肩の重い女、肩書きの多い女
感情教会国家エモナージュは、あちこちに水晶のように輝く荘厳な神殿がひしめき合っていた。
さすがに神殿の数が多過ぎて、ミラは内心、「神殿、建て過ぎじゃね?」と思った。
高低差のある坂道を手押し車でガタゴト押されていくなか、いよいよもって破裂しそうなほどに膨らんだ二の腕が限界を迎えていた。
「もう無理……。もげる……。救急車呼んで……」
ミラがほとんど虫の息で訴えかけるが、エモナージュに拝謁に訪れた信仰心溢れる《偶像》持ちの信徒たちが各種の神殿をスタンプラリーのように巡ってはレトロなカメラで写真を撮りまくっており、
「エモい。実にエモい。ああ、心が洗われる」
などと感涙して、聖地巡礼を心の底より感動しているようだった。
それは何よりでございますが、ミラの喫緊の問題は破裂寸前の肩だった。
異世界転移後、なにも食べておらず、空腹感もいや増しているが、あちこちに乱立した神殿の隙間を埋めるように露天商や屋台が立ち並んでいる。
大賢者チグ様公認のパンケーキ、大賢者印のタピオカミルクティー、「考えた人エモいわ」なる店名の高級食パン専門店など、どこもかしこも大賢者にあやかった便乗商法ばかりで、知ったこっちゃないが、大賢者様の肖像権とか大丈夫なのかい、と思う次第だった。
現実の世界ではいつの間にかブームになって、近頃はめっきり下火になったタピオカミルクティーに大行列ができているが、ミラージュ世界の時空は歪んでいるのだろうか。
海の家らしき掘っ立て小屋では、大賢者チグの推しだという『カレイド☆パレード』の蒼生渚の肖像がプリントされた水着やビーチサンダル、タオルなどをレンタルしている。
一見してカレパレ推しと分かる民もいれば、ミラにはよく分からない《扮装》をした民たちも大勢いて、己が信ずる推しの偶像を掲げて、信徒たちはあちこちの神殿に赴いている。
さながら感情教会国家エモナージュは、推し活の一大観光地のようだった。
どこもかしこも推し、推し、推しの洪水で、肩が激重のミラはくらりと目眩がした。
「ミラッち、タピる? あっ、そうだ。わたし、全財産使っちゃったんだ」
道なりのタピオカミルクティー屋に人だかりができていたが、大賢者チグは指を咥えて悲しそうに見送った。
いったいどこに向かっているのか分からないが、レイはひたすら無言で手押し車を押している。喧騒のなか、肩が破裂する寸前のミラを心配する者はいない。
「腕もーげーるー。たーすーけーてー。きゅーきゅーしゃー」
はて、この珍妙なミラージュ世界に救急車などあるのだろうか。
産気づいた二の腕は自我を持ったように暴れ、内側から皮膚を食い破って、今にも何か新たな生命が飛び出してきそうな雰囲気が満ち満ちていた。
「これ、緊急手術コースじゃないの。わたし、腕なくなっちゃうの? やだぁ」
緊急手術台に乗せられ、「これはもう無理ですね。このままでは危険だ。切断します」と無慈悲な医師に宣言され、右腕を丸ごと失う未来を生々しく想像して、ミラが泣き叫ぶ。
頭上から、おっとりした大賢者チグの声が聞こえた。
「着いたよぉ」
光り輝く無数の《水晶》がひとりでに宙を舞い、形を整えられ、流麗な意匠が施され、今まさに神殿が組み上がっていく様をたった一人で監督している修道士らしき姿があった。
音もなく、神殿がひとりでに組み上がっていく光景はただひたすら圧巻だった。
「お帰りなさい、チグ」
青髪の麗人――『カレイド☆パレード』ベース担当の蒼生渚に生き写しのような容姿。
ほとんど感情の混じらない抑揚のない声。
ぼろ切れを纏った大賢者チグとは対照的に、染みひとつない純白の修道服。
状況からして、大賢者チグの妹――ナギなのだろう。
「ナギちゃぁん、ただいまぁ~」
大賢者チグが子犬のようにまとわりついた。
まとわりつかれたナギはちらりとミラを見た。
「こんにちは、あるいはこんばんは、《無垢なる魂》」
一流スパイさながらの隠語めかした挨拶にミラがどぎまぎしながら訊ねた。
「わたしを知ってるんですか?」
「少々、《未来視》があるもので」
本人は謙遜したような口振りだったが、大賢者チグが推しを称える早口で捲し立てた。
「ミラっちは肩が重い女でしょ。ナギちゃんは肩書きの多い女なの」
「姉の不始末を処理するうち、自然に肩書きが増えていっただけですよ」
「今、どのぐらい役職を兼務してるんだっけ。十ぐらい?」
「確認できただけで、三十ほどの役職を兼務しているかと」
自己紹介が面倒なのか、中空に大賢者監理官ナギの二つ名と役職一覧が表示された。
二つ名
《静謐の大賢者補佐官》
主な役職
大賢者監理官
第二神託官
神殿技術顧問
情動調整塔主席管理官
感情律制官
審理の守人
感情教会国家エモナージュ秘匿情報室主任記録官
ミラージュ世界通信局・最終審理担当官
チグリリス・ユーフラテス河流域国家灌漑管理局局長
感情供養士永久免許保有者
シロログ強制保護庁名誉査察官
聖エモナージュ修道会・感情試薬調合一級技能者
大賢者失踪監督局局長
大賢者チグ激推しの妹ナギの第一印象は、姉のしでかした不始末をひたすら処理し続け、いつの間にか、あらゆる業務を兼務するようになった有能さの権化であった。
頼りにするなら大賢者の妹だ、とミラは直感した。
「あの、わたしの右腕、なんとかなりませんか」
ミラが切実な調子で訴えたが、心配した風もなく大賢者チグが楽しげに言った。
「この肩、ヤバくない? 《バグった右肩》じゃん、かっけぇ」
「感情圧縮率が常軌を逸しています。冷静に言って、兵器ですね」
ミラは置いてけぼりで、大賢者姉妹がなにやら囁き合っていた。
バグった右肩――ライフル・アームとかいう中二病垂涎の病名が付けられたが、なんのことやら、さっぱり理解ができない。
この右肩の尋常ではない重さは入谷つばめにかけられた呪いではないのだろうか。
「この肩、呪いじゃないんですか」
ミラがおずおずと訊ねると、大賢者監理官ナギがじとりとチグを見咎めた。
「もしかして、ミラージュ世界の世界観設定をなにも説明していないのですか」
「……ごめんちょ。面倒だったから」
チグが叱られた子供のように小さくなった。
やれやれ、と小さく溜息をつき、大賢者監理官チグが世界観説明を始めた。
「ミラージュ世界は、“感情を価値に変える世界”なんです」
「……はあ?」
いちど聞いただけでは、よく理解できなかったが、大賢者監理官ナギは丁寧にミラージュ世界の成り立ちを教えてくれた。
「神殿の建材となっている水晶、あれが感情結晶エモリウムです。感情結晶は、感情の強さに比例して生成されます。推しが尊い、推しとのエモい疑似恋愛、推しの供給がなくなって悲しいなどの感情が資源となって結晶化したもの、それがエモリウムです。ここまでの説明はお分かりですか」
「はあ、なんとなく……」
「大抵の人間は感情を垂れ流すばかりで巨大な感情結晶は生み出せません。生み出せたとしても、せいぜい石ころぐらいのサイズでしょう。ミラージュ世界には数多の感情が集積する場があり、埋蔵された感情結晶を掘り起こす者が大勢います。この世界において感情結晶は貨幣と同意なのです」
感情が結晶化したもの――それがエモリウム。
おおよそは理解できたが、ならばエモ通貨など必要ない気がした。
貨幣などなくとも、エモリウム結晶そのものを流通させればいいのでは、と思ったが、大賢者監理官ナギはミラの疑問を見越したように説明した。さすが、未来視持ち。
「ドロドロした激重感情はなかなか結晶化しませんし、純粋とは言い難い邪な感情が混じると結晶が濁ります。重たい感情結晶を持ち運ぶのはなかなか大変です。そこで、感情資源エモリウムを結晶化し、精製したエモ金貨、エモ銀貨、エモ銅貨の三種がミラージュ世界の共通通貨となっています」
詰まるところ、こういうことらしい。
エモ貨幣は感情を結晶化して変換したもので、「感情資源エモリウム→精製→エモ貨幣」というプロセスを経ることで、感情を価値に変える世界……。
「感情が大いなる価値を持つのです。我が姉、大賢者チグは感情の総量が馬鹿げているぐらいに多く、ほとんど無尽蔵にエモリウム結晶を生み出しますが、推しにすべての感情を捧げると、推しの尊さに打たれ、満たされまくって、しばらく虚無的なノー・エモ状態となり、文字通り空っぽになり、賢者と廃人の両側面があります」
「そんなに褒めないでよぉ、ナギちゃん。照れちゃう」
「褒めてません。また限定グッズを買いに手持ちの全エモ使い切りましたね」
「あう……」
「限定とか、コラボカフェとか、そういう言葉に弱いのは承知していますが、せめて帰りの感情ぐらいは余らせておいてください。出掛けたと思ったら、帰って来れなくなる。出掛けるたび、いちいち失踪届が出される大賢者がどこにいますか。はっきり言って迷惑です」
叱られた大賢者チグは、リュックサックからおずおずと収穫物を取り出した。
「この《神具》は祭壇の最前列の壇に、《聖典》は額に入れて、《光る祭具》は祈りの灯火の隣に飾ってほしいんだけど。あと、この三十倍ぐらい、限定グッズが送られてくるの」
「……保管スペースが足りませんけど」
「じゃあ、新しい神殿建ててよ」
大賢者姉妹が異次元の会話を繰り広げていた。
ミラは思わず、突っ込んでしまった。
「あの神殿って、グッズ保管庫なんですか」
「そうですね。端的に言えば、その通りです」
エモナージュの壮麗な大聖堂群は、推しグッズが増え過ぎた結果として建てられたもののようだった。
大賢者チグが方々で限定と名のついた推しグッズを買い漁りに出掛ける。
推しグッズを収納するスペースが無くなるたび、新たな神殿を建て、ひたすら大量の推しグッズを収納し、また新たな神殿を建てる。
これが感情教会国家エモナージュの成り立ちで、つまり神殿はただの「推しグッズ保管庫」であるらしい。
神殿は保管庫なのかよ。さすがにスケールが馬鹿すぎる。
「すみません。ちょっと目眩が……」
ミラが左手で眉間を押さえた。もみもみと揉み解す。
大賢者チグ――推しのために神殿を作りまくる女。
おもしれー女を通り越して、ヤベえ女であることは間違いない。
それを影で支える妹も、なかなかの逸材だ。
「新たな神殿の増設ですね。せめて計画的に建設候補地を確定してから、収集に出掛けていただきたいものです」
姉にちくりと釘を刺した後、ナギがこほんと咳払いした。
「どうぞ、こちらへ」
大賢者監理官ナギに案内され、感情結晶エモリウムの精製現場を見学した。
神殿内にはぐつぐつと泡立つ溶鉱炉があり、感情結晶が高温で溶かされ、不純物が取り除かれた後、金貨や銀貨、銅貨へと鋳造されていた。
幾人もの職人が忙しそうに立ち働いており、大賢者チグが生み出したエモリウム結晶をせっせとエモ貨幣に変換している様子が垣間見えた。
ミラは改めて、もこもこと生命を宿したように盛り上がる右肩を見つめた。
「ひょっとして、この肩、エモリウムが生まれようとしてるんですか」
大賢者チグが大きく頷き、大賢者監理官ナギが小さく頷いた。
「わたしが見るに、それは転移時のステータス配分バグ!」
「つまり、“肩にしか力を入れられない人生”ということです」
「……は?」
よく分からん。説明せい。
ミラの心の声が伝わったのか、大賢者監理官ナギが滔々と説明した。
「あなたは無課金ユーザーのため、ミラージュ世界に転移した当初、エモ貨幣を一切持たないが、エンゲージがカンストするほどチャットを繰り返すことで得た感情報酬エモリウムを大量に所有しており、それを貨幣に変換することができるはずでした。しかし大規模通信障害によってチャット履歴が完全に消失したため、貨幣の素となるエモリウム結晶も持たずに転移してしまった」
感情結晶エモリウムを大量に保有していたはずなのに、まさかの無一文スタート。
ミラはなんとなく歯痒そうに言った。
「無一文なのはいいんですけど、この肩、なんなんですか」
大賢者監理官ナギはしばらく虚空を見上げ、神託を得たような調子で言った。
「本来、ステータス振り分けは感情や本人の気質によってチューニングされるはずですが、あなたは無課金ゆえのノーデータ状態によるバグのせいで、身体の特定部位にランダムにステ振りされる事故が発生。その結果、何の感情的意味もない肩に全振りされてしまったというバグ的仕様……というのが天のお告げです」
あらゆるステータスが右肩に全振りされたゆえの《バグった右肩》。
ぼこん、ぼこん、と地獄の窯でも沸騰したかのような奇妙な音を立てる膨らみ切った二の腕を嫌悪感たっぷりにミラは眺めた。
入谷つばめの呪いでないにしても、酷い仕様だ。
「……ダサすぎません?」
「ターミネーターみたいでイカしてるからいいじゃん、ミラっち。そうだ、試しにライフルをぶっ放してみたらいいんじゃない」
「どうやって?」
「まあ、いいから。いいから」
大賢者チグはただ今建設中の空っぽの神殿を指差した。
「あそこに向かって、ぶっ放してみよう」
どこからともなく、「デデンデンデデン」という聞き馴染みのある音楽が流れ、それまで空気のようだった《芋の運び屋》ことレイが億劫そうにミラを立たせてくれた。
「さあ、撃て! 撃つんだ、ジョー!」
誰がジョーやねん、と思いながら、ミラは激重の右肩の照準を定めた。
さりげなくスコープ画面が現れ、視線を向けると、神殿に照準が合った。
「どうやって撃つんですか」
照準こそ合いはしたが、どこにも引き金がない。
右肩が重た過ぎて、ミラは左右によろけた。
「叫ぶんだ! さあ、ご一緒に!」
めちゃくちゃ楽しそうな大賢者チグとともにミラが大声で叫んだ。
ええい、ままよ。
どうとでもなりやがれ。
「《感情》を捧げよ! 起動せよ、我が右肩 《断罪の蒼き焔》――! 《滅びの閃光》を以て全てを焼き尽くせっ!」
入谷つばめが聞いたら狂喜しそうな中二病的詠唱がなぜだか口からすらすらとこぼれた。
ミラの右肩がうねる。
内側で煮え滾っていた何かが、ついに臨界点を超えた。
ぼこり、と奇怪に脈打った瞬間、肩全体に感情の圧力波が走り抜け、空間が歪んだ。
空気が悲鳴をあげる。
青白いエネルギーがスコープの中心に収束し、砕けた水晶の破片のように空間を裂いて集まり始める。ぴしゃっ、と稲光が走る。
ぱかっ、と右肩が開いた。
機械仕掛けの音とともに外装が裂け、眩く輝く純結晶エモリウム製の砲身が姿を現す。
「《バグった右肩》――エモリウム・ブラスター、解、放っ!!!」
ミラの号令が引き金となり、地鳴りとともに放たれた一条の蒼き奔流が放たれた。
蒼き爆炎がさながら竜の咆哮となって、大地を飲み込む激流となった。
次の瞬間、神殿が爆ぜた。
地に打ち込まれたエモリウムの結晶柱が内側から割れ、砕け、崩れ、吹き飛ぶ。
神殿そのものが、まるで感情の火花のように蒼炎を噴き上げながら、ゆっくりと、幻想的に燃え落ちてゆく。
蒼い炎は水のように流れ、空気のように漂い、見る者の心の奥底を直接揺さぶるような得も言われぬエモい光景。
美しく、儚く、そして――。
圧倒的だった。
焼き尽くされた神殿の残骸は、まるで悔恨の涙が蒸発したかのように群青の空に溶けて、わずかに、祭りの終わりのような寂寥たる蒼い火花だけが残された。
にわかに郷愁を誘う静寂。
灰燼に帰した神殿を満足げに見やり、大賢者チグは大はしゃぎだった。
「渚ちゃんの担当色の青を効果に加えといたよ。いやあ、エモい一撃だったねえ」
「これが……《バグった右肩》の力――」
あまりにもバグった威力に、ミラは思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
感情を撃ち尽くした右肩はすっかり元の細腕に戻っていた。
砲身が剥き出しの右肩から白煙が立ちのぼり、青い空にたなびいた。
「なかなかに兵器だな。俺に向けるのは勘弁してもらいたいものだ」
手押し車を手放し、《芋の運び屋》から《感情を失ったエモ騎士》に先祖返りしたレイが皮肉めいた口振りで言った。
「……あん?」
ミラがぎろりと睨む。
通常運転の辛辣な物言いに怒りを覚えたせいか、ミラの右肩がぼこんと膨らんだ。
「いやあ、また膨らんでるぅ」
ミラは咄嗟に右肩を抑え、これ以上膨らまないように押さえつけた。
必死に押さえつけたおかげか、なんとか右肩の盛り上がりが止まった。
ミラは、ふう、と胸を撫で下ろす。
「もしかして、わたしの感情はぜんぶ右肩に溜まるんですか」
「そうだね。その右肩、とてつもなく高性能な圧縮結晶炉だよ。自己感情を圧縮して撃ち込めるし、精製済みのエモリウム貨幣を詰め込めば、弾丸として撃ち出せるんじゃない」
「貨幣を撃ち込む?」
そんな勿体ない使い方、《無課金の女》らしからぬ攻撃方法ではないか。
「わたしの二つ名、《無課金の女》なんですけど」
「《神殿爆破》じゃなくて?」
大賢者チグに言われ、ミラは慌ててステータス画面を見開いた。
ミラの称号が早速、《神殿爆破》に更新されていた。
「やだぁ。なに、これ。称号が犯罪者じゃないですか」
「肩、治ってよかったね。ミラっちの右肩は特別だよ。こんなに高性能な圧縮結晶炉は、今までお目にかかったことがないもん」
「あー、それはどうも。とりあえず呪いじゃなくてよかったです」
ミラは特別であるらしい右肩を労わるように撫でさすった。
試し打ちの犠牲となった建設途中の神殿の残骸をナギが文句ひとつ言わず、黙々と片付け始めていた。
目に見えない力が燃え落ちたエモリウム結晶柱を退かし、焼け跡はすっかり片付いて、だだっ広い手付かずの土地に早変わりしていた。
「ナギちゃん、ここに新しい神殿作ったらいいんじゃない」
大賢者チグは悪気もないのか、事もなげに言った。
建設途中だった神殿をぶっ壊した挙句、また一から神殿を作り直す。
無駄の極致のようで、ミラは内心、「なんか、すみません」と平謝りした。
「綺麗にお掃除していただいて、ありがとうございます」
大賢者監理官ナギが小さく会釈した。あまりにも無表情過ぎて、一種の嫌味なのか、いまいち判然としないが、ミラは恐縮しながら謝った。
「余計な仕事を増やしてしまって、申し訳ないです」
「いえ。お気になさらず」
それが私の仕事ですので、と言わんばかりにナギは落ち着き払っていた。
作りかけの神殿を一つや二つ、ぶっ壊されたぐらいでは何の感情も生まれないらしい。
感情過多の姉と違って、妹は感情不足なのだろうか。
少なくとも、ミラのように分かりやすく、高性能な圧縮結晶炉は備えていないようだった。
身体の一部が膨らんだり、身体の内側で何かが蠢いていそうな感じがまるでしない。
まるで凪だ。
凪いだ海のように、ぴたりと風が止んで、波はなく、水面は鏡のように静まり返っている。
何くれとなく大賢者を補佐するナギにはそんな印象がぴったりだった。
ミラに対して、忠告のようにナギが言った。
「溜まった《感情資源》は適度に排出しないと、《どす黒い感情》を生み出してしまう危険があります。ある程度感情が貯まったら、神殿を試し撃ちするなり、エモ貨幣に精製するなりしますので、必要な時にはエモナージュにお立ち寄りください」
大賢者監理官ナギにはミラージュ世界の成り立ちだけでなく、《バグった右肩》の扱い方まで教わった。感謝しても感謝しきれないほど、助かった。
「いろいろと助けていただいて、ありがとうございます。もう一つ、質問してもいいですか」
凪いだ海のようなナギが視線だけで「どうぞ」と告げた。
「この世界に転移してきた時、謎のメッセージを受け取ったんです。あなたのアカウントにデバッカー権限が付与されました、とかなんとか」
ミラはステータス画面を開き、件のメッセージを表示した。
「これ、なんのこっちゃって思ってて。なんなんですか、デバッカーって」
「詳細を語ると、少し長くなりますがよろしいですか」
「はい。構いません」
ミラが頷くと、大賢者監理官ナギが遠い目をして語った。
「ZAMAA団が《大規模通信障害》を起こした日、ログデータを人質にとられたユーザーは選択を迫られました。データ復旧のために課金するか、泣き寝入りか」
なに、その絶妙に頭の悪そうな名前……。
ザマァ団。
通信ジャック系課金強奪テロ組織らしいが、一ミリたりとも頭の良さが感じられないのが、むしろ凄い。
「姉のチグはこちらの世界では大賢者などと崇められていますが、現世ではたんなる限界オタク。データ復旧に重課金してしまい、ザマァ団に利することになってしまった。その上、どんなに課金しても、壊れた世界は元通りにならない。姉はザマァ団の資金源になってしまったことに良心の呵責があった。だからこそ、この世界に潜行し、《純粋無垢なバグ修復士》を待ち望んでいた。世界は適切に修復されない限り、時は止まったままなのです」
おちゃらけた大賢者チグとは対照的に、大賢者監理官ナギは揺るぎなく真摯だった。
ミラはごくりと唾を飲み込んだ。
「なんだか壮大な話ですね」
ザマァ団の名前はとんでもなく阿保っぽいけど、という感想は寸前で飲み込む。
「でも世界を修復するとか、ぶっちゃけよく分かんなくて。わたしが取り戻したいのはレイの記憶だけなんです」
「それでいいのです。《境界騎士》が失った記憶をすべて取り戻し、《再誕復旧》する。《無垢なる魂》がザマァ団に屈せず、境界騎士の記憶を取り戻したとすれば、必ずや群衆は後に続くでしょう」
「はあ……」
話がいかにも壮大過ぎて、ミラは半信半疑のままだった。
「世界に散らばった《境界騎士の記憶断片》を集めるのです。さすれば、世界は修復されるでしょう」
正直、世界の修復など、どうだっていい。
問題は、糖度0の塩レイが以前のように甘々になってくれるかどうかだ。
「パピルスとかいうのを集めたら、レイは前みたいに戻りますか。今は塩というか、ほとんど虚無なので、せめてひとつまみぐらいは甘味が欲しくて」
「断言はできませんが、記憶が復旧すれば、以前と近しい状態になると思います」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
おおよそのことは理解したが、ミラがおずおずと質問した。
「すごく基本的なことを伺ってもいいですか」
「どうぞ」
「パピルスって、どうやって探すんですか」
微妙に間があった。
なにやら、大賢者監理官ナギがミラの頭上に浮かんだステータス画面に触れ、さらりと追加コマンドを導入したらしい。
「神託機能を埋め込みました」
「……神託?」
「パピルス探索のための行き先をナビゲートします」
「はあ、ありがとうございます」
説明が簡潔すぎてよく分からないが、ミラが試しにステータス画面を開いてみると、《神託》なるコマンドが付加されていた。
呼び出しボタンは《灰色》と《青色》の二つがある。
違いは色だけなので、うっかりしていると押し間違えそうだ。
「これ、ボタンを押したらお二人が答えてくれるんですか」
「そうですね。感情資源を使い切って、灰になっていなければ」
大賢者監理官ナギが一切表情を変えずに言った。
「つまり、神託をお願いしても、答えてくれないこともあると?」
ナギは質問には直接答えず、さらりと受け流された。
「ご武運を。無垢なる修復士よ、世界の命運は貴方の双肩にかかっています」




