第291話 え、パパが勇者!? 無惨に吊るされた美しき犠牲者!? 悲しみと怒りの神崎家!?
どこからともなく聞こえた謎の声。
神崎家は一斉に息を呑み、武器を握り直して周囲を激しく警戒する。
だが、切り立った山々に囲まれた広大な盆地には、声の主らしき影はない。
亮「……なんだったんだ、今の声は……」
あんな「分からない……でも、絶対に誰かが私たちのことを見てる……」
みゆ「はい。私たちの存在や戦力、あるいは挙動を確認するような口調でした」
ベアトリス「どこから見ているのか分かりませんけれど、気味が悪いですわ!」
もっふる「ピィー……」
みゆ「……そろそろ反応があった場所です」
みゆの視線の先、静まり返った広場の奥に、木組みの櫓のような構造物がぼんやりと見えてきた。
亮「お、何か見えるぞ。あれのことか」
ベアトリス「何か大きなものが設置されておりますわ!」
神崎家の一行は、警戒を重ねながらその櫓に向かって慎重に歩みを進める。
近づくにつれ、櫓の真ん中に不自然な影が伸びているのがはっきりと分かってきた。
亮「ん……? 何か下にぶら下がっているのか?」
あんな「そう見えるね……なんだろう、布か何か……?」
亮「ちょっと近くで確かめてみよう」
影の正体に近づいた瞬間、全員の足がピタリと止まった。
そこに吊るされていたのは、一匹の巨大な蝶だった。
かつては美しかったであろう色鮮やかな羽はぼろぼろに引き裂かれ、その身体には何本もの槍が深く突き刺さっている。
その裂けた傷口からは緑色の体液が落ちていた。
あんな「…………」
みゆ「…………」
それを見た瞬間、あんなとみゆの表情が完全に凍りついた。
次の瞬間。
あんな「いやぁぁぁぁぁっ!」
みゆ「無理です! 絶対に無理です!」
亮「えっ、うわ!?」
あんな「虫ぃぃぃぃっ! また虫かぁぁぁっ!」
ベアトリス「お、お姉さま方……」
あんな「だって虫だよ! 羽が生えてても虫は虫なの!」
みゆ「蝶です!蝶も虫です!!」
亮「いや、まあ虫だけど……」
みゆ「だから無理なんです! 分類上、完全にアウトです!」
亮「落ち着けって……よく見てごらん、もう死んでいるから」
あんな「死んでても嫌なものは嫌なのっ!」
みゆ「生命活動が停止していようが無理なものは無理です!」
亮「……そういうものなのか……?」
あんなとみゆは互いの服を掴み合い、なりふり構わず蝶から少しでも距離を取ろうと必死に後退する。
ベアトリス「先ほど巨大な魔物と戦っていたときは、あれほど勇ましかったのに……」
みゆ「魔物と虫は概念が違います!」
あんな「そうだよ! 姿形が受け付けないの!」
亮「ははは……相変わらず極端な虫嫌いだなあ」
あんな「この世から一匹残らず抹殺したい……!」
みゆ「術式による全消去の協力なら惜しみません」
亮「とりあえず、襲ってくることはないんだから落ち着きなさいって」
ベアトリス「そうですわ! わたくしもお姉さま方をお守りいたしますわ!」
もっふる「……ピィ……」
亮となだめるベアトリスの言葉に、二人は肩を揺らしながらもようやく少しだけ呼吸を整えた。
亮は温かい眼差しを少し引き締め、改めて吊るされた蝶へ視線を向ける。
生きている頃は、きっと息を呑むほど美しい姿だったはずだ。
しかし、その身体は縄のようなもので固く縛り上げられ、無残に吊り下げられている。
決して、自然に死んだ姿ではない。
誰かが意図的に殺し、ここへ吊るしたのだ。
亮「……誰かが、わざとこんな真似をしたんだな」
みゆ「……そう考えるのが妥当です」
あんな「なんで、こんな残酷なことを……」
亮「……」
地下深くから続いていたあの一本道の通路。
先ほど湧き出すように現れた巨大イモムシの群れ。
そして、無残に刺し貫かれて吊るされたこの蝶。
亮「……これ、まさか『囮』なのか?」
みゆ「……その可能性が極めて高いと思います」
あんな「もしかして……あのイモムシたちって」
みゆ「ええ。この蝶の子供たち……だったのかもしれません」
あんな「私たちが母親を殺したと思って……?襲ってきたの……。 それとも、捕まった母親を助けようとして……」
ベアトリス「そんな……」
もっふる「ピィー……」
あんなは、再び吊るされた蝶へ視線を向けた。
さっきまでは恐怖のあまり、近づくことすら嫌がっていた。
それでもこの蝶が何の罪もない命であり、弄ばれた被害者であることは痛いほど理解できた。
あんな「……なんて、酷いことをするの」
みゆ「……はい。許される行為ではありません」
ベアトリス「命を弄んで囮にするなんて、決して許せませんわ!」
亮「……本当にそうだな。まずは、この姿のままにしておくわけにはいかない。下ろしてやろう」
亮が静かに刃を振るい、蝶を縛り付けていた縄を切断する。
ドサッ……
重い音を立てて、蝶の身体が地面に横たわった。
亮「このまま放置しておくのも可哀想だしな……火葬して葬ってやろう」
ベアトリス「任せてくださいませ! わたくしの火魔法で、優しく送って差し上げますわ!」
みゆ「私も協力します」
亮「あのー、火葬であって魔物退治ではありませんからね? 加減してくださいよ?」
あんな「パパ、分かってるよ。みんなでちゃんと送ってあげよ。二人とも、お願いね」
あんなの言葉に頷き、ベアトリスとみゆが手元に温かな火の魔力を宿し始めた。
その瞬間だった。
――ザザザザザ……!
盆地の奥から、ズズズと地面を震わせる嫌な振動が伝わってきた。
あんな「……え? 今の音、何……?」
みゆ「地面の振動データが……急速に拡大しています……!」
亮「みんな、俺の後ろへ! 気をつけろ!」
静まり返っていたはずの盆地全体が、再び不穏なざわめきに包まれ始めていた。
こうして――
惨い罠の真相を知り、憤る神崎家。
しかし、その静かな悲しみと怒りを切り裂くように、さらなる異変の影が迫ろうとしていた。
ツッコミどころ満載な、家族の異世界スローライフ(?)が
息つく間もなく次なる波乱へとなだれ込んでいくのだった。
地面を埋め尽くす白い波……。
盆地を埋め尽くす巨大イモムシの超大群に、神崎家が誇る最強姉妹の精神が完全崩壊。
パパの冷静なツッコミも虚しく響くなか、絶望と恐怖の限界突破でなりふり構わぬ絶叫悲鳴が山々にこだまする。
次回、第292話 え, パパが勇者!? 盆地を覆う白い大群!? 限界突破した姉妹の悲鳴!?




