第七十八話『朝焼け色の覚悟』
ブランクの中にある疑念は時間と共に膨らんでいった。
厨房の賄いをクロエの元へ運んだ後、エレノアが執務に没頭している様子を見届けた次の日、ブランクは町へ繰り出した。その道中いつもならいるはずの警備の者が門前にはおらず、さすがに不用心過ぎないかと心中穏やかでいられなかった。
何かがおかしい。そう思えば思うほど、ブランクはそれを確かめずにはいられなかった。訪れた町はこの間までとは打って変わって賑わっていた。酒気を帯びて顔を赤らめた男たちがそこいら中で出来上がっていて、ブランクは、そのうちの一人に語りかけた。
「すみません、ここに屋敷の人たちが買い出しに来ませんでしたか?」
「あぁ〜? 屋敷が人で貝出汁ぃ〜? 美味そうだなぁ、そりはぁ!!」
ウェッハッハと大声で笑う男は笑い上戸になり、ずっと笑ってる。もはや話を聞くどころではなく、桶が風で転んだだけでも笑ってる。ブランクは気味が悪くなってその場を離れた。ジャンも酔っ払うことはあったが、酔い潰れるタイプだ。ああも醜態を晒すことはなかった。
(どこにいるんだろう)
集団で出かけたのだから見つからないことなどないはずなのに、広場の近くにはそれらしい人が誰もいない。そればかりか、町の人はブランクと目が合った途端に顔を逸らし、家へと逃げ帰った。怪物か何かのように扱われては、ブランクも気分が悪かった。
「あ。ドマ」
「む…………ブランク」
そんな中、ドマが橋の下を眺めているのが目に入った。清廉ささらと流れる用水路を見ていた顔はどこか重だるく、肩などがっくりうなだれていた。思わず声をかけたブランクであったが、心なしか、ドマの態度がどことなくよそよそしく感じた。
「何かあったの?」
「う……親方に、怒られた」
またか、とブランクは呆れた。ガランドは短気が過ぎる。そう思わせる隙があったにしても、ドマと二人しかいないのだから喧嘩ばかりではやってられないだろうとため息をつく。
「今度はどうしたの?」
「……ぼーっとしてたら、怒られた」
ブランクは思わずむせそうになった。それはドマにも問題があるのでは、と思ったのだが、ドマは真剣な顔だ。ブランクは茶化さず続きを聞こうと思った。しかし、ドマは唇を結んだまま開かない。
「……ブランク」
「……どうしたの?」
鍛治に関する質問ならドンと来い。覚悟を決めて面と向かったブランクに。ドマは……果たして、言った。
「なんでも、ない」
「……そっか」
力不足に見えただろうか。鍛造と鋳造では畑が違う。得意分野も違うのだからそれも仕方のないことか。ブランクは、そう思いながらドマに別れを告げた。
「ブランク……!」
「ん……どうしたの?」
真に迫る声で呼び止められて。ブランクは振り返った。しかし、ドマは未だに何を喋るかを図りかねているようであった。やがて。ドマは言った。
「おれは……おまえを、しんじてる」
「……ありがとう?」
ドマはその言葉を交わすと、背中を向けて走りだした。まるで逃げ去るような姿に、ブランクは疑問を覚えた。何を信じているのかを聞きそびれてしまった。
「……帰ろう」
ブランクはこれ以上は時間の無駄になりそうだと思った。ましてや避けられていると感じている中を歩くのは、とても居心地が悪い。勘違いの可能性もあるが、目を逸らされている相手に話しかけに行くほど、ブランクもまだ大人ではなかった。
そうして屋敷に戻ると、やはり見張りはいない。そうなると二人同時に便意を催したなどという極論すら当てはまらず、ブランクの中の不安をこれでもかと煽っていく。
(まさか、本当に神隠し……?)
物語ではよく聞く話だ。ブランクの中にある不安が底知れない恐怖に変わろうとした時。ブランクの上にある光が消えた。
「わっ!!」
正確には、影に呑まれた。羽音と共に舞い降りたその大男は、鷲の翼をたたむと「やあ」とご機嫌な声で語りかける。
「待たせたかい?」
「レイス! ……と?」ひらひらと手を振るレイスの肩に、ブランクは拳大のカラスがいるのを見つけた。そのカラスはどこか虚ろな目をしていて、まるで生き物ではないかのようだ。
「え。何それ」
ブランクがそう尋ねると、レイスはしたり顔でそのカラスの首根っこを掴んだ。
「うんー? さてはて、これは一体なんだろうねー?」
「茶化さないでよ!」
ブランクがそう凄むと、レイスは大笑いをした。
「アッハッハッ、君は本当にからかいがいがある。さあ、これがきっと君の望んでたもののはずだよ」
レイスがそう言いながらカラスの背中を押すと、クチバシがぺんっと跳ねてかっ開いた。ブランクがそれにおったまげて飛び退くと、カラスの喉奥からおよそ生き物とは思えない、何かを探すような物音が聞こえてきた。そして──、
『…………ブランクか?』
「その声……ダザン?!」
カラスの口から聞こえてきたのは掠れているものの、確かにダザンの声だった。まさか、カラスの口から聞こえてくるとは思ってなくて。ブランクはレイスとカラスとを見比べた。
「悪いけど持つのを代わってくれるかい? 結構魔力を使うんだよね、これ」
「あっ、ごめん」
「ついでにこれもあげるよ」「うわっ」
ブランクにカラスを手渡したレイスは、一緒にガラス玉も投げた。ブランクがそれをなんとか腹で受け止めるのを見届けてから、レイスは再びその大翼を開いた。
「積もる話もあるだろう? 僕は気になるものを見かけたから、ちょっと見てくるよ」
それじゃ、と告げると、レイスは飛び立った。ブランクは商隊でも見に行ったのだろうと思った。
『ブランク、聞こえているなら返事をしろ』
「へっ? あ、はい!!」
何故かカラスに正座をして向かい合ったブランクに、カラスの口がカタカタと動きながら話しかける。
「えっ、ちょっと待ってこれ話せるの?」
『ブランク、いいかよく聞け。お前の能力の正体が分かった』
「……!」続く言葉に、ブランクの顔色が変わった。
ついに、と思った。このためにレイスを使ってグランヴァレフの国越えをしてもらった。空からなら国境を容易に跨ぐことができるからだ。単身乗り込んだなら大騒動になるだろうが、ブランクの持たせた魔道具がレイスの身元の安全を証明した。
ダザンから必ず知ってるはずだと睨んで、調査を依頼したのだ。その結果、レイスは最高の結果を運んできてくれたらしい。
後で彼に報いなければ。そう思いながら固唾を飲んでいると、ダザンはついに核心を切り出した。
「ブランク。お前があの日得た能力の正体。恐らくそれは〝時の流れに抗う力〟だ』
「時の流れに、抗う力……」
思い当たる節は多々あった。あれらの体験は未来を視たというにはあまりにも生々しく、現実味があった。冷たい洞窟で節々の痛みに知識が遠のいていった時。理性を溶かされそうになった時。生きたまま氷漬けにされた時。毒液で殺されそうになった時。
ブランクが危機に陥った時、あるいはこのままではいけないと思った時に、その力はいつだってブランクを助けてくれた。
『いいかブランク、よく聞け』
その力を、今度こそ使いこなせるのだ。ブランクはワクワクしながら耳を傾けた。
『その力は──もう使うな』
「……え?」
聞こえた言葉を疑うその瞬間までは。
『渡した玉に、能力を封印しろ。歴史を変える力などあってはならん』
「……」
ブランクは、頭に金槌でも打ち込まれたようだった。信じていた師に、自分の力の否定をされた。そればかりか、自分の力を奪おうとすら言うのだ。
「……理由を聞いてもいい?」
『……不確かなことは言えん。良くないことが起こる。それしか分からん』
それがダザンなりの誠実さなのだろうと、ブランクはひとしおの納得をした。だがしかし、ダザンにしては妙に歯切れの悪い物言いをしている。ブランクはそれがすこし引っかかった。
「どういうキッカケで発動するの?」
『知ってどうする』
「……間違って発動させるといけないと思って」
ブランクの言葉に、ダザンは少しの沈黙を経て、やがてため息をついた。
『強い思念が必要となる。一切の雑念を抱かぬほどの、強い思念が。お前が気にすることではない』
なるほど、とブランクは思った。それから、慎重に言葉を選んだ。
「玉の使い方は?」
『血を用いて玉に円を描くのだ。たったそれだけで済む』
「……分かった。血印を記すんだね」
『ああ。それで力は封印される。やはり、持ち出してはいかん能力だったのだ』
「……うん」
『他に、何か話しておきたいことはあるか?』
ダザンに促され、ブランクはすこし黙る。それから、記憶に新しい出来事を、しずしずと語りだす。
「……賢者の書の、地下を見た」
『……そうか』ダザンは、短い言葉で押し黙った。
「怒らないの?」
『怒って何になる。お前が切り出したということは、お前が一人前に受け止められたということだろう。もうワシがどうこう口を出すことではない』
ぶっきらぼうな口調であるが、その裏には師の懐の深さが見えた。ブランクは、温かさと同時に、胸にすこしの痛みを感じた。
『他に話したいことはあるか?』
「……ううん。いつもありがとう」
ブランクは、それじゃあ、とカラスの頭を撫でて、首を傾げた。
「これってどうやったら効果が切れるの?」
『手放してしばらく待つか……あるいはクチバシを閉じるかだ』
これか、とブランクがクチバシの上下を掴んで閉じると、パチンと音が鳴り、それから、カラスはまた眠ったように黙りこくった。
「ありがとう、ダザン!」
返事はない。ブランクは改めてすごい魔道具だ、と、感心するのだが。その一方で雲に光をさらわれた雲の下、ブランクの気持ちは一向に晴れなかった。
「ごめん、ダザン……」
ブランクは決意を目に矯めて、そう呟いた。
きっとダザンの言葉は正しいのだろう。運命に抗うことなど、本来あってはならないことだ。そんなことはとうに分かってる。分かっているのだ。
しかし。どうにも自分の気持ちを抑え込むことなど、できやしなかった。ブランクはもう気づいていた。その気持ちに嘘をつくことなどこれ以上できやしない。
この屋敷に来てから、ブランクの頭の中は、彼の亜麻色の髪をした少女のことばかりだ。
ああ。どう取り繕おうとも、自分は彼女のことが好きなのだ。彼女が泣いていたら笑っていてほしいと願うし、笑っていれば、この時間が長く続けばいいと思う。
でもブランクは知ってしまった。気づいてしまった。この世界でエレノアは、きっともう、心の底から笑ってなどくれない。笑いの終わりにはいつも口角が寂しそうにつり下がる。
ありがとう、目覚めてくれて。そう笑った彼女の顔は、今にも壊れそうだった。触れれば弾ける泡沫のように、あるいはすこしの痛みで砕け散る玻璃細工のように。
まるで、笑っていることをいけないことのように思っているような。そんな痛々しさが、そこかしこに見受けられて、ブランクは、彼女の笑顔を奪った世界を変えたいと。心底そう願った。願ってしまった。
彼女の髪から溢れる甘く澄ました香りが好きだ。胸を満たせばそれだけで幸福になれる。彼女と面と向かって話す時間が好きだ。あの色気のある緑青色の瞳から、目を逸らさなくて良いからだ。何よりも、彼女の心地よい声に鼓膜を揺らされるのが、たまらなく好きだから。
きっとこの思いは実らない。何故なら彼女が好いているのはジャンだから。自分の憧れの親で、兄貴分。でもそれでいい。実らなかったからなんだというのだ。
彼女に幸せになってもらいたい。その心に嘘偽りなどあるわけがない。彼女の頑張りが、その努力が報われない世界など間違っている。
だからもう後戻りなどしない。できやしない。そのためなら、
「僕は──世界だって裏切ってみせる」
決意を矯めた瞳は、朝焼け色に輝いていた。




