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The Alter Story  作者: 水落護
第十二章『あの日と同じ』
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第九十二話『闇夜に咲く紅花』

 逢魔が刻にこだまする嘲弄の声。忍び寄る宵の影の下、庭木の木の葉がカサカサとにわかに嘲笑う。


 状況は最悪だった。悪夢の中にいるような蒸し暑さが、ブランクの背中にヒリヒリと爪を立てている。屋敷の中へ放られた火種は、勢いの留まるところを知らず、燃える足の速さは消火活動を今すぐしたとて間に合わないのだろうと思わせるほどだ。恐らくは溜まった埃に燃え移ってしまっているのだろう。冷や水を浴びせられたような汗をかく中で、ブランクがそれよりも心配していたのはエレノアだった。


「なんで……わたし、こんな……!」


 青ざめた花顔は自分の有り様を思い出したようで、先ほどまでの甘えん坊な姿は一切感じられない。そればかりか月色の髪に爪を立て、歯をカチカチと鳴らし、緑青色は哀れに儚く煌めいている。きっと過呼吸気味な喉を開きたいのだろう。少女は何度も喉を引っ掻いた。恐らくエレノアは正気を取り戻した。それも最悪のタイミングでだ。


 理由は明白だ。エレノアは──否。貴族は世間体を気にするものだ。それは常にあるものと考えるがために、人の目があろうとなかろうと振る舞うものではあるが、とかく人の目があれば如実にその仮面は姿を表す。エレノアは今、大衆の目に晒されたことにより、領主としての顔を引きずり出されたのだ。もはやこうなってはエレノアの心の痛手は測り知ることすら難しい。サラはそれを見てほくそ笑むと、領民たちへ向けて、大手を広げて説いた。


「ほうら、皆さまご覧ください。我らが領主様は、敵国の少年との内通を気《け》取られ、震えておいでです! 彼女は守るべき我らの暮らしを豊かにするばかりか、その税金をあろうことか他国へ横流ししていたのです!」

「なっ──」


 ブランクは気がついた。これこそがサラの策略だったのだ。周囲の聴衆はやっぱり、本当だったのか、信じていたのに、嘘つき、など、方々が口々に勝手なことばかり言っている。エレノアは違う、と言おうとしているのに、歯が震えて声になっていない。ブランクも内心穏やかではない。


「気づいていないと思ったのですか? あなたの体温は──亜人にしては、低すぎる」


 サラはチラリと口外へ、その舌先を覗かせた。その舌は青く細長く、先端が二股に割れていて、ブランクにある種族を脳裏に浮かばせた。


「……人蛇種《ヴァルマー》……」


 蛇の力を有するこの亜人は毒の扱いに長け、温度を視覚で見ることができる。ブランクは聞いたことがあった。亜人の体温は、人族《アダマン》の体温よりも高いと。サラはブランクの正体が、グランヴァレフの人間であるとずっと最初から見抜いていたのだ。そうとも知らずに、自分はずっと泳がされていたのだ。そればかりか、自分がエレノアの信頼を勝ち取り、替えの効かない人財となり、その足枷として──錘として育つまで。


「どこまで腐ってるんだ……!」


 ブランクはあまりにも腹立たしく、歯痒かった。彼女のためを思って動いている自分こそが、まさに彼女の足を引っ張っている。しかし今ここで自分は関係ありません、などと白を切れるほど、この少女も非情ではない。むしろその優しさこそが、彼女を今ここで苦しめている正体なのだ。


 それなのに、自分が弁明したとて、敵国の人間のいうことなど誰が信用できるだろうか。なまじ信じられたとて、自分の命は明日とないだろう。だがブランクはここで死ぬわけにはいかない。そうなると、取れる方法はただ一つだけだった。


「見ましたか、皆々様方。この少年は領主様を守るべく、我々に剣を突きつけました。これは明確な敵対行為です。彼らはやはり結託しております。我々は裏切られたのです!」


「ふざけるな!」「なんて奴らだ!」「この恥晒し!」


 怒号が飛び交う。石飛礫が飛ぶ。ブランクはプロテマを自分にかけながら、恐怖にうずくまるエレノアを覆った。背中や後頭部に固いものが当たる。魔術効果で痛みはすくなかった。それなのに、剥き出しの悪意が胸の奥まで突き抜けて響く。こんなものを額に受けた少女の傷みを思えば、ブランクは胸が張り裂けそうだった。


「ちっ、えらい頑丈だな。おい、アレ貸せ!」


 ブランクが最後に受けた衝撃は、農具を使った攻撃だった。魔術効果による反発を受けた樫の棒は呆気なく中程で砕け、追撃は止み、民衆は一見すると諦めたように見えた。


「──え?」


 しかし、直後にかけられた水気がブランクの嗅覚を襲った。同時に頭がくらくらとしそうな鋭い臭《にお》いと、肌を刺す痛みと冷たさが、ブランクの正気を揺るがす。この臭いには覚えがあった。ブランクが怪我をした時、エレノアが治療の時に使ってくれたもの。お酒だ。それも視界がにわかに揺らめくほど、高濃度のアルコール度数を誇る。


「まさか──!」


 民衆は手にしていた松明を掲げた。まるで勝ち鬨《どき》を上げるかのように。いくらブランクの魔術が防御に長けているとはいえ、それは物理攻撃に対してだけで、燃焼には及ばない。


「人の心はないのか!!」


 ブランクの声が震える。民衆の奥、サラの醜悪な笑みが映った。勝利を確信した、愉悦の歪みが口を裂く。腕に抱く少女は、敗北の雫をこぼす。終わるのか。ここで──?


「よせ……頼むよッ!」


 ブランクの脳裏に、死の一文字が過った時。


「なんだあれはッ!」


 窓ガラスの割れる音に続き、民衆の一人がそう叫んだ。それは、茜の去った闇夜に煌めく十本の銀を操り、華麗に舞い降りる。四対の鎖が体を支え、二本の鎖鎌が獲物を定めた蛇の如く地面を滑り、民の手にしていた灯《ひ》を刈り取った。


「クロエっ、ダメっ!!」


 ブランクが安堵の表情を浮かべ、民がそんな短い悲鳴が上げた時だった。エレノアが何を必死になっていたのか、ブランクには一瞬分からなかった。しかし──、


「……え?」


 熱いほどの夕立ちが降ってきた。それは触れると粘りがあり、擦るとぬめりがあり、開くとすこし糸を引く。さらりと滑る赤いその液体が降ったのと同時くらいか。ブランクたちを囲っていた人間が落ちた(、、、)。体の中程から泣き別れしたその二つの物体は、上下の半身である。ブランクは、その液体が、ヤラグ族を殺した時のものと同じだと、すぐに気がついた。雨はすぐに止んだ。


「うわぁあああッ!!」


 代わりに、四方に入り混じる悲鳴が降り注いだ。ブランクたちを囲っていた人間は、いざ自分たちが命を害される側に回ると、いとも容易く逃げ惑った。蜘蛛の子散らすその姿に、ブランクも心中穏やかではない。


 知らなかったわけではない。彼女はエレノアの護衛だ。敵対する者は例外なく下してきたのだろう。それが魔物であれ、人であれ。一切の躊躇いがなかった。彼女に最初に会った時、底知れない恐怖を抱いていたことを思い出した。


「ひっ……」


 その深淵の片鱗が牙を剥き、腰を抜かした男に迫っている。彼女は──クロエは、深海を宿したような青で、目の前の男に迫っていた。ブランクは戸惑った。これが騎士というものなのだ。主人に害する敵を討ち果たす者。それが人間であろうとも、どれだけ多勢に無勢であろうとも、おくびれることなく、当然のように、相手の命を奪う。誰かを護るとは、時に誰かを奪うことでもあるのだ。ブランクは震えた。自分はなれるのだろうか。この怪物に。


「やめてええぇえ!!」


 そんな金切り声が聞こえた。ブランクは振り返る。エレノアだった。その手の伸びる方向はクロエの先の、腰を抜かした男。クロエも同様にこちらを見ていた。その奥からか。


「──暴風打《ラッシュ》」そんな声が聞こえてきた。


「あ」三人の声が重なった。


 クロエの華奢な体がねじれた。そしてひしゃげ、吹き飛び、鎖が螺旋を描きながら屋敷の方へと向かっていく。そうして黒猫の少女が窓を突き破り、中へ入ると、


「破の章──風の殻巣(リヴォート)」


 屋敷は爆発した。


 「うわぁああああっ!!」腰を抜かしていた男は無様に逃げ出した。


 言葉を失った。ブランクは、ただ唖然とその光景を見るしかなかった。屋敷の業火は一層猛り声を低く唸らせ、火炎を噴き出し噯気《おくび》する。


「いやぁああああッ!!」少女の絶叫がこだまする。それがたった今、目の前で起きたことが夢ではないのだと、ブランクに突きつけてきた。


(今、クロエは──)


 あまりの出来事に、ブランクは脳内で一連の出来事を反芻する。鼓動に合わせたコマ送りで脳内で再生される。寸分違わず屋敷の窓を突き破ったクロエのいる部屋から、爆炎が噴き出した。それの意味するところは、すでに下半身の自由の利かないクロエが脱出できている可能性の低さを物語る。


「ほ、ほほ、おほほほほほっ」呼気も狭まり、視界と聴覚のぼやけた世界で。井戸端会議で歓談に興じる奥方たちのような、そんな上品な笑い声が鼓膜を衝いた。ブランクはその声の主にして、魔術を放った張本人は──やはりサラであった。


「くふっ、くふふふ。自分を守る剣を、自分で止めて足を引っ張るとは……ああ、おかしい。なんと間抜けで哀れなお姫様でしょう。誰も傷つけたくないだなんてご立派な絵空事ばかり語っているからこうなるのですよ。愚かな伯爵エレノア・ラーゼンヴァルグ。お前は社交の場にも出ずに降格処分を受け続ける貴族のなり損ない。ごっこ遊びで敵国の少年と密通する愛国心のカケラもない無能よ。あの方の永遠の汚点として後世に語り継がれる出来損ないの娘なの。何故まだのうのうと生きていられるの? 恥の上塗りを一体いつまで続けるつもりなのかしら。無様ね、ほんと。早くこの世界から消えてくれないかしら」


 とめどない憎悪の濁流が流れきた。静々と促すような、あるいは諭すような言葉が毒舌に乗せて放たれる。それらは無力に震える少女の心を寸分違わず串刺しにし、無色の血を目蓋から溢れさせる。少女はブランクの背後で、必死に声を殺して泣いていた。


 剣を持つ手が震える。汗は滲んでいない。代わりに食い潰されそうな奥歯が、ギリギリと悲鳴を上げている。恐怖ではない。それならばこの身に余る感情にはなり得ない。この感情の正体を、ブランクは知っている。この感情は──、


「お前は……必ず殺してやる」


 怒りだ。

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