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The Alter Story  作者: 水落護
第十一章『落焔崩壊』
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第九十話『裏切り者の背中』

 こんこんこん、と天井から音が鳴る。それは、先ほど分かれたクロエが鎖を使って歩く音だ。軽快にリハビリをし、倒れ込むような大きな音の鳴らないことに胸を撫で下ろしながら。ブランクは、エレノアのいる二階の部屋へと向かった。


「……寝てる?」


 ノックをし、扉を開け、中を覗き見ると。エレノアはベッドの上で静かに胸を上下させていた。規則正しい寝息は彼女の育ちの良さを思わせ、寝ていると本当にただの少女であり、先ほどの狂気など微塵も思わせない。


 すこしホッとしたような気持ちと、彼女と話したかった気持ちが折り重なり、複雑な思いが綯い交ぜになる。しかし疲れている彼女がようやく眠れた時間を邪魔するなど以《も》っての外《ほか》だ。ブランクは偲ぶる気持ちに蓋をして、扉を閉める。そうして屋敷の中を見回った。


(うわっ、よく見るとこの辺もひどいな……)


 こうなるとこの屋敷にいたハウスキーパーたちがいかに勤勉であったかを思い知らされる。壁や天井からボロボロと剥がれ落ちた漆喰や石くずが床一面に薄く散らばり、すこし前まで鮮やかな赤をしていた絨毯は、踏みしめるたびに土埃を舞い上げてくる。もはや平民であるブランクも、この屋敷が客人を招くに値しない状態にあることは理解できた。


「すみませーん!」


 そんな時。屋敷のある一室から明朗な声が響いた。ブランクは腰に差した剣に手を伸ばしながら、廊下を渡り、声のした室内の様子を、扉の隙間から窺う。すると、そこには汚れた衣服を身に纏った、青年がいた。その青年はブランクと目が合うと、春風のように爽やかに笑ってみせた。


「おや。なんだちゃんと人がいるんじゃあないか。やだなあ、僕もう帰っちゃおうかなって思っちゃったよー?」


 ははっ、と気さくに笑うその人物は、赤目を細めて歪め、結えた白髪をケタケタ揺らす。ブランクは不思議に思いながらも、殺気を収めた。それから、勝手口に立つその人物に問いかけた。


「今日はいつもの人は休みなの?」

「そうだよ、急に腹が痛くなったらしくてさ」


 まったく、こっちはいい迷惑だよ、と、口調はもっともらしく愚痴っぽいのに、機嫌自体はいいのか、やたらとニコニコ笑っている。気さくな人だな、と思うのだが、その一方で、ブランクは先ほどからずっと小さな違和感を抱えていた。しかしそれが何かと問われれば、言葉に詰まる。


「君は下男かい? はい、これ郵便ね。確かに渡したよ」

「……お疲れさまです」


 ポンポンと肩を叩かれて。ブランクがそう労いの言葉をかけた時だった。


「──長生きしなよ」


「えっ?」聞き間違いかと思い、すぐさま落としていた視線を持ち上げると、その男はもうどこにもいやしなかった。ブランクはあまりの出来事に、全身の毛穴が開き、そこから汗が噴き出した。腰の剣に手をやるのだが、気配はまったく感じられない。ともすれば、本当にいたのかすら疑わしいのだが、手にしている汗を多分に吸った便箋は、間違いなく実在しているのだ。それは彼の実存を決定的に裏付けている。


 油断をしていたわけじゃない。神経は尖らせていた。それなのに、お湯から昇った湯気のように、一瞬で消えてしまったのだ。ブランクは戦慄した。そして気がついた。あの人物はやたらと汚れた服装をしていたのに汗一つかいておらず、髪など束ひとつないほどサラサラだったことに。長旅をしてきたはずの彼が、そんなことになるだろうか。騎獣は速いが足腰にかかる負担も大きい。果たしてそんな旅路を経た彼が、服装だけ汚れるなんてことがあるだろうか。


 およそ人間業ではないことをした男の目的が何かなど定かではない。ただ、背にしていた扉を開くこともなく、かと言ってブランクの来た扉を開くこともなく、青年はどこへ──、


「……まさか!!」


 脳裏を過ったのは、無防備に寝ている少女の存在だった。あの青年がもしもサラの手先であるのなら、真っ先に狙われるのは彼女に違いないのだから。ブランクは自分の頭の回転の遅さを呪いながら、懸命に腕を振った。ハオディを唱え、階段を大きく跳躍し、二階にあるエレノアの私室へ辿り着く。


「エレノアッ!!」

「きゃあっ!」


 ブランクが扉を開けると、エレノアはベッドからまさに起き上がったところで、ブランクは肩で息をしながら部屋の四隅に至るまであの男の存在がないかを確かめる。幸い室内には荒らされた形跡などは特になく、エレノアも不思議に目を丸くするばかりで、その体に怪我や傷があるわけでもない。


「何かあったの?」

「いや、ちょっと──」


 言いかけて、ブランクは迷った。果たして今の彼女を巻き込んで良いものかを。彼女の心は、もう現実に向き合うだけの強さを孕んではいないのではないか。青年の存在はおろか、送られてきた便箋すら彼女はまともに処理できないのではないか。ブランクは心を固めた。


「クロエが歩く練習を始めたんだ」

「……え?」


 エレノアの表情が明るくなった。ケープを羽織り、エレノアはそれ本当? と浮き足立ち、ととと、とブランクの元へと歩み寄る。


「うん、と言っても、足が治ったわけじゃないんだけどね」

「どういうこと?」


 ブランクは事のあらましを説明する。始めは眉をひそめていたエレノアの曇った表情も、見る見るうちに晴れていった。


「すごい、すごいわブランク! あなた、とっても賢いのね!」

「いや、僕は全然。たしかに提案したのは僕だけど、実践できる力があったのは、クロエの今までの努力があってこそだよ」


 ブランクが謙遜に首を振ると、エレノアはううんと首を振る。


「そんなことないわよ。わたしや、当の本人のクロエだって気づいてなかったんだもの。あなたの知恵にはいつも舌を巻くわ」

「……そうかな?」


 珍しく食い下がるエレノアに、ブランクは悪い気がしていなかった。


「さすがは──わたしの騎士さまね?」


 しかし、同時に浮かれもしなかった。貼り付けた笑顔一枚隔てながら。ブランクは、以前エレノアに褒められた時のことを思い返した。


 その時はすこしだけ、と付け足していた彼女は、今は二人だけだからなのか、はたまた仲が深まったからなのか、とにかく手放しに褒めてくれている。それは吉兆と捉えるべきなのか、はたまた盲目的と捉えるべきなのか。とにかく、エレノアの圧がそれを許さなかった。


「そうだ。クロエの様子を見てきたら? きっと喜ぶよ」

「……あなたは?」


 いじらしく上目に見てくる少女仕草に、ブランクは頬をかく。


「せっかくだけど、僕は屋敷を見回るから。ちょっと気になる……ううん、調べたいことがあるんだ」


 胸がちくりと痛んだ。師に背を向ける決意を固めたとはいえ、嘘をつくことになど慣れやしない。


「そっか……」


 それなのに、目の前の少女はしょんぼりしながらそれを受け入れる。いつからこんなにも綺麗な嘘を口にできるようになったのだろうかと、ブランクは自身を軽蔑した。


「またあとで来てね?」


 かならずよ? と、少女は小走りに向かう。ブランクは少女の姿が見えなくなるまで手を振ると、自分の指輪を見つめた。


「さあ、できるだろうか……」


 試してみたことはない。しかしやる価値はあるだろう。ブランクは石床の埃を取っ払うと、遠聴の指輪を床に押し当て、その効力を発揮した。石床は音を遮断する反面、内部には音を反響させやすい。ブランクはその性質を利用して、石床に跳ね返る音を聞こうと思ったのだ。


(床を叩く音……クロエだ。階段を昇ってる音は……エレノアだ。他にあるのは……グエンと、シリルの話し声。地下室か。まさか、本当にこの屋敷から消えたのか?)


 サラの刺客というには、あまりにも腑に落ちない。しかし、もし本当に消えたとするならば。彼がしに来たことは手紙を届けに来たことと、「長生きしなよ」とメッセージを伝えに来たことだけである。そんな馬鹿な話があるだろうか。もしそうならば、なんと親切な人で、なんとイタズラ好きな人なのだろう。自分が消えたことでブランクの驚く様を見て、どこかでクスクス笑っているのだろう。そんなことがあるだろうか。……いいや、そんな訳がない。


「絶対どこかに──」


 ブランクがそう言いかけた時だった。


(待て。なんだこの音……)屋敷内ではない。地面を踏み鳴らすような音。それも、一人や二人なんかじゃない。だが奇妙なことに、その足音はこの屋敷から離れ、遠ざかっていく。


「あっ!!」


 ブランクは窓の外に上がる土煙を覗き、しまったと思った。あの男の狙いはそれだったのかと悔いた。しかしもう後の祭りだ。今からブランクがどれだけ頑張ろうとも、それはもう取り戻せやしない。時を遡らない限り。


「騎獣が……!!」


 ブランクの眼下、騎獣たちが入り乱れるように屋敷の庭を踏み荒らし、四方八方へ散らばっていく。先頭を率いる騎獣に何者かの影が見えたが、きっとあの青年に違いない。自分の浅はかさに、ブランクは唇を噛み締めた。


 この屋敷において、エレノアの資金繰りが詰んでいる以上、悲しいかな、騎獣とは食糧である。その騎獣が解き放たれ、方々へ散っていく以上、これは明確な兵糧攻めである。現在手元にあるラプトルの肉がなくなれば、町での信用を失っている以上、食料を買い足す当てなどない。プロテマとハオディを唱え、せめて一頭でもと窓から庭先へと飛び出すのだが、玄関を飛び開けた時にはもう遅い。


「……くそっ!」


 大の大人がここまでやるのか。恋慕の情が腐り果てれば、子ども相手であろうとも、ここまでやってのけるのか。ブランクの臓腑で怨嗟の炎が燻《くすぶ》っ、


「──長生きしなよ」


「え?」ブランクは戸惑った。庭先にいたかと思っていたら、次の瞬間には、再び通用口の前にいるのだから。面《おもて》を上げれば先ほど同様、青年は声だけ残して姿を消している。


(時間《とき》が逆《さか》巻いた……一体、いつ──ッ!)


 ズキっと脳幹が痛むような気がした。そうして次の瞬間には、、小脳から側頭部へ向けて、火傷しそうな熱が走る。記憶が埋まっていく。


(そうか……あの後、僕はエレノアに頼みに行ったんだ……)


 先ほどよりも脳への負担自体は軽いが、それでもかかった大きな負荷が、ブランクを壁へ向かってよろめかせた。


(でも──)


 これは大きなチャンスだ。先ほどは目的が分からずに逃した相手の謀略を、根底から崩すことができる。


「必ず尻尾を掴んでやるぞ……!」


 ブランクはハオディを口にし、扉を開いて一気に駆け抜けた。獣舎までの距離はそれほど遠くはない。目と鼻の先にある。空で鳴る霹靂の音に合わせて、一歩、二歩、三歩と大きな跳躍で駆け抜け、獣舎へと急がせた。


「なっ……!」しかしそれも手遅れだった。獣舎からはぞろぞろと騎獣が出揃い始め、犯人は今まさに先頭の騎獣の上から獣笛を吹かんとしているところだった。


「させるか!」


 ブランクはラズンの魔術をかけた。自分にではない。騎獣に乗る者に向けてだ。


「うおっ!?」先頭の騎獣に乗っていた人物は、その騎獣に振り落とされた。騎乗者の体重が突然重たくなったことにより、騎獣がきらいを見せたのだ。それ自体はブランクの目論見通りといえた。


「くそっ……!」


 しかし獣笛を吹かせることに関してはその限りではない。号令の音を聞いた騎獣たちは、皆一斉に屋敷の外へと向かって駆け出した。ブランクは腰をさするその人物に、佩いていた剣を引き抜き、その切っ先を差し向けた。


「さあ、理由を説明してもらうよ」


 ブランクはその切っ先よりもなお鋭い視線で突き刺した。先ほどの配達員とはまったく別人である、


「……ランツ」


 目の前にいる青年──ランツに向かって。

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