23.勤労奉仕中の先輩に会いに行きます。
「ネモ~! そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ!?」
耳元でカタリナが大きく叫ぶ声に、はっと目を覚まし、身体を起こす。
「はぁ~やっと起きた。朝ごはんのパン、食堂から貰ってきといてあげたからね! じゃあ、私は先にいくね」
「うわ、寝すぎた! ごめん、ありがとう! いってらっしゃい!」
時計を見ると、いつも学校を出ている時間だった。
慌てて水道で顔を洗って、着替えを済ませ、鞄とカタリナから貰ったパンを持って部屋を後にする。
寝ぐせを手で押さえながら、学園までの道を急ぐ。
すっぴんだけど……まあ、いつもと大して変わらないし、たまにはヨシとしよう。
「走らないとやばい~!」
寮の中も外も全力で駆け抜け、学園への道のりを全速力で走っていった。
(ああ、なんで昨日、寝付きをよくするアドバイスに行ったのに……。結果私が寝られなくて朝寝坊するって一体どういうこと――)
◆
(……え、これ、どういう状況?)
なぜかエンデ先輩に抱き寄せられ、同じベッドの上にいる。
心底意味が分からない状況に、脳内はプチパニック状態だ。
「……」
目の前は、先輩の身体。見上げたら顔を見られるかもしれないけど、動いていいのかもわからず、さっきからびしりと固まったままだ。
(少しの間って、いつまでなんだろう……)
基本的に、私は従順な犬っころタイプだと思う。
言われたことに忠実に、少しの間このままでいることにしよう。
……いや、おかしいだろう。
『クロ、これどうなってるの?』
声には出さず、心の中で語りかける。
届くかどうか不安だったが、その心配をよそに、すぐにクロの声が頭の中に響いた。
〈主がダリオに抱きしめられている〉
『いや、それはわかってるんだけどさ……』
兄とだって、大きくなってからはここまで触れ合ったりすることはなかった。
同室で一番仲のいいカタリナにすら、こんな風に抱き締められたことなどない。
異性の硬い身体に包まれたこの状況は、私にとって初めての体験と言ってもよかった。
(あ、寝息……?)
さっきまでとは違う、穏やかな息遣いが頭の上から聞こえてきた。
『先輩、もしかして寝た?』
〈みたいだな〉
『なんだよー! 先輩、ちゃんと寝れるじゃん! どうせ寒かっただけでしょ!』
起こさないよう慎重に、腕をゆっくりと外し、身体を離す。
それなりに揺らしてしまったはずなのに、先輩が起きる気配はない。
『よし、クロ。早く帰ろう。ここに不法侵入したのがバレたら、私、社会的に死ぬ』
〈それは不味い。出るとするか〉
そうして再び大きくなったクロに咥えられ、自室へと戻ったのだけれど――
先輩に抱きしめられた余韻がなかなか消えず、深夜になっても目が冴えてしまっていた。
結局、もう一度クロを呼び出し、「寝たら帰っていいよ」と伝えて目を閉じると――秒で眠れた。
本当にクロさまさまだった。
◆
眠れはしたものの、トータルの睡眠時間はいつもよりかなり少ない。
走っている間も、教室に着いてからも、欠伸が止まらなかった。
「ネモ、おはよう! ギリギリだね。寝坊した?」
キアラに声をかけられ、息を切らしながら答える。
「はぁ……おはよう、キアラ。うん、めっちゃ寝坊……。間に合ってよかった……。
先生が来るまでパン食べてるね」
「うっわ、朝ごはんも食べれなかったんだ。やっぱ昨日の課題のせい? それとも、昨日の交流授業で魔力使い過ぎたから疲れちゃった?」
「いや、別件で眠れなかっただけ。私たぶん今日の授業で寝落ちしちゃうかも」
「あーじゃあ先生近付いてきたら、咳払いでもしてあげるよ」
「助かる!」
幸い、この後の授業は寝落ちすることは無かったけど、欠伸はずっと止まらなかった。
そして一限の授業終わりの休憩時間に、昨日先輩を怒らせたきっかけを作った張本人、ドレイクが私の席までやってきた。
「ネモ、ちょっといいか?」
「? どうしたの?」
一人で話しかけてくるなんて珍しい。
しかも、いつものふざけた感じとは違って、真剣な顔をしている。
「確かネモって、エンデ先輩と仲良かったよな?」
「え゛? そ、そうだったっけ……!?」
突然出てきた名前に動揺しすぎて、思わず変な声が出てしまう。
(いきなり何を言い出すのかと思ったら……。せっかく意識しないようにしてたのに!)
「あの人のところに昨日のことを謝りに行こうと思うんだけどさ、なんかお詫びの品を持ってこうかと思って。何が好きか分かるか? 購買で買えそうなやつで頼む」
「えー……。なんだろ……」
考えようとしたところで、気付いた。
改めて考えると、私はあの人のことを何も知らない。
趣味も、好きなものも――何ひとつ。
それなりに放課後を一緒に過ごしてきたのに、その事実が少しだけ寂しかった。
(ラース先輩に聞いたほうが、よっぽどいい答えが返ってきそうだな……)
「あ」
ふと思い出し、口にする。
「なんだ?」
「たぶん、飴が好きだよ。棒付きのやつ」
先輩から、ポケットから取り出した棒付きの飴を二回ももらったことがある。
好きでもないものを、わざわざ持ち歩いたりはしないだろう。
「飴か! 確か、棒付きのやつ、購買で袋売りしてたな。よし、買いに行くわ!」
ドレイクは嬉しそうに顔をほころばせた。
(謝罪か……でも先輩、今日から停学じゃなかったっけ?)
「ねえドレイク。先輩って停学中だから、学園にいないんじゃない?」
「いや、停学中も勤労奉仕で、演習室の修繕やらされてるらしい。昼休みに行こうと思うんだけど……一緒に来てくれないか?」
「え!? なんで!?」
「いや、もしまだ怒ってても、ワンクッションあったら向こうも気が緩むだろ? このとおり! おまえにも飴買ってやるからさ!」
「いや、飴はいらないけど……私じゃクッションにならないと思うけどな……」
私としては、昨日の夜の件もあって、こんなに直近で会うのは気まずいと思っていたのだけど――
結局、ドレイクに押し切られる形で、昼休みに演習室まで一緒に行くことになってしまった。
◇
「え……すごくね?」
「すごいね……え、だって、まだ午前中の数時間しか経ってないよね?」
ドレイクと私は、昨日、高温でドロドロに溶けたはずの演習室に来ていた。
けれど――
熱で波打っていた床は、すっかり元の状態を取り戻している。
ベンチの一部も、すでに修復されていた。
天井や壁、細かい部分はまだ煤けて歪んだままだけれど、
たった数時間でここまで復元できるなんて――
(やっぱり、先輩はすごい……)
そして、その修復を行ったであろう本人は――
一部だけ元に戻ったベンチの上で、ローブで顔を隠したまま寝転がっていた。
そんな先輩の様子を見て、ドレイクがこっそり耳打ちする。
「どうしよう、ネモ。寝てるのか、ただ休憩してるだけなのか分かんねぇ」
「だね……。うーん、仕方ない」
困ったときの、クロだ。
出ておいで、と呼びかけると、すぐに黒いモフモフが姿を現した。
「きゃん!」
(ナイス一鳴き!)
クロの鳴き声で起きるかと思ったけど、先輩はぴくりとも動かない。
思わずドレイクと顔を見合わせる。
「……クロ、先輩の上に乗っていいよ」
乗っていいのかは分からないけど……これは生存確認だ。
仕方ないだろう。
クロは言われたとおり、先輩のもとへ駆けていき、ぴょんとお腹の上に飛び乗った。
「ぐっ……」
さすがに子犬とはいえ、それなりの重さがあるうえに勢いもついていたからか、ローブの下から苦しそうな呻き声が漏れる。
「あ、起きた」
先輩は上体を起こし、クロをべしっと雑に払いのける。
「……重い!」
「きゃん!」
床に落とされたクロは耳を伏せ、それから「グルル」と唸り始める。
「いや、おまえが怒るのはお門違いだろ。被害者は俺だ」
先輩はお腹をさすりながら、眉をひそめてクロに文句を言う。
だがクロは意に介さず、威嚇するように先輩へ小さな炎を吐いた。
「お、やんのか!? って、違う、まだ結界を張り終わってないんだ、やめてくれ! 俺の午前中が無駄になる!」
初めて見る焦りを見せた先輩に、私も慌てて叫ぶ。
「クロ、戻っておいで!」
私の声に、クロも先輩もこちらを振り向いた。
どうやら先輩は、今になって私たちの存在に気づいたらしい。
驚いた表情でこちらを見ている。
「すみません。お腹に乗っていいって言ったの、私です……」
正直に告白してみるものの、声はだんだん尻すぼみになっていく。
先輩の雰囲気が目に見えて下降していくのがわかったから。
(……こわい)
久しぶりに、空気が怖かった。
「……別にいいけど。何しに来たんだ?」
不機嫌そうに頭を掻きながら、私とクロ、それからドレイクへと視線を向ける。
私は固まっているドレイクの肩をこづいた。
「ほら、自分で言って」
ドレイクは「う……」と一瞬言い淀むと、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……お休みのところ、すみません。俺、昨日のこと、謝りたくて……」
彼も私に負けず、声がどんどん小さくなっていく。
(わかる、わかるよ。先輩、めっちゃ怖いもん)
エンデ先輩は何も答えず、ドレイクをじっと見つめている。
空気がとんでもなく重い。
(これ、無理……。私だったら泣いてる……)
まるでお葬式のような状況に、いますぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。
けれど、そんな重苦しい空気を破ったのは、先輩のほうだった。
「――謝ってもらう必要はねぇよ」
短く言ったあと、静かな声で続ける。
「……俺のほうこそ、わけわかんねぇくらいキレて、悪かった」
ベンチに座ったまま頭を下げる先輩に、ドレイクがたまらず叫ぶ。
「そんな! 俺が無神経なこと言ったせいなんです! エンデ先輩は何も悪くない!」
そう言って、先輩のそばまで駆け寄ると、手に持っていた袋をばっと先輩の身体の前に差し出した。
「これ、ネモから飴が好きだって聞いて……たくさん買ってきました! こんなんじゃ謝罪にならないかもしれませんけど、受け取ってください!」
(ぎゃ、私から聞いたとか言わないでよ!)
先輩は差し出された飴の袋を受け取ると、
一瞬あっけにとられ――
さっきの不機嫌さはどこへやら、眉根を下げて緩く笑った。
(わ……)
「……ありがとう。俺、これめっちゃ好きなんだ。すっげー嬉しい。これ昼メシにしよ」
「いやいやいや、絶対お腹に溜まらないから、ちゃんとメシ食べてくださいよ!」
ドレイクが思わずツッコミを入れる。
私は二人のそんなやりとりよりも――
初めて見る先輩の子供みたいに嬉しそうにする様子に、すっかり目を奪われていた。
(なになになに! 今の顔、反則でしょ!? 急に先輩が可愛い!)
ドレイクもそんな先輩の様子に空気が和らいだと感じたのか、その後グイグイと彼に質問していく。
「それよりここ、先輩ひとりで直してたんスか?」
「まあ、うん。でも修繕というか、復元というかだな。だから、元からボロかった部分はそのままだ」
「復元……。え、それって魔法で、ですよね?
どんなんですか? 俺、見たい!」
「ん」
先輩は飴の袋を脇に置くと、手を近くの壁に向けてふっと上げ、丁寧に呪文を詠唱していく。
その詠唱に聞き覚えがあり、「あ、これ」と思った。
(これ、魔法球を直してくれたときと同じ、"状態再生"の魔法だ!)
詠唱が終わると、みるみるうちに煤けた壁の一部が形と元の色を取り戻していき、先輩が手を下げると、復元の動きがぴたりと止まった。
「こんな感じ。あー……疲れた」
そう言って肩をぐるぐる回す先輩を、ドレイクはあっけにとられたように見つめる。
「嘘だろ……"状態再生"……!?」
魔法バカのドレイクが知らない訳がない。
けれど、実際に見たのは彼でも初めてだったらしい。
見えないはずの尻尾が、途端にぶんぶん動きを速めていくのがわかる。
「すっっげぇーーーー! 俺、初めて見ました!
それを使ってここまで!? うっわー……まさかこんなとこで幻の魔法見れるなんて思ってなかった……!
ほんとすげぇ!」
興奮しきりのドレイクに、エンデ先輩は苦笑を漏らす。
「大げさだな……。練習すればみんな使えるようになるよ」
「ええっ!? 練習してなんとかなるもんなんスか!?
うわ、じゃあ卒業までの目標にしよ。あーほんと半端ねぇや」
私は完全に傍観者だけど、二人のやりとりを見て胸の奥がほっと緩む。
(良かった。先輩も穏やかだし、ドレイクもすっかり懐いてるし。そろそろ退散するか)
私が入り口の方へ身体を向けたとき、
ドレイクがようやく私の存在を思い出したらしい。
「あ、ネモ。もう行く?」
「うん、そろそろ行こうかな。昼休み終わる前にご飯食べちゃいたいし」
「じゃあ俺も。先輩はこのあとどうするんですか?」
ドレイクが先輩に向かって声をかける。
「少ししたら切り上げて一旦寮に戻る。そっから戻ってきて……別の場所で用事がある」
「そうなんですね……あ、あの、俺にできることがあれば、なんでも言って下さいね! 呼び出してくれたらすぐ駆けつけますんで!」
「ありがとう。気持ちだけもらっとく」
「でも、本当遠慮しないで下さいね。それじゃあ、お邪魔しました!」
別れの挨拶を言ってドレイクがこっちへ向かって来たので、私も先輩に向けて頭を下げる。
さあ食堂に行くか、と思ったところ。
「ネモ」
反射的に、後ろを振り向いた。
視線の先にいるのは、もちろんエンデ先輩で。
初めて呼ばれた名前に一瞬、呼吸が止まった気がした。




