攻防
タイジュは契約書の確認をする振りをして、PCのポート付近に腕時計型便利アイテムをつけた左手首を近づけた。一瞬でもタイミングを逃し、または位置取りを間違えたら失敗する。手が震えだしそうな状況を抑え、操作をしようと指を振った時点で、タイジュは左手首を捕まれた。
「何をしている」
左手をひねり上げられながら、タイジュは、失敗した、と思った。元ネックピローの時計はすでに変形を始めており、アメーバがボタボタ、と床に落ちた。
「水?……いや、アメーバか? PCを壊そうとしたな」
言うが早いか、セイギは手を離し、タイジュの左頬を裏拳で叩きつけた。
タイジュはとっさに直前までひねり上げられていた左腕で頬を庇ったが、庇い切れず、頬が鋭い痛みを訴え、口の内側が切れる感覚があった。
そこでよろめいている間に、セイギはタイジュの右あばら下部を手刀で強打した。
タイジュは息が吸えなくなる感覚を覚え、一瞬遅れて咳き込んだ。
体を丸めて咳き込んでいる間に、秘書が近づいてきた。タイジュはとっさに便利アイテムを伸ばし、秘書に足払いをかけて距離をとった。その間に、セイギはPCを守るべく棚にPCを移した。
「懐柔されて言うことを聞く振りをした上でPCを壊そうとするとは、小賢しいな」
タイジュは咳き込みながら応じた。
「通報しますか? 器物損壊に未遂はありませんよ。そしてこれがニュースになろうと、何を破壊しようとしたのか、気になる人間は気になるでしょうね。誰かが真実に気づいてしまうかもしれませんね。そして今のあなたは傷害犯だ。通報するなら歓迎しますよ」
タイジュは、わざとらしく切った頬からにじむ血のまじったつばを床に吐いた。
なお、今回のような様々なケースに合わせて、タイジュは法律を予習してきたところである。
セイギは重心を落としながらゆっくりとタイジュに近づいてきた。正直肉弾戦をしたくないタイジュからすれば、セイギに近づかれるのは御免被りたいところだ。
タイジュは机の反対側に回り込み、セイギの進路に椅子を倒して回った。
「技術者のくせに法律に詳しいのだな。おとなしく言うことを聞くタイプであれば人生で成功するのも容易かろうに。どうしたものかな。名誉でも法でも大義でも金でも言うことを聞かないと見える。今後有用な振りをして寝首をかかれることもあり得るな。殺してやろうか。私の義兄のように。残念だよ。利用価値のありそうな頭脳だったのに」
タイジュは馬鹿にしたように笑った。
「今私を殺したところで、傷害の存在から事故で無いことはすぐにばれてしまうでしょうね。人は『大義』で動くのでしょう? あなたが世間に悪と思われた場合どのような扱いを受けるでしょうね」
「脅しのつもりか」
秘書がセイギと逆側に回り込もうとしたため、今度はタイジュは椅子を秘書に投げつけた。まずい、そろそろ器物損壊か傷害の既遂になるかもしれない。
タイジュは話を変えた。
「あなたに、尊敬出来る人は居ますか」
「なんだと?」
「尊敬する人に、今の自分を見せることができますか」
「何が言いたい」
「自らの義兄を殺して、金と立場にしがみつき、三〇近く年の離れたただの技術者をいたぶり、楽しいですか、自分の人生は。人を殺して歩む人生は、楽しいですか」
「何を偉そうに。尊敬する人間などいないよ。心配しなくとも義兄と同じ道を歩ませてやる」
セイギが机の上に上って上段から肩にめがけて蹴りを放ってきたため、タイジュは便利アイテムを使ってトゲつきナックルで受けようとしたところ、セイギは足の方向を変え体を引いた。
秘書は近づいて来ない。セイギの邪魔になると思っているのだろう。
「あなたが取鐘先生を殺したのですか」
「世間ではそんな風に思っている人間などいないだろうね。遺書もあった。私がやったなどとわざわざ言いはしないし、君がそれを知ったところで何もできやしないさ」
「……そうかもしれませんね」
タイジュは、相手を挑発するために表情を保とうとするものの、その実、内心では泣き出しそうだった。やはり、比喩でも何でも無く、恩師はこの人に直接殺されたのだ。マコトやマコトの母を残して死にたくなかったであろう。技術と社会に対して真面目であった人だ。技術も社会も裏切るような弟に殺されて無念だったに違いない。
タイジュはできることなら当時恩師と共に戦いたかった。やはり、自分は見捨てられてのではなく、疑われたのでもなく、無念のままこの男に殺されたのだ。タイジュは、誰かに助けて貰いたかった。一人にしないで欲しかった。誰かに協力して貰いたかった。それも、他でもない、自分の研究を信じ応援してくれた恩師に。
無念のまま死んだ恩師も、自分が追い詰めたのかと苦しんだタイジュも、父を失ったマコトも、全ての不幸はこの男のせいなのだ。
「屋上からあなたが突き落としたのですか」
タイジュの手首から便利アイテムをたたき落とそうとしたセイギの左の手刀をタイジュは便利アイテムの側面で受けた。衝撃で便利アイテムの形が崩れる。
「私自身が手を下すと思うかね。当時まだ精度の低かったスワンプマンズAIの前身のシステムで、柵の壊れかけた屋上に誘導しただけだ」
「それだけで人が落ちるものでしょうか」
再度便利アイテムをたたき落とそうとした、セイギの右の手刀の攻撃を、タイジュはまたも便利アイテムで受けたが、広げて盾のように使った便利アイテムに、バチ、と火花が散った。
「柵の外側に奴の婚約指輪を置いたのさ。特徴のあるデザインだったからすぐに気が付いたことだろうね。もちろん現場からは回収したよ。糸をつけておいて巻き取ったのさ」
「なんてことを!……遺書は偽造ですか」
「PC内の遺書などいくらでも偽造可能だろう」
火花を見てセイギは距離をとっている。正直タイジュも便利アイテムが爆発しそうで気が気では無い。
「……私の人生の師を殺したあなたを、私はやはり許せません」
「何を……」
セイギが何か言いかけたところで、ヴー、と携帯デバイスのホログラム通信の着信音が鳴った。セイギのデバイスである。
秘書がセイギを庇うようにタイジュとセイギの間に入った。
セイギは着信元を確認しようとして、非通知設定だったのか、訝しげに着信を受けた。ホログラムが自動的に立ち上がった。ホログラムに映っているのはマコトだった。
「水辺さんの身につけていた時計に忍ばせた半導体素子から発信された叔父様の父への犯行の告白と、水辺さんへの殺害予告によって、警察が今そちらに向かっています。なお、殺人に時効はありません。水辺さんを直ちに解放してください」
マコトと事前に打ち合わせた方針では、PCの破壊に失敗した場合、セイギが恩師を殺したにしろそうでないにしろ、タイジュに危害を加えるのであればそれで通報し、タイジュをその場では解放してクビにするのであれば、大人しく従う振りをして会話を引き延ばし、通報できるような内容を引き出す予定だった。ささいな内容にとどまり示談に持ち込むレベルであっても、それで交渉は可能に思われたからである。
上手く収まって安堵の息をつくと同時に、タイジュは、力なく椅子に座り込むセイギを見た。タイジュは、さきほどまでよりずっとセイギが小さく感じた。このような人間に恩師を殺されてしまったのだ。
タイジュは動きが悪くなった元ネックピローの便利アイテムを眺めて、壊してしまったことをマコトに謝らなければいけないな、と思った。




