粘菌とワイン
タイジュが扱う粘菌の仲間の培養には、クリーンルームと恒温器が必須である。
恒温器は自前でもどうにかなるが、クリーンルームはどうにもならない。当時それらを貸してくれていた研究室の先生はもう退官している。そもそも、粘菌をどこから手に入れるかにも問題がある。タイジュは苦悩していた。
そのとき、草舘さんから着信があった。
「よう! またタイムマシンに乗るとか言い出してないか心配で連絡したところだが、どうだ、調子は? 何か訴訟の手立てが必要なら助けてやるぞ」
タイジュは申し訳ないと思いながら草舘さんに助けを求めた。草舘さんは快く知り合いの教授の名前を挙げてくれた。
「一週間以内? なら俺から連絡してやるよ。あの人、なんかワインとかを持って行ったら喜ぶから。珍しいワインとか交易船で買わなかったのか?」
「えーと、ケンタウリワインが何本か……」
「それいいな、一本持ってけよ。そいつに電話するから待っとけ。今度なんか奢れよ」
二日後、タイジュと草舘さんは今回借りたいクリーンルームの所有者である高秋教授の研究室を訪ねた。
研究室は、入ってすぐのところに大きなテーブルが一つあり、その上に、本やら論文の別刷やらが雑然と積み上げられていた。手前には、銀河系のホログラムが浮かんでおり、そこに、いくつかの動的マーキングが付してあった。
奥には顕微鏡を覗いている男性がいる。ノックをしてから開けたが、気が付かなかったのかも知れない。
「おーい、高秋くん、来たぞー」
草舘さんが男性に声を掛け、男性が振り向いた。
「おお、草舘さん、待ってましたよ」
高秋教授は、こざっぱりした身なりの、小柄な男性だった。黒縁の眼鏡をかけていて、髪色が明るい。草舘さんの大学のサークルの後輩だという。
「で、君が水辺くんかな、はじめまして。噂はいろいろ聞いているよ。大変だったね? で、君の推し粘菌のミュラー粘菌、用意しておいたよ」
「推し……? いえ、はい、ありがとうございます。水辺タイジュです。よろしくお願いします」
「ミュラー粘菌、いいよねえ、なにより艶がいい。ゆらぎのリズムもね、独特だよね。一回僕はこのゆらぎを音楽にできそうだと思ってしてみたことがあるよ。聴くかい?」
別にタイジュは粘菌愛の強い人間ではないので、一番早く今回の問題を解ける粘菌の中で使ったことのある粘菌を事前の話題に上げただけなのだが、それを言うと高秋さんに怒られそうな気がしたので、黙っていることにした。そして、そこまで考えたところで、粘菌愛という、一度も今まで使ったことのない単語が、違和感なく高秋さんによってインスパイアされたことに、ある種の畏怖の念を抱いた。
「え、あ、はい、えーと、ぜひ」
「おい、やめとけ、長くなるぞ。まずクリーンルーム使わせてくれよ高秋くん」
「えー、つれないですね、ミュラー粘菌のは結構評判良かったんですよ」
「いくつ作ってんだよ」
タイジュは経路を確定させなければならない内容を模型にしたものを用意してきていたので、それをクリーンルームに持ち込ませて貰って、ミュラー粘菌の餌となる小麦粉を経路を測定したい場所に撒いて、測定を始めた。
結果がわかるまでには一時間ほどかかる。
タイジュが研究室に戻ると、異様な音程のワルツのような音楽がかかっていた。三拍子ではありそうだ。しかし、音が不協和音になっている箇所が多い気がする。タイジュは音楽には明るくないが、これを日常で聴きたいかとすると否であった。
これがもしやミラー粘菌の音楽だろうか?
「ええと、研究室で音楽が聴けるのは素敵ですね? ミュラー粘菌ですか? 確かに独特な音程ですね」
「なんだよ、君、これはマスカットホコリカビ粘菌の音楽だよ、浮気か? 推し変か?」
タイジュと草舘さんは顔を見合わせたが、草舘さんは、高秋教授の背後でゆっくりと首を振った。
その後、高秋教授の現在の推しだという粘菌の話が始まりそうになった際に、草舘さんはすかさずケンタウリワインを取り出した。
「ケンタウリワインじゃないですか! うわあ何年物ですか? 一二年だ! 僕はケンタウリワインが粘菌の次に好きなんですよね!」
それはよっぽど上位に来そうだな、とタイジュは思った。
「ケンタウルス座のα星って今回行った中では遠い方なのか?」
「そうですね。寄ったのはα星Aの第六惑星ですね」
「アルファケンタウリのあたりは、地球と似た大気の有る惑星があって、そこにも粘菌の仲間がいるらしいよね。君、見てきたかい?」
「そのあたりのアメーバなら持って帰ってきましたよ」
その後無事に粘菌による解答の作成に成功したタイジュは、草舘さんと高秋教授の研究室を後にした。
「悪い奴ではないだろ? 少し変わっているだけで」
草舘さんはそう言った。




