夏の音と汗のシーズン、始動
――期末テストが終わった翌週。夏の音と汗のシーズン、始動。
吹奏楽部サイド(温也&郷子)
放課後16:00、音楽室。
掲示板にはでかでかと貼り紙——《夏コン:課題曲Ⅲ/自由曲=エルガー〈威風堂々〉改訂版》。
石井ステマネ「メトロノーム=BPM120から。ウォームアップ“B♭→分散→和声”。金管、腹圧低めで入り。」
郷子「了解。最初の一秒=挨拶、いこ」
温也「最後の一秒=握手、まで想定な」
セク練(低音・金管)
・ロングトーン(8拍→12拍→16拍)
・八分裏アクセント→二拍我慢→一拍返し(※合図スイッチ)
・スライド独習:1-3-4-6ポジの跳躍で“急→止→急”を身体化
温也「“止”が甘いと付点が野暮ったくなる。音は止めるんやなく“置く”」
郷子「了解。“置く”=無音の握手」
合奏
課題曲Ⅲのコーダ、トロンボーンに“うねり”の指示。
佐々木先生「ここ、音で観客の足を前に一歩出させるとこ。一拍目で“おはよう”、終止で“ありがとう”。その間は全部“よろしく”や」
温也「はいな、息で客席ごと押し出すイメージで」
譜面台の下、温也のメモにはこうある。
・止める勇気(ppを怖がらない)
・“届くほうへ”の倍音を選ぶ
・退場足音=BPM80
郷子、クラのソロ後ろで低音を支えながらうっすら笑う。(出た、温也ブレンド)
音が窓の外の夕焼けまで届いた気がした。
バドミントンサイド(泉&宇宙/with 津留美&本山先輩)
週末・午前9:00、山口第一中・体育館。
二枚看板がそろって入ってくる。**仁保 津留美(柳井商工・高1)**と、その恋人でミックスの相方、本山 浩史(高3)。
本山先輩「お、いずひろ。県準優勝おめでと。中国は“拾い切ったもん勝ち”や。今日は拾い地獄いくぞ」
宇宙「望むところっす」
泉「最初の一本=挨拶、最後の一本=握手。真ん中は全部“我慢”で」
メニュー(午前)
マルチシャトル(コーチ投げ/30本連続ディグ)
2on1レシーブ(前衛=泉、後衛=宇宙→交代)
同フォーム三択ドリル(吊る/落とす/刺す)をノールック合図で
津留美「泉、前の“止”が甘い。止→抜→刺の“抜”で相手が動くけぇ、そこで逆を突き」
泉「“抜”……音で言う“無音ドロップ”やね」
本山先輩「宇宙、ロブの頂点を半拍遅らせ。戻りの一歩が前に出る相手には効く」
宇宙「半拍前じゃなくて半拍遅らせ、了解」
対人(午後)
高校生ペア(津留美/本山) vs 中学ペア(泉/宇宙)。
——最初の5本、いずひろが全部拾う。
宇宙「前、任せた!」
泉「後ろ、預かった!」
津留美「ナイス。じゃ次、無音ピース——」
泉、ネット前で**“見せびらかさん一発”**を落とす。床に吸い込み、ライン上。
本山先輩「いい“置き”。でも次は拾うぞ?」
スコアをつけて回すと、最後は21-18で高校生ペア。
ただし“ラリー継続数”はいずひろベスト更新。
津留美「量より“質”、今日の勝ちは内容やね」
宇宙「拾い地獄……楽しいっす(半分うそ)」
泉「半分ほんとやろ!」
仕上げ(夕方)
・サービス周りの二拍我慢→一拍返しの連続反復
・逆斜めの空け/埋めを“声ナシ合図”(親指の角度)で
本山先輩「中国の初戦は“声が通らん環境”もある。合図を体で前倒ししとけ」
津留美「最後の一本=握手、忘れんさんな。ネット前で相手の目を見て終わり」
泉と宇宙、ラケットを胸でコツン。(届くほうへ)
夜のクロスオーバー(音とシャトルの合流)
帰宅後21:00、三者通話(郷子/温也/泉)に宇宙が合流。
スピーカーから、それぞれの“今日”が滲む。
郷子『課題曲のコーダ、止→置が決まってきたで』
温也『“止”は勇気やって再確認』
泉『こっちも“止→抜→刺”。無音ピース、床が吸う音したもん』
宇宙『ロブは半拍遅らせに矯正。戻りの足を釣れるっす』
温也『同じやな。音も球も、間で勝つ』
郷子『じゃ、合図いこか——』
四人「最初の一秒=挨拶。最後の一秒=握手。届くほうへ」
通話が切れた後、メンバーそれぞれのノートの片隅に同じ言葉が残った。
今日の合図:半拍の勇気。見せびらかさん一発。無音の握手。
——吹奏楽部は、コンクールの客席まで“音で敬礼”する準備に入った。
——いずひろは、中国の空気で“拾い倒す”準備に入った。
どちらも、合図は同じだ。
挨拶で始め、握手で終わる。あとは全部、届くほうへ。
◆ 休日練習 ―「小町、ニャッと参上」
日曜の午前。
山口第一中の体育館では、いずひろペアがシャトルを追っていた。
その一方で、湯田家のリビングにはもう一つの“修羅場”があった。
――カサ…カサ…
トレーニングウェアを出していた温也の足元を、しっぽの先がスルッと通り抜ける。
温也「お? ……お前、またその時間か?」
ソファの下から、三毛猫の小町がニャッと顔を出した。
鼻の頭にちょこんと黒い模様、目がキラリと光る。
小町「ニャッ!(=お前らまた朝から練習か!)」
泉「も〜、小町、引っかいたらあかんけぇね!」
宇宙「でも、ちゃんと見よるな。あれ、試合の実況中継しよる目や」
小町はテーブルの上にぴょんと飛び乗り、
ラケットをじっと見つめる。
しっぽをピンと立て、両前足をカッと構えて——
小町「ニャッ!(サービスレシーブの構え!)」
宇宙「うわ、フォーム完璧やん!」
泉「ていうか、そのスイング速っ!」
温也「そりゃ“猫反射”やけぇな……」
泉が冗談で小町の前にシャトルを軽く放る。
すると——
シュッ!
見事な猫パンチで、シャトルは一直線にソファへ突き刺さる!
宇宙「おぉぉ! ドロップショット!?」
温也「いや、“猫パンチドライブ”やな」
泉「小町、恐るべし……」
小町はドヤ顔でしっぽをくるんと回し、
「ニャッ!(=拾ってみんかい)」とでも言いたげにソファを見上げた。
まるで“バドミントン部の新コーチ”である。
◆ 練習後のまったりタイム
午後3時。
練習を終えて帰宅した泉と宇宙は、畳の上でバテ気味。
その上にトコトコ歩いてきた小町が、ふたりの腕の間にすっぽりと座る。
泉「……小町、なんでそこに」
小町「ニャ〜(=今日もよく頑張ったな)」
宇宙「完全に褒めてくれよるやん」
温也「そりゃうちの“癒し監督”やけぇな。褒め担当や」
泉が小町の背を撫でると、ゴロゴロと低音が鳴る。
その音が、まるでトロンボーンのロングトーンみたいに優しく響いた。
温也「(笑)……B♭で鳴いとるな、今日もええ音や」
宇宙「お兄ちゃん、それ耳が職業病」
泉「でもホンマに“音で癒す”猫やね」
小町はゆっくり伸びをして、
窓辺から外の夕陽を見上げる。
そして、くるっと振り返り——
小町「ニャッ!(=届くほうへ)」
三人、同時に吹き出した。
温也「お前までそれ言うんか!」
泉「まさか猫までスローガン把握しとるとは!」
宇宙「やっぱ湯田家で一番強いの、小町やな……」
◆ 夜 ― 小町の独りごと(ナレーション風)
湯田家の縁側。
虫の声の中で、小町が尻尾をふわりと揺らす。
「人間は大変やニャ。音合わせて、球拾って、時々泣いて笑って。
でも、わたしは知っとる。
みんな、“届くほうへ”ちゃんと進んどるニャ。」
そのまま、スヤァ……。
夜風が猫の髭を揺らし、静かなBPM=80の寝息が聞こえる。
――夕方。練習を終えて畳にごろーんと寝転がる泉。
その横で、ふさふさの尻尾が「パタ…パタ…」。
泉「……ん〜〜〜。あぁ〜もう……小町ぃ〜。しっぽで顔パタパタするのやめぇや〜」
小町「ニャ〜(=あら、涼しいかなと思ったニャ)」
泉「いらん気ぃ使わんでええねん! 天然クーラーみたいな顔して〜!」
温也(新聞から顔上げて)「ははっ、サービス精神旺盛やな。さすがうちの“猫型エアコン”や」
泉「エアコンちゃうし! どっちか言うたら扇風機の“中途半端な風”やで!」
小町、しっぽをもう一度ふわりと振りながら、
「ニャッ(=そっちの風量調整、難しいニャ)」
泉「しゃべったみたいにタイミング合わすのやめぇ!」
温也「こいつ、完全にボケわかってるやん。家族の一員どころか、ツッコミ練習相手やな」
泉「うち、猫相手に漫才してる気分やわ……」
小町、満足げにゴロゴロとのどを鳴らしながら、泉の腕の中にすっぽり。
尻尾の先だけ、まだリズムを刻むように揺れている。
温也「ほら見ぃ、“BPM=80”で振っとる。ええテンポや」
泉「兄ちゃん、猫のしっぽでテンポ取らんといて!」
小町(心の声):「この家、だいぶおもろいニャ……」
そして、湯田家の夜は今日も笑いのリズムで更けていった。
――夜。
バド練を終えて、全身汗だくの泉。タオルを肩にかけて、浴室のドアを開ける。
泉「はぁ〜〜、今日も汗まみれや。もう、シャワー直行やな!」
お湯の音がしゃぁぁ……と響く中、脱衣かごの上のスマホがブルブルッ。
〈着信:仁保ひろ〉
泉「え、ひろ? なんやろ……」
タオルで髪をくしゃくしゃ拭きながら、スピーカーに出る。
泉「もしもし? どしたん?」
ひろ『あ、泉? 今どこおるん?』
泉「今? シャワー中やけど?」
ひろ『……え? い、今シャワー!? ……ごめん、なんか、いろいろと……想像してもうた……』
泉「はぁぁ!? あんた、なに考えてんの!」
ひろ『ち、ちゃうちゃう! いや、そういう意味ちゃうで! なんかその……情景が……』
泉「弁解しても無理や! アウトや!」
ちょうどそこへ、廊下から温也の声。
温也「おーい泉〜! 電話誰からや〜?」
泉「ひろ! このエロひろがぁー!!」
温也「ひろ? ……お前、妹に変な妄想しとったんか?」
ひろ『ちょっ! ちゃうって! ちゃうねん! 誤解やぁぁ!』
泉「兄ちゃん、共同認定いこ!」
温也「よっしゃ。“変態認定証”、兄妹連名で発行や!」
泉「エロひろ、昇格おめでとさん!」
電話の向こうで、ひろがうめき声。
ひろ『ぐはぁっ……もう、次の練習、俺、土下座で始めるわ……』
泉「その前に“正座で反省”からや!」
温也「合言葉は“届くほうへ”やなくて、“自重しろ”やな!」
三人同時に大爆笑。
その音が、湯田家の風呂場の湯気にまで響いていった。
――翌朝。
登校途中、山口第一中・正門へ続く坂道。
蝉の声と、バド部コンビの声が賑やかに響く。
泉がリュックを背負い直しながら、ちらっとひろを見上げる。
口の端が、にやり。
泉「なぁ、ひろ〜?」
ひろ「ん? なんや?」
泉「昨日うちが“シャワー浴びてる”言うたときさぁ……」
ひろ「……う、うん……?」
泉「どんな想像したん?」
ひろ「ブッ!! おまっ……朝からその話すんなや!」
泉「ええやん、ちょっと興味あるだけや〜♪」
ひろ「興味の方向おかしいて! そんなん男子的に地雷中の地雷や!」
泉「ほらほら、逃げんな〜♪ 顔、真っ赤やでぇ〜」
ひろ「日焼けやっ!」
泉「まだ登校10分やのにどんな紫外線やねん!」
信号待ちの間も漫才は続く。
ひろが口をパクパクしてる間に、泉が勝手に実況開始。
泉「はい、いま仁保ひろ選手、“妄想バレたショック”で顔面赤点灯〜!」
ひろ「うるさい実況やなぁ! ちゃうねん、ほんまに想像なんかしてへんし!」
泉「ほぉ〜ん? じゃあ、頭ん中まっしろやったん?」
ひろ「そ、それは……その……シャワーヘッドの水圧とかを……」
泉「ほな“水圧マニア”認定な!」
ひろ「ちゃうっちゅうねん!!」
道端の小学生が二人を見て笑ってる。
「お兄ちゃんたち、漫才してるー!」
泉「せやろ? 朝からテンションMAXや!」
ひろ「いや漫才ちゃうし! 誤解生む発言すな!」
――教室到着。
靴箱でまだ笑いが止まらない二人。
泉「いや〜、朝からええウォーミングアップできたわ」
ひろ「お前なぁ……体温上がりすぎて授業中寝るで」
泉「ええやん、“夢の中でもツッコミ”入れとくわ!」
ひろ「その夢、うるさすぎるやろ!」
チャイムが鳴る。
ふたり同時に教室へ。
先生「おはよう。朝から元気やな、湯田・仁保ペア」
泉「はい、最初の一言=挨拶、最後の一言=ツッコミです!」
ひろ「ちゃうやろ! “最後の一言=反省”や!」
クラス全員:ドッ!
笑い声が響く朝の教室。
――今日も山口第一中は、音と笑いで始まった。
――教室に入って、席に着くふたり。
笑いの余韻が残るまま、泉がちょこんと前を向いて言う。
泉「でもな……」
ひろ「ん?」
泉「うち、ちょっと嬉しかったんやで」
ひろ「……は?」
泉「昨日、シャワー中って言うた時にな……ひろが“想像してもうた”って言ったやん?」
ひろ「う、うん……あれは、その……」
泉「そやけど、それって、うちのことを真面目に、ちゃんと女の子として見てくれとるってことやろ?
せやから……なんか、ちょっと嬉しかったんや」
ひろ「……っ!」
一瞬で、ひろの顔が真っ赤っ赤。
まるで信号機の“止まれ”状態。
泉「ほら〜また赤なった! 今度は信号より早いわ!」
ひろ「だ、だって、そんなん急に言うなや! 朝から心臓に悪いわ!」
泉「へへっ、心拍数上げといたら体育の準備になるやろ?」
ひろ「どんな理屈やねん!」
そこへ、ガラッと扉が開いて担任の声。
先生「おーい、席につけー。ホームルーム始めるぞー」
泉「……ほら、授業始まるで」
ひろ「お、おう……」
ふたりは並んで席に着き、
ちらりと目が合う。
――泉は口の端で小さく笑った。
ひろはノートを開きながらも、耳まで真っ赤。
泉(心の中で):「まじめで優しいとこ、やっぱ好きやなぁ……」
チャイムが鳴る。
朝の光が黒板に反射して、二人の笑顔をそっと照らしていた。
――一限目と二限目のあいだ、教室はちょっとした縁日のように賑やかだった。
前の黒板には数学の公式、後ろの掲示には合唱祭のパート割。通路ではプリントを抱えた係が右往左往し、窓辺には観葉植物を世話する生物係。机のあいだを風が抜けるたび、笑い声が小さく波打った。
「仁保ー、英語のワーク、三番の答え何にした?」
「“goes”だと思う。理由は——」
「おーい湯田、明日の係替えどうする? チョーク補充、誰回す?」
「ほなうちやるで。黒板白なるくらい補充したるわ」
泉はノートにさらさらと書き足し、顔を上げるたびに誰かと目が合い、目が合うたびに小さく笑う。ひろは席で配られたワークを丁寧にそろえ、隣の席の泉にスッと一枚渡した。ふたりの手と手が一瞬ふれ、何でもない顔で離れる。クラスの空気に、からかいの温度がほんの少し混ざった。
「はいホームルーム終わり、次・国語。教科書——」
「先生、五分前に終わらせたら昼休み五分延長ってどうです?」
「交渉が早いな田中。結果は——検討だけしとく」
笑いがどっと起きて、チャイムが鳴る。午前中が、するするとほどけていった。
◇
昼休み。窓ガラスの青が濃い。運動場には白いラインが残り、風が砂の匂いを軽く運んでくる。
「ひろ~」
「ん?」
「天気ええし、外でお弁当食べよっか」
「いいね。日陰、ベンチ空いてるかな」
ふたりは廊下を抜け、昇降口を出る。スニーカーの底がタイルを叩き、柔らかい音を残す。中庭のケヤキの下、半分日陰になっているベンチが一脚。泉はちょいと先に駆け、鞄で場所をキープするように“ぽすん”。
「確保~。本部より報告、木漏れ日コンディション良好や」
「本部の権限、強いな」
「そらもう、腹ぺこ権限や」
ふたり並んで腰を下ろす。弁当を開く音が重なった。泉の弁当は卵焼きがまっ黄っ黄、甘い匂い。梅干しの赤がまんなかにきゅっと座って、隅に小さな唐揚げが二つ。ひろの弁当は、海苔段々のごはんの上に胡麻、仕切りにきんぴら、ブロッコリーがちょこん。
「はい、唐揚げ進呈」
「え、いいの?」
「一本勝負の相方に、エネルギー配給。……ってことで」
「じゃあ、こっちはブロッコリー。ビタミン担当から」
「うわ、健康的~。お母さん喜ぶやつや」
箸先が入れ替わる。目が笑い、目が泳ぐ。沈黙は、気まずさではなく、味を確かめるための“二拍我慢”。
「湯田さん、湯田さん」
「なんや、取材か?」
「はいこちら、昼休み速報ー。“ケヤキ下ベンチ、カップル感の発生を検知”」
「どこの気象庁やねん」
声のする方を見ると、クラスの女子二人がジュースを手に、にやにや笑っていた。その後ろから男子がひょいと顔を出す。
「はいはい、公認公認」
「認定証つくる?」
「作らんでええ! 勝手にカップルにせんといてや」
「でも、朝から登校漫才やってたでしょ?」
「漫才ちゃう、体温上げるウォームアップや!」
泉が肩をすくめ、ひろが困ったように笑う。揶揄の力は、軽く、やさしい。からかう声はすぐ別の話題に流れていき、「体育、今日シャトルある?」「ドッジやってくれ」なんて声がグラウンドに溶けた。
風が少し強くなって、木漏れ日が揺れ、弁当の白米に小さく影を落とす。泉は卵焼きを半分にして、ひろの箸先にそっと乗せた。
「はい、特製。うちの甘さは、たぶん勝ち筋や」
「勝ち筋?」
「最初の一口=挨拶、最後の一口=握手。間は全部“よろしく”の味」
「……いい合図だね」
ひろは噛んで、少しだけ長く目を閉じた。甘さが舌に広がり、言葉が追いつく前に喉を過ぎる。ふと、視線が合う。泉はおどけ半分、照れ半分で顔をそらし、「べつに、深い意味ないけどな」と、声だけまっすぐ置いた。
「湯田」
「ん?」
「その……ありがと。……うまい」
「お、おう。ほな評価A判定で」
「S寄りのA」
「細かいわ!」
ふたりの笑いに、ケヤキがざわりと相槌を打った。
「仁保~、昼練出る?」
運動部の呼び声が飛ぶ。グラウンド脇でバドミントンのシャトル回しをする面々が、手を振っている。泉がひろを見る。
「行く?」
「五分だけ、手首回してこよっか」
「ほな、弁当“最後の一口=握手”で締めや」
ふたりで弁当箱を同時に閉じ、軽く“コツン”と合わせる。木のフタが小さく鳴って、合図の音になった。
立ち上がる前に、泉が小さく言う。
「なぁ、ひろ」
「うん」
「昨日のん、ありがとな。……まじめに考えてくれてるん、分かったから。うちは、それがいっちゃん嬉しいねん」
「……っ」
「ほら、顔、また赤い」
「日焼け」
「言い張るなぁ」
ふたりは笑って、ベンチを離れる。足取りは軽く、歩幅は自然に揃う。中庭の出口までの短い道を、“BPM=80”で歩く。最初の一歩は挨拶。最後の一歩は握手。そのあいだ全部が、今日の“よろしく”。
背中越しに、クラスメイトの声が飛ぶ。
「午後の小テスト、カンニングなしなー!」
「誰に言うてんねん! 正々堂々で勝つわ!」
泉のツッコミに、ひろの笑い声。夏の風はふたりの声を運び、ケヤキの影は短くなっていく。昼の半分が過ぎ、午後の授業が近づいている。鐘の音がどこかで鳴った気がして、ふたりは顔を見合わせた。
「——行こか」
「うん。届くほうへ」
運動場の白線の向こう、教室の扉の前まで。漫才みたいな会話の余韻を連れて、ふたりの昼休みは、静かに、まっすぐ続いていった。




