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正義と研究倫理

 自首? すべきなのかもしれない。法に触れる行為をしたのだ、そうするのが人として正しいのかもしれない。しかしそれが『正しい』からと言って、マコトが全ての罪を背負おうとするのも『正しい』と思わない。何より、マコトの叔父はマコトや彼自身に『大義』が有ると言ったのだ。正義など玉虫色だ。


 タイジュは二〇年前、恩師の死後、マコトの母から、名字を変え、しばらく身を潜めることを許して欲しいという手紙を受けとった。


 今ならわかる。なぜ手紙という手段をとったのか。監視されていることを理解していたのだ。おそらくはセイギによって。


 彼女は子供を守るため、自分たちだけ戦わずに逃げることを許して欲しいと言っていた。それからしばらくして、タイジュは彼女らが矢面に立たなくなったことを見届けて地球を離れた。


 それからのタイジュの孤独は何だったのだ。自らの研究を守れもしなかったが、せめてもの罪滅ぼしをしたいと思っていたタイジュの感情はどうなるのだ。自分が救えた人が居ると思いたかったタイジュの意思はどうなるのだ。自分の孤独は無駄ではないと思いたかったタイジュはどうなるのだ。


 戦わなかったのは自分の意思だ。それでも守れたものがあると思いたかった当時の自分はどうなるのだ。


 自分の感情の押しつけなのは知っている。


 しかし、平和に暮らしていられたであろう恩師を死なせ、その家族が今押しつけられた罪を背負おうとしている。


 タイジュはマコトがタイジュの乗り換え時刻を把握していたことくらいどうとも思わなかった。それがセイギとかいういけすかない人間なら怒り狂っただろうが、マコトの小さな待たせないための気遣い程度を罪とは思わなかった。


 犯罪の抑制のための監視が何だ、結構じゃないか。政治犯、思想犯? 平和を害するなら戦って結構じゃないか。


 タイジュは決めた。


 タイジュに『大義』がないとセイギがのたまうのなら、同じ土俵に乗ってやろうじゃないいか。嘘で固めた『大義』とやらに。


 タイジュは自分の頭に血が上っているのを自覚しながら息を吸った。


「縦森さん、落ち着いて聞いてください。あなたの行為は何の罪にもなりません」






「忘れてはいけないよ、水辺くん」


 恩師は言った。


「技術というのは人のためにあるものだ。人を助けるためにあるべきだ。金儲けの道具でも、政治の道具でもない、人の日常を支え、守るべきものでなければならないよ」


 研究室は静かだった。恩師の声はよく響いた。


「技術を説明するときには言葉を大切にしなさい。人の心に伝わる物のうちで、よく形が残る物は、言葉だから」


 この言葉には続きが有った。


「そして、言葉を操ることに劣等感を抱かないようにしなさい。かつて、新興宗教に取り込まれた技術屋が劇薬で多くの人を殺した事件があったそうだ。君は優秀だ。自分の頭脳の使い方を間違わないようにしなさい。だれか正義を語る者が現れたときに、その者の言葉を鵜呑みにしないようにしなさい。君の正義感につけ込む輩は必ずどこかにいるだろうから」


「先生、どうしたんですか。正義なんてわざわざ工学系の僕に語りにくる人間なんていませんよ」


 恩師はタイジュの危機感のない言葉に苦笑した。


「そうだといいんだけどねえ、僕には身近に大義とやらを語りたがる人間がいるからね……」


 はあ、そうなのですか、と曖昧な返事をその時のタイジュはした。恩師は続けた。


「人と言うのは、自分の過去の選択を正しいと思いたい生き物だ。自分の送ってきた人生が間違いではなかったと思いたい生き物だ。技術畑の人間は哲学をおろそかにしがちだ。自分の選択しなかった無数の選択肢の中に、正義を語る哲学があったことをちらつかされた場合に、その人について行きさえすれば自分のコンプレックスである哲学的なバックグラウンドを得られると思ってそちらに転ぶ者もいる。自分の中で正義がなんなのか、正義という言葉で相手が何を得ようとしているのか、よく見極める目を持たないといけないよ。その人は君の能力が欲しいだけかもしれない。君が君の能力で誰の味方につき、誰を守るのか、その度よく考えなさい。考えるべき内容は、法律かもしれないし、倫理かもしれないし、人としての純粋な優しさかもしれない。何かの折には、守るべき相手に、自分の技術が力になることを言葉にしなさい。技術は人を守りもするし、殺しもする。言葉も同様だ。掛けるべき時と掛けるべき相手を選ぶようにしなさい」


 タイジュには正義などに思いを馳せる時間も興味も当時なかったが、それ以降、自分で探しこそしないものの、そのような論説を見かけたら真面目に読むようにはなった。



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