第九十七話『足並みをそろえて』
それから、エレノアは半ば強引にリーリエの手を引いて屋敷を後にした。もしも父親と顔を合わせようものならば、淑女らしからぬ憎まれ口が飛び出してきそうだったからである。加えて、これからリーリエがアルフレッドと合流するならば、家にいる理由など一つもない。
そうして二人は、ツェールドマルク家が所有する別邸まで獣車で移動した。到着して早々に機械仕掛けの使用人たちに部屋へと案内された。すこしのぎこちなさを残しつつも、静々と責務をこなす姿は、どこか不気味に見えた。先行くリーリエはお辞儀した機械人形の肩にトンと手を預け、労いの言葉をかけた。
「この子たち、案内はできるけれど人の顔を覚えてくれないのよね。お父様もこれは失敗作だって落胆してらしたわ」
「そ、そうなんだ……」
ツェールドマルク家はすこしだけ変わっている。屋敷内を見回しても、普通の使用人などどこにも見当たらない。人の顔を覚えられないなら、もしも悪人が来たらと問うと、かつてリーリエは言っていた。
『昔、我が家に強盗が入ったの。さあ、どうなったと思う?』
翌日には原型を留めていなかったらしい。らしいというのは、その現場を見ていなかったからだ。教育上の問題から父親に止められたようだった。それから迂闊なことは一つもできないと震え、リーリエの家に寄るのはしばらくぶりであった。だが、使用人が死んだという事件も聞き及ばぬのだから、きっとただの取り越し苦労なのだろうとエレノアは考えた。
「わあ……!」それ以来のリーリエの私室である。無機質な使用人たちとは打って変わり、リーリエの部屋はかなり少女趣味だ。しかし、エレノアにとって憧れのリーリエの部屋は、そう見せかけているようにさえ見える。あるいは照れ屋なのかもしれない。
「さあ、おかけになって」
「ありがとう」
そう促されてエレノアは椅子に腰をかける。リーリエもそれを確認してから腰をかけるのだが、エレノアはそれが気になって口を尖らせた。
「リーリエ、いつも思うのだけれど、わたしたちは親友よ。そんな他人行儀によそよそしくされると、わたしだって居心地が悪くなってしまうわ。もっと肩の力を抜いて欲しいの」
エレノアがそういうと、リーリエはまさか、肩をすくめる。
「あなたは公爵家の御令嬢で、あたしは伯爵家の娘なのよ? 身分の上では、あなたの方が遥かに位が高いの。そのような無礼な真似、あたしにはとてもとても……」
「リーリエ……」
芝居がかった口調に、エレノアは途端に白けた顔をした。
「あなた、わざとしてるでしょう?」
「あら、バレた?」リーリエは舌をぺろりと出しておどけてみせる。
「リーリエ、あなたには魔術の才覚がわたしよりもあって、学院の成績はわたしよりも上よ。あなたがわたしを敬ってくれているように、わたしもあなたを敬ってるわ。あなたとの関係を身分なんかで縛られたくないの」
分かるでしょう? と問われ。果たして、リーリエはくすりと笑ってみせた。
「ごめんあそばせ、意地悪をしてしまったの。あなたがかわいいから、つい」
「……だと思った」口を尖らせながらしらーっとジト目なエレノアに、リーリエはくすくす笑っている。エレノアがつんとそっぽを向くと、リーリエは「ごめんごめん」と悪びれなく謝った。
「まったくもう、調子がいいんだから」
「エレノアは真面目だから、すこし肩の力を抜いた方がいいわね」
「……なによ、それ」
得意顔なリーリエを見つめながら、エレノアは羨ましく思った。このような余裕があれば、父にも大人だと認めてもらえたのだろうか。しかし、リーリエはエレノアとそんなに大きく年齢がかけ離れているわけではない。同じ十代なのだ。エレノアは雑念を振り払った。
「それにしてもわたし、運がいいわ。あなたとアルフレッドが今日会うだなんて!」
話を切り替え、心を一新させる。今は目先のことだ。リーリエとはもう長い付き合いで、このからかい癖は今に始まったことではない。気にしていても仕方がない。リーリエもことさら気にする様子もなく「元々話の続きを聞かせてもらうところだったのよ」と乗り気だ。
「そうでなければ、あなたのお茶会をもうすこし楽しんでいるところよ。証拠とかも探してもらったりね」
「……しょうこ?」
「ええ」
ただ、他家の事情を好き勝手吹聴するのはいかがなものかしら。あとはアルフレッドの口から直接聞いて欲しい。と、リーリエから仔細は教えてもらえなかった。それだからだろう。エレノアはどこか不穏な空気を感じていた。しかし困難は大きければ大きいほどいい。父もまた認めてくれるかもしれない。そんな期待と不安が入り混じったまま、リーリエと他愛のない世間話をエレノアは続けた。
「リーリエ、来たよ」
それからあまり時間をかけずに彼らは訪れた。扉から小気味よい音を立てながらノックが三回ほど鳴り響く。
「ネロも連れてきたんだけど……良かったかな?」
どこかおどおどとした印象のある声。エレノアの知っている男の子の声だった。
「あら、いらっしゃいアルフレッド。ええ、もちろんよ。早く入っていらして」
「ネロって……ホーエンハイム家の?」
「そうよ」リーリエは言う。
一言二言と扉を挟んで会話している内に、扉は開かれた。入ってきたのはエレノアと同じ歳の頃の男の子が二人。一人は金髪蒼眼の男の子。アルフレッドだ。もう一人が黒髪に血色の瞳の男の子──ネロである。
愛想よくはにかむアルフレッドに対してネロはいつも無口で、彼が普段何を考えているか分からない。エレノアも彼に対する苦手意識がなかったわけではないが、リーリエやアルフレッドが馴染みのある相手でもある。袖にすることはできない。だが彼もまた同じ苦手意識がエレノアにあるらしい。ネロはいつもエレノアをジッと睨みつけていて、エレノアはそれが気がかりだった。
「ネロ、わたしの顔に何かついてる?」「……何も」
「そ、そう……」
思いきって尋ねてみたものの、その双瞼と共に対話の窓口は閉ざされた。顔を背けたネロに、エレノアは気まずそうにうつむく。しかし二人を立てるのだとかぶりを振って顔を上げると、アルフレッドとリーリエは急いでエレノアから視線を逸らした。エレノアは思わず首を傾げた。
「……二人とも、どうしたの?」
「べ、別になんでもないわ!」
エレノアは感じた。どうしたんだろう。二人とも明らかに動揺しているし、慌てている。普段から感情表現豊かなアルフレッドならともかく、リーリエが慌てているのはどこか新鮮だとエレノアは感じた。意趣返しにからかってあげようと嗜虐心をそそられたエレノアは、小悪魔のようにイタズラな笑みを浮かべ、「リーリエ?」と得意げに切り出した。
「わたしたちって親ゆ」「そうね!」「──ま、まだ何も言ってないわよ!」
食い気味の言葉にエレノアは出鼻をくじかれ、しどろもどろになる。賢しいリーリエがその隙を見逃すはずもなく、淑やかなる胸を張り、悠然たりと本来の調子を取り戻した。
「あなたの言うことはだいたい分かるのよ!」
ふふん、とまな板に手を置く少女に、エレノアは「あらっ」と揺るがぬ優位を信じ、漫然と微笑む。
「それならアルフレッドと二人して隠したこと、わたしにも教えて下さる?」
「かか、か、隠しごとなんてし、してないわよ!」
リーリエはぷいっと顔を逸らした。普段、リーリエはエレノアに対して隠しごとはしない。仮にしたとしても下手だし、すぐに分かる。明らかに無理をしているのが見て取れた。もう一押しすれば喋ってくれそうだ。エレノアが、悪童じみた笑みを浮かべた──その時だった。
「それよりもアルフ。例の件についてだが」
「あっ……ああっ、そうだね!」
二人の様子を名残惜しそうに見ていたアルフレッドが、ネロの一言によって咳払いをする。
「えっと……エレノアにも分かるように最初から言うね?」
言われてエレノアはハッとした。そうだった、アルフレッドから悩み事を聞くのだったと。ネロが言っていなかったら夢中になってリーリエを問い詰めていたかも知れない。リーリエの隠した事も気になるが、今はそちらが最優先である。また別の機会に尋ねることにした。エレノアはすぐに思考を切り替えた。
「僕の父さんが商業を生業にしているのは知っているよね?」
「当然よ。ラーゼンヴァルグ家とツェールドマルク家の技術の粋を集めた機車を、一番利用しているお得意様ですもの。アルフレッドのお父上、ツェードニッヒ・ヴェレニオン伯爵がその伯爵たる地位を得るまでに一代で築き上げたヴェレニオン商会が収めた功績と言えば、この国で知らない人を探す方が難しいわよ」
尋ねられた内容はこの国ではもはや一般常識に近い。それほど大きな商会の頭取である上に、生産と商業は切っても切り離せない仲にある。莫大な利益を共有している間柄でもあり、アルフレッドと親しいのはその為だ。リーリエと仲がいいのも、生産と発明が綿密な関係にあるからだ。発明だけあってもそれは設計図止まりのただの紙切れであり、それを現実へと移すのが生産の仕事である。そして生産したものを売るのが、商会の役目である。エレノアとアルフレッドが顔なじみなのもそのためだった。
今さらなぜそんな話を、エレノアが考えていると、アルフレッドは「そう、それでね」と歯切れ悪く切り出す。
「その父さんがね、最近ちょっと、ヘンなんだ」
「ヘン? 何がヘンなの?」
エレノアが尋ねると、アルフレッドはうーんと唸り声を上げた。しかしヘンだけでは何も分からない。そのため続く言葉を待っていると、アルフレッドはとうとう「どう切り出したものだろうか」と迷いながら続けた。
「僕にも義母さんにも内緒でどこかへ出かけることが増えたみたいなんだ。前は仕事の時でも僕や義母さんには伝えてくれていたのに、最近は口を利く事も少なくなってしまってさ。それからちょっと変だなって色々調べ始めたんだ」
アルフレッドの家庭事情を聞き、エレノアはあら、そんなものかしら、と腰に手を当てる。
「わたしも最近お父様とは目も合わせていないわ。それどころか顔まで背けてるんだから」
エレノアがどうだと胸を張ると、リーリエは呆れたようにため息をついた。
「あのね、エレノア。あなたの場合は意図的にそうしてるのだろうけれど、アルフレッドは違うのよ?」
「そうなの?」
「俺も父や母とはあまり話さない」
「ほら、ネロもそうですって」
アルフレッドに尋ねたつもりだったのだが、ネロが同意してきた。意外ではあったものの自分が変という訳ではなさそうだ、とエレノアはすこし安心した。
「あのねー……。ネロとエレノアは例外よ」
「どういうこと?」
「ネロは元々無口だし、エレノアは反抗期でしょ?」
「む……」「違うわよ、もう!」
反抗期ではない、とはあえて言わなかった。ここで言葉にして否定したら、いかにもそう言われたから否定したんだと思われそうだったからだ。それにしても、リーリエはわたしのことをそんな風に捉えていたのだろうか。だとするならばすこし心外だ。エレノアは口先をつんと尖らせながらそう思った。
「まあ落ち着いてよ、エレノア、ネロ。あとリーリエもね。とにかく、今から話す事は絶対に誰にも言わないでね?」
「分かってるわよ、アルフレッド。私たちの仲じゃない」
「…………実は──」とうとうこの時が来た。アルフレッドが口を開いて言葉を発するまで。何故か時間がとても長く感じていた。エレノアはこの時を楽しんでいた。まるで、宝探しをする子どものように。
「────僕の父さんが、裏で奴隷商を始めたらしいんだ」
「ふーん……ええぇぇえええっ、奴隷しょッむふう!?」
「しぃーッ、エレノアっ、声が大きいわよっ、奴隷商なんて滅多なこと言わないでッ!!」
「リーリエの声も丸聞こえだよ!?」
アルフレッドの的確なツッコミもエレノアにはよく聞き取れなかった。何故ならリーリエに鼻と口を塞がれて呼吸ができなかったからである。エレノアは涙目になりながらその悪意なき罪深き手を叩いた。
「ん? ああー、ごめんごめん」
「はぁ、はぁ……親友に殺されるかと思ったわ」
気づけばリーリエは、悪びれる様子もなくパッとその手を離した。エレノアにしてみれば喋ってる途中に呼吸もままならないほど強く押さえつけられたのだから、たまったものではなかった。しかし聞き逃しようのない事実はまだ鼓膜に残響を残している。
「でもアルフレッド」
呼吸を落ち着けた後、エレノアは苦笑いをしていたアルフレッドへと向き直った。唐突に話を振られたからか、キョトンとした青い瞳が雲ひとつ無い爽やかな大空のようにエレノアを見据えている。だが彼は前提としてこの問題の根本的なところを分かっていない気がする。エレノアはその核心を切り出した。
「奴隷商なんて、ヴリテンヘルクの法律では認められていないわよ。だって、部族統一後、全ての国民は皇帝陛下の下に平等とされているんですもの」
ヴリテンヘルクは近年になって皇帝陛下の下に部族が統一されて生まれた国である。それまでは部族同士の争いも多く、支配や侮蔑による衝突など数えきれないほどであった。皇帝陛下が平等の名の下に統一した時は、大陸に衝撃が走った。グランヴァレフなどは頭が痛くなったはずである。見下していた亜人が団結し、手がつけられなくなってしまったのだから。
当然反発も起きたが、それを圧制したのがエレノアの父・クロノアの役目であったらしい。だからこそ公爵にまで成り上がっているが、実際のところそれが原因で父と交流する時間ができないのだ。エレノアはそれを思えば、恨めしさに眉間が溝を掘る。
それを知ってか知らずか、アルフレッドは「そうだね」と優しく肯定する。
「だからこうして頭を悩ませているんじゃないか。気が気じゃなくて、おちおち夜も寝れやしないよ」
「でもアルフレッド、それで、その証拠は集められたの?」
「それが、見つけられなくて……」
エレノアが尋ねれば、アルフレッドは首を横へ振る。アテが外れたといえばそれまでではあるが、エレノアはすこし残念そうに続けた。
「ふーん。じゃあ何も進展はなかったのね?」
「いや、それがそうでもないんだよ。ほら、見てごらん」
アルフレッドはそう言いながらジャケットの内ポケットからゴソゴソと何かを探り出した。そして、目的のものを見つけたらしい。迷いなく取り出したそれは、黒い封筒に入った手紙。封蝋は解かれているようで、留め具である紋章入りの蝋は既に割れていた。だが注目すべき点はそこではない。視線をなぞらせた内容が問題であった。
「これは……!」
「僕は……一体どうすればいいだろうか。まさか父さんがこんな大それた事をするだなんて思ってもみなかったし、このままでは亡くなった母上にも申し訳が立たない。それだけじゃない。もしこんな事が議会に知られでもしたら……爵位の剥奪だけじゃ済まないよ」
確かに〝こんなモノ〟を見つけてしまっては気が気でいられないだろう。エレノアは嚥下に喉を鳴らした。
「そうねー。家門の取り潰しどころか最悪一族郎党揃って斬首……なんてね」
「リーリエ、あなたのジョークは品がないわよ」
エレノアが声をかけるよりも早く、リーリエがそんな事を言ってしまった。首を横に一線引く行為は本当に下品だ。ましてや今、目の前にいる友が最も恐れていることを軽率に口にしてしまうのは、いささか配慮に欠けるというもの。舌を出して「ごめんあそばせ」と謝罪こそしているが、やはりリーリエはわたしとは系統が違えどもどこかお転婆なところがある。
エレノアが密かにそう思っていると「とは言え」とネロが珍しく声を上げた。
「事実ならばあながち間違ってもいないだろう。事態は急を要する。アルフの父親の事で、アルフ自身が罪に問われるのは避けたい。エレノア、良ければ君の力を貸して欲しい」
「もちろんよ。それはそれとして……」
言おうか言うまいか。悩んだ末に、首を傾げたネロへと向けてらエレノアはやはり言った。
「ネロ、あなた意外とお喋りだったのね」
突然流暢に喋り出したその姿にはさすがに驚きを禁じえなかった。ネロは顔色一つ変えることなく、かといっえ視線を逸らすこともなく、数秒止まって思考を巡らせると、エレノアにその解を述べる。
「…………いつもだろう」「そ、そう……」
不思議な間も気になるところではあるが、どれだけ喋るかなどは、人それぞれのペースがある。もしかすると、ネロも自宅ではよく喋る方なのかもしれない。そんな姿は想像もつかないが、きっとそうなのだろう。エレノアはあまり深く考えないようにした。
「とりあえず行って確かめるしかないね。取引をする日時と街は分かったけど、この〝例の場所〟が分からないから、これは地道に聞き込みをしていくしかないかな。あまり大事にはしたくないから、大人には内緒にしてほしい。それに、一日仕事ではないから、都合上学院も何日か休む事になる。みんなは大丈夫かい?」
迷惑をかけることになる。降りるならここだとアルフレッドの物言わぬ視線が告げてくる。だが、エレノアには元より断る理由などなかった。
「ええ、当然よ」「問題ない」「高くつくんだから!」
足並み揃えて続けたネロと比べたら、とんだ肩透かしだ。ずっこけそうになったものの、なんとか踏みとどまった。エレノアが苦笑を浮かべて見ると、リーリエは不敵に笑っている。
「リーリエ、あなた……」「あははっ」
気さくに笑って済ませるアルフレッドの懐の深さに、リーリエはもっと感謝すべきだろう。もしわたしが将来結婚するならば、性格はこういった大人の余裕がある人だと良いな、と。エレノアはそう思った。




