昼の居酒屋
草舘さんは、気軽に連絡が欲しいと言ってくれていたのにふさわしく、すぐに返信をくれた。
「君にね、唯一失敗があるとしたら、それは戦わなかったことだよ」
草舘さんは待ち合わせた駅から、予約してあるから居酒屋の個室のランチに行こう、と歩き出した後に言った。
草舘さんは、白髪の多い前髪を粋な形で流して、地球に帰ってきてからは街中でよく見かける、おそらくは最近流行の眼鏡をかけて、パリッとしたシャツを着て、溌剌とした歩みで進んだ。草舘さんは、当時から女性にかっこいいと噂をされるタイプの教授で、今でも変わらずに洒落た格好をしていた。
「君はさ、今でもまだ訴訟をする気はないのかい」
草舘さんは席についてランチを注文するなり言った。タイジュは驚いた。
「訴訟も何も、もう時効なのではないですか、名誉毀損か何かは」
タイジュは、交易船に乗っている間に、いくらか法律の勉強をした。当時戦ったとしてもかてたかどうか危うい。
「あの後だって、当時を振り返る系の動画配信者や、ホログラム番組、揶揄するような広告なんかいくらでもあったんだ。それらで時効になっていないものなんか探せばいくらでもあるだろ」
父も母も、みんなもう忘れているとは言っていたが、やはり継続して何かしら思い出す機会はあったのだ。何も無かったように受け入れてくれる父母に感謝すべきなのかも知れない。
「君は自分の名誉を回復する手立てを取った方が良い」
草舘さんはおしぼりで手を拭きながら言った。
「君ではなくて、君を責め立てたやつらが気に入らないんだよな、よってたかって有りもしない証拠だのといった胡散臭い戯れ言を並び立てて。メディアの連中も、そいつらに『関係者』として嘘を並べた人間も。やつらにとっては運良く、君がそれで黙ってしまったおかげで、やつらは成功体験を得ちまった。そうしたらだよ、次は誰が標的になるかわかったもんじゃないって、だーれも同じ研究をやんなくなっちまった」
「それは……すみません」
「いや、気持ちはわかる。取鐘先生の件はこたえたろうな、気持ちはわかるんだ」
「……僕は確かに戦うということはせずに逃げました。先生の名誉のために戦うべきだったのかも知れませんが」
「俺も何も言えない人間の一人だからな……無責任なんだろうな、君に戦えというのは」「どうなんでしょうね、戦って勝てたのでしょうか」
「今、金ならあるんだろ? タイムマシン乗りは儲かるって聞いてる。やるだけやってみたらどうだ。俺も少し出そうか」
「いえ、やりませんし、別に儲かりませんよ。当時よりは確かに余裕がありますが、二〇年普通の会社で働いていた方が儲かります。使う娯楽が船内に無いだけです。それに、訴訟を起こしたことがきっかけでまた同じことが起きて欲しくはないですね」
「そりゃそうだよなあ、学問が罵詈雑言を掲げたペンに負ける状況って、何なんだろうな。おれはさ、情けないと思うんだよ。学生に学問の有るべき姿も見せられないでさ」
草舘さんは、その後しばらく、ぶり大根の大根を崩しながら様々な話をした。近年の鬱屈とした状況の報告という内容がほとんどだったが、それは、二〇年という時間を失ったタイジュに対して気を遣って謙遜して話しているのかも知れないし、それが彼なりの話術なのかも知れなかった。タイジュも、二〇年前は見かけなかった魚の、西京漬けにされたものをつつきながらしんみりと聞いた。
草舘さんが、「じゃあ墓参りに行くか」といった時には二時間ほど経っていた。
晩夏の街中を吹く風は、草舘さんと話す前よりずっと心地よく感じた。
墓参りのシーズンが過ぎているにもかかわらず、恩師の墓はきれいに整えられ、寂れた様子は無かった。その様子から、タイジュは恩師のご家族が健やかに暮らしていることが感じられたようで少し安心した。
タイジュは、恩師の墓に手を合わせながら、勝手なことに、自分が今後どう過ごして行くべきなのかを恩師に聞けたらいいのに、と思った。




