてくるけれど、曖昧に笑って誤魔化す。
――先輩はただ、私がいつもと違うことを心配してくれてるだけ。
ただそれだけのことなのに変に意識してしまって、どうしたらいいかわからなくなる。
「大丈夫、デス……」
さらに一歩後ずさって――
(うん、いっぺん全部放棄しよう)
くるっと方向を変えて、
全力でその場を逃げ出した。
「え、おい!」
「ちょっとネモ、どこ行くの!?」
キアラが後ろから叫ぶ声が聞こえたけど、残念ながら呼び止められたからといって足を止める気はない。
「ごめん、後で戻る!」
(だめだ、気持ち悪い)
胸もお腹もずっとぐるぐるで、エンデ先輩の姿を見たら余計にその気持ち悪さが増した。
走ってる間に吐き気すら込み上げてきて、早く人のいないところへ行かないと、と必死で頭を働かせる。
……後から振り返ったら、行き先なんてトイレで良かったと思う。
けど、このときは思考がショートしていたらしく、学園外の森まで全力で駆け抜けていた。
(まずい、吐きそうかも――)
何かが自分から溢れる感じがする。
自分が走った箇所から、地面が盛り上がって蔦がヒュルヒュルと伸びていく。
まだ終業時間前だからか、学園の敷地の森には誰もいない。
自分の背後は異様なものになってるかもしれないけれど、振り向く余裕なんて一つもなかった。
走り疲れて立ち止まった先は、いつもの場所。
そのまま奥の木の麓で息を切らし膝をついて倒れこむ。
自分の足元にはボコボコと地面が揺れて緑が芽吹いている。
(なんか……私、魔力暴走させてる?)
私が引き起こしていることなのに、気持ち悪さと眠れなかったせいで頭がぼうっとして、自分ごとに感じることが出来ない。
そしていつの間にか……身体の周りが棘のある蔦で覆われていた。
「ネモッ!」
「!」
蔦の向こう側から、息を切らした声が自分の名前を呼んだ。
一瞬胸の奥が嬉しさで震える。
が、理性がそれを拒絶した。
(普通の……適切な距離感を保つ。私たちは近すぎる)
蔦はさっきよりも蔓が太く葉も大きなもので厚く覆われ、そのうち外が見えなくなり内側が真っ暗になった。
まるで蔦の結界。
これなら先輩も私に近づけまい――
そう安心していたけど、甘かった。
「!?」
ジュワッと音を立て、熱さを感じる暇もないまま、一瞬にして全ての蔦が炭に変わった。
地面に積もっているのは大量の灰と煤……
制御具を付けているにも拘わらず、先輩の火力は安定しているらしい。
風が吹くと灰が目に入りそうになったので、たまらずローブの袖で顔を隠す。
……先輩から隠れたかった、というのが大半の理由だったのだけれども。
「……おい、なんでこんなに魔力暴走させてんだよ」
低く険しい声が近くに響く。灰になった蔦を踏みしめる音が段々と大きくなって近付いてくる。
(――だめ)
「来ないで!」
顔を覆いながら叫んで、下にしゃがみ込み身体を小さく丸めた。
お腹はずっと気持ち悪い。先輩が来てから、気持ち悪さがさっきより増した気がした。
近付いていた足音がピタッと止まる。
「……ほんとどうしたんだよ。なんかあったのか?
いったん落ち着くためにも、クロにその歪んだ魔力を食べてもらえよ」
私の理不尽な拒絶に怒るでもなく、心配の言葉をかけてくる。
先輩の優しさが、じんわりと心に染みる。
『クロ、来て』
返事は返さず、言われたとおりすぐにクロを呼んだ。
早く……このどうしようもない気持ち悪さから解放されたかった。
〈――昨日より酷い〉
クロは姿を現すなり、耳を伏せて「クーン」と鳴きながら率直な感想を漏らした。
「酷いと思うなら、魔力を食べてやれ。魔力酔いで顔色が悪い」
(そっか、私、いま魔力酔いしてるのか)
「クロ……」
クロは先輩と私を交互に見て、耳を伏せたまま再度「クーン」と小さく鳴く。
〈ダリオ、おまえならわかるだろう……この暴れまくっている魔力――……
酷く、不味そうだ……〉
まさかの理由にがくりと項垂れる。
どうやら、躊躇っているのは好き嫌いしているだけらしい。
「クロ~不味いとか言わないでよ……私昨日から気持ち悪くて死にそうだよ……」
目尻にじわりと涙が滲んできた。
「男女の適切な距離感」を考え過ぎた結果、魔力を暴走させて、悩みの原因である先輩に心配をかけている。
やらかしが度を過ぎて、穴があったら入りたい。
ついでに周りから記憶が無くなるまで閉じこもっていたい。
そんな意味不明なことを考えていたら、また何かが地面の奥から這い出てくるのを足元から感じた。
「おいクロ、グルメぶってないで、早くしろ! ご主人がまた暴走しかけてんぞ」
〈やむを得ないな〉
クロは渋々と言った様子で私の元まで来て、私の腕を甘噛みする。
(あ、力が抜ける――)
噛まれたところから、するすると力が抜けていき、気持ち悪さが無くなった。
そしてそのまま地面にお尻をついて、煤だらけの地面に力なく横たえる。
「あ、おい、そんなとこで横になるなよ。ローブも制服もめちゃくちゃ汚れんぞ」
(私だって寝転びたくないけど、力が入らないんだもん……)
先輩が側に近寄って、私を起こそうとするけど、咄嗟に「触らないでください!」と叫んでしまった。
顔を上げると、先輩は私に手を触れようとしたまま固まっている。
「触らないと、起こせないんだけど……」
先輩が困ったように呟く。
たしかに、その通りだ。
「じ、自分で立てますから……」
そう言ったものの、手にも足にも力が入らない。
あれ、と思って手をついて踏ん張ってみるものの、全く起き上がれる気配がない。
「クロ、おまえ食いすぎたろ」
先輩が呆れた様子でクロに告げる。
〈思ったより美味かったからな〉
クロはしれっと言ってのけ、バツが悪そうに顔を背けた。
「はぁ……」
先輩がため息をついて、私の近くにしゃがみ込む。
「どうする? おぶって治療室に連れてくでもいいし、放っておいて欲しいなら、そのまま隣にいるけど」
なぜか、二択。
私を放って食堂に一人戻るという選択肢は先輩の頭に無いらしい。
「私は回復したら一人で戻るんで、先輩はもう戻ってもらって大丈夫ですよ」
ゴロンと地面に仰向けになりながら、放っておいてくれと暗に促す。
「いまの状態で放置するほど、薄情な奴じゃないよ」
(ああ、伝わらない――)
先輩はどこまでも優しい。
けど、今の私にはその優しさは不要だった。
先輩は当たり前のように、寝そべる私の横に腰をおろす。
ほぼ、触れ合える距離。
ぐるぐるぐる……
頭も胸も苦しい。
苦しさから、よほど酷い顔になっていたらしく、先輩がこっちを向いてギョッとした顔を向ける。
「え、大丈夫か? どこが痛いんだ!?」
慌てて声をかけてくるも、そうじゃない。
これは全てを正直に伝えないとわかってくれそうにない。
おずおずと口を開き、言葉をこぼす。
「どこも痛くはなくて……
ただ、強いて言うなら――苦しいんです」
「昨日、友達と"距離感"の話をしてて――
私も先輩も、普通じゃないって言われました」
そこまで言うと、先輩は目を見開いた。
「"距離が近すぎる"って言われて、じゃあ何が普通なのかって考えてたら、昨日寝れなくなっちゃって……」
「……」
「普通にしようと……ちゃんと距離をとらなきゃって思って――それで、さっきは逃げ出しました」
自分で言うのもなんだけど――バカ正直にもほどがある。
けれども、回りくどい言い方は苦手だ。
面倒くさい上に、自分の伝えたいことがうまく伝わらないから。
先輩から何も返事はない。
きっとどう返していいかわからないのだろう。
「あ、あの。とにかく、私が自分で変に考え事して、変に暴走したってだけの話です。真面目に受け取らないで――」
「"普通"って?」
先輩が私の話を遮るようにして、静かな声で言った。
「おまえと俺、それからその友達の普通の基準って、絶対に同じじゃなきゃいけないわけ?」
「あ――」
言葉に詰まる。
世間一般の基準と、私や先輩の基準がズレてたからって、合わせる必要はあるんだろうか。
少なくとも、私は――
「違っててもいいと、思います」
「だよな。相手が迷惑してないかとか、その辺の匙加減は必要だけど――」
先輩はそこまで言って、「あ」と言って動きを止める。
それから首をぎぎ、と私へ向けながら探るように尋ねてきた。
「……もしかして……。
昨日、俺がやったことを気にしてるのか……?」
「え……」
先輩は焦ったような様子で額に手をあてる。
「うわ、ごめん……。暴走させるくらいに俺がやらかしてたのか……」
「え、ちが、」
先輩は何もやらかしてはいない。
――だって、私は先輩の近すぎる距離も触れ合いも、迷惑なんかじゃなかったから。
そう伝えたかったのに、先輩はすっと立ち上がると、すぐ側で身体を伏せているクロに告げた。
「コイツに少しでも魔力が戻ったら、咥えて教室まで運んでやってくれ」
〈問題ない。潤ってるからな〉
「ん。じゃあよろしく」
クロを一撫でし、次に転がっている私へ視線を向ける。
「……悪かった。向こうに戻るから、キアラにはまだ休憩してるって伝えておく」
「え」
「それじゃあ」
「あ……」
先輩はさっきとは打って変わって、あっさりと私に背を向けて魔法塔へ足を進めてしまう。
素早い動きに、引き留める暇すら作れない。
(待って、やだ)
振り向かない先輩。
魔力を抜かれ過ぎて、引き止めることも出来ない私。
もどかしさでどうにかなりそうだった。
そして。
「待ってぇーーーーーっっっ!!!!」
気付けば、森中に響くくらいに、力の限り全力で叫んでいた。
明日からしばらくの間、水、金、日、月の週四回、毎夜更新に切り替えます。




