社会悪
「……はい?」
「論文で公表された生体素材の初期配置は見事でした。あの配置を計算で導き出すのにはかなりの技術が必要です。論文内には記載がありませんでしたが、その技術を誇示しない姿勢も同様に素晴らしいと思います」
タイジュはプログラミングが苦手である。
マコトが存在していると信じて疑わない「かつての研究の中で真価が発揮された、生体素材の初期配置に関する位置取りの最適解を求めるプログラムを作成した技術」とは、プログラミングとは別の技術で実現した物だ。
タイジュは考えた。そもそも「社会悪」とはなんなのだ?
タイジュは日常会話でこの単語を使っている人間を初めて見た。メディアでしか聞かない単語である。いや、社会には陰謀が渦巻いていると考える人たちの論争でもよく見た気がする。そして、そんな突拍子もないことを、知り合って間もないも同然の人間に話してしまって大丈夫なのか?
タイジュは「ちゃんとした家柄で育った深層のお嬢様」という認識と、「恩師の愛娘」という事実と、陰謀めいた物言いにまっすぐな危うさを抱かせる印象とが、上手く頭の中でまとめられずに困惑した。
タイジュが調べたところ、確かマコトは、プログラミングの高校生大会で二回優勝している。その経験から、なんでもプログラミングに結びつけてしまう傾向が生まれたのだろうか?
なお、AI効果という言葉に表されるように、AIとは、一般化しない知能に対してのみ向けられるのが現在でも常識のようだったが、交易船でもAIは更新を続け、現在の地球と同じものをタイジュも交易船で使用しており、大体の機能を把握している。現在AIと呼ばれる物は、LLMでもワールドモデルでもなく、経験統合型とマルチモーダルを組み合わせたものが主流となっている。
経験統合型のAIでも、確かにマコトの目をつけた技術の再現は既存のソフトウェアでは実現不可能な物である。それを通常のPCやサーバで実現できる人間もいないと思われる。目の付け所は正しい。正しいのだが……。
マコトはタイジュにキラキラと輝く目線を向けている気がする。マコトは確か二六歳。二六歳とは、こんなに純粋に人に期待を向けられる年齢であっただろうか? しかもその期待は間違っている。猪突猛進過ぎる。
タイジュは、生身の人間に抱く感情としては初めての感情をマコトに抱いた。
――この人は、このまま放置しておいてはマズい気がする。
タイジュは、当初マコトが敵である可能性や、敵では無くとも、利用せねばならないと考えていたことを、ほぼ忘れた状態で言った。
「と、とりあえず、落ち着いて話しましょう。まずは誤解をたださねばなりません」
「そうお思いになるだろうとは思っておりましたが、水辺さんと父の研究を妨げようとしたのは叔父で間違い無いと思います」
「いえ、あの、そこでも驚きましたが、そこではなく……」
「そうですね、その技術を秘匿したいと思った水辺さんの意思には一定の尊重をするつもりです。社員になれば営業秘密として他の機関からの干渉も防げると思いますし、ノウハウに対する対価もお支払いできます」
このときのタイジュに余裕があれば、フリーランスの話が飛ばされいつの間にか社員に限定された話になっていることに気が付いただろうが、残念なことに、タイジュにその余裕は無かった。
「あの、違います、そういった話でもありません」
「技術を悪用されたくない気持ちもわかります。会社を信用して欲しいとまでは言いませんが、一端、父のことと、その娘である私を信用してもらえませんか。水辺さんと父は思想が近いと感じています」
タイジュはここで、マコトが、父親を早く失ったがために、頼れそうな年上の人間への憧れを持ってしまっているかもしれないという可能性に思い至って、何も言えなくなってしまった。
そうこうしているうちに、マコトは、交易船の乗船手続を断るならこう、スカウトの詳細はこう、その日時はこう、提出して貰いたい物はこう、スカウトに関する社内稟議の状況はこう、入社後の計画はこう、といったことを立て板に水のように話し、最後の二つのもの以外の書類をタイジュに押しつけて、その場はお開きとなった。
タイジュはホテルまで戻り、呆然とつぶやいた。
「どうしよう、これ……。プログラミングとか、高校生ぐらいの知識しかないんだけど……?」




