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ステータス、お前もか

 二の腕が産気づいた。


 もはや、そうとしか言えない異常事態にミラはひたすら取り乱した。


「ぎゃぁあああぁあ、なんか、なんか、産まれる……」


 膨張した二の腕がぷつぷつと泡立ち、内側から皮膚を食い破って、なんだか地球外生命体(エイリアン)じみたものが今にも産まれだしそうな雰囲気が漂いまくっている。


 いや、エイリアンではなく、ミニサイズの入谷つばめ、もといツーバメ・イリヤの群体が爆炎とともに産まれ来るのだろうか。


 おぞましい想像をして、ミラが余計に取り乱すなか、レイはごく平然と手押し車を押していた。


 ほとんどのんびりとしか言いようのない鈍さに苛立ちが募る。


「急いで! なんか産まれるっ!」


 ミラが金切り声を上げて叫ぶが、レイは「うるせーな」とでも言いたげな冷たい視線を向けただけだった。冷淡どころではない。もはや喋りもしなかった。


「なんなの? 冷たすぎでしょ」


 ミラは怒りに打ち震えているが、動かせるのは今のところ無事な左腕だけだった。

 じたばた左手を動かすと、中空にミラとレイのステータス画面が現れた。


「……は? なんなの」


 ミラは驚きのあまり、あんぐりと口を開けた。


 手押し車を押すレイの称号が《芋の運び屋(ポテ・トラクター)》に変わっていた。


 もはや騎士ですらない。


 どおりでレイが無言になっているわけだ。


 芋の運び屋に成り果てたレイは、ただただ無口で、余計なことを言わず、ただひたすらに芋を運び続ける職能を忠実に果たしているのだろう。


 ポテ・トラクターという、なんとなく大喜利感のある二つ名に気が削がれた。今にも何か新しい生命が産まれそうだという切迫した雰囲気はぶち壊しだった。


「なんなの、この二つ名。ふざけてんの?」


 ミラはなんとも言えない表情を浮かべ、宙に浮いたステータス画面を眺めた。


 白い太枠に覆われたレトロ感たっぷりのステータス画面が、てへぺろ、と言いたげに、ちろりと白い舌を出した。そのムカつく表情が入谷つばめと生き写しだった。


「ステータスっ! お前もかっ!」


 ステータス画面さえも入谷つばめに乗っ取られているらしい。


 芋の運び屋と化し、騎士を返上した相方のみならず、元来中立なはずのステータス画面にまで裏切られ、ミラの心身はずたぼろだった。


「マジでお祓いしないと! 死ぬ。つーか、なんか産まれる」


 ミラはほとんど錯乱しており、二の腕が異常膨張する呪いを祓えるなら、霊験あらたかな壺やら水やら数珠やら、ともかく何かしら効果がありそうなものなら、喜んでいくらでも買い求めるのもやぶさかではないほどまでに追い詰められていた。


 手押し車を押すレイがようやく小舟のすぐ傍まで辿り着いた。


 無人かと思いきや、小舟の近くにみすぼらしいぼろ切れを纏った行き倒れの姿があった。荷台からはよく見えないが、灰色の髪をした老女だろうか。


 すべての生気を使い果たしたかのようにげっそりとやつれ切っているが、灰色の髪に隠れて顔がはっきりとしない。


 ぼろ切れから伸びる腕は枯れ木のようで、その命は風前の灯火のように見えた。


 そよ風に吹き飛ばされてしまいそうなほどに頼りなく、小舟近くに蹲っている。


「あのー、大丈夫ですか?」


 ミラも一大事ではあったが、そのまま見捨てていくのも寝覚めが悪い。


 手押し車で運ばれたまま、ひと声かけてみることにした。


 よくよく見ると、ぼろ切れを纏った行き倒れは、青髪の麗人を象った《偶像(アクスタ)》を後生大事な宝物かのように握りしめている。なにやら、ぶつぶつと呪文のように呟いている。

 

「うー、ごめんよぉ。推しの限定グッズとか、コラボカフェとか言われたら、どこまででも遠征して全感情(エモ)はたいちゃうじゃん。おかげですっからかんだよぉ」


 よくよく耳を澄ますと、ぐすぐす泣いているらしい。


 ぼろ切れは手に持ったアクスタに許しを乞うているかのようだった。


 傍らには旅のお供らしい古びた杖、家出少女めいたぱんぱんに膨らんだリュックサックが無造作に転がっている。


「あのー、どうしました。大丈夫ですか」


 ミラが再度問いかけると、にわかに周囲が騒がしくなった。なにやら巻物状の紙束を手にした一団が大慌てで人探しをしているようだった。


「何事ですか?」


「《大賢者監理官(オーバーシア)》より捜索令状が発出されたのだ」

「どなたをお探しなんですか」


 捜索令状を手にした一団は、なんとなしに気まずそうに言った。


「大賢者チグ様が限定品の推しグッズを求めてどこぞのコラボカフェに遠征し、そのままお戻りにならないそうだ。全感情(エモリウム)を使い果たしたのだろう」


 限定品の推しグッズを求めて、大賢者チグが失踪……。


 聞くだに、ミラは「阿保なの?」と突っ込みたくなるのをどうにかこうにか我慢した。


 失踪した大賢者探しに明け暮れているのは、港の住人ばかりではなく、聖職者然とした高位神官らしき者たちも含まれていた。


 大賢者の失踪は日常茶飯事であるのか、その表情は皆、「またか」という呆れにも似た感情が見てとれた。


「しょーがないじゃん。オタクは《限定》という言葉に弱いんだよぉ」


 どこからともなく恨み節のような声がしてミラが振り返ると、先程まで小舟の近くに倒れていたぼろ切れの行き倒れの姿が忽然と消えていた。


「大賢者様を見かけたら、すぐに知らせてくれ。協力感謝する」

「はあ……」


 まるで新規開店した飲食店のビラかのように捜索令状を渡され、ミラは困惑した。


 まさか、さっきまでそこで行き倒れていたのが大賢者チグ様でしょうか、と訊ねるのは、不敬にあたるのだろうか。大賢者チグ様捜索隊がどやどやと行ってしまうと、小舟の影から行き倒れがずりずりと這い出てきた。


 さながら密航のように、よっこらしょ、と言いながら小舟に乗り込もうとした。


 どこからともなく船の操縦士らしいチョビ髭の小男が現れた。


「エモはお持ちですかい、大賢者様」

「ごめぇん。ぜんぶ使っちゃった。あとでナギちゃんに貰って」

「承知しました」


 係留を解いた小舟が今まさしく大海に漕ぎ出されようとしていた。


 手押し車に横たわったままのミラが大声で叫んだ。


「あのっ……! わたしも乗せてってください!」

「ん~~~?」


 密航船が出発しかけようとしたところ、ぼろ切れを纏った灰色の髪の女性と目が合った。


 ぱっと見、老女めいたように見えたが、意外と若そうだった。


 どくどくと脈打つミラの二の腕を興味深そうに見つめ、それから押し黙っているレイを見つめ、あどけない少女のようににんまりと微笑んだ。


「その肩、とんでもなく推しの重さを感じる。久しく見ない尊さだね」

「……は? これ、呪いじゃないんですか」


 ミラが問うと、ぼろ切れを纏った大賢者が小難しい顔をして腕組みをした。


「そうだね。推しへの愛は呪いと言えなくもないね」


「いや、そういうことじゃなくて」


「重さにちなんで、《推しの尊き重さ(ストロング・マッスル)》なんて称号はどうかな」


「……いや、二つ名とかはどうでもいいんですけど、この腕、なんかヤバいものが産まれません?」


「生まれるよぉ! こんな感情圧縮率、お目にかかったことないね。ちょっと触ってみてもいい?」


 どうにも会話が嚙み合わないが、大賢者の見立てによると、これは《推しの重さ》らしい。


 正直、なんのこっちゃ分からん。


 ミラが唖然としていると、大賢者は脈動する二の腕をぷにっ、と指先で突いた。


 ごつごつした筋肉に見えるが、大賢者が触れると、スライムのように蠢いた。


「うわぁ、すごい、すごーい。液体みたいだね。こんなエモ、初めて見る」


 やたらと喜ぶ大賢者は、ついさっきまで土気色だった顔色がずいぶんと血色が良くなっており、枯れ木めいた細腕がいくぶん健康的な太さにまで戻っていた。


 くすんだ灰色だった髪は若々しく、艶々の光沢のある美しい髪になっている。


 大賢者はミラの頭上に浮かぶステータス画面をちらりと見た。


「そうか。君が噂の《バグ修復士(デバッカー)》か。無課金で関係性深化(エンゲージメント)指数をカンストさせるなんて、よほど愛が深かったんだね」


「あの、わたしのこと……」


 知っているんですか、とミラが問うよりも先に大賢者が言葉を重ねた。


 ずずい、と青髪の麗人のアクスタをミラの眼前に突き出し、鼻息荒く推し語りを始めた。


「姫野ミラちゃん、君の推しは誰? わたしはね、蒼生(あおい)(なぎさ)ちゃん。高校生ガールズバンドアニメの『カレイド☆パレード』って知ってる? 渚ちゃんはカレパレのベース担当で、髪が青くて、死ぬほどクールで、わたしの妹のナギちゃんに激似なのっ!」


 妹のナギちゃんに激似という点を異様なほど強調したところからして、だいぶ愛が重たい。推しへの愛と妹への愛がほとんど一緒くたになっている。


「そちらのアクスタは……」


 ミラがちらりと青髪の麗人のアクスタを見やると、大賢者がふやけた笑みを浮かべた。


 愛おしそうに頬ずりし、ひたすら推しへの愛がとどまるところを知らない。


「これ、ナギちゃん。わたしはダメダメだから、ナギちゃんがいないと生きていけないの。わたしが大賢者なんて崇められてるけど、ほんとうに大賢者なのはナギちゃんだから。この世界を司っているのはぜんぶ、ぜーんぶ、ナギちゃんなの」


「はあ……」


 推しの賛美が止まらないが、密航船の操縦士がやんわりと言った。


「そろそろ出発してもよろしいでしょうか、大賢者チグ様」


「あっ、ごめんね。よろしくお願いします。ついでにこの子たちも乗せてあげてよ」


料金(エモ)三倍になりますが」


 密航船の操縦士が念のため確認したが、大賢者チグは鷹揚に頷いた。


「大丈夫、ぜんぶナギちゃんが払ってくれるから。大船に乗ったつもりで、どーんと来いだよ。そこのお二人さん。さあ、乗った、乗った」


 やたらとハイテンションな大賢者チグに促され、ミラとレイが密航船に乗り込んだ。


 ぱんぱんに膨れ上がった右肩の重みのせいで、ぼろっちい密航船が危うく沈みかけそうになったが、大賢者チグはお構いなく上機嫌で歌い始めた。ミラに向かってウインクすると、音痴すれすれのヘタウマな歌唱力で大絶叫した。


「君とぉ~、でーあーえーた奇跡ぃ~☆」


 レイは聞くに堪えないという表情を浮かべ、失礼にも両耳を塞いだ。


 密航船の操縦士は、ゆっくり、ゆっくりと櫂を漕いだ。


 大賢者チグは|果てしなく続く繰り返し《エンドレス・リピート》かのように推しソングを歌い続けた。


 ミラはただひたすら薄笑いを浮かべていた。お追従で手拍子をしようにも、右肩が破裂しそうなほどに膨張しているので、膝を叩くぐらいで精いっぱいだった。


 よもや、これは『カレイド☆パレード』推しに改宗させるための布教活動なのだろうか。


 密航船は陸地を這うのろまな亀のようにゆったりと進み、大賢者チグの独演会は果てしなく続いた。並走した船が現れては、「ちっ、うまくやりやがって」と大賢者チグを乗せたことを羨んでいる。


 小舟の進みはあまりにも遅く、あえて時間をかけているようにしか思えなかった。


 タクシー運転手がわざと遠回りして料金をかさ増しするように、ミラージュ世界では、大賢者チグの送迎は割の良い仕事なのかもしれない。


「それでは、蒼生渚ちゃんのソロ曲『星を探す者(スターシーカー)』、歌いますっ!」


 密航船はカラオケ搭載なのか、大賢者チグの歌い出しに合わせてメロディーが流れた。


 どこからともなくステージがせり出し、七色のミラーボールまで煌々と瞬いている。


 感情教会国家エモナージュの護岸に着く頃には、カレパレの持ち楽曲の歌詞がほとんど暗唱できるほどまでに強烈に頭に刷り込まれていた。


 密航船に横たわったミラは、うんざり顔でステータス画面を見上げた。


 いつの間にか、ミラの称号は《ナギちゃん推し☆星を探す者(スターシーカー)》に変わっていた。

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