↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Alter Story  作者: 水落護
第十一章『落焔崩壊』
101/115

第八十七話『血肉に変えて』

※この話は一部衝撃の強い描写が含まれる場合があります。

 パチパチと火が喝采する。燃え盛る焔《ほむら》が柱と共に倒壊し、その炎に囲まれた木が、シューシューと悲鳴を上げている。透き通っていた窓ガラスは全てがくすみ、割れ、絶叫を上げながら弾け飛んでいく。


 ああ──。わたしはどこで間違ったのだろう。


 少女は、崩れゆく棟《むね》を眺めながら、この地獄を振り返る。




「────どうか、安らかに……」


 盛られた土の上。騎乗用の鞍や鎧が積み上げられている。少女は静かに指を重ね、祈りを捧げている。


(ラプトル、ごめんね)エレノアは双眸をうすらと開くと、誰にともなくそう謝った。その心の声が漏れ出ていたわけでもないが、ブランクがスコップを片手に「大丈夫?」と慌てて歩み寄る。エレノアは平気、と首を横へ振ると、赤枯れ色の髪した少年の、その後ろにいるラーゼンヴァルグ家お抱えの料理人──グエンと視線を交えた。


「御当主様。それじゃああっしは仕込みに入ります。ゼッタイに美味いと唸らせます。一つも無駄にしません」

「……期待しているわ」


 目元を拭い去りながら、エレノアは震える声音ではっきりそういった。


「どうして、君の騎獣を?」白い騎獣。見るに珍しい個体である。それに昔から飼っていたのだろうに、よく懐いていた。何故、というのがブランクの率直な疑問なのだろう。


「ラプトルは昔のわたしと同じで、生まれつき体が弱かったの。今でこそ元気に走り回っていたけれど、あの頃は立つのもままならなかった。だからとても他人事とは思えなかった。でも……仕方ないわ」


「仕方ない?」その言葉に、ブランクは眉根を寄せて戸惑った。


「僕が作った塩漬け肉はどうなったの?」

「……領民に配って回ったわ。もう手元には食材が残ってない。あなただって、昨日は何も食べなかったのでしょう?」


「それは……」言い淀む少年に、少女は畳みかける。


「料理長だって口をつけなかったわ。当然ね、貴族より先に口をつけるなんて、気が引けるのだわ。わたしが率先しなければいけないのよ」


 その言葉に、ブランクはよく分からないよ、と首を振る。


「どうして君ばっかりがつらい目に遭わなくちゃいけないんだ!」

「それ、料理長にも言われたわ」


 自分を慮る言葉なのを、頭では理解している。しかしエレノアは、どうしてもその言葉を受けつけることがなかった。苦しくて視線が下がり、エレノアは孤独に腕を抱いた。


「わたしは当主だから……みんなを食べさせる義務があるのよ。騎獣は非常食にもなるの。だから、騎獣の中で、一番力のない子を間引くのは、仕方なくて──」


 エレノアが全てを言い終えるよりも早く。ブランクの親指がエレノアの唇に触れた。


「……もういいよ。ごめんね」僕が無神経だった、と続いて。エレノアは困惑した。


 どうしてそんなに優しくするの──。


 言いたい言葉は、背中を向けた彼へ届ける勇気が湧かなかった。吹き荒ぶ風のようにもっと責め立ててくれたら、いっそ気持ちも楽になったかもしれないのに。


「クロエ、元気?」


 エレノアはクロエの元へと足を運んだ。おじょさまだー! と耳をおっ立てるクロエは、今にも飛び跳ねそうなほど明るい顔をしていた。対照的に、それが叶わぬのだと知ったエレノアは、どんよりと沈んだ面持ちになり、クロエはそれが気にかかったようだった。


「どしたの?」

「あなたの怪我も……わたしのせい、なのよね」


 近くにあった椅子に腰かけ、エレノアがそう言うと。クロエは不思議に首を傾けた。


「どして?」

「だって、あなたが怪我をしたのは、ネロから疎まれていたからでしょう? もしわたしがしっかりとあなたとネロとの仲を取り持つことができていたなら、あなたがこんな目に遭うこともなかった」


 憐憫《れんびん》に耽《ふけ》った眼差しと手のひらで、シーツに包《くる》まれた足を腫れ物触るように優しく撫でた。シーツ越しに温もりが伝わるというのに、エレノアの思うままにしか動かないのが、まるで死にたての死体でも触っているようで。エレノアはそれが余計につらかった。


「どうしてそうなるの?」そうだと言うのに、目の前の少女はあっけからんと応える。我が事のように胸を痛めていたエレノアからすれば、それが分からなかった。当人が気にしていないことを自分だけが気にしているのが不思議で、エレノアは「どうしてって……」と、弁明の言葉を探る。


「クロエが怪我をしたのはクロエが弱かったからだよ。エレナおじょーさまは関係ないよ」

「そんなこと──!」


 クロエの瞳。果てしない大空を詰め込んだような青。快晴の青。あるいは、大海原の青。突き放すように断ち切った少女の瞳。それが、エレノアの迷える視線を射止めて離さない。


「そっか」


 少女は無垢な瞳のまま、ためらいもなく言葉を重ねる。


「エレナおじょーさまは──苦しくありたいんだね」


 息を呑んだ。それが肺の中で一層激しく燃え盛ると、顔がたちまち熱を帯びる。エレノアは身の爆ぜるように椅子から立ち上がり、背中を向けた。


「帰る……帰るっ」


 そうしてエレノアは逃げるように立ち去った。部屋を出るときにまた来るからと強がったのは、せめてもの負け惜しみだった。エレノアは、この屋敷に来てから初めてクロエに恐怖を感じた。


 あてもなく駆け出した先、エレノアは自室のベッドへ引きこもった。カーテンも閉めた。石が飛んできそうな気がしたからだ。執務室へ行く気も起きやしない。遅れれば遅れるほど自分の首を絞めるのが分かっているのに、筆を執る気が起きなかった。エレノアは薄暗闇の中、まどろみをさまよった。


「──起きてる?」


 ノックに続き、そんな言葉が聞こえた。エレノアは重たい頭をもたげながら、カーテンの隙間から窓の外を見る。西日が反射して強く差し込んでいて、日暮れが近づいていることが分かった。どれだけ寝ていたのだろう。エレノアがそう思った次の瞬間だった。


「食事の準備ができたみたい」


 その言葉を聞いた瞬間。エレノアはさあっと血の気が引いた。頭の中で爆発しそうだった血液が途端にお腹に集まった。胃がキリキリと痛む。まるで死刑の執行を告げられたようだった。むしろその方がまだマシだったかもしれない。エレノアは震える唇をかすかに開いた。


「すぐに行くと伝えて」


 行きたくない。行きたくない。行きたくない。エレノアは何度も願った。しかし恐らく扉の向こうにいるであろう赤枯れ色の髪した少年は「分かった」と短い返事だけを残して廊下を歩く音を離れさせていった。


 ああ。とうとうこの時がやってきてしまったのだ。エレノアは戦慄に震えた。託《ことづ》けた以上、行かないという選択肢はもうない。エレノアはせめてもの時間稼ぎに、髪にブラシを通す。それもすぐに終わった。席を立ち、ドアノブに手をかけたままうつむく。


(わたしは──)


 自分の選択は誤りだったのだろうか。あの時、あのおぞましい男にこの身を捧げ、慰み者になっていれば良かったのだろうか。しかし、それももう取り返しようがない。自分の後ろにある世界が音を立てて崩れ去っているような気がした。あまりに怖くて、振り返ることができない。すぐそこ、足元まで深淵の忍び寄る音が聞こえた気がした。


 恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。もう逃げ場がない。口の中が乾いて仕方がない。それが恐怖から来るものなのか、飢餓によるものなのか、さっぱり何も分からない。ただ一つだけ言えることは、この扉をくぐり抜けなければ、自分を信じてくれている屋敷の全員が、飢え死にしてしまうということだけだった。


「はあ、はあ……」気付けば扉をくぐっていた。噴く汗に髪がへばりつき、その気持ち悪さに呼吸が乱れる。そうして恐る恐るエレノアが後ろを振り返ると、先ほどまでいた部屋は、何の変哲もなく、まるでいつもと変わらない姿をしていた。先日のような夜の闇はなかった。


(お父様、力を貸して……)こんな妄想をしてしまうのは自分が弱いからだ。亡き父の姿を思い、胸の前で指を折り重ね、エレノアは祈るように拳を握った。


「……行こう」


 エレノアは覚悟を定めた。領民のためでもない。ただ自分たちが生きるために。回らない首を回すために。自分は家族を生贄に捧げた。その罪から目を背けてはいけない。ましてや、それを自分だけが高みの見物を決め込むなど、許せやしなかった。


「御当主様!」


 広間には配膳の仕方を習う赤枯れ色の髪した少年と、料理長の姿があった。料理長であるグエンは、たった今、毒味用の皿に肉を取り分けたところだった。


 それは肉の塊で、中央部分をくり抜いたものだった。同時に皮付近のものもある。表面の部分と芯の部分の毒味のためだろう。これに不思議はない。ただそれがラプトルだと思うと、エレノアは胃の中がひっくり返りそうだった。

 しかしここで吐き出してしまっては料理長の面子《めんつ》を潰してしまう。当然自分の面子もだ。エレノアはさも気にしていないかのように毅然と歩き出し、広間の中央の席に腰を落とす。


 そこへすかさず少年が駆け寄り、琥珀色の瞳を眇めて挨拶する。エレノアは持ち寄られた銀の水盆で手を清めると、いよいよナプキンを手に取り、左腕にかけた。


 銀のナイフ、スプーン、フォークと食器が整然と並び、硬いパンが置かれ、とうとう全ての準備が整ってしまった。食事が始まる──。


「では、不肖このグエンめが、御当主様の毒見役を務めさせていただきます」


「そう」エレノアはチラと不安そうに琥珀色の瞳を見た。すると気を利かせたのか、グエンは少年の脇腹を肘でつつき、毒見役が二人になった。すこしだけ胸の鼓動が落ち着いた。


「では……」おい、と促されて二人の人物が皿に盛られた食事に手をつけた。


「中の肉は肉汁が豊富でかすかな甘味があります。ソースと絡めることで味に締まりが出て、より一層深い味わいになると思われます。毒のような苦味はありません」

「……そう」


 グエンのお手本のような味見に続き、少年も皮付近の試食を始めた。パリッという悲鳴のような音が聞こえて、エレノアは耳を塞ぎたくなった。


「えっと、弾力と歯応えがあって美味しいです。ソースの深みがお肉とよく合います。えっ。変な味はしないです」


 グエンの補助もあり、少年ブランクもなんとか役目を果たした。それからグエンは砂時計をひっくり返した。今度は毒味の本懐だ。時間経過と共に毒の可能性が減っていく。その間、誰も喋りはしない。何度目かひっくり返された砂時計が砂を落としきった。


「……時間です」


 グエンはそれを見届けると、砂時計をしまい、使用した銀食器を見せた。肉を運んできた大皿、ナイフ、スプーン、フォーク。どれも燻《くす》んでいない。無毒の証明である。


 そうなるといよいよ次は自分の番だった。パンの上に肉が盛られた。ソースがかけられる。鼻腔を刺激する香りに、お腹がくうと鳴った。自分の浅ましさに、涙が出そうだった。口や頭でなんと思おうとも、体は正直者で、空腹を訴える。その現実に夢であってほしいとどれほど強く願っただろう。


 だが塞いだ目蓋を持ち上げると、目の前には美味しそうな肉がある。香草を使ったソースが喉を誘惑する。それでも口を開く気が起きなかった。


「氷室で一日熟成された肉です。味は格別ですよ」


 今日まで屋敷に残ってくれたグエンを信頼していないわけではない。ブランクが毒味までしてくれた。毒は恐らくないのだろう。銀食器の色も変わっていない。大丈夫だ。その心配はしていない。しかし──、


「御当主様……」


 生唾を飲んだ。肺の中の息が止めどなく溢れてくる。口が塞がらない。舌がえづく。胃の中がひっくり返りそうだ。まるで自決を迫られているようだ。いいや、それならばどれほど良かっただろう。現実はもっと無情だった。

 食べるのか、今からこれを。数年間寄り添ってきた相棒を。


「エレノア、無理しなくても──」

「食べるわよ! 食べるから……!」


 お願い、と。これ以上は見て見ぬ振りができない。自分の選んだ選択を。報いを。わたしは受け止めなければならない。銀匙が震える。口に近づくにつれ、目蓋が塞がる。エレノアは恐る恐る唇の隙間に放り込んだ。


「うっ……」


 舌が拒絶する。肉はその上を転がるように奥へと進む。食感はゴムでも噛んでるようだ。中からはとめどなく肉汁が溢れてくる。きっとブランクの言う通りおいしいのだろう。だが、緊張のせいか。ラプトルからは味がしない。


 噛み締めるたびに命が溢れてくる。それが喉の奥へと滑り込むと、五臓六腑に沁み渡る。時間を置いたせいか、すこし冷めているというのに、胃の中にそれが放り込まれると、体の芯が温かくなった気がした。


「エレノア……」ブランクが言うより早く。パタパタとテーブルに雫が落ちた。


「おい、しい……おいしいよぅ……」


 エレノアは気付けば泣いていた。目からは涙が、鼻からは鼻水が、口からは吐息が。ともすれば、魂《こころ》すらあぶれていくようだった。


 何よりも、ラプトルが身を挺して差し出してくれたこの命を。エレノアの舌は何も感じてくれなかった。エレノアはそれが悔しくてたまらなかった。


 何を間違えたのだろう。あの侯爵家の嫡男に貴重な胡椒を使ってしまったことか。孤児院へ寄付金を渡してしまったことか。町工場から商品を受け取れると高を括ったことか。商会が待ってくれるなどと甘い夢を見たことだろうか。いずれにしても、わたしが今噛み締めているのは、ただの後悔だ──。


 迫り来る罪悪感に、エレノアの心はズタズタに引き裂かれた。たくさんの思い出があった。ラプトルにはすこしの抵抗もなかった。しかしいつものように喜んで駆け寄ってくることもなかった。


 ああ──。もう終わりなんだ。心が通じ合っているようだった。でもそれも取り戻しようがなくて。命のなくなる瞬間の震えが、温もりが、まだこの手の中にありありと残っている。首の跳ねた時の悲しみが、忽然と蘇った。骨の砕ける感触が、胸の奥に突き刺さったままで、もはやその場にいることができやしなかった。


「いや……いや……」


 もう何も考えることなどできやしない。真白に埋め尽くされた頭の中を覆い隠すように、エレノアは戦慄《わなな》きに頭を抱えた。


「ごめん、なさい……。ごめんなさい、わたし、わたし……」

「エレノア……」


 もうこれ以上は堪えられなかった。気づけばわたしは料理長の前なのに、恥も外聞もなく泣いてしまった。泣いて、泣いて、泣いて。声が枯れるほど泣いて。しかしこれで後戻りはできない。もう信じた道を進むしかない。

 エレノアは少年の腕の中に沈んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。