父と母
地球の新年における時期において、毎回「謹賀新年」の文言と共に短文のメールを交易船に乗る自分にあてて送ってきていた知人がいる。その知人は恩師の若い友人だった。名前を草舘さんと言い、最後までタイジュと恩師を案じてくれた人でもある。当時でもタイジュより年上の四〇代、現在では六〇代になっただろう。
最後に受け取ったメールには、「地球に帰ったら連絡が欲しい」とあった。タイジュはまず顔を見せるべきかとも思っていたが、二〇年のブランクのため、するべき手続きを済ませてからにしようと思っていた。
地球への帰還の翌日、タイジュはまず父母に会いに実家に帰った。
父にも母にも、合わせる顔など無いと思っていた。もし気が変わっていなければ、実家にも帰らなかったかもしれない。しかし、自分に連絡をとろうとする酔狂な人も居ると分かった以上、父と母にも顔を見せておかなければ、後々面倒なことに巻き込むかもしれない。タイジュはそう思って、前日に連絡を入れた。
父も母も自分が健康で帰ってきたことを喜んでくれた。
実際に会ってみると、父も母も、二〇年の歳月の老いに加え、少し痩せたようだった。もう八〇代の両親は記憶よりもずっと小さかった。自分が心配を掛けたこともその一因かもしれないな、とタイジュは思った。
父は言った。
「船はどうだった、不便は無かったか? タイジュは昔から宇宙が好きだったな」
父は細くなった腕と指を使って頭を軽く掻きながら言った。
「うん、不自由はしなかったよ。楽しい旅では無かったけど」
「そうか……おまえにはまだ最近のことだろうし、辛かったかもしれないな。あんなことがあったし、それでも誰にも恨み言を言わずに次の仕事を見つけたおまえは偉いよ」
「そうね、しばらくのんびりしなさいよ。船に乗ってる間は碌に娯楽もないって聞いてるし、地球にいるなら行ける場所も多いし、それ以外は家にいればゆっくり休むこともできるんじゃない? 船の中は一人なんでしょう? 後はAIで。地球でいろんな人と話してしばらくは休みなさい。夕飯は何を食べる? お寿司をとってもいいかと思ってるの。それとも最近流行っているお父さんお気に入りのパープルマスタードチキンにする? それともお母さんの作ったハンバーグとかにする?」
父と母はあいかわらず優しかった。そして、その扱いで、自分の不甲斐なさは自分で消化しなければならないと改めて思う。
「今日はホテルを予約したんだ。少し話したら出ようと思う」
母の老齢なりのおっとりしたマシンガントークの間に、焼き菓子の缶を取りに行き、戻ってきたばかりの父が驚いて缶をテーブルに取り落とした。
「泊まっていかないのか」
「うん、今日はもう帰るよ」
「何を気にしているんだ、みんなもう忘れたような話だよ。二〇年も前の、真偽も定かで無いねつ造事件のことなんかでもう誰もおまえを責めたりしない」
「真偽が定かで無いと思ってくれているのは父さん母さんくらいのものだよ」
「そんなことはないでしょう、現に草舘さんだってよく心配して連絡をくださる」
ここで草舘さんに話が出てくるのは予想外だったが、引くわけにも行かない。
「でも、その事件のせいで先生は亡くなったんだ」
母が青ざめた。父が一瞬息を止め、その後吐き出し、言った。
「タイジュ、おまえが自分を責めるべき時期はもう過ぎたよ、おまえは自分の人生を生きていい。父さんと母さんはおまえにもう幸せになって貰いたいと思っている。世の中だって変わったよ。犯罪件数だってずいぶん減った。おまえは、まさかまたタイムマシンに乗るつもりじゃないだろうな?」
タイジュは答えなかった。
父は携帯デバイスを取り出してホログラムを表示させた。ホログラム通信大手のアプリのIDだと父は説明した。父はもう一つの携帯デバイスを取り出した。
「おまえのために一つ新しく携帯デバイスを契約しておいたよ。今日ホテルに泊まるのは反対はしない。でも、草舘さんの話も聞いてみなさい。草舘さんの話を聞いた後また家に帰ってきなさい。父さんも母さんも、おまえには休息が必要だと思っているよ」
タイジュはもともと草舘さんには会うつもりでいたので、デバイスと受け取りIDをメモした。そんなに急いで行かなくてもいい、とりあえず焼き菓子でも食べて行きなさいよ、という母の言葉には頷いて、タイジュは昔なじみのクッキーをいくつかつまんだ。懐かしい味がする。
恩師の訃報を聞いたのは、自分の勤める大学に噂の否定と証拠の提示を行うための面談が組まれた直後だった。恩師である取鐘先生は別大学に勤めていたが、タイジュの博士論文の主査であり、時には共同研究の際の論文の共著者として論文に協力して貰っていた。
当時、タイジュの恩師である取鐘先生のことも、メディアには執拗に言及されていた。主な内容は、その研究内容が、別の機会に違法とされた人工の特殊な能力の向上を見込んだ人間の研究から得た遺伝子が流用されているという報道だった。「関係者」を名乗る多数の人間が利用を証言し、取引の履歴とされる文書が大量に出回った。裁判も起こさずに恩師は亡くなった。大学の自らの研究室のある建物の屋上から飛び降りたのだという。パソコンから遺書が見つかったと聞いている。タイジュはその事実を聞いて研究を続けていく気力を完全に失ってしまった。元々年若く訴訟への備えや蓄えなど無かったタイジュには、戦うだけの気力も資源も残っていなかった。
タイジュはこのまま自分だけがのうのうと生きていて良いのかと思っている。しかしクッキーは懐かしい味がする。当時何の食べ物の味もしなかったのが嘘のようだ。自分だけが回復してしまって、恩師の時間は止まったままだ。確か当時六歳だった、恩師の年にしては遅く生まれた息子さんはどうしただろう。父と母は自分の子に優しい。きっと恩師もそうしたかったはずだ。メディアが来るのがわかっていて、自分の所属する大学からも止められていたから、先生の墓前にも当時行けなかった。
タイジュはぽつりと言った。
「先生のお墓参りに行こうにも、場所もわからない。場所を聞くには、草舘さんに会いに行くのが良いのだろうか」
母が言った。
「そうね。きっと先生もあなたの顔を見た方が安心するわ」
命を失うことになった原因である相手に対し、そんなことなどないに決まっている、とタイジュは思った。しかし、筋は通したい。タイジュはメモしたIDをぼんやりと見つめた。




