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燃え盛る世界、解説キャラ不在につき

 ぐぎゅるる、るる、る‥‥…。


 糖度0のエモ騎士様の後を追いかけて、草原を駆け抜けるうち、腹の虫が盛大に鳴いた。


 異世界とはいえ、どうやらお腹は減るし、たくさん走ったぶん、疲労感もあった。


 体形(スタイル)が盛れるヒール付きのローファーで走っているので、靴擦れして踵がずきずきする。


 どこまでも同じ景色の草原をひたすらに走り続けているのに、一向に景色が移り変わらない。まるで同じ画面がループしている故障(バグ)みたいだった。


 学校の芝の運動場(グラウンド)をぐるぐるぐるぐる、延々とマラソンし続けているような徒労感を覚えた。


 どこまでも変わり映えしない草原を駆け続けるのは、果てしない苦行だった。


 レイは体力が無尽蔵であるのか、走るペースは一向に落ちない。しかし、ミラはそうもいかなかった。足が棒のようになり、さすがのミラも音を上げた。


「……ちょ、待って。ちょっち休憩させて」


 よろめきながらあげた声は、蚊の鳴くようにか細かった。


 まったく耳に入っていないのか、それともただ無視しているのか、感情を失ったエモ騎士の姿がどんどんと遠ざかっていく。そういう仕様だとしても、冷血にも程がある。


「ガチで置いてかれたんですけど……」


 失望めいた薄笑いを浮かべ、体力的に限界のミラは草原に倒れ込んだ。


 異世界転移後、いきなりのひとりぼっちはさすがに堪えた。


 大声で叫ぼうにも、疲れ過ぎて呼吸が荒く、大きな声が出せそうもない。


 手近にある石ころを思い切り投げつけて制止させてやろうかと思ったが、ミラの周囲に投げつけるのにちょうどよさそうな石は落ちていなかった。


 草原に寝転んだミラは、自分の手をまじまじと見つめた。


 別段、ごつくなってもいない見慣れた手だった。


「なんで、あんな剛球(ボール)が投げられたんだろう」


 怒りに任せてぶん投げた石は、ワンチャン、メジャーリーガーにもなれるんじゃないか、と思えるほどの剛球となってレイの背中を襲った場面が想起された。


 ミラは特別、運動神経が優れているというわけではない。


 フリスビーに似たプラスチック製のフライングディスクを投げるアルティメット部の入谷つばめからしきりに入部を誘われてはいるが、運動全般は概ね人並か、せいぜい人よりも若干肩が強いぐらいだ。


 人より肩が強いなんて自慢にならず、ちょっとでも華奢に見えたいお年頃だ。


 ミラは不思議がりながら、右手を開いたり、閉じたりした。


「肩だけ身体能力強化されてるってこと?」


 体力は現実世界と大差ないのに、肩の強さだけ異常に強化されているらしい。


 それこそ、冷血漢が血相を変えて「……殺す気か?」と睨んでくるほどに。


「腕、太くなってないよね。マジで勘弁してほしい」


 キャメル色のブレザー越しに肩回りを撫でさすってみるが、凶悪なプロレスラーのような筋骨隆々な肩にはなっていなくて、ミラはほっとした。


 細い人差し指をすっと動かして、中空にステータス画面を呼び出してみるが、姫野ミラの二つ名が《無課金の女》であること、デバッカー権限の付与と所持エモリウムが「0」であることぐらいしか分からない。


「つーか、デバッカー権限ってなに? エモリウムってなんなの? ふつう、異世界に転移してきたら初心者向けの操作説明(チュートリアル)があるもんじゃないの」


 二次元オタクの入谷つばめの受け売りだが、主人公はトラックに轢かれる衝突事故などに遭って異世界に転生ないしは転移し、異世界の住人からざっくりと世界観の説明を受け、さしたる努力もなく主人公はチート能力を持ち、“(オレ)TUEEE(ツエ―)”と称される無双状態へと至り、ノーストレスでどこまでも高みに上り詰めるというのが異世界ものの様式美であるそうなのだが、どだいこの世界には解説キャラすらいやしない。


「この世界、なんなの。解説キャラぐらい用意しとけや」


 ミラがぶつぶつと毒づくが、大まかな世界観の説明さえ無いほど、《無課金の女》にはとことん冷たい仕様であるらしい。


 レイの姿はどこまでも遠ざかり、ほとんど米粒のように小さくなってしまっている。


 後ろにミラが付いてきているのか、一度たりとも振り返りやしないところを見ると、《感情を失ったエモ騎士》という称号はまさしくその通りだと思う。


「異世界転移して、さっそく生き別れですか。ああ、そうですか」


 およそミラに付与された無双能力などはなく、現実よりも強化されたのはゴリラじみた肩の強さだけ。


 それが何の役に立つかさえもよく分からない。


 その上、現実世界への帰り方もよく分からない。《感情を失ったエモ騎士》に置き去りにされ、ミラージュ世界にひとりぼっちになってしまったミラは、ごくりと唾を飲み込んだ。


「……え、もしかして、わたしこのまま一人なの? というか、現実の世界にどうやって戻るの?」


 ミラはずっと左手に握りしめたままのスマートフォンをおそるおそる見つめた。


 アナログ表示の時刻は、駅のプラットホームから転移した時刻のままで時を止めていた。


「時間が流れてないの? わたし、不老ってこと?」


 ミラはずっとミラージュ世界に囚われたままで、どうにかして現実世界に戻ったとしても、こっちの世界ではまったく時間経過はないのに、現実世界では何十年も時間が経過していて、まるっきり浦島状態になるのだろうか、などと想像すると急に恐ろしくなった。


 ミラは見渡す限りの草原に埋もれ、とてつもなく心細くなっていた。


「……ねえ、誰か。誰かいないの?」


 半狂乱で叫ぶが、冷血なエモ騎士が戻ってくる気配は微塵もなかった。


 とめどなく涙が溢れてきて、どうしようもなく切ない気分だった。


「レイぃー、帰って来てよぉ。糖度0でもいいからぁ」


 ミラがぐしぐし泣いていると、草陰からトランプカードめいたものが無防備な首筋目がけて飛んできた。咄嗟に上体を逸らすと、草が刈られたようにすっぱりと切断された。


「やあやあ。いいねえ、その涙。エモいねえ」


 くつくつと不敵な笑みを湛えて現れたのは、怪盗然とした入谷つばめだった。


 トレードマークの片目眼帯、ショートの黒髪に赤いインナーカラーのメッシュが入った明らかに校則違反の髪、隙あらば悪戯を仕掛けてやろうと終始ニヤついている口元。


 その姿はどこからどう見ても、リアルとバーチャルを行き来する自称2.5次元美少女入谷つばめそのものだった。


「つばめっ!」


 ミラが大声で呼びかけたが、眼帯美少女は意味深に微笑むだけだった。


 周囲の草が意思を持ったように蠢き、触手状に蠢いてミラを拘束した。


「ちょっ、なにすんの。離して」


 手足を縛られたミラがじたばた暴れるが、眼帯美少女は微笑しながら近付いてきて、ミラの顎を気障ったらしく、くいっ、と持ち上げた。


 理想上の彼氏にやってもらいたいイケメン仕草そのものに、ミラが思わずまごついた。


「……は? なに、なに、なに?」


 ミラの耳元で囁かれた声は、やたらとイケボだった。


「無課金で関係性深化(エンゲージメント)カンストなんて、ずいぶんやり込んだじゃん」


 腰砕けになってしまいそうな魅惑的な声になんとか抗おうとするが、ミラは魅入られたように動けなかった。顎に添えられた指が艶めかしくミラの肌を撫でた。


「ちょっ……」


「あれれー、おかしいなあ。お付きの騎士様はどこに行っちゃったの? ひょっとして放置プレイってやつ? エンゲージカンストしてるなら、お付きの騎士様が姫を放置してどこかに行っちゃうなんてあり得ないはずだけど、これもバグの一種かな」


 入谷つばめらしき眼帯美少女が訳知り顔で言った。


「知らんわ。レイのやつ、《感情を失ったエモ騎士》とかいう称号になってんだもん」


「……感情を失ったエモ騎士?」


 眼帯美少女は一瞬真顔になり、それから腹を抱えて笑い転げた。


「やべっ。笑える。あっ、笑い過ぎて横隔膜攣りそう」


 ひいひい笑っているが、そんなに笑っている暇があるなら、、まず手足の拘束を解け、と言いたい。


 つーか、こんな状況になっても、冷血騎士は助けにも来ないのか。


 感情がないにも程があるだろう、クソ騎士が。


「つーか、あんたつばめでしょ。なんでミラージュ世界にいるの?」


 ミラとは違って重課金も辞さないヘビーユーザーのはずだが、入谷つばめも鏡の中に引っ張り込まれたのだろうか。


 ノン、ノン、ノン、と気障ったらしく指を振り、ばさりと黒マントをはためかせ、どこぞの怪盗紳士が付けるような絶妙にクソださい怪盗マスクを装着した。


「いいや。あたしは《現実(リアル)虚構(バーチャル)を軽やかに往還せし爆炎の眼帯美少女》、人呼んで怪盗ツーバメ・イリヤ」


「……ださっ」


 クソ長い二つ名の末端にまで《美少女》と付くほどの自己肯定感の高さと、むしろ本名のままの方がまだマシなほどの異世界(ネーム)――ツーバメ・イリヤ。


「ツーバメ・イリヤはダセえわ。せめて本名にしときなよ」


「は? ダサくねーし。めちゃ格好いいし。はい、殺すー。処刑決定ぇー」


 ツーバメ・イリヤの右目に付けられた眼帯が燃え盛り、さながら「火の眼」のような特殊効果の演出(エフェクト)がなされた。


 察するに炎使いらしいが、どこまでも中二病っぽくて笑えた。


「怪盗が燃やしちゃ駄目じゃないの」


「うっせーわ。炎系能力、かっこいいじゃろがい」


「呪文の詠唱とかするの?」


「あたしレベル、無詠唱だわ」


 ツーバメ・イリヤがぱちんと指を鳴らすと、ミラの周囲が一瞬にして業火に包まれた。


 見上げるほどの炎の壁となるが、術者のつばめさえも炎の壁の中に閉じ込められている。


「やべっ……、やり過ぎた」


 つばめは、てへぺろ、と愛嬌たっぷりに舌を出して見せるが、こやつはひょっとして阿呆の子なのだろうか。出力たっぷりに炎を繰り出したらどうにもやり過ぎてしまったらしく、自分の能力を自在には使いこなせていないらしい。


 姫野ミラと入谷つばめは仲良くグリルで火炙りにされる焼き豚のようだった。


「あちっ。ちょっとマジで勘弁してほしいんだけど」


 火を点けた本人がぼやいている。いや、貴様にそれを言う資格はない。放火犯が事件現場から逃げられず、「熱い」と文句を言うのと同じぐらい馬鹿げている。


「バカなの、つばめ。火ぃ消してよ」


「火は点けられるけど、消せないんだなぁ、これが。炎熱系能力者って、雨の日は無能みたいな能力低下(デバフ)がないと際限なく燃やせちゃうから、キャラとしては使い勝手悪いんだよね。強力過ぎる力というのも、なかなか考えものだね」


 逆巻く炎にじっくりと火炙りにされながら、入谷つばめは悠長に炎熱系キャラの宿命を解説している。いや、こんな状況で余計な解説要らねえから。


「こんな時に解説要らねーから。とにかく火、消してってば」


「だから、消せないって言ってんじゃん。あたしゃ、燃やすだけなの」


「なに、そのクソ能力。マジ無能」


「は? 炎熱系能力はロマンじゃろがい」


 ミラとつばめが取っ組み合いの喧嘩を始めるが、炎の壁の勢いは衰えるどころか、強まるばかりだった。


「ねえ、異世界で死ぬとどうなるの?」

「知らん。死んだことないし。死んだらわかるんじゃね」


 入谷つばめはどこまでも飄々としており、まったくもって緊張感がない。


「わたし、こんな最期やだぁ」


「ふーん。あたし、いつでも現実帰れっから。じゃあね、姫」


 入谷つばめは小指に嵌めた金色の指輪に触れた。


 どうやらそれが現実へ帰還する転送装置の役割を果たしているらしいが、一人だけ抜け駆けは許さない。このまま道連れだ。


「逃がすか」


 炎の熱に炙られ、ミラの手足を拘束していた草はすっかり燃え落ちていた。自由の身となったミラはつばめを羽交い絞めにすると、転送装置と思しき指輪を奪おうとした。


「あっ、バカ。やめっ……」


 揉みくちゃになり、入谷つばめの小指から指輪が転げ落ち、炎に飲まれて原型がないほどに燃え落ちてしまった。つばめが恨めしげにこちらを見つめてきた。


「あー、最悪。高かったんですけど」


 つばめはじとりとミラを睨むと、炎の壁を新たな炎で突き破り、火の輪くぐりの要領で、さっさと炎の壁を突破してしまった。


 さすがは怪盗だ、とミラがしばらく呆気に取られていると、炎の壁はすっかり再生し、ミラが逃げ出すような隙間はなくなっていた。


「ちょっ……、つばめ! 助けて!」


「知らんし。あーあ、指輪高かったのにな。何エモしたと思ってんだよ」


 どこからともなく不満げなつばめの声が聞こえたが、炎の壁に脱出口は開かない。


 怪盗ツーバメ・イリヤの真似でもして、自力でなんとかしろ、ということらしいが、肩が強いぐらいの無能力者である姫野ミラには難しい相談だった。


「死ぬ! 助けて! つばめ、ごめんって。ツーバメ・イリヤ、ダサくないから。謝るから」


 燃え盛る炎の壁に閉じ込められたミラは、その場に跪き、助けを請うた。


 しかし、いちど機嫌を損ねた入谷つばめからの救助の手はなかった。


「やだあ、まだ死にたくない。助けてぇ!」


 ミラが大声で泣き叫んでいても、誰も助けに来る気配がない。


 このまま黒焦げの焼き豚みたいになって死ぬのだ。


 最低な最後だな、と思って、姫野ミラが人生を悟ったその時、燃え盛る炎の壁がパキパキと音を立てて氷結した。


 凍りついた炎の壁が脆くも崩れ落ちていく。


 氷結した炎の壁の残骸の先には、糖度0のエモ騎士様がかったるそうに立っていた。仏頂面の冷たい目は、触れた物すべてを凍らせるような「絶対凍土の眼」であった。


「付いて来ないと思ったら、なぜ火炙りにされているのだ、貴様は」


 装備品も何もない丸腰のレイに向かって、ミラは思わず抱きついた。


「レイぃー、ありがとぉー。怖かったー。どうして助けに来てくれたの? わたし、ぜったい見捨てられたかと思った」


親密な繋がり(エンゲージメント)が一定以上に高まった使用者(ユーザー)が課金者になるまで離さない。そういう仕様だからな」


 たんなる業務の一環だ、と言わんばかりの言い草だった。


「くそっ。ただの課金圧か。夢がない。まあ、いいや」


 ぐすぐす鼻水を垂らしながら抱きついたので、レイはひたすら鬱陶しそうな表情を浮かべた。いちおうは騎士だからか、ミラを振りほどきはせず、ただ抱きつかれるままだった。


「わたし、わかっちゃった。わたし、炎熱系よりだんぜん氷結派だわ」


「……なんのことだ?」


「ううん。こっちの話」


 炎の熱のせいで、頬が赤い。


 ミラは赤らんだ頬を隠すように、自身の頭をレイの肩に預けた。

 レイはさっぱり意味がわからないのか、氷のような無表情のままだった。


 糖度0の絶対凍土の騎士様。


 ちょっとは氷解して欲しいが、何気にこれはこれでいいかも、と思えた。

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