終 夜の神子
「あの子に告白されたんだ」
道すがら、百瀬は前置きもなく言った。
「そうじゃないかとは思っていたけれど……」
「ただ言っておきたかっただけだって。朔夜のことを大事にしてって言われた。どちらかというと、朔夜を慕って、後ろめたさをなくそうとしたみたいだったよ」
君枝にどういう葛藤があったか、朔夜は知っている。
けれど君枝からその記憶を消したせいで、君枝のなかでは、朔夜への後ろ暗い感情をうち明けられないままだったはずだ。
そういう気持ちも邪気にあてられたものだったとしたら、学校に撒き散らされていた怪異を祓い、願いを返した今、すなおな想いに戻ったのかもしれない。
「誠実な子なのよ」
「あの子は、朔夜のことが好きなんだよ。僕を慕う気持ちよりも」
「そうかしら」
朔夜は、否定とも同意ともつかない相づちを打った。
女学生たちの絆も、恋心も、百瀬には理解の及ばない感情だろう。とはいえ、朔夜も君枝の心境は推測することしかできない。
きっと、たくさん苦しんだはずだ。
「朔夜が背負い込むものではないからね」
黙り込んだ朔夜の思考を見透かすように、百瀬が釘を刺す。
「わかっているわ」
「どうかな。朔夜はすぐ、自分の心をわけ与えてしまうから」
繋いでいた手に、百瀬は少し力を込めた。
「僕のことだけ考えていてって、言いたいんだよ、ほんとうは」
「言ってる」
「聞かなかったことにしてもいいよ」
百瀬がにこりと綺麗に笑うとき、裏にあるのはいっさい譲る気のない想いだ。朔夜はわざとらしくため息をついてみせ、百瀬の手を引いて身を寄せた。
「そうするわ」
朔夜の反応が予想外だったのか、百瀬は数秒のあいだ、朔夜を見下ろして目を丸くしていた。少ししてぽそりとつぶやく。
「……そう」
いつもは歌うように流れる声が、低くくぐもっていた。本音を隠せていないというより、もう、今までのように隠す気がないようだ。
(どうせ、私が百瀬の望み通りにすると、後ろめたく思うくせに)
めんどうなひと。
でも胸の深くを掴まれた心地がして、今すぐに百瀬を抱きしめたいような、たまらない気持ちにさせられる。
「……僕のこと、いやにならない?」
今さら、そんなことを自信なげに言うから、朔夜は黙って空を仰いだ。
夏に向かういまの時期、帰り道でも空はまだ遠く明るい。
季節のうつろいを感じさせるぬくい風が吹き、浅い花の匂いが通り過ぎていった。
「帰ったら、ホットケーキを焼きましょうね」
「……はちみつの?」
戸惑うように何度か瞬きをし、百瀬はやや呆けて幼い声音で尋ねてくる。おずおずと正解を探す子どものようだった。
ふたたび百瀬へと視線を戻し、よどみなく、いつもと同じ調子で答える。
「はちみつとにんじん」
百瀬は一瞬だけ苦い顔をしてみせ、すぐにほろりと頬をほころばせた。
「あれ、でも鳩羽さまのところに寄るんじゃ……?」
「あしたでいいわ」
朔夜は亜麻色の髪を風に遊ばれるままはためかせ、その風に乗せるように、軽やかに言った。
鳩羽が聞いたら呆れるだろうか。もしかしたら、逆に喜ぶかもしれない。
あしたでいい、と言えること。
もう、明日が――未来が怖くないこと。
人か、人ならざるものかもあいまいな自分たちに、今の帝都はきっと優しくはない。
けれど、生きる場所を守ってゆくのも自分たちなのだ。そして朔夜も百瀬も、無力で、ただ怯えるしかない子どもとは違う。
何より、互いがそばにいる。だから、きっと。
「ねえ。百瀬は、結婚式で着るならドレスと白無垢、どっちがいい?」
「それはまだしばらく、迷わせて。次の春まで」
唐突な朔夜の問いにも、百瀬は言いよどむことがなかった。小さな揺らぎにも似た、かすかな不安も伝わっているのだろう。
そっと笑って、頬にかかる朔夜の髪を指先で除け、身を屈めて口づけてくる。
ほんの一瞬のことで、驚いた朔夜が百瀬の肩に手を押し当てるころには、もう離れていた。
「人に、見られたら……!」
「大丈夫」
恥ずかしくてつい唇を押さえる朔夜に、百瀬は蕩けた笑顔で周囲をさし示した。いつの間にか結界が張られていて、そのなかでふたりきりだ。
「お、お父さまとの約束は……」
百瀬が優美に微笑む。
人外めいた美貌のせいで、どこか危うい気配が滲んでしまっている。
「だから、秘密にして、朔夜。『約束』だよ」
百瀬はすいと顔を寄せてささやいた。
「そういう『約束』、安易に結んではいけないのよ」
「そうかな。これでよかったと思うよ、僕は」
安堵のため息にも似た、柔らかな声音だった。それから百瀬は体を引いて、代わりに手を差し出した。
「帰ろう、朔夜」
少し悔しいが、その手を取らないわけがない。しっかりと指を絡められると、胸まで熱がのぼってくる。
心が愛しさで満ちる。
(いまなら、ぜんぶわかる……)
これが、百瀬が朔夜との契約を唆した感情。そして朔夜が百瀬に罪悪感を抱いていた原因だ。
愛しているからそばにいたい。そして幸せでいてほしい。誰よりも。
歩きはじめて、結界が解かれるのを惜しく思った。
「ねえ、百瀬……」
並んで歩く百瀬を見上げると、百瀬は朔夜にみなまで言わせず、微笑みで受け止める。細めたまなざしにふたりだけに通じる秘密を滲ませて、歌うように言葉を放つ。
「今夜は、どんな夢を見ようか」
もの静かな声には、夜闇の安寧がひそんでいた。
朔夜も夜を想い、壊さぬよう声をひそめてささやいた。
「また星を見たいわ。一緒に」
「朔夜の望むままに」
望む未来は同じなのだと伝わってくる。
そのよろこびが、星のように胸に灯っている。
夜闇に輝き、ゆくさきを導いて、自分たちを照らしてくれるのだろう。




