第223話 え、パパが勇者!? 届かなかった言葉が届く!? 少女の小さな願いとは!?
その時、少女の小さな唇が、わずかに動きをみせた。
しかし、声にはならず、かすかな吐息となって消えていく。
少女はいたたまれなさそうに、再び深くうつむいた。
その小さく縮こまった背中を見つめ、亮は胸の奥をキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
(この子は……ずっと、たった一人で耐えてきたんだ……)
言葉の通じない、全く知らない場所。
自分を理解してくれない、知らない人々。
亮は胸いっぱいにゆっくりと息を吸い、深く吐き出した。
そして、少女を驚かせないよう、一定の距離を保ったまま、もう一度その目線の高さに視線を合わせた。
亮「……大丈夫だよ」
語りかける声に、どこまでも優しく温かい声を掛ける。
しかし、少女は反応を示さない。
ただ身体を丸めたまま、耳を伏せ、尻尾を身体に固く巻きつけている。
亮は焦って無理に近づこうとはしなかった。
恐怖で心を閉じきっている相手に、どれだけ善意であっても自分の気持ちを押し付けては届かない。
それは、亮がこれまで娘たちと向き合い、家族としての歩みを重ねていく中で学んだ大切なことだった。
亮「ここにいる人たちは、誰も君を傷つけたりしないからね」
亮の温かい声に、少女の丸められた膝の間から、ほんの少しだけ瞳が覗いた。
だが、返ってくる言葉はない。
あんなも亮の隣で、ゆっくりと腰を落としてしゃがみ込んだ。
あんな「大丈夫だよ。怖いことも、痛いことも絶対にしないからね」
弾けるような明るく優しいあんなの声。
しかし、そのぬくもりも今の少女の心までは届かない。
みゆも、少女の微細な反応を静かに見つめる。
みゆ「……」
いつものようにデータを弾き出し、論理的に分析しようとする。
しかし、目の前で固まる小さな少女の痛々しい姿を見て、みゆはかけるべき言葉が見つからず、ただ静かに口を結んだ。
下手に言葉を重ねることが、今の彼女にとって刺激になり得ると瞬時に判断したのだ。
ベアトリスも一歩前へ出ると、胸の前でキュッと拳を握りしめた。
ベアトリス「大丈夫ですわ! もう、あなたを傷つける不届き者はどこにもいませんわ!」
凛とした優しい声音。
けれど、その情熱も、やはり少女の壁を越えて届くことはなかった。
ベアトリスは悲しそうに、すっと目を伏せる。
もっふるは亮の足元で「ピィ……」と切ない鳴き声を漏らし、静かに少女を見守っていた。
ゼーマンは少し離れた場所から、腕を組んでその光景を見つめている。
しかし、その視線はどこまでも真剣そのものだった。
少し後ろで控えていた屋敷の使用人たちも、固唾をのんで見守っている。
一人の使用人が、誰に言うでもなくぽつりと呟いた。
使用人「……やはり、今日もだめでしょうか……」
その先の言葉は途切れ、静寂の中に消えた。
十日間。
いや、この屋敷に来る前からずっと。
何度温かい声を掛けても。
どれほど差し伸べられた手であっても。
少女の心には、何ひとつ届かなかった。
亮はもう一度、目の前の少女に視線を向けた。
折れてしまいそうなほど華奢な身体。
怯えきった瞳。
そして、誰にも届かなかった、少女の叫び。
亮「……」
その時だった。
少女の細い指先が、ほんのわずかにピクッと動いた。
まるで、見えない暗闇の中で必死に誰かへ助けを求めるかのように。
だが、身体はまだ恐怖で固まったまま動かない。
あまりにも長い間。
誰にも理解してもらえなかった孤独と恐怖が、少女の小さな心を強く縛りつけていた。
少女はうつむいたまま、肩を小さく揺らして震える。
そして、静まり返った部屋の中に、消え入りそうなかすかな声が漏れた。
少女「……ママ……」
その瞬間。 亮の表情が、ピタリと止まった。
聞き間違いではない。
今、この少女の口から漏れ出た声。
それは、亮が生まれ育った世界で、聞き親しんできた言葉だった。
あんな「……え?」
あんなも目を見開き、驚いた表情で少女を見る。
みゆ「……日本語、です」
静まり返った部屋に、みゆの落ち着いた声がぽつりと呟く。
ベアトリスが不思議そうに首を傾げた。
ベアトリス「ニホンゴ……?」
ゼーマンもまた、神崎家の変化を察知し、じっと視線を注ぐ。
少女が発した異国の言葉そのものの意味は分からない。
だが、神崎家の雰囲気が一変したその反応だけで、今ここで何かが起きたことだけは理解できていた。
ゼーマン「……」
少女は自分の声が届いたことなど知る由もない。
ただ、胸の奥から押し寄せる悲しみに耐えかねるように、苦しそうにつぶやきを繰り返す。
少女「……ママ……」
その声には。
押し潰されそうな寂しさ。
底知れない不安。
そして、温かい家へ帰りたいという、切実な願いが込められていた。
亮は少女をじっと見つめた。
まさか、こんな遠い異世界の大地で。
自分が生まれ育った日本の言葉を聞くことになるなんて。
亮は驚きを胸の奥へそっと押し込み、静かに息を吸い込んだ。
目の前にいる、小さな少女。
この異世界で、誰一人として理解してくれなかった言葉。
それは、自分が今日まで生きてきた故郷の言葉だった。
亮は優しく、語りかけるように口を開いた。
亮「大丈夫だよ」
日本語で。
その瞬間、 少女の身体が、弾かれたようにピタリと止まった。
伏せられていた耳がピクッと跳ね上がり、ゆっくりと顔が上がっていく。
涙に濡れた大きな瞳が、まっすぐに亮を見つめ返した。
少女「……え……?」
震える小さな声。
亮「君の言葉、ちゃんと分かるよ」
少女は何度も何度も瞬きを繰り返した。
信じられない。夢でも見ているのではないか。
そんな呆然とした表情だった。
少女「……わかる……の……?」
亮は包み込むように、静かに深々と頷いてみせた。
亮「うん。ちゃんと聞こえてるし、分かるよ」
少女の瞳から、ボロ泣きのように大きな涙の粒が溢れ出してきた。
言葉にならない感情が喉を詰まらせる。
それでも、少女は絞り出すように必死に声を張った。
少女「……ほんとう……?」
亮「本当だよ」
少女「……ほんとに……?」
亮「うん。本当だよ」
亮は、いつもの温かい微笑みを浮かべた。
少女の表情が、目に見えて変わっていく。
深く刻まれていた怯え。
冷たい不安。
出口のない孤独。
それらが、春の陽気に雪が解けるように、少しずつほどけていく。
部屋の隅で見ていた使用人たちは、一体何が起きているのか分からず顔を見合わせている。
ベアトリスもまた、あんなやみゆ、そして少女の顔を交互に見比べた。
ベアトリス「……」
交わされている言葉の意味は分からない。
けれど少女の瞳から、あの痛々しい恐怖が消え去っていくことだけは、はっきりと理解できた。
少女は、亮の顔をじっと見つめ続けていた。
何度も。
何度も。
本当に自分の言葉が届いているのか、確かめるかのように。
少女「……」
そしてぽつりと、掠れた声で呟いた。
少女「ずっと……。ずっと、誰にも聞いてもらえなかったの……」
その言葉を聞いた瞬間、亮の胸がキュッと締め付けられた。
この世界に来てから今日まで。
どれほど長い間、この子はたった一人で恐怖と戦ってきたのだろう。
この小さな身体で。
何もかもが違う知らない世界で。
誰にも自分の気持ちを理解されないまま。
この世界に来てからずっと、たった一人で耐え抜いてきたのだ。
亮「……もう大丈夫だよ。怖かっただろう。寂しかったよね」
少女の瞳から、ポロポロと絶え間なく涙がこぼれ落ちる。
少女「怖かった……っ! 何を言っても……誰も分かってくれなくて……っ! 助けてって言っても……っ!」
激しく声が震え、堰を切ったように溢れ出す言葉。
その痛々しい叫びを聞いた瞬間、あんなの目から涙が溢れ出した。
口元を両手で覆い、必死に泣き声を押し殺すあんな。
自分たちだって、ある日突然見知らぬ異世界に飛ばされてきたのだ。
けれど自分たちには、バカなことを言い合いながら支え合えるパパがいて、家族がいた。
だから笑っていられた。
なのにこの子は、たった一人で。
何もかもが違う世界で、助けを求める言葉すら誰にも通じない真っ暗な絶望の中で、どれほど恐ろしい夜を重ねてきたのだろう。
いつもは冷静沈着なみゆも、瞳をいっぱいに潤ませ、すっと静かに頬を伝う一筋の涙を指先でぬぐった。
みゆ「……一人きりで、誰にも届かない言葉を抱え続ける絶望の数値は……計測不能です……」
それは、声になるかならないか分からないほどかすかな呟きだった。
いつもなら客観的なデータで世界を分析するみゆが、初めて弾き出すことを諦めた。
心の奥からの切実な言葉だった。
亮もまた、胸が押し潰されそうなほどの愛おしさと切なさで胸がいっぱいになり、目頭が激しく熱くなる。
(泣いちゃダメだ……俺が泣いたら、この子がまた不安になっちゃう……!)
亮はグッと奥歯を噛み締め、こみ上げてくる涙を必死に耐え抜いた。
そして、父親としての包み込むような温かい笑顔を絶やさず、少女の感情を静かに受け止めた。
恐怖を与えないよう無理に抱きしめたりはせず、少女が自分から動けるようになるまで、じっと待つ。
やがて、少女は震える小さな手を、そっと亮へ向かって伸ばしてきた。
亮はその小さな手を、壊れ物を扱うように両手で優しく包み込んだ。
少女は泣きじゃくりながら、何度も、何度も大きく頷いた。
もっふるがそっと歩み寄り、少女の足元に体をすり寄せると、
「ピィー♪」と温かく寄り添うような優しい音色で鳴いた。
その光景を、部屋にいた全員が静かに見守っていた。
ベアトリスは口元にハンカチを当て、震える声でつぶやいた。
ベアトリス「言葉は分かりませんわ……でも、あの子の瞳から恐怖が消えていくのだけは……はっきり分かりますわ……」
その瞳は、涙で揺れていた。
何を発しているのか、どんな会話が交わされているのかは、ベアトリスには分からない。
けれど、先ほどまで世界全てを恐れていた幼い少女が、初めて心の底から安心した表情を見せている。
その温かな奇跡だけで、胸がいっぱいだった。
ベアトリス「よかった……! 本当によかったですわ……っ!」
あんな「うん……、本当によかった……!」
みゆ「……肯定。精神的孤立状態の解除を確認。感情の正常な放出が行われています」
みゆは少し声を詰まらせながらも、静かに少女の心の回復を見守った。
ゼーマンは少し離れた場所で、静かに見守っていた。
ゼーマン「どうやら私の『縁』への投資は、大当たりだったようですね」
亮はそっと少女の手を握ったまま、ゼーマンを振り返った。
亮「ゼーマンさん」
ゼーマン「なんですかな、神崎様?」
亮「……本当に、ありがとうございました」
ゼーマンは一瞬だけ驚いたように目を細めた。
そして、すぐにいつものように口元を緩めて笑ってみせる。
ゼーマン「いやいや! 私は欲深き商人ですからねぇ! 将来価値が出るかもしれない珍しい品を見つけて確保しただけですよ!」
そう言って笑うゼーマン。
しかし、その強がりな笑顔の奥にある温かな情義を、神崎家はもうしっかりと知っていた。
この大商人が、誰も理解できないこの小さな少女を絶対に見捨てず、こうして自分たちに繋いでくれたのだということを。
日本語という思いがけない小さな繋がりが、止まっていた少女の時間を動かし、新たな出会いの物語を紡ぎ始める。
薄暗かった部屋のカーテンの隙間から、柔らかな一筋の光が差し込んでいた。
互いの手を繋ぐ温もりの中で、少女の肩の力が静かに抜けていく。
こうして――
届かなかった言葉が届き、少女の止まっていた時間が再び動き出す。
ツッコミどころ満載な、家族の異世界スローライフ(?)が、
言葉の壁を越えた温かな絆を静かに紡ぎ始めるのだった。
たった一人、異世界の暗闇で孤独に耐え続けた怯える少女。
明かされる「名前」と「年齢」!?
そんな少女の凍てついた心を溶かしたのは、神崎家ともっふるのぬくもりだった!
次回、第224話 え、パパが勇者!? 届いた名前と小さなぬくもり!?
差し伸べられた手が、世界で一番温かい奇跡を起こす!




