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The Alter Story  作者: 水落護
第十章『夜になった日』
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第八十四話『つみ深き盤面』

 逃げるように帰ってきた獣車の中。エレノアが何も言わないために、ブランクも迂闊に何も言えない。


 一行は現在商会へと向かっている。町工場で受け取るはずだった商品の納品が遅れることを伝えるためだ。エレノアがボソリと呟いて、その様子にランツもさすがに焦りを覚えた顔をしていた。ブランクは無力を覚えながら、ランツに首を振るしかない。


「そういえばさ、さっきランツが心配してたよ!」


 その歯痒さを抱えたまま、ブランクは僕から何か言っておこうか、と続けるのだが。下手を打ったとブランクは思った。使用人が主人の心配をしているなど当然の話題である。何かもっと別の切り口はなかったのかと己を責め立てていたのだが、当のエレノアはといえば、


「えっ。あっ、うん。あのね、ありがとうって、言っておいて」


「えっ」そんな拙い返しをするものだから、ブランクは耳を疑った。常の彼女なら『そ』と短い返事をするか『彼にはいつも感謝しているわ』など毅然とした振る舞いをするというのに、これではまるで子どもと話してるみたいじゃないか。ブランクは思わず戦慄した。


「エレノア……どうしたの? どこか怪我でもした?」

「いや、あの、違うの」


 これは、その、と。しどろもどろになりながら、身振り手振りで挙動不審に否定する少女。エレノアは、もう誤魔化しが効かないと観念したのか、しょんぼりとうつむきながら言った。


「わたし、誰かに怒られたことなんてなくて。だから……びっくりしてしまったの」


 まるで悪さをした子どもが、叱られるのを待っているようなその様子に。ブランクは頭を痛めた。何がどう、というわけでもないのだが、もはや彼女の自罰思考は病的ですらある。筋金入りの誤解をどう解くべきか。ブランクはそれに頭を悩ませていた。すると、


「ごめんなさい。情けないわよね。分かってはいるの」


「お願い、引かないで」と。エレノアが袖口を掴み、捨てられた子犬のようにそんなことを言うものだから、ブランクは引かないよと首を振る。


「突然のことで驚いたんだよね。僕はそんなことで君を軽蔑したりしないよ」


 だから安心して? そう言いながらぽんっとエレノアの頭に手を置いた。するとエレノアは小さく「ずるい」と呟いた。


「どうしてそんなに落ち着いていられるの?」

「え。うーん、なんでだろ」


 そう言いながら、ブランクにはその理由が分かっていた。


(君に格好付けたいから、なんて言えないよなあ……)


 嘘をつきたいわけじゃない。しかしこれをそのまま話してしまえば、彼女の重荷になってしまうかもしれない。彼女には嫌われたくない。それだけは絶対に避けねばならない。心の中ではこんなに取り乱しているというのに、ブランクは至って平静を装った顔で言う。


「修行の成果の賜物かな」


 ダザンの修行は忍耐力も大きく鍛えられた。あながち嘘ではない。ブランクがそうやって自分を納得させながらそう言うと、エレノアは修行? と小首を傾げた。


「国を出る前に、師匠から修行を受けたんだ。それで精神的にも鍛えられたところが大きいかな」

「ふーん……」


 そ、と短く返事をするエレノアは、言葉こそ素っ気ないが、心なしかすこし表情が明るくなったような気がした。


「ねえ。もっとあなたの話、聞かせてよ」

「うん、もちろんだよ。例えば──」


 ブランクがそう言いかけた時。獣車が徐行を始め、停車した。


「あら。着いてしまったみたい……」


 もう、これからなのに、と。エレノアは不服に口を尖らせた。


「行ってくるわ」

「待ってよ。僕もついてくよ!」


 ブランクが一緒に行こうとすると、エレノアは明確に手のひらを突きつけ拒絶した。


「彼らは商人なのよ。あなたが剣をいて行こうものなら、わたしが脅してるように映ってしまうわ。商売はね、信用が第一なの。これまでの信用が失われてしまうことだけは、あってはならないわ」


 だから──、とエレノアはブランクの手を包みあげる。


「あなたはここで待っていて?」


 お願い、と続けられてしまっては、ブランクも何も言えなかった。ここで食い下がれば、彼女を信用していないみたいだ。なんとも言い知れない歯痒さに体の芯が虚ろに縮み上がる。ブランクは犬歯で結んでいた唇を解き放ち、ニカっと白歯を見せた。


「待ってるから、必ず無事に帰ってきてね!」


 ブランクがそう言うと、エレノアは何それ、とクスクス笑った。


「それじゃあ、また後で!」


 ブランクがそうやって右手を握り返すと、エレノアはわざとらしくこほんこほんと左手で咳払いをする。ブランクが何だろうと注意を払えば、窓の外ではしらーっと冷めた瞳をしたランツがいた。


「それじゃあ、また」


 エレノアは平静を装いながら、しかし耳を真っ赤に染めながら、大きな建物の中へと飲み込まれていった。サラがどこに潜んでいるかも分からないこの現状では、その建物が怪物の口にすら見えてしまう。


「ずいぶん熱々だな、おめ」


 ブランクが心の中で祈りを捧げていると、ランツがそうやって茶化しにくる。ブランクは、そんなんじゃないよと首を振るが、ランツは今度は引き下がらなかった。


「ありゃ、完全にほの字だべ」

「……それはないでしょ」


 ブランクは一気に冷や水を浴びせられた気持ちになった。ブランク自身はエレノアに想いを寄せてはいるが、彼女の心はジャンの元にあるはずだ。自分などがそこへ割って入るなど、分不相応もいいところである。


 身の程を弁えなければ、あるいはこの気持ちを知られてしまえば、今のように気軽に言葉を交わす機会は永劫に失われてしまうかもしれない。それならば、期待などしない方が良い。抱えるだけ傷を負うなんて、ただつらいだけだ。


 ランツはまあいいけどよお、と後ろ頭に腕を組む。


「あーあ、おでにも彼女できねっがなあ」

「昨日の今日で!?」


 もう吹っ切れたのか、と拙僧のなさに呆れる反面、この図太さは見習うべきだ、とブランクは思った。だがランツにも思うところらあるらしく。


「トド爺に長く付き合う秘訣、聞ぃとがねっどな」


 一応反省や後悔はあるらしい。歯茎を見せながら、ニタッとランツは笑う。


(しかしトートードさんか……)


 ブランクは鈍色の曇り空に思いを馳せた。きっとこの同じ空の下、エレノアからの依頼でサラの後をつけているのだから、思えばサラが帰ってきているなら先にトートードが戻ってきていないとおかしいはずだ。だから大丈夫なはずだ。


 ──死んでいなければ。


「……!」


 ブランクの頚椎に冷たさが走った。胸の内が縮み上がりそうになると、途端に鼓動が速くなる。煽られた不安に商会の入り口が今にも塞がりそうで、この場で祈ることしかできない自分が心底恥ずかしかった。


 居ても立っても居られずに。ブランクは獣車を飛び出すと、商会の入り口に向かって祈り続けた。ランツが呼びかけるのも構わずに。


(お願いだ。無事でいてくれ……!)


 頼む、頼むと、少年は何度も切に願った。果たして、その願いは通じたか。


「あっ──」


 扉が開いた。中から出てきたのは亜麻色の髪した乙女。ブランクはホッとした。良かった。無事だ。すこし疲れているだろうか。足取りがフラフラしていて覚束ない。


 ブランクは嬉しさと安心感で駆け出した。いの一番に自分が彼女を支えてあげたかった。今日の予定はこれで終わりのはずだ。帰ってゆっくりしてほしい。


「お疲れさま、どうだった?」


 そうやって成果を尋ねると、少女は緩慢と面を上げた。あまりに反応が遅かったために、ブランクは一度聞こえていないとかと思ったほどだ。そして──ブランクは呼吸が止まった。


「ダメだった……。商隊は明日には発つから、すぐにでも用意できないなら意味がないって。それどころか、違約金を払ってもらうって。できないと、わたしとはもう契約しないって」


 石畳に雨が降った。一つ、二つと湿り気が増え、やがて全てが黒ずんでいく。ブランクは浴びせられた冷や水に、浚う風の冷たさを知った。


「わたし、どうしたらいいの……?」


 少女はとうとう膝を折り、うずくまった。

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