32.先輩と私の縮まる距離。おまじないのおかげかも。
第三章終了です。
ふいに頬に湿った感触がして、薄っすらと目を開ける。
視界いっぱいにいたのは、クロだった。
〈ダリオが寝た〉
「良かった、寝れたんだね……」
夢の中にいたせいか、声に出してもまだ眠気が抜けない。
「ありがとう、クロ。クロも戻っていいよ。おやすみなさい」
〈おやすみ〉
クロの気配が消えてから、もう一度目を閉じる。
先輩の薬が効いたらしい。
(……良かった)
ただそれだけを思いながら、安心して二度目の眠りへ沈んでいった。
◇
今日は昼休みにキアラと約束をしていたので、またも演習室に乗り込もうというドレイクの誘いを断った。
「えー、つまんねぇ」
「いや、私がいなくても仲良さそうにしてたじゃん」
「二人っきりとなると、また話が違うんだよ」
「大丈夫大丈夫。私抜きで男の絆を深めてくるといいよ」
「そうそう、今日は譲らないよ! 私がネモとお昼過ごすって決めてたんだから」
教室で三人で話していると、バサバサと音を立てて、炎の鳥が目の前に現れた。
赤く燃え上がるその姿は、以前弱っていたときとは違い、初めて見たときと同じ――完璧な炎を纏っている。
思わず三人で顔を見合わせた。
(噂をすれば、なんとやら!)
炎の鳥は羽ばたいたまま口を開いた。
『放課後、森で。時間は問わない。無理なら返事を。――ダリオ』
以前と違って声も先輩そのもので、名前もはっきりと告げられる。
伝え終えると、炎は静かに燃え上がり、そのまま跡形もなく消えた。
キアラがぽつりと呟く。
「ネモ、放課後は予定ある?」
「今、埋まったみたい」
「え、それ俺も一緒に行っていいやつ?」
「放課後はダメ」
ドレイクの問いを即座に切り捨てる。
なんとなく――放課後の森は、自分にとって特別で。
エンデ先輩と自分以外に、踏み入れてほしくなかった。
「ほんと、ネモはエンデ先輩と仲良くていいよな。俺ももっと仲良くなりたいし、一人でも演習室に突撃してくるわ! じゃあな!」
「がんばれー」
キアラと二人で手をひらひらと振る。
ドレイクの背中を見送ったあと、机にお昼を広げながら、キアラが口を開いた。
「なんか、順調だね。ネモとエンデ先輩」
「へ? なんで?」
「今週、毎日会ってるんでしょ? 今日も放課後会うみたいだし」
「なんか語弊があるような……。今日は呼び出されたけど、他はたまたまだよ」
放課後に先輩に会うのは久しぶりだ。
クロからは昨日、先輩はちゃんと眠れていたと聞いたけど――
朝までぐっすり眠れたのだろうか。
今日の呼び出しは、もしかしたら途中で目が覚めてしまって、クロと一緒に昼寝をするつもりなのかもしれない。
(でも……)
(明るいうちより、暗くなってから寝たほうが、きっといいのに)
昨日ラース先輩から聞いた話を思い出す。
エンデ先輩が、夜を怖れて眠れない理由。
本当のところは本人にしかわからない。
けれど――
ほんの数ヶ月前の出来事が、
今も彼の心に、深く影を落としているのは間違いなかった。
「たまたまでもいいじゃん。二人が再会してから、すごい勢いで距離を縮めてるなって、見てて思うよ」
「そうかな?」
まあ、言われてみれば、そうかもしれない。
クロという繋がりがあったからこそだけど――
気付けば、先輩の深いところまで知ってしまっていた。
(でも……趣味とか、そういう単純なことは、まだ全然知らないんだけど)
それはきっと、向こうも同じで。
私が何を好きで、どんなふうに過ごしてるかなんて、知らないし――
もしかしたら、興味すらないのかもしれない。
きっと、クロを貸してくれる、へっぽこな後輩。
それから――妹みたいな存在。
そう思われてるに違いない。
(……それだけ?)
「ん? どした? 変な顔になってる」
「え、うそ」
気付けば、眉間に皺を寄せていたらしい。
慌てて表情を緩め、パックのミルクを一口飲んだ。
(もやもやする……)
自分でもよくわからない。
わからないけど、燻った気持ちを抱えたまま、放課後までの時間を過ごした。
◇
授業が終わると、すぐにいつもの森へ向かう。
そよそよと吹き抜ける風が心地いい。
先週もここへ来たはずなのに、なんだかやけに久しぶりな気がした。
(あ、なんかやってる)
停学中で授業に出られない先輩は、やっぱり先に来ていたらしい。
定位置になっている大きな木の麓に座り、膝の上で何かを書いているのが見えた。
「すみません、お待たせしました」
近付いて声をかけると、ようやくこちらに気付いたのか、はっと顔を上げる。
「ああ、呼び出して悪い」
「何書いてるんですか?」
「反省文。今日の分を書いてるけど、昨日あたりからネタが尽きた」
ちらりと手元を覗くと、“ネタが尽きた”と言いつつ、びっしりと文字が埋まっている。
(……これで尽きてるって言うの?)
たとえ内容が薄くても、ここまで書いていれば十分な気もする。
「……先輩って、真面目ですよね」
「あ? 喧嘩売ってんのか」
不貞腐れた顔をする先輩に、思わず苦笑がこぼれる。
「褒めてるんですよ。たぶん私だったら、半分くらい書いて『こんなもんかな!』って切り上げちゃうと思うんで」
間違いない。
反省していても、それを文章にするとなると話は別だ。
まだ反省文を書いたことはないけど、きっと適当に書いて、書いたことに満足して終わる気がする。
「なんとなくだけど、おまえは反省文を書くことなさそうだな」
「? そうなんでしょうか? 私、よくやらかすから、そのうち書かされると思いますよ」
……授業中に魔法器具をうっかり壊した、とか、そのうちやらかしそうだ。
「ちなみに、何か内容に指定はあるんですか?」
「事実、認識、原因。それから反省、謝罪、改善策と今後の対応。
あとは演習室の進捗、カウンセリングの受診有無、体調の具合もだな。
一日目以降は、ひたすら進捗報告と反省、今後どうするかを延々と書いてる」
「め、面倒くさ……」
思わず本音がぽろりと漏れた。
(というか、カウンセリングの受診有無と体調の具合って、先輩のことを心配した先生が無理やり追加した項目なんじゃ……)
「面倒だけど、それだけのことをしたってことだからな。
これくらいで済むならマシなほうだ。
俺は奨学生制度でここに通ってるから、最悪、奨学金の打ち切りや退学だってあり得たわけだし」
奨学生とは、王立ローズシティナ学園において、授業料や寮費が免除される特待生制度だ。
厳しい基準が設けられており、一定以上の成績を収めた優秀な生徒だけが利用できる。
――先輩が真面目なのも納得だった。生活がかかっているのだから。
「というか、反省文を書かされるのは今に始まったことじゃない。中等部の頃から何かと書いてきてるから、慣れてるんだよ」
「んん?」
予想外の言葉に、思わず間の抜けた声が出る。
(これは……真面目、ではない?)
「あの、参考までに、どんなことで書かされたか聞いてもいいですか?」
「どんなこと……なんだっけな。前に話した、学園中の魔法球を全部使ったやつ、結界を張らずに床をぶち抜いたとき、コントロールミスで先生の頭を燃やしたとき、内容忘れたけど、召喚科と合同授業のときは反省文十枚くらい書かされたっけ。それから……」
先輩の口から、やらかしの数々が次々と飛び出してくる。
しょうもないものから危険なものまで、出るわ出るわ止まらない。
「高等部に入ってからは落ち着いたと思ってたけど、振り返ってみると多いな……」
「……」
(え、この人、ポンコツな私の上位互換じゃない? それに、よく今まで退学にならなかったな……)
残念そうな目を向けると、先輩は眉根を寄せた。
「俺をポンコツ仲間に含めんなよ」
「人の頭の中を読まないでください」
口を尖らせて抗議する。
「俺の場合、好奇心が旺盛で不注意だっただけだ」
「えー……」
開き直るあたり、あまり反省しているようには見えない。
「それより」
先輩は、ほとんど日記のようになっている反省文の冊子を脇に置き、隣に置いてあった袋をおもむろに手に取った。
「はい、これ」
「?」
渡された袋の中に入っていたのは、色とりどりの飴が詰まった小さな瓶。
飴自体は学園の売店で売られているものだけど、こんなふうに複数の味が一つに入っているものは初めて見る。
「幻術科の友達に魔法を付与してもらった特別なやつ。美容にいいとか」
「え、何それ、嬉しい効果!」
よくわからないけど、これで肌荒れが治ったら嬉しい。
(いや、そうじゃなくて)
「これ、受け取っていいんですか?」
「ああ。――昨日、薬を届けてくれてありがとう。おかげで朝までぐっすり眠れた」
先輩は頭を掻きながら、どこか気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「前は全然効かなくて、飲むのをやめてたんだ。でも……袋に書かれてたおまじないが効いたんだと思う」
「え……」
おまじない。
(確か袋には『絶対効く』なんて、何の根拠もないことを書いたけれど……)
「良かった……」
安心で頬が緩む。
ラース先輩から彼の壮絶な過去を聞いたあと――
あの日、自分なりにできる精一杯のことをしたつもりだった。
(ちゃんと寝られたんだ……クロを行かせてよかった)
「だから、そのお礼。甘いものが好きじゃなかったらごめん」
「好きです」
反射的に、そう答えていた。
「甘いもの、大好きです。嬉しいです」
素直に言葉にして、両手で瓶をぎゅっと握る。
自分のしたことで先輩が眠れたことも、こうしてお礼をくれたことも――すべてが、喜びに変わっていた。
先輩を見ると――
「?」
目を丸くし、口元を覆ってこちらを見つめている。
その頬は、わずかに赤い。
「あ……」
何か言いかけて、やめてしまった。
それから小さな声で呟く。
「――外さなくて、良かったよ」
「はい! 大切に食べますね。これで肌つるつるです」
私が笑いながら返事をすると、先輩も柔らかな微笑みを浮かべた。
来たときと同じ、心地よい風が頬をくすぐる。
そのあとは少しだけお喋りをして、二人並んで寮へ帰った。
道すがらも、穏やかな会話が続いて――
「じゃあ、また」
「はい、また」
このときのことをあとから振り返ると……
初めてクロ抜きで過ごした、二人きりの時間だった。
第三章終わり。
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