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感情教会国家エモナージュに至る橋

 トゥンク。


 元来、それは胸のときめきを表す俗語のはずだが、あろうことかトゥンクしているのは、ミラの肥大した右肩だった。


 トゥンク、トゥンクと脈打っている。


「なに、これぇ。やだあ。キショい。キショい」


 ムキムキに肥大した右肩から、なにか新しい生命が生まれそうな予感さえあるが、ミラは反対側の手で必死に右肩の昂ぶりを抑えようとした。


 マッチョな右肩がトゥンクする謎現象――明らかに呪いだ。


 右肩がさらに質量を増したのか、ミラを運ぶレイの足取りが鈍くなった。


「……重いな」

「重いとか言うなっ!」


 はて、このやり取り、ちょっと前にもしたんじゃなかったか。


 港を行き交う通行人に不審がられないよう、なるたけ目立たず移動し、瓢箪型の島へと架かる橋の袂にようやく行き着いた。


 遠目からでも分かるほど巨大な石造りの橋の前には、屈強な体躯をした橋の番人が立ちはだかっていた。凶悪な面構えのスキンヘッドで、鍛え上げられた筋肉質な身体はミラの肥大した右肩といい勝負だった。


「筋肉同士で語らってみたらどうだ」


 レイが大真面目な顔をして、ずいぶんと間抜けなことを言った。


 右肩の質量がさらに増し、手押し車に横たわるばかりのミラは噛みつくように言った。


「わたしはこの筋肉を一秒でも早く萎ませたいの!」


「そうなのか。ならば、もっと鍛え上げれば破裂して萎むのでは?」


 富士山ばりに右肩が肥大しきって、活火山のように大爆発する様を生々しく想像し、ミラは冷や汗をかいた。


「そんなの、わたしごとはじけ飛ぶじゃん!」

「そうか。いい作戦だと思ったが」


 レイの言動は人工知能が発したとは思えぬほど、どこかがズレている。


 知性、どこ行った?


「ねえ、さっきからすごくバカっぽいけど、感情を失ったからなの?」


 ミラが単刀直入に失礼な物言いをしたが、レイは気にした様子もない。


 ちっとも怒りもせず、ただただ平坦な物言いを返した。


「言動に知性(インテリジェンス)がないとしたら、運搬にリソースを割いているからだろう」


 ミラという重い荷物を運搬しているから、言語能力が著しく低下している。


 詰まるところ、貴様は重いと言いたいらしい。


 なんだ、それ喧嘩売ってんのか。

 無感情なりの高度な嫌味か。


「わたしは重くない! 肩が重いだけ!」


 ミラは腹立たしげにレイを睨みつける。


「肩は貴様の付属品ではないのか」

「そうだけど、そうじゃない」


 唇を尖らせたミラは、どうしようもなく重たい右肩を忌々しそうに見つめた。


「なんなのよ、この肩。ぜったいつばめの呪いでしょ」


 ダサさの極致であるツーバメ・イリヤにかけられた鬱陶しい呪いを解くためには、橋の向こうの神殿に行かねばならない。


 レイはごつごつした石畳の道を進み、壮麗な石造りの橋を渡ろうとした。


 橋の番人を無視して、そのまま素通りしようとしたところ、呼び止められた。


「おいおい。タダで通れると思ってんのか」

「通行料が要るんですか?」


 荷台に横たわったままの姿勢でミラが訊ねた。


「当り前だろう。大賢者様に謁見したくば、ありったけの感情資源(エモリウム)を置いていけ」


 ――エモリウム。


 橋の番人の口ぶりからして、どうにもミラージュ世界での通貨のようであるが、あいにくミラの所持エモリウムは「0」だった。


 払え、と言われたって、無いものはない。


 レイとミラ以外に橋を渡ろうとする通行人の姿はちらほらあるが、ほとんどが通行料の高さに二の足を踏んでいる。


 引き返す者が続出するのを見るに、どうにもぼったくり価格のようだった。他の客に紛れて、しれっと通過するのは無理そうだった。


「呪いを解くために、どうしても通りたいんです」


 ミラが切迫した調子で言った。


 橋の番人はレイとミラの姿を認めると、傲慢な笑みを浮かべた。


 ミラの膨張した右肩を見やり、「俺様の筋肉には及ばんな」とでも言いたげな辛辣な視線に内心、激しく突っ込みたくなった。


 いや、競ってねーから。


「この先になにがあるんだ?」


 レイが静かに問うと、橋の番人は心の底から見下したように言った。


「感情教会国家エモナージュ。まさか貴様ら、大賢者チグ様の尊き教えを知らんのか」


 ミラとレイが互いに顔を見合わせた。そんなの、知るはずがない。


「すべての推し活はエモナに通ず」


「……推し活?」


 あまりにも崇高な調子で語られたが、その内容はどうにも推し活のことらしかった。


 無骨な橋の番人は、青髪の麗人を象ったアクリル板と思しき《偶像(アクスタ)》を掲げ、敬虔な調子で説いた。


 鎌倉女子学院で、入谷つばめがよくアニメキャラがプリントされたアクスタを持ってきていたから、その存在はよく知っている。


 アクリルスタンド――略して、アクスタ。


 100円均一ショップで売っているアクリル板に好きなアニメのキャラクターやアイドルの写真、イラストなどを印刷し、台座に立てて飾れる推しを身近に感じられるグッズだ。 


 軽量で持ち運びやすく、手入れも簡単で、置いて良し、飾って良し、お出かけ用にボールチェーンを通しても良し。


 台座部分を連結仕様にして、カップリングやコレクションのスタンドを作ることもできる推し活には必須のアイテムだが、現実世界では安価(チープ)な推しグッズの一環に過ぎないアクスタがミラージュ世界では完全に信仰の対象となっているらしい。


 よもやアクスタが信仰の対象かと思うと、隔世の感がある。


「すみません。大賢者チグ様とはどのようなお方なのですか」


「尽きることなき感情資源(エモリウム)を持つ真理の番人ぞ。エモナージュ界隈の島も海も神殿も、遍く大賢者チグ様がお作りになった。いわば造物主。この世界で最も尊きお方であらせられるぞ」


「はあ……」


 ミラは手押し車の中で横になったまま、釈然としない面持ちを浮かべた。


 神殿はともかく、島も海も生み出したなんて、さすがに法螺に違いない。


 目の前の男は大賢者チグを崇める信徒であるのか、チグ様の賛美が止まらない。


 いっそ狂信者かのような語り口だが、ミラージュ世界で推し活はまさしく宗教で、大賢者チグとは神にも等しい存在であるらしい。 


「そのアクリルのやつ……」


「アクリルのやつではない。偶像(アクスタ)だ」


「すみません。そのアクスタの青い髪の方が大賢者チグ様ですか」


 ミラが素直に質問したが、どうにも違ったらしい。

 屈強な橋の番人は哀れむようにミラとレイを見下した。


「青髪が大賢者チグ様であるはずはないだろう。さては貴様ら、《無感情民(オシナンテ)》か。どうしてもこの橋を通りたければ、エモ金貨五十枚持ってこい。エモ銀貨やエモ銅貨なんて、ちんけなもんじゃ通さんぞ。大賢者チグ様への薄い信仰心しか持たぬクズどもめ。貴様らなんぞに聖地を訪れる資格はない。帰れ、帰れ」


 冷やかしの巡礼者だとでも思われたのか、大賢者チグの髪色を違えただけで門前払いを食らい、ミラとレイは橋の袂から追放(パージ)された。


「はあ? なに、あの態度。ムカつく。死ぬほどムカつく」


 収穫された芋のように手押し車に乗せられ、ごとごと運ばれるミラが憤っているが、《感情を失ったエモ騎士》であるレイは淡々と事実を整理した。


「この世界の通貨がエモリウムというものなのか。エモ金貨、エモ銀貨、エモ銅貨の三種類があるようだな。オシナンテなどと言っていたが、どういう意味だ?」


 ミラのステータス画面は相変わらず所持エモリウム「0」と表示されているが、いつの間にか、金貨、銀貨、銅貨それぞれのマークが追加されていた。


 初心者向けの世界観説明としては十分だが、それにしたって腹が立つ。


 ミラージュ世界の民はどいつもこいつも神経を逆撫でする言動しかしない仕様なのだろうか。橋の番人の不遜な態度を思い返すだけで、沸々と怒りが湧いてきた。


「オシナンテ――推しなんていない。そういう小馬鹿にした感じでしょ。あー、ムカつく。大賢者チグが青髪じゃないなら、じゃあ、この青髪は誰なのさ」


 ミラが周囲に怒りをぶちまけると、筋肥大した右肩が意思ある生命体でも宿したように脈打った。


 まるで地球外生命体に寄生でもされたかのような気色の悪い瘤がびくびくと波打ち、今まさにミラの右肩から何かが生まれようとしていた。


「はあ? なに、これ。キモい、キモい、キモい……」


 これが入谷つばめの呪いだったとしたら、一刻も早く大賢者チグに謁見して、呪いを祓ってもらうしかない。しかし、橋を通るには何十枚ものエモ金貨が要るという。


「ねえ、レイ。エモ金貨ってどうやったら手に入るの」

「さあな」


 頼みの綱であるレイが丸っきり役に立たない。


 道行く通行人を恫喝して、「金貨だせや」とカツアゲするしかないか。


 いや、ミラ自身の身体さえ持ち上げられないのに、どうやって通行人を脅せばいいのか。


「橋は通れない。だったら……」


 ミラはちらりと港の片隅に係留されている古びた小舟へ目を留めた。


 波に揺られ、今にも沈みそうなくらい小さな舟だった。


 幸か不幸か、船乗りらしき存在は見当たらず、まったくの無人だった。


 意を決したようにミラが言った。


「密航するか」

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