7-4 花園の少女たち
学校は、なんとなくいつもより賑やかに感じられた。
生徒たちに活気がある。
そう感じるのは、新に奪われていた願いが還ってきたからだろうか。
休み時間に明るい気分で廊下を歩き、一年生の教室を覗くと、朔夜を慕って挨拶をしてくれるいもうとたちの中で、ひとりだけ怯えるようにうつむく子がいた。
「月子ちゃん、少し、いいかしら」
朔夜がその子を呼べば、びくりと肩を揺らしながら恐る恐る顔を上げる。興味深そうに朔夜と、呼ばれた生徒を見比べるいもうとたちにこっそりと軽いまじないをかけ、気を逸らさせて、朔夜は月子を空き教室へと連れ出した。
「高坂月子ちゃん」
「はい……」
小作りな顔立ちで、あまり気丈そうにも見えない月子を空き教室の椅子に掛けさせ、朔夜もその隣の椅子に座る。上体を傾げて彼女の顔を覗き込むと、月子は泣きそうな目もとにきゅっと力を入れていた。
「今回、あなたがお兄さまに命じられてやったことを、咎めるつもりはないの」
月子が顔を上げる。動いた拍子に、見開かれた目から涙が落ちた。
「仕方がなかったのだと、わかっているから」
「……ごめんなさい」
か細く謝る月子こそ、村主新の妹だった。妾の子で、村主を名乗ることを許されていない。
何より、朔夜が新との繋がりに気づけないほど、月子にはほとんど霊力がなかった。
こういうふうに力を失ってしまうさまを突き付けられたら、焦燥を抱くのも理解はできる。
「あなたのお兄さまとは、直接話をしています。もう、あなたを通じて何かをしようとは思わないとは思うけれど……」
兄が怖いのか、仕出かしたことを恐れているのか、月子は青ざめて震えている。握り締められて白くなってしまった手に、朔夜はそっと自分の手を重ねた。
朔夜の手は月子の手よりも冷たい。それでも包み込むように優しく握る。
「もしも今後、お兄さまに何かを命じられて悩むことがあれば、私に相談してみてほしいの」
「朔夜おねえさま……に……?」
朔夜は深くうなずいてみせた。
「私は私のやり方で、みんなを守りたいと思っているから」
村主の家の血を引き、しかし力を持たず、あの兄がいて、月子の境遇は嫌でも想像がつく。
そのせいで、月子は今回の出来事を引き起こしたのだ。
「お兄さまも、悪いひとじゃないんです……」
「そうかもしれないわね」
そうね、と優しく言ってやるべき場面だとわかってはいたが、朔夜はどうにか妥協しても、そうとしか言えなかった。
悪人でなかろうと、大嫌いな相手である。
(私も、未熟ね)
反省しつつ、しかしながら、無理なものは無理。
そう開き直りつつ、表情ばかりは取り繕ってやさしく月子を見つめる。
「でも、月子ちゃんも、お兄さまに従っていいのか、ひとりで悩んでいたでしょう。違う?」
朔夜は手紙にはっきりと、新は間違ったことをしている、その行いを止めねばならないと書いた。
もしも月子に何も悩むことがなく、兄を慕っていれば、朔夜が机に忍ばせた手紙を兄に渡さず、握りつぶしたはずだ。
「私のことを見ていたでしょう、いつかの朝、校舎の窓から」
「……っ」
「悩んで、どうしようもなくて、ほんとうは私にうち明けたかったんじゃない?」
月子はなおも怯えるように視線をさ迷わせたが、朔夜が安心させるように手を撫でてやると、ほろりと涙を落としながら浅くうなずいた。
「つらかったわね」
「でも、わたしの役目だから……」
「そうね。けれど、それを正しくないと思うことも、間違ってはいないのよ」
月子の生き方を、朔夜が否定することはできない。彼女が自分の役目を定めて、それに納得するのであれば、新と同じように、対立することもあるのかもしれない。
ただ、悩むのならいくらか道しるべとなってやることもできる。
「悩みがあれば聞くし、相談にも乗るわ。私はあなたの『おねえさま』だもの。ここはそういう場所なの」
朔夜はひとりっ子だが、この学校で『おねえさま』たちにずっと面倒をみてもらっていた。今でも慕わしい彼女たちの面影を思い浮かべながら、月子を諭す。
上級生はいもうとたちの手本となって導いてやり、下級生は上級生をおねえさまと慕い、見習って成長してゆく。
そうして絆をはぐくむ場所だ。
「そうしてあなたもいつか、いもうとたちの良き『おねえさま』になってね」
月子はやや乱暴に、手のひらで涙を拭った。
「はい、朔夜おねえさま」
月子の顔には、朔夜への憧憬とともに、まだ弱々しくも、確かな決意が見て取れた。その表情を見て、自分たちが卒業しても、この学校は変わらず素敵な場所であり続けるだろう、と、安堵が胸に広がる。
どれほど時代が変わっても、想いが、変わらず受け継がれてゆくならば。
*❀*
その日の帰り、校門のところで朔夜を待つ百瀬の横に、君枝の姿があった。
君枝はやや緊張しているようだったが、雰囲気は和やかで、朔夜が近づくと振り向いてはにかんだ。
「朔夜おねえさま」
「君枝ちゃん、どうしたの?」
「少し、神森さんにお伝えしたいことがあっただけです」
君枝のことは、あの空き教室での出来事からずっと気にかかっていた。ひとりで苦しんでいるのではないかと案じていたものの、今、朔夜を見上げる君枝は穏やかな顔をしている。
「朔夜おねえさま、ごめんなさい」
「何が?」
「わたしの心が弱かったから、いけないことを考えたんです。おねえさまたちが大切にしていらっしゃる場所で」
君枝は核心を避けた言い方をしたが、朔夜はそれが何のことだかわかった。
あの空き教室での告白の記憶を消したから、君枝は朔夜が知らないと思っているはずだ。あえて言わないのは、朔夜を傷つけないためなのだろう。
「わたしも、おねえさまみたいになりたい」
「……私もね、私の『おねえさま』たちに、そんなふうに思っていたわ」
朔夜がうち明けると、君枝は目を丸くしてまじまじと朔夜を見つめたあと、意味を呑み込んでぱっと嬉しげに頬を染めた。
「いい『おねえさま』になるわ、君枝ちゃん」
「がんばります!」
まだ子どもらしい両手を胸の前で握って目を輝かせる君枝がかわいい。
つい頬をほころばせて眺めていると、百瀬が朔夜の手を取った。
「帰ろう、朔夜」
言い方は穏やかで、微笑んでいるが、触れているところから拗ねたような心情が伝わってくる。
呆れて百瀬をちらりと見上げ、また君枝へ視線を戻すと、君枝はやたらきらきらした目でこちらを見ていた。
朔夜と目が合い、はっとしたように頭を下げる。
「わたしも帰ります。それではおねえさま、神森さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、君枝ちゃん」
百瀬が軽い会釈をして歩き出すのに引っ張られながら、朔夜は振り返って応える。君枝は小さく手を振って見送ってくれた。




