ナギの神託、塩のエスコート
「大賢者チグ、しょーもな……」
呆れ果てたミラは、再びステータスウィンドウを開いた。《神託》コマンドを呼び出す。
大賢者チグを呼び出す灰色ボタンの隣に、清潔感のある青色のボタンが浮かんでいる。
「こうなったら、ナギってみるしかないでしょ」
意を決して押すと、ひんやりした風が吹き抜けるような涼やかな効果音とともに、宙空にホログラムが浮かび上がった。
「こんにちは、あるいはこんばんは、大賢者監理官ナギです。本日はどういったご用向きでしょうか」
口パクすらしない完全なる静止画像、揺らぐことのない冷静な声。
まったく人間味を感じないのに、大賢者チグとの落差で、奇妙なまでの安心感を覚えた。
「ミラージュ世界に点在しているパピルスの場所を教えてほしいんだけど」
異世界転移したミラのお役目は《境界騎士の記憶断片》の回収だが、そもそもどこに向かっていいのか、見当もつかない。
「……照合完了。……使用権限確認。問題なし。情報を展開します」
事務的な声がして、ミラの眼前に立体地図が開かれた。
淡い光で描かれたミラージュ世界の地図には、赤いピンが複数打ち込まれている。
どうやら、この赤いピンがパピルスのある目的地であるらしい。
「こちらが確認済みの未回収パピルスの地点です。信憑性は94.6%。また、直近の移動手段として送迎ドローンを既に手配済みです。到着まで、あと三分。乗降料は大賢者監理官口座より前払い済みですので、ご安心を」
あまりの手際の良さに、ミラが驚きの声をあげた。
「すげー! 仕事出来すぎじゃん、ナギ様。惚れそう」
思わず、立体地図の周囲をぐるぐると一周回って確認してしまう。
地図はインタラクティブで、触ると拡大・縮小、詳細情報が過不足なく表示される。
三つ星で危険地帯を示しており、まるでミシュランガイドのようだった。
「しかも送迎付き! どんだけ優良神託なの、ナギ様」
目を輝かせるミラの肩がじわじわと嬉しさで膨らんでいく。
それを見て、レイが冷ややかに呟いた。
「神託というより旅行代理店だな」
「うっさい。これ、超感動案件だよ」
口惜しかったら、あんたもナギ様ばりにエスコートしやがれ、とまでは言わない。
あんたも見習え、とも言わないが、そこらの露店でナギ様のアクスタを買い求めることにした。ワンピースの胸元のパッチポケットにスマートフォンと一緒に突っ込んだ。
大賢者監理官ナギの声がついでのように告げた。
「最寄りの回収地点は、第五忘却森林・北端の古代集落跡です。時間経過によるパピルスの崩壊リスクがありますので、回収はお早めに。危険地域度は《星0》。観光がてらの回収に打ってつけです」
耳障りのいい電子音が響いた。
「──送迎ドローンが到着しました。乗降口を開放します」
ミラとレイの目の前に、流線型の小型浮遊艇が音もなく着地した。
艶のある灰色の機体に「EMO TRANSPORT SERVICE」と書かれたロゴが彫り込まれている。主張し過ぎない、さりげないセンスが格好いい。実にエモい。
「なにこれ、文明レベル高っ。エモナージュって教会都市じゃなかったっけ」
「感情資源さえ潤沢なら、大抵の問題は解決できるらしいな」
「ぶっ壊すだけのわたしの右肩よりぜんぜん賢いじゃん」
ミラは近未来的な浮遊艇の乗降ステップに足をかけた。
服は新調したが、ローファーまでは新しくしなかった。
入谷つばめが放った爆炎でヒール部分がぐずぐずに溶けていたのか、つるつるの乗降ステップで滑ってしまい、「……わっ」と声を出した途端、ミラが思わず倒れかけた。
後ろ向きに倒れそうになったところ、何食わぬ顔でレイが抱きとめてくれた。
長いまつげ、うっすらと出っ張った喉仏、眩しい逆光を浴びた整った顔。
壊れ物を扱うような手つきで支えられ、レイの顔を直視できないほど、どぎまぎした。
「……あ、ありがと」
俯きがちにミラが言うと、そのまま抱き上げられ、浮遊艇の横並びの座席に、すとっ、と座らされた。レイが静かにミラの隣の席に座った。
肩の膨らみが目立たないための配慮なのか、ミラは右側の席に座らされた。
小型浮遊艇が静かに飛び立ち、頬に当たる風が心地良かった。
レイはそっぽを向いたまま、風を切って進む光景をぼんやり眺めていた。
紅潮したミラはどうにも落ち着かない気分だった。
どくどくと右肩が脈打ち、どうしようもなく膨らんでいるが、幸いにして左の肩は華奢なままだった。
ミラは物凄い勢いで後方に流れる風景を漠然と見ながら、左手でレイの手をつんつんした。探るような手つきが我ながら、いじましい。
手、繋ぎたいんだけど。
エモナージュの繁華街で、遂に口にできなかった言葉は、やっぱりこの場でも口にすることはできなかった。ミラが真っ赤な顔をしたまま、意味ありげに左手を開いたり、閉じたりした。
浮遊艇の側面に頬杖をついたレイは、一瞬鬱陶しそうな表情を浮かべた。
「心配するな。落ちはしない」
さりげなくレイがミラの左手を握り、飛行の間中、ずっと手を握ってくれていた。
さも面倒そうに頬杖をついたままの手がどこまでも温かった。
高所恐怖症だとでも思われたのか、しかし、それでも構わなかった。
思わず、ふへへ、と気色の悪い笑みがこぼれた。
浮遊艇は左右にふらつくこともなく、高度を落とすこともなく、目的地へと飛行し続けた。
独り言のように、ミラがぽつりと呟いた。
「ちょっと落ちてるかも……」
ミラの口元はだらしなく緩み、塩レイの沼に完全に落ちかかっていた。




