22.おやすみなさい、先輩。いい夢を。
自分の中で、魔力が暴れ回っているのが、手に取るようにわかる。
ベッドに横になって落ち着けようとするが、その激しい流れは一向に収まらない。
――今日は、散々だった。
後輩の何気ないひと言に、感情が爆発してしまった。
ドレイク――だったか。純粋に、俺を慕って口にした言葉だということは、分かっていた。
けれど――
『エンデ先輩は、戦地でも大活躍だったんですよね!?
どれくらい敵を倒したんですか?』
適当に流せばよかった。
ただそれだけのことが、どうしてもできなかった。
(……こいつは、人の命を何だと思っている?
人を殺した数なんか聞いて、どうする)
静かな苛立ちが、心の奥にじわじわと広がっていく。
『それに、どれくらい味方を救ったんですか!?
俺、先輩の英雄譚を聞きたいです!』
その言葉が。
かろうじて残っていた理性を、完全に叩き壊した。
突発的に、視界が真っ赤に染まる。
最大火力で、目の前のこいつを消さなければならない――
黒く染まった思考が、そう訴えていた。
(どれだけ味方を救って、
その裏で、どれだけの命を取りこぼしたと思っている。
俺は――間に合わなかったというのに)
気がつけば……
教師陣に拘束され、演習室は酷い有様になっていた。
総代のグリーク先生に連れられ、指導室で重い注意を受けたあと、制御具を大量に渡された。
――無理もない。学園であれだけ暴れたのだ。
完全に周りが見えていなかった。シャノンの声すら、届かないほどに。
(……いつまで、引きずるつもりだ)
やっと、気ままな学園生活が戻ってきたんだ。
切り替えなければならない。ここは、あの地獄じゃない。
そう思っているのに――
また、収まっていたはずの魔力がざわつき始める。
今夜は、とても眠れそうにない。
そのとき。
ふよふよと、緑色のぼんやりとした光が、窓の外から飛んできた。
今にも墜落しそうなそれに、思わず腕を伸ばし、止まり木代わりにしてやる。
よろよろと止まった手のひらサイズの伝書鳥は、ぱかりと口を開いて言った。
『ねむれないなら、クロをはけんしまっせー。いつでもいってだぜ! ネモ』
間の抜けた声で、しかも名前を言い終えるや否や、ぱっと姿を消した。
伝書鳥は、術者の力量が出やすい魔法だ。
伝言の口調も、そのときの感情を反映するため、元の言葉とニュアンスが変わることも多い。
(それにしても、砕けすぎだろ)
すっかり毒気を抜かれ、重い身体を起こして、すぐに返事を出した。
……俺も大概だ。魔力の制御がうまくいかず、小鳥サイズになってしまった。
別に、あいつに会いたいわけじゃない。
けれど――
彼女の気遣いが、素直に嬉しかった。
伝書鳥を飛ばしたあと、すぐにまた横になる。
すると、
〈酷い魔力だな。暴走寸前だ〉
懐かしい声が、枕元で響いた。
ほんのりとした獣の匂いと、湿った感触が頬をくすぐる。
目を開けると、真っ暗な部屋の中で、金色に光る目が二つ――
鼻先を顔に寄せ、こちらを覗き込んでいた。
「クロ」
初めて、その新しい名を呼んだ気がした。
口にしてみると、意外なほどしっくりくる。以前の名よりも――ずっと。
ゆっくりと、その小さな身体を抱き寄せる。
子犬特有のふわふわとした毛並みに顔を埋めると、クロも大人しくベッドに伏せた。
〈主からは、おまえが眠るまで付き添えと言われているが、三十分で帰る。さっさと寝ろ〉
「……わかった。でも、たぶん眠れそうにない」
温もりを感じながら目を閉じると、気分は落ち着く。
だが――やはり魔力は収まってくれない。
〈その余った魔力、少し貰っていいのなら、食ってやるが、どうする?〉
「そうしてくれるなら。俺が気絶して、そのまま朝まで眠りこけるくらいまで、持っていっていい」
〈そんなにいらん。おまえの魔力は濃すぎる。私には馴染みが悪い〉
「じゃあ少しでもいい。……ありがとう」
そう言うと、クロは俺の腕を軽く甘噛みした。
少しずつ魔力が抜けていく感覚とともに、身体に重だるさが広がっていく。
〈ここまでだな。どうだ?〉
「ああ……さっきより、ずっと楽だ。これで眠れたらいいんだけどな」
渦巻いていたものは落ち着いたが、それでも眠れそうにはなかった。
もう一度クロを抱き寄せるが、やはり同じだ。
「ありがとう、もう帰っていい。三十分も経ってないけど、あいつも魔力がそこまで戻ってないだろ」
〈ダリオ、薬は?〉
「飲んでない。効かないから、いいんだ。……ほら、俺のことは気にせず戻ってやれ」
〈――承知した〉
すっと、ベッドの上から温もりが消える。
代わりにシーツを被ってみるが、身体の中は冷えたままだった。
こうなると、またあのときの光景が、じわじわと頭の中を侵食してくる。
暗い部屋で一人、身体を丸め、朝が来るのをただ待つだけの時間が始まる。
いっそ、意識を失ってしまえたらいいのに。
どうして毎晩、こんなにも苦しい思いをしなければならないのか。
どうすれば、そこから抜け出せるのか。
何一つ、わからなかった。
俺と同じような状況のやつは、何人かいた。
けれど、みんな一か月の休暇の間に家族のもとで過ごし、何事もなかったかのように学園へ戻った。
自分だけだ。
自分だけが、あのとき、あの場所に取り残されたままだ。
過去は振り返らず、割り切って前を見ろ。
そう自分に言い聞かせても、頭も身体も言うことを聞かない。
(苦しい)
率直にそう感じた、そのとき――
それは、突然現れた。
被っていたシーツ越しに見えた、仄かな光。
一瞬で満ちる魔力と――人の気配。
「え」
思わず身を起こすと、そこには。
「す、すみません……こんな夜分に……。私は止めたんですけど……」
ほとんど成体に近い姿のクロに咥えられ、彼女が申し訳なさそうに呟いた。
ゆっくりと床に降ろされ、足が地面に触れる。
クロもすぐに姿を変え、見慣れた子犬の姿へと戻った。
「なんで……」
そう口にすると、〈精神安定剤を持ってきてやった〉と、クロがしれっと言う。
契約主を薬扱いするなんて、ここの主従関係はどうなっているんだ。
彼女の方を見ると、ラフなシャツにズボンと、しっかり寝る準備をしていたようだった。
本来なら、こんな夜に男の部屋へ一人で来るなんて、いくら契約獣付きでも注意すべきところだ。
だが、その様子から無理やり連れて来られたのは一目瞭然で、叱るに叱れなかった。
「えと、先輩が眠れなかったって聞いたんですが……」
暗がりの中、おずおずと彼女が口を開く。
ああ、ここから俺の事情を探られるのか――
そう思って、うんざりしかけたのだが。
「もしかして、冷え性だったりしません?」
「は?」
あまりに予想外の言葉に、ぽかんと口を開けたままになる。
「足が冷えてると、なかなか寝付けないんですよね。季節的にもう暖かくなってきたとはいえ、夜は冷えますし。湯たんぽとか、置いたらいいですよ」
「……そうか」
別に冷え性ではない。むしろ魔力の循環がうまくいっていなくて、身体は火照っているくらいだ。
けれど、あまりに真剣に提案してくるので、「うん」と頷くしかなかった。
「あと、なんでしょう……私がよくやるのは、まったく興味のない本を読むことですね。途端に眠くなるので、これもおすすめです。
それと、やっぱりクロは最高です。ふわふわで温かいので、抱きしめてると安心してすぐ眠れます。さっき先輩から魔力もらったみたいなので、今日は一日クロをお貸しできますけど……どうします?」
的外れな提案ばかりなのに、そちらに意識を取られたせいか、
いつの間にか自分の中で渦巻いていたものが、静かにほどけていくのがわかった。
(ほんとうに、なんなんだ、こいつ……)
「いや、大丈夫」
「そう遠慮せず」
なぜか一歩も引かない姿勢を見せる彼女に、思わず目を細める。
(この子は――本当に変わらない)
ふと、魔が差した。
本当に、無意識だった。
前に自然と手を繋いだときのように――何も考えないまま、気付けば腕を伸ばしていた。
「え」
掴んだ腕に、わずかに力を込める。
すると彼女の身体はあっさりと引き寄せられ、そのままどさりとベッドへ倒れ込んだ。
クロを抱きしめるような感覚で、緩くその身体を抱き寄せる。
ただ……人の温さを、感じたかった。
人肌のあたたかな温もりと、ふんわりとした香り。
まるで森の中で昼寝をしていたときのような、深い安心感が、身体の奥へと染み渡っていく。
「……少しだけでいい。このままで」
不法侵入したんだ。これくらい――
……いや、よく考えれば全く良くない。
それでも、夜の静けさと、彼女の空気がそうさせた。
突然のことに固まったまま、呼吸すら忘れかけている彼女をよそに、目を閉じる。
暗く、静かな部屋に、二人と一匹の呼吸が重なる。
それが、どうしようもなく心地よくて――
気付けば、
深い眠りに落ちていた。




