4.すみません……どこの輩ですか?
(あー結局、ダメだったー!)
結局、昨日までに課題は終わらなかった。
クラスで提出できなかったのは私だけ。おかげで昼休みを返上してまで練習する羽目になっている。
正直サボりたい――でも、ここでサボれば、次もついていけなくなるのが目に見えていた。
だからこうして、わざわざ演習室まで向かっているのだ。
(ああ、憂鬱……。急いでパンを口に一口詰め込んだだけで、こんなところまでちゃんと練習しに来てる私、エラすぎる……)
文句を言いつつ、自分で自分を奮い立たせる。
そうでもしないと、やっていられない。
強力な結界が張られている演習室は、好き放題に魔法の練習が可能だ。授業がない休憩時間になると生徒たちは自由にここを利用でき、予約をすれば貸し切りもできる。
今日は貸切の予約が入っていなかったから、そのまま中へ足を踏み入れたのだけど――
教室の中に、すでに先客がいた。
見た目からして、上級生と思われる男子生徒が三人。
袖のローブのラインは五本。
復学したばかりの最終学年、第五学年の生徒だ。そして、その内の一人の顔に、見覚えがあった。
私が第五学年で知っている人なんて、一人しかいない。
(まさか――)
あまりの驚きでその場に立ち尽くし、目を見開く。
(うそでしょ、何かの冗談みたい! 戻ってきて早々に会えるなんて……!)
私がずっと憧れ続けてきた、
"ダリオ・エンデ先輩"。
彼が――偶然にも、演習室の中央に立っていた。
エンデ先輩と初めて会ったときから、すでに二年近くが経っている。
けれど、私が彼のことを見間違えるはずがなかった。
艶のある黒髪は以前よりも長くなり、顔も体つきも大人びているように見えた。
視線は先輩を捉えたまま、まるで吸い込まれるかのように足が勝手に駆けていく。
向こうが友人たちと一緒にいることなどお構いなしに、彼の前で足を止め、震える声で呼びかけた。
「あ、あの、エンデ先輩!」
三人が一斉にこちらを振り向く。
彼らの容赦ない訝し気にこちらを見る視線に一瞬、身体がたじろいでしまった。その上、上級生の男子生徒ということもあって、彼らの威圧感に声をかけたことを後悔しそうになったけど……
それ以上に、エンデ先輩に再び会えた喜びの方が勝っていた。
(私に気づいてくれてる? 「ネモ?」って驚いてくれる……?)
早る心を落ち着かせつつ、興奮を隠しきれないまま、彼に向かって問いかける。
「わ、私のこと覚えてますか……?
二年前、高等部の森で、あなたの魔法を見せてもらった……」
と。
期待を胸にした言葉は、最後まで続かなかった。
なぜなら……こちらを見る視線が、見たことないくらい鋭いものへと変わったから。
そして、私の声を遮るようにして――彼が凄んだ。
「ああん? 誰だ、てめぇ……」
「……え」
彼の口から放たれた言葉に、一瞬で身体が凍りつく。
記憶よりも低い声。
突き刺すような冷たい視線。
張りつけていた笑顔は、そのまま固まった。
(あ、あれ……この人、本当にエンデ先輩……?
私、人違い……? 絶対あのときの先輩に見えるのに――)
「あ、ええと……」
あまりにも予想外の反応に、心臓が激しく脈を打ち始める。
頭が真っ白になり、思考が追いつかない。
(誰――)
――ただ、嫌な予感だけが、じわりと広がっていった。
「おい、言い方」
先輩と一緒にいた友人らしき人物が、彼をたしなめる。
すると――チッ、と舌打ちを一つ。
彼は鋭い眼光で私を睨みつけながら、乱暴に頭をかいた。
粗暴な仕草は私の心を余計にざわつかせた。
「……誰だか知らねえが、邪魔だ」
「そこの一年生の子、本当に危ないから、そこから動かないでね。すぐ終わるから」
先ほど彼をいさめた薄茶色の髪の先輩が、私に向かって穏やかに声をかける。
「あ……はい……」
(……私、完全にイタイ子状態になってる……)
背中に嫌な汗が伝う。
正直、今すぐにでも演習室から出ていきたかったけれど、「動くな」と言われた以上、従うしかない。
ざわつく心を抱えたまま、端のベンチに腰を下ろした。
(この人はやっぱりエンデ先輩じゃないの? 態度が、あのときと全然ちがう……)
動揺で手が細かく震え、ぎゅっと両手を握り込む。
こんな状態で自主練なんてできやしないだろう――結局、彼らの様子を見守ることに決めた。
そうして、浅黒い肌の先輩が、私が大人しく座ったのを確認すると、静かに術式を展開し始めた。
(これ、召喚魔法……?)
空間に描き出される魔法陣。
その様子を、残りの二人が無言で見つめている。
私もまた、息をひそめながら、展開されていく術式をただぼうっと見つめていた。
詠唱が進むにつれ、陣から淡い光がにじみ出していく。
やがて――円陣の中央に、影のようなものが現れる。
(あれって、幻獣? 初めてみたかも……)
影は徐々に輪郭を帯びていく。
そこに見えてきたのは、動物の毛並みだった。
ふわふわと艶のある、真っ黒な体毛。
蜂蜜のようなアンバーの瞳。
ピンと尖った耳。
犬のような形のそれは――
(ん? ……あれ、クロじゃん)
とてつもなく、
実家で飼っていた犬に似ていた。
「クロ」
気づけば、私は無意識のうちにその名を呟いていた。
そしてその瞬間――胸が、ドクリと大きな音を立て始める。
(え、なに――)
「は、嘘だろ……!?」
――誰かの驚愕の声と同時に、光がパンッと弾けるように消えた。
私の大きく跳ねた鼓動も、光の消失と同時に、自然と収まっていた。
そして。
召喚陣の中に、
一匹の真っ黒な可愛らしい子犬が、ポツンと佇んでいた。
(犬の幻獣かな? めちゃくちゃ可愛い)
このとき、鈍感な私はまったく気付かなかった。
見つめ合う私と子犬を、三人の先輩が驚愕の表情で見ていたことなんて。
先輩が契約しようとしてた召喚獣を、横取りしたなんて――ただのこれっぽちも気が付かなかった。




