第九十五話『呪い』
ブランクは腹部にかかる圧迫感に、内臓が口から飛び出しそうだった。ブランクは抉れた土ごと大蛇の大口に咥え上げられ、その圧倒的な質量で食いちぎられようとしている。
「ぷ……ぷろてまッ……!」
ともすれば開いた口から全てがこぼれ落ちそうな思いをしながら、ブランクはなんとか息だけを声に乗せ、魔術を重ねた。しかし二重演算のプロテマの効果時間は短い。手元には剣もない。本能が演算を済ませたが、次に同じ二重演算ができるかは分からない。
(耐えろ、耐えろ、耐えろ……!)
骨盤がバラバラに外れそうだった。あるいはもうすぐ砕けるのかもしれない。ビリビリと走る神経痛が、各所の人体としての在り方の限界を訴えていた。ブランクは水に金槌と知りながらも大顎を両手で押さえつけ、なんとか開かせようとする。
「あぁっあああ!!」しかし次に走るのは激痛だ。元々ゴアドの負荷で両腕も限界だった。指先がぐにゃりと曲がる。息が漏れて体が圧力に負けそうになる。重ねがけしていなければ間違いなく内臓が飛び出ていた。
(クソ、何か方法は──)
ブランク死に物狂いで頭を働かせた。その頭の中には、今際の際のように記憶が押し寄せて。
「あっ」ブランクは一つ方法を思いついた。しかしそれが上手くいく保証がない。そもそも、サラがあとどれだけ暴れられるか。今の自分にこの後抗う術はない。
(いやいやいや、迷ってる場合かっ、僕がここで死んだら、誰が彼女を守るんだ!)
もはや気を失っている少女の味方など、この場にはどこにもいやしない。ブランクは自分の直感を信じた。
「──ラズンッ!」ブランクは自分の体重が重たくなるのを感じた。すると、ブランクの体をなんとか食いちぎろうとしていたサラの顎に振られ、ブランクの体は遠心力任せにポンっとサラの口から放り投げられた。
「ぐっ、うぅううッ……!!」
地面を転がる痛みに、思わず獣のような唸り声が出る。ブランクは激しい痛みに歯を食いしばりながら、大蛇の方を見遣る。
「……やったのか?」
標的を見失ったからか、はたまた活動限界を迎えたのか。大蛇はのけぞり、のたうち回ると、地鳴りを響かせながら痙攣している。ブランクは足元を取られそうになりながらも気絶する少女を歯を食いしばりながら抱え寄せると、足先で魔法剣を引き寄せようとした。
「──プロテマッ!!」
やぶれかぶれの一撃か。大蛇はその身を使って二人をすり潰さんと降りかかった。直後に轟音と土煙が立ち込める。舞う砂が赤みを帯びて光っていたが、徐々にそれが晴れると中の全容が姿を現す。
「……あなたの負けだ、サラ」
「……そうね」
上擦った声が静かに肯定の言葉を認めた。サラのくくってあった長く美しい黒髪は見るも無惨にボサボサに縮み上がり、上半身だけで胸を上下させている。大蛇の姿を留めることもできなくなっては、もはや戦意など瞳に宿ってはおらず、闘志なぞ微塵も見られやしない。
「ふ。ふふふふふふ……」
不気味な笑い声。先ほどまで舞う灰のように燃え尽きていた声が、再び熱を取り戻した。
「あれだけ準備をしてきたのに……失敗するとは。無様なものね。愚かだわ。本当に愚か」
「……一つ聞かせてほしい。どうして僕らをすぐ殺さなかった?」
ブランクが答えて、と念を押すと、サラは数回胸を上下させながら目を伏せる。それからふっと一息つくと、その手を昏い夜空へ差し向けた。
「どうして……かしらね。苦しんだ姿が見たかったと言えばそうだし、すぐに殺しては……そう、勿体ないと思ったのかしら」
ふざけるな。ブランクがそう声を荒げようとした時だった。
「あるいは──生きて償ってほしかったのかもしれない」
「……彼女はずっと苦しんできただろ。他でもないあなたが支えるべきだった。それが大人というものなんじゃないのか?」
坊やはまっすぐなのね、羨ましいわ。サラはそう言いながら息を整えた。
「剪定された木は傷口を塞いで捻じ曲がっていくものよ。社会に馴染むとは、大人になるとはそういうことなの。わたくしは……ふふ、そうね。何がしたかったのかしらね。どこで道を間違えたのかしら」
「もっと違う道があったんじゃないのか。あんたがいれば、彼女だって、救われたはずだ。彼女の父親が護ろうとしたものを、他ならぬあなたが傷つけてどうするんだよ……!」
ブランクの言葉がどこまで響いたのかは分からない。サラはただ受け止めるように目蓋で噛み締めると、一つ息をつく。
「分かっていても、心と折り合いがつかない。子どもであっても、大人であっても……そこに、大差はない、のよ……。ああ、最後に、あの子と話したかったわ……」
「……もう、いいよ」
途切れ途切れの言葉に、サラの最後が近いことを悟ったブランクは、自分の手を見つめた。手についた土は、屋敷の炎のせいかすこし赤く見えた。生まれて初めて明確な殺意を以って、人を殺す。ナハクの時のような正当防衛でもない。ヤラグ族を殴り殺した時のような、圧倒的なエゴ。ブランクは、自分の本性が恐ろしい怪物なのではないかと思い至り、それを振り払うように強く首を振った。
「ぁ……」掠れた声がブランクの耳を掠めた。それはブランクの痺れる腕の中からわずかに響き、少女の目覚めを伝えた。
「エレノア……怪我はない?」
「ぶらんく……?」未だ焦点の定まらない虚ろな瞳の少女が、たどたどしい舌のまま自分の名を呼ぶ。ブランクはひとまず意識を取り戻したことに胸を撫で下ろす思いで一息ついた。
「くっ、ふふふふふ……」
まだ息があったのか。そう思った次の瞬間だった。
「父と母の死を台無しにした人生……せいぜい噛み締めなさい」
「なっ……!」ブランクは自分の詰めの甘さを呪った。この女の悪意に底などない。その命が尽きるまで、少女の尊厳を喰らいつくさんとしている。この女の本質はまさに怪物。
「お前ッ──!」
ブランクが自分の手の痛みに悶えると、エレノアは「やめて」と静かに牽制した。
「わたしなら大丈夫だから」
「エレノア……」
それに──と。少女は続ける。悼むような、あるいは苦虫を噛み潰したような顔で。
「もう、死んでるから」
「……」
サラの目はどことも知れぬ方向を見遣っており、わずかな濁りが見え始めていた。ああ、ついに斃したのだ。それなのに、ブランクの中にあったのは口の乾いた苦味だけだった。




