魔王の慟哭
倒れるミレーヌを後ろから抱きとめると、華奢な体は自分を支えるだけの力すら残っていなかった。
普段の様な抵抗もなく、身じろぎ一つもせずに私を見上げている。
「ミレーヌ!」
「あっ……」
まだ何が起こったのか理解できないでいる様子のミレーヌをしっかりと抱く。
何かを喋ろうとしているが肺を貫かれたのだろう、口からは言葉の代わりに血がこぼれ、呼吸も出来ずに何も喋ることができないでいる。
「ミレーヌ……お前は」
ダイアリーに何かを書こうとしているが、手が震えて何を書こうとしているのかもわからない。その手を掴んで書くことをやめさせると、静かにこちらを見上げている。
その目は勇者を恨む目ではなく、私を心配するような目であったと感じた。
それは決して思い違いなどではない。私は言葉に頼らずとも、文字を読まずとも、ミレーヌの心がわかるようになっているのだ。
だからこそ歯がゆく、だからこそ自分が許せぬ。
「お前はどこまでお人好しなのだ……」
体を剣で貫かれたのだ、ミレーヌはこれから死を迎えるだろう。
あの時、村長の家から出るなと言っておけば、或いは私が最初からヒデを殺しておけばこんなことにはならなかったはずだ。
悔やんでも悔やみきれず、悔恨の念が私を押しつぶしてしまいそうであった。
ミレーヌを想うあまり、人を殺すことに――勇者を殺すことに若干の躊躇いが生まれていたのだ。
以前の私ならば、あのような者は迷うことなく殺していただろう。
しかし、私はミレーヌの心に触れてしまった。
それゆえに、ミレーヌは――。
「っ……」
何かを喋ろうとするミレーヌの唇に自身の唇を合わせる。
これも抵抗をすうことはなく、ただ私に身をゆだねていた。それは死を前にして、抵抗するだけの力も残っていないからかもしれない。
「あーあ、寝取られちゃった気分だわー」
勇者の嘲る様な言葉が耳に入るが、それを無視し唇を離してミレーヌを見る。
「ミレーヌ、私の妻となってはくれないか。私の名はショスピエール・フラッパ―、生涯ミレーヌを守ると誓う」
このやり方は卑怯だと言える。
人としての死を迎えるミレーヌに、私を愛していると知っているミレーヌに、断れぬ愛の契約を求めたのだ。
「……」
僅かに驚いた様な表情を見せたあと、私の頬に震える手を当てて小さく頷いた。
ゆっくりと目を閉じるミレーヌの頬には涙がつたっている。そしてミレーヌが見せた最期の表情は、儚くも美しい、花の様な笑顔であった。
「……何故ミレーヌがこのような目に合わなければならない。ミレーヌが死ななければならない理由がどこにあったというのだっ」
力なく眠るミレーヌを抱き抱えたまま、勇者に切りとばされていた腕を再生させる。
「あれ、腕治るの……?」
泥と血の混じった禍々しきこの地にミレーヌを横たわらせるわけにはいかない。私は生涯ミレーヌを守ると誓い、ミレーヌはそれを受け入れたのだ。ならば今は離すことなく抱きしめていよう。
「何故ミレーヌが死ななければならなかったのだ!」
私の怒りは風に乗り、ヒデの体を吹き飛ばす。
「えっ!? なんだこれ!」
続けて風の魔術で巻き込み空高く跳ね上げると、ヒデは空中で四肢を振ってもがき、無様をさらして道化を演じている。
自己治癒能力を惜しむことはなかったのだ。
私が最初から力を解放していれば、ミレーヌは人としての死を迎えずに済んだはずであった。
「あっつ、待って! 何これ、痛ぇ、痛ぇよっ!」
竜巻に飲まれ、空で回転しているヒデに風の刃を放ち、それをヒデの周囲に躍らせる。腕を飛ばされては生やし、目を切り裂かれては治しているが、その治癒は明らかに間に合っておらず、徐々に体の欠損が目立ち始める。
「ぢょっと待っで、このままじゃはぁ! 死んじまうっふっ……!」
「私は貴様を殺すと最初に言ったはずだ」
「村人ども、俺がピンヂなのになんで助げねぇんだっぎゃぁっ!」
「この期に及んで無力な者に助けを求めるか」
侮蔑のこもった視線を送るのは、何もヒデにだけではない。一向に動こうとしない村民たちにも、怒りと侮蔑をこめて睨みつける。
「いや……」
「これはちょっと……」
怖じける村民達。
私が魔族だと知って、腕が再生しているのを見て、勇者が劣勢だと感じ、先程までの勢いを全てなくしてしまっている。
「ミレーヌには恩を仇で返し、次は勇者を裏切るか。領主であるミレーヌは身を挺してまで争うことを止めようとしたが、貴様らは煽るだけ煽ってだんまりか。私は貴様らの醜い心を見抜き何度も殺そうとした……だがミレーヌは必死にそれを庇っていたのだぞ。なんの非もないミレーヌが、非しか見当たらぬ貴様らを『大切な領民』と称していたのだ。それが何故かわかるか?」
ミレーヌもまた愚かなのだ。
愚かすぎるほど純真であった。
「貴様らにはわかるまい……蝶よ花よと愛でられるべきこの小娘が、虫けらにも劣る貴様らの為に生きていたということを……そして貴様らは一体ミレーヌに何と言ったか!!」
勇者の四肢を風を操り捻り折る。
魔力で作られた風は、それだけで暴力となる。ヒデが手足を振るよりも強く、ヒデが治癒を行うよりも早くその身を蹂躙する。
「ひあぁぁっ!」
再生力を上回る風の暴力が治癒した直後の体を襲い、何度も骨を折り、肉を引き裂き続ける。そのため痛みは永続的に続き、辺りにはヒデの悲鳴と風の音だけが鳴り響く。
肉を突き破った骨が血液を飛散させ、村民達の頭上に降りそそぎ、腰を抜かす者や小便をたらす者も現れた。だが勇者を助けようという意志を見せる者はおらず、ただ怯えて震えるだけであった。
「ミレーヌの深く傷付いた心を尚も踏みにじった貴様らには、この男と同等の死を与えてくれる。我が風の抱擁からは誰一人逃れられぬものと思え!」
風はやがて巨大な人型の姿へと変わる。
それは魔力で肥大化した風の精霊、魔人である。
物言わぬ巨大な魔人が勇者を両手で包み込むと、死を予感したのか勇者ヒデは泣き叫ぶ。
その様は、とても勇気ある者だとは思えぬ醜悪なものであった。
「いやだ、助けて! 俺が悪かったからさぁあ! なんでもします、なんでもしますからぁ!」
「何でもするだと?」
「はい、なんでもします! だがらたずげてくだひゃい!」
それは私の望みを叶えるということか。
「何をすればミレーヌを傷つけたことを償い、ミレーヌを殺したことを贖えると考えるのだ……問答の余地などない、貴様はここで死ね。それが私の望みだ」
「そんなっ酷っぐぁひぃっっぷゅっ――」
魔人が掌を包み込み、泥団子を作るように握りつぶす。手の隙間から搾られた大量の血がこぼれ落ち、それを見た村人の一人が逃げ出そうと走り出す。
だが風の魔人は逃げだした村人の前に歪な形となった、勇者であった肉塊を投げつけてその動きを制止する。
「ひぃぃ、勇者様がぁ!」
「魔王ショスピエール・フラッパーを前にして、脆弱な人族如きが逃げられると思うな」
隠していた角を現したのは風を十全に操るためである。
これにより魔人との同調が可能となり、より確実に抹殺することができるだろう。
「角だ……今、魔王って言ったか!?」
「魔王が生きていたんか!?」
「勇者様が敵わねえわけだよ……俺たちはもう終わりだ……」
「だからやめようって言ったじゃねぇか!」
「今更何をいってやがんだよ馬鹿野郎!」
最期の時を前にしても汚く罵り合う村民達の前に風の魔人が降り、風の輪で一人一人を拘束する。
ここにいる全ての者を、腕の一振りで消滅させるための構えを取ると、同調した魔人が同じ格好をしている。
目を瞑り、しばしミレーヌを想う。
ミレーヌは優しすぎたのだ。
他者を傷付けず、貶めず、蔑まず、貴族だというのに己よりも下の者を作らぬよう生きていた。
だがその心は愚かな人族には届かなかった。ミレーヌがいくら優しさを届けようとも、誰一人受け取る者がいなかったのだ。
「ミレーヌの心の声がなぜ届かなかい……届かぬとしても気付けたはずだ……ミレーヌは言葉以上に己の行動でその心を示していた、それを貴様らは見ようとさえもしなかったぁぁぁああんんーっ!!」
腕を払い魔人に村民を殺させようとした瞬間、お粗末様に感じたことのない壮絶な快感が突き抜ける。腰はくの字に折れ曲がり、その快感はお粗末様を瞬時にご立派様へと変貌させた。
込み上げる悦楽の波に抗うことはできず、吹き荒れていた風は止み、同調していた魔人は腰をくの字に折ってなんとも言えぬ表情をしていた。
「しゅ、しゅごいぃ……」
角を出していなければ、私は今頃気を失っていただろう。いや、最悪の場合は過去最高の放精をしていたかもしれない。
しかしながら、真の姿を現した私を一撃で止めるとは――。
「ピエール様、おやめください!」
私が魔力を散らしてしまったのは、私の腕から抜けたミレーヌが、腰に抱き着きお粗末様を頭で強打したからであった。
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