エピローグ『固められた決意』
「あら。いらっしゃい。ごめんなさい、今はあまり喋っている余裕がないの」
そう言いながら。エレノアは、机の上に置かれた台の中にある、棒を滑る玉を弾きながら渋い顔をする。ブランクには何をしているのか見当もつかなくて、首を捻る。
「何してるの?」
「……計算してるの。新しく鉱脈を見つけたそうだからそこに人を派遣したいのだけれど、人件費が工面できなくて。どうにも歯痒いのよ」
はあ、と深く息をつくエレノアに、ブランクは唇を結んで、確かに頷いた。
「ほら。君の好きな蒼茶を持ってきたよ。少しは休んで」
「ありがとう。でもこれだけは言っておくわね」
改まった態度に、ブランクは「何?」とお茶を淹れながら言葉を返す。
「ネロにわたしの召使いだって言ったのは言葉の綾なのだから、あなたも馬鹿正直にそんな真似事をしなくてもいいのよ。もう少し有意義に時間を使ってちょうだい」
そう言われて、ブランクはクスッと笑みをこぼした。
「それなら心配いらないね。僕は今、君と時間を過ごすっていう有意義な使い方をしているから」
「なっ……! あなた、そんな歯の浮くようなセリフをよくも──!」
すぐに軽口だと気づいたのか。エレノアは「ばか」と言いながら、そっぽを向いた。ブランクは、まさかジャンから聞かされていた女たらしの武勇伝が、こんなところで役に立つとは思わず、思わぬ伏兵の存在に、心の中だけで感謝を告げた。
「ほら、どうぞ」
「……どうも」
恐る恐る指の腹で茶器の胴に触れた少女は、意外に首を傾げ、それからすんすんと匂いを嗅ぎ、口に含んだ。
「……おいしいわね」
「お湯の温度を下げてみたんだ。どう?」
猫舌な少女を思ったからだったが、果たしてエレノアは言った。
「六十点。香りが開いてないわ」
「ええ……」
まさかダメ出しを食らうとは思ってなかったブランクは、ショックで肩を落とした。その様子を見て、エレノアはクスッと笑った。
「でもありがとう。気持ちだけでも嬉しいわ」
「次は……満点を取ってみせるよ」
ブランクが強気に出ると、エレノアはあら、と付け加えて、
「わたしの評価は厳しいわよ?」
「望むところさ」
ブランクがそう言うと、エレノアはふふっと笑い、クイっと茶を飲み干した。
「さて。今日はもう一山片付けるわ。ありがとう、ブランク」
新しい書類や手紙の山を見ながら、エレノアは肩を回した。
「もうすぐ、きっと。その苦労は、報われるよ」
「……うん?」何か言ったかしら、と小首を傾げたエレノアに。ブランクはなんでもないよ、とはにかんだ。
「さて、これを片付けてくるよ」
閉ざした扉を背にして「よし」と頷いたブランク。すると──執務室へ向かって、黒髪を束ねた女がしずしずと歩いてくる。
「おや。この度は、とんだ災難でしたね」
「……」
はにかむ女に、ブランクは目一杯恨みつらみを込めて睨みつけた。するとサラは「おお、怖い」と、ちっとも応えない様子で肩をすくめる。
「嫌われたものですね。わたくしが何かしましたか?」
「覚えがないのか?」
「生憎ですが」
涼しい顔で全てを受け流す女は、まるで尻尾を見せやしない。その食えない様子は、これまで幾度となくエレノアの追求を逃れたのだろうと思わせた。しかしブランクは違う。
「……そうか。なら覚えとけ。僕は、絶対にお前を許さない」
本人から直接事の顛末を聞いた少年には、その中で確たる熱が燃え盛っていた。
「いいか、彼女に二度と近づくな。いいや、二度と近づけさせやしない。分かったか!」
ブランクが鋭い声でそう言うと。そのメイド長は「まあ、怖い」とうそぶくように笑い、執務室の前をスタスタと通り過ぎていった。
「そのために、やらなきゃいけないことは──」
ブランクは屋根裏部屋へと向かった。クロエはまだ眠っているが、唇や頬の色は、かなり赤みが戻ってきていた。
「今回はありがとう。本当に助かったよ」
ブランクがそう言うと、レイスは大袈裟だなあ、とキナ臭く笑う。
「礼なら彼女に言いなよ。僕は連れてきただけさ。まあそれが難しいのも分かるけどね」
レイスの視線の先では、ベッドの下に潜り込む女の姿があった。それは頭隠して尻隠さずな、なんとも情けない姿だった。
「あの……」
「ひゃぃ痛ッた!!」
ゴンっ、とぶつけたような音が響き、尻と足が跳ねた。ビクビクと動くそれに、ブランクは何とも言い知れぬ申し訳なさを感じた。
「あの……ありがとうございます。彼女も僕も、おかげさまで助かりました」
ブランクが自分とクロエのことでそう声かけると、女は顔一つ出さないまま「ああ〜」とそのままの体勢で会話を続けた。
「お気になさらず! やるべきことをやったまでです!」
尻から伸びる馬の尾を揺らしながら。女はそうやって明るい声色で答えた。それから、
「こんなことを言うのもなんですが! 人付き合いは考えた方がいいと思います!」
「人聞きが悪いことを言わないでくれよ」
痛い、と言いながら。レイスに蹴られたその女は、お尻を押さえて激しく慌てふためいた。
「大丈夫、毒を食らわば皿までです」
ブランクがそう言うと、レイスは肩をすくめて苦笑した。
「おいおい、君までひどい言い草だね。僕たちは友だちじゃないのかい?」
「……そうだね。友達なら、僕の頼みを聞いてくれるかい?」
呆れたようにおどけるレイスに。ブランクはこっそり耳打ちをした。すると──レイスは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まった。
「それは……本気かい? 君は、僕にそんな危ない橋を渡れと言うのかい?」
「嫌なの? 僕らは、友達なんだろう?」
ブランクがそう言うと、しばし張り詰めた空気が流れた。そうして三度、瞬きをすると。レイスは「分かったよ」と観念したように背を向けた。
「まったく。君は人使いが荒いね。それに、突拍子もないことを言う」
「お互いさまでしょ。僕に何を求めてるのかは知らないけど」
こうなれば利用できるだけしてやる、とブランクはしたたかに腕を抱いた。
「物は後で渡すから、なるべく早く準備を済ませておいて」
ブランクの言葉に。レイスは「やれやれ」と背中を向けたまま肩をすくめた。
「高くつくよ?」
「それでも譲れないものがあるから」
ブランクがそう言うと。視線だけでこちらを見ていたレイスはくるりと体を翻し、指を鳴らして片目をすがめた。
「気に入った! さすがは僕の友だちだ。それでこそ付き合い甲斐があるというものだね」
「何をさせられるのか考えるだけで、僕は今から憂鬱だよ」
レイスはブランクの言葉にははは、と乾いた笑いで応える。
「楽しみにしといてよ。三度の依頼、全てが命に関わるものだ。友達価格とはいえ、今回は僕が命懸けだからね」
「本当に友達なら、タダで働いてくれてもいいんだよ」
ブランクがそう言うと、レイスはまさか、とそれを一蹴する。
「人付き合いは等価交換で成り立ってる。それは単純利益であったり、心の平穏であったり。理由はなんであれ、人を顎で使う関係は友だちなんかじゃあないよ。真っ当な関係とはとても言い難い」
「うっ……」
それは確かに、と。ブランクは、今更遅い良心の呵責に襲われる。
「でも……僕の素敵な友達ならやり遂げてくれると信じてるよ」
ブランクが皮肉めいた言い回しをすると。レイスは数回目をパチクリとさせ、それから腹を抱えて笑った。
「君は……とても面白いね。うん。やっぱり、僕の友だちにふさわしい」
「ありがとう。じゃあ、お願いするよ」
ブランクがそう言うと、レイスは任せて、と部屋を後にした。
ちらと窓の外を見見遣る、先ほど諍いあったサラが屋敷を後にするのが見えた。
(クロエ……君も早く目覚めてくれ。彼女にはまだ、君の支えが必要なんだ)
サラのことも気がかりで。しかしブランクにもやらなければならないことがある。
「また落ち着いたら、ノワール領の案内を、きっとしてもらうよ」
眠る少女に背を向けて。ブランクは腰のポーチから本を取り出した。それを机の上に置くと、ブランクはその本に手をかざし、頷いた。
「さあ──開け、賢者の書!」
ブランクが本の中へと吸い込まれると──。
辺りには優しい陽の光と、静けさだけがただ取り残された。




