35.距離感、バグってきてません?
「すみませんでした……」
左のこめかみを押さえながら、エンデ先輩に向かって謝る。
先輩はというと、私よりダメージが大きかったらしく、口を押さえ涙目になっていた。
「いや、俺の方こそ、ごめん」
顔を歪めながら謝ってくるので、謝られてるのにむしろ罪悪感を感じてしまう。
「あの、大丈夫ですか?」
もしかしたら、舌を噛んだのかもしれない。
下から顔を覗き込もうとすると、手で制された。
「大丈夫、うん」
「そうですか? 口内炎になってませんように……」
あれになると、しばらくは食欲が大幅に落ちる。そして痛みで色んなテンションが下がり、地味に辛い。
先輩はなぜか私から一歩距離を取って座り直すと、改めて口を開いた。
「それより、なんでいるんだ?」
「なんでって……」
言葉に詰まった。
(――先輩に会いたかったから)
いたって簡単な答えだ。
でも、「なんで会いたかった?」と問われると、うまく説明できない。
「……」
「課題をしに来た」と適当に答えたら、きっと納得してくれると思う。
だけど――
「……先輩、いるかなって思って」
ぽつりと言葉が溢れた。
「昼休み、すごく、しんどそうにしてたんで、様子が気になったのと……
単純に、会えたらなぁって……」
声がだんだん小さくなってくる。
「ここへ来たら、先輩がいて。それでほっとしたのもあって、一緒に寝ちゃって――今に至ります」
昼寝は外の空気が気持ち良かったからだけど、ちゃっかりと言い訳にさせてもらった。
言い終わって、少し後悔した。
バカ正直に言ってしまったから、困らせていたらどうしよう。
おそるおそる伏せていた顔を上げると――
(ん?)
先輩は、口元に手を当てたまま、真っ赤な目を丸くさせ、驚いた様子でこっちを見ていた。
少しの間、黙ったままで。
「……俺は」
それから視線を逸らし、ようやく口を開いた。
「正直、会う気はなかった」
「!」
言いづらそうに言ったひと言に、血の気が引いた。
(……先輩は、会いたくなかったんだ)
申し訳なさ以上に、ショックで手が震えた。
俯いて顔を暗くする私に気付くことなく、先輩は続ける。
「だって……昼休み、むちゃくちゃダサいところ見せたし……、
変なこと……したし……」
「へ」
予想外すぎる続きに、身体の力がひゅるひゅると抜けていく。
「きっと、呆れてるか、怒らせたかもって。
……呼び出しても、会ってくれないかもって」
「そんなことないです!」
先輩が言い終わる前に、たまらず叫んだ。
「ダサくなんかないし、変なこともしてません!
むしろ、あんなに制御具つけてちゃんと動ける先輩は、すごいなって思いました!」
きっと、私だったら制御具一つでベッドから起き上がれないんじゃないだろうか。
それなのに先輩はじゃらじゃらたくさん付けた上で、弱々しくても会話をしていた。
「いつでも呼び出してくれていいんです」
そして、感情が一定のラインを越えた私は、余計なひと言を付け足した。
「いつでも、クロを派遣します!」
「きゃんッ! きゃんッ!」
なぜかクロが私の言葉に被せるように吠えた。
そして――
先輩もクロと私を見比べ、なぜかガッカリしたような顔をしている。
(あ、あれ、また私、外した……?)
先輩は「ふうっ」と息を吐くと、髪を掻いた。
「……今日、課題は?」
「え? あ、あります。でも風属性のものだから、たぶん一瞬で終わりそうです」
急な話題の方向転換に、やはりさっきはズレた回答をしてしまったのだと悟る。
「ここでやってけよ。見てやるから」
「……はい」
先輩から断れない雰囲気を感じ取り、鞄からいそいそと今日もらった課題の紙を取り出す。
お題は風属性で、指定カバンと同じくらいの重さと大きさのものを、数メートル間、往復で浮遊させるというもの。
安定性やバランス調整を目的とした実技課題である。
「じゃあ、やります」
イメージは鞄を膝くらいの高さに浮かせて、ふわふわとゆっくりした速度でここの森を一周させて戻って来る感じ。
(よし、やるぞ)
紙を片手に持ち、反対の手でかばんに手のひらを向けて呪文を詠唱する。
すると、鞄がふわりと持ち上がった。
……想定よりも高い位置にあるのは、まあご愛敬ということで。
次に、別の呪文を重ね掛けして、手をふいっと動かす。
これでふわふわと鞄がお散歩してくれるはず――
ごうんっ。
「げぇっ!? どっかいった!」
自分の予想に反して、剛速球で鞄が森の向こうへ飛んでいく。
その際、座っていたエンデ先輩の顔の横をびゅんとかすめ、危うくぶつかるところだった。
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
慌てて声をかけると、先輩は眉を寄せてこちらをギロリと睨んできた。
久々の鋭い眼光に、「うっ」と息を詰まらせる。
「……っぶねえな、早く拾ってこい!」
「は、はい~!」
鬼教官の一言に、猛ダッシュで遥か彼方に飛んで行った鞄を拾いに行く。
――残された先輩たちが、どんな会話をしているとも知らずに。
◇
「……おまえのご主人、そのうち誰か怪我させるぞ」
呪文は良かったが、動作が雑過ぎる。
あれでは繊細なコントロールを必要とする魔法は軒並み失敗するだろう。
<それも経験。馬鹿な子ほどかわいいというだろう>
「おまえな……。心が広いと言うか、ある意味他人事というか……」
クロは身体を伏せて、向こうへいってしまったアイツの方向を眺めている。
さながら、出来の悪い娘を見る父親だ。
<でも、着実に成長している。現に、私を外に出す時間も格段に上がっている。そろそろ子犬姿も卒業だ>
「それは……見ててわかるよ。最初のときとは、魔力量は比べものにならない」
まだ、彼女が中等部だったときのことを思い出す。
魔法学科を目指すと言っていたけど、適性検査ではボーダーすれすれだろうなと内心は思っていた。
けれども、再会したら、どれだけ努力したのかはわからないけど、クロと契約できるくらいのものに成長していた。
(よっぽど頑張ったんだろうな……)
まあ、これからも魔法学科でやっていくには、もっと努力が必要だけれども。
……その手伝いをしてやってもいい。
鞄を拾ってこっちに戻ってきた彼女を見ながら、自然とそう思った。
◇
「本当にすみませんでした……」
「今回ははっきり言わせてもらう。おまえ、雑過ぎるんだよ。
魔法は呪文、イメージ、それから"動作"も必須だ。魔力を上手く流すためにな」
「な、なるほど……?」
たぶん、基本中の基本。それを改めて指摘され、しゅんと肩を落とす。
(ポンコツ、健在……)
多少マシになってきたと思っていたのに、やっぱりまだまだだ。
呪文を覚えるのに精いっぱいで、動作なんてほとんど意識したことがなかった。
先輩がすくっと立ち上がり、目の前で腕を組んで問いかける。
「いま、どうやって手を動かした?」
「あ、ええと、確か、こうやって、ふいっと……」
無意識にやっていたので、実際ほとんど覚えてなかったけど、私のことだ。
何の気なしに手を振ったはず。
「早ぇよ。鞄みたいな重さのもんが超速度で当たったら普通、怪我すんだろ。課題の紙に書かれてないかもしれないけど、ゆっくりやれ」
「ゆっくり……」
言われたとおり、片手をゆっくりと振ってみる。
「あーちがう。角度も……」
(!)
先輩が私の後ろに周り、身体が折り重なるように手を取った。
手首を抑えられ、手の形も丁寧に角度をつけていく。
「せっかく両手が使えるんだから、コントロールが難しければ、どっちかの手も補助で使うといい」
そう言って片方の手も先輩の動きに沿って動いていく。
まるで操り人形だ。
そして……私は今、まったく集中できていない。
背中に感じる先輩の気配に気を取られ、頭も身体もかっちこちになっている。
(いやいやいやいや。近い! 触れすぎ! どうなってんの!?)
それを声に出すこともできず、されるがままになっている私も大概だけれども。
「……わかったか?」
ようやく先輩の手が離れ、いつの間にか止めていた息を再開する。
「は……はい……」
先輩の顔をちらりと見ると、至って普通の様子で、どうやら私だけが過剰に意識していたらしい。
ドキドキしていた気持ちは、急激に落ち着きを取り戻した。
(……これで失敗したら、死、あるのみ……)
ここまで先輩にさせといて、「また失敗しました」はたぶん通用しない。
思考は、生きるか死ぬかの究極の二択になっていた。
「じゃあ……もう一度……」
イメージ、呪文、そして動作……
さっき失敗した原因となった、重ね掛けのときの動作の前に、一度深呼吸をする。
そして、先程先輩が手取り足取り教えてくれた手の動きを、必死に思い出しながら試していく。
自分が思っているよりもゆっくり、それから角度も緩やかに、ふわふわ漂うイメージで……
「あ……」
ふよふよふよ……
鞄が自分のイメージ通りにふよふよ浮いて、広場の中を散歩する。
自分の目の前まで戻ってきたとき、手を伸ばして鞄をぽすんとキャッチした。
「……」
――鞄を見つめ、喜ぶのをいったん堪える。
それから、静かに先輩の方をくるりと振り返った。
(私、いまの成功……したよね?)
「――よし」
先輩は満足そうな笑みを浮かべ、大きく頷いてくれた。
「ご、」
たまらず、声が漏れる。
「ご指導……ありがとうございましたぁっ!」
がばりと腰を折り、大きな声で叫んだ。
鬼教官の指導さまさまだった。
「ん」
先輩は短く返事をしたあと、広げっぱなしだった教科書やペンを片付けていく。
どうやらそろそろお暇するらしい。
「それじゃあ、寮に帰るか?」
「はい、帰ります。先輩はどうするんですか?」
「研究室で作業があるから、魔法塔に戻る」
ああ、じゃあここでお別れですね、と言いかけたところ。
「……けど、送るよ」
「え?」
「……昼寝してただけで、あんま一緒にいれなかったし……」
ぼそっと小さく呟いた声はほとんど聞こえなかった。
「行こう」
「あ」
鞄を持っていない方の手を取られ、先輩は前に歩を進めてしまう。
クロを見ると、彼はてけてけと私たちを追い抜かし、先に行ってしまった。
「……」
(手、繋がれてる……)
こうして手が触れるのは今日三回目。
でも――自分も握り返すのは、これが初めて。
私がきゅっと力を入れると、向こうも少し反応を返す。
無言なのに、お喋りをしているようで、心がむず痒くなった。
――結局、やりとりは女子寮の前に着くまで続いたのだった。




